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● SkyDrive! --- 第百八話 ●

(ここが……決勝のコートか)

 隼人は天井から降り注ぐ照明の光をたどるように視線を移していく。
 真正面にはネットを挟んで白泉学園高校の面々が並んでいた。
 自分の両サイドを見ると、栄水第一高校の仲間たち。誰一人欠けることなく並ぶ六人。
 コートの外にはマネージャーとして亜里菜が座っている。その表情は準決勝までよりも明るく、気合いを見せていた。

(先生と何か話してたみたいだけど。いいアドバイスを貰えたのかな)

 静香と亜里菜の間に何があったのかを、隼人は知らない。しかし、静香の雰囲気が変わっていたことは自分たちにとってプラスになるということは直感的に理解できていた。そして、その恩恵を更に受けるのは、この先からだということも。

(ここで勝って、全国に行く。次の機会なんて今は考えない。前だけを見て、チャンスを掴み取る)

 隼人は亜里菜から視線を外して外を見る。観客席には他校の生徒たちがフロアに向けて一斉に視線を送っていた。団体戦は残り二試合。男子と女子の決勝のみ。これが終われば次は個人戦が始まるが、その前に自分たちの頂点に立つであろう高校の姿を見ておくと判断したのだろう。
 女子で栄水第一が決勝に進出したことも半年前のインターハイの結果から見れば驚かれることではあったが、男子の驚きによる比ではない。男子はシード校が全て倒れて、どちらもここ数年は名前を聞かないような無名校だ。
 白泉学園高校は数年をかけて、徐々に力を付けてきたという実績はある。
 栄水第一に至っては半年程度ではあるが男子部員がいなくなって休部していた。
 一年生だけのチームが、第四シードと第一シードの高校を破って決勝まで来たということに誰もが驚き、ドラマを期待しているのかもしれない。

「これより、決勝戦を始めます」

 バドミントン協会の役員が審判として二校の間に立つ。前に出た十二人はネットの上で握手を交わした。
 隼人の前にいたのは三鷹。半年前の練習試合のことが頭をよぎる。

「やりたいって思ってたけど。最高の舞台で試合できるな」
「ああ……俺も驚いてるよ」

 しっかりと繋がる手はお互いの熱さを伝える。いつまでも繋いでいたい思いを断ち斬って隼人から手を離すと、既に他の部員は手を離していた。三鷹と隼人だけが試合前から熱く火花を散らしていたらしい。

『よろしくお願いします!』

 全員で吼えるように礼をすると空気がビリビリと震えて広がった。
 コートから噴き出した熱さと共に一度全員が外へと出ていく。
 ラケットをすぐに手に取って、踵を返すようにコートへと入ったのは隼人と賢斗。相手コートには沖浦と藤井が足を踏み入れていた。
 既に相手のオーダーは渡っている。練習試合と全く変わらないオーダーは、相手にとっても練習試合の組み合わせは特別なものになったという証かもしれない。隼人は高鳴る胸に手を当てて深呼吸を何度かしながら定位置へとついた。
 ネット越しに見える沖浦と藤井。白泉学園高校の面々を見るのは練習試合ぶりだったが、脳裏に残っている映像と比較して、明らかに異なっている点が一つあった。
 沖浦の頭は天然パーマが以前かかっていたが、今は藤井と同様に坊主頭になっている。二人して同じ頭で並ぶと一瞬分からなくなるが、顔ですぐに判別する。髪の毛を切ったのは、何から覚悟の証なのかもしれないと隼人は思う。

「なんか印象違うよね。なんでだろ?」
「……髪の毛切ったからだろ、沖浦が」

 背後から問いかけてきた賢斗に隼人は答える。本当に気付いていなかったらしく、隼人の言葉を受けてから沖浦を見て「ああ」と小さく感嘆の声を漏らす。それで満足したのか笑顔のままで後方へと下がっていった。

「って。鈴風がファーストサーブだろ」
「あ、そうだった」

 慌てて賢斗が前に出る。そしてファーストサーバーである沖浦とじゃんけんをしてシャトルを得ると、コックを軽く回転させながら背後にいる隼人を振り向いた。

「……どうした?」
「多分、興奮してるんだと思う。落ち着くにはどうしたらいい?」

 隼人から見ても賢斗の顔は紅潮しており、気分が高揚しているのは間違いないようだった。いつもは試合には緊張して臨んで慎重になっている賢斗が、真逆の反応を見せたことに隼人は不思議と違和感がなかった。

(鈴風も、試合に興奮するようになってきた、のかな)

 賢斗は初心者として入ってきてから新しく、大変なことばかり経験してきた。全国制覇と声高に言う真比呂にも委縮して部活を辞めようとしたこともあったが、もう少しで全国へと手が届くというところまで来ている。その舞台で試合に向けて気合いが湧き上がっているのを見ると、隼人も胸にこみ上げてくるものがあった。

「よし、じゃあ思い切り打ちな」

 相手にも聞こえてしまうことを覚悟して賢斗へと言う。言われた方が目を丸くしていたが、隼人が自信を持って頷いたことで紅潮していた頬が少しだけ色を和らげた。

(まず、この試合を取る。行こう、鈴風)

 隼人の心の声に応えるように、賢斗は深呼吸を何度も繰り返して気分を落ち着かせていく。そうしている内に審判が試合開始を告げた。

「トゥエンティワンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 賢斗の挨拶は空気を揺らし、弾けていた。
 不可視の衝撃を受けたような感覚になったのは隼人だけではないだろう。
 ネットを挟んで向かい側にいる沖浦も、音圧に押されないように歯を食いしばってラケットを掲げている。賢斗はバックハンドで身構えていた体勢からスナップを効かせてシャトルを高く打ち上げていた。
 弾道は高く、飛距離が短くなるためにスマッシュを打たれやすい軌道。
 それでも隼人は上出来だと心の中で賢斗を誉めて、サイドバイサイドの陣形を取った。賢斗が右側。隼人は左側をすべてカバーするために腰を落としてシャトルを待ち受ける。ラケットを振りかぶった沖浦から来るであろうシャトルの軌道を瞬時に頭の中で予測して、それぞれ対処法を思いついた。

「はあっ!」

 沖浦はラケットを振りかぶると、上半身を斜めに倒して右腕を振り切った。真上を通って振り切るのではなく斜めになで斬るような軌道。右腕から全身を前方へと押し出すフォームから繰り出されたシャトルはストレートに隼人へと向かってきた。
 スマッシュともドライブとも言い難い強烈なショットにも隼人はバックハンドでラケットを合わせたが、予想よりも早く到達したことで打ち返すことに失敗する。ヘアピンの打ち損じで中途半端に前方へと上がったシャトルに対して飛び込んだのは藤井。シャトルに左手で照準を合わせると正確に打ち抜き、隼人の股下を射抜いていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃあ!」
「っしっ!」

 審判のコールに呼応するように吼える沖浦と藤井。コートの前後にいた二人は駆け足で近づいて左手を打ち合わせていた。パァン! と乾いた音が響き渡り、二人の闘志が全開なことを隼人に伝えてきた。

「まずは一発目、か」

 隼人はラケットを振り、今しがた打ち損じたシャトルの軌道を脳内で再現する。沖浦のスマッシュがより強力になっていることは知識としては持っていた。
 しかし、知っていることと実際に体験することとは感覚が異なる。
 隼人たちには今の沖浦・藤井組と対峙した時のデータはないため、できる限り早くショットに慣れる必要があった。

(沖浦のスマッシュも強烈になってたけど、むしろ重要なのは藤井の前衛だな)

 派手なショットに隠れていたが、打ち損じたシャトルを正確に捉えて打ちこんできた藤井の正確性こそ気を付けるべきと隼人は判断する。
 開始一発目のスマッシュを隼人が打ち損じると信じていたとしても、跳ね返ってきたシャトルの弾道は予測しきれないはず。だとするなら、シャトルを打ち返した後に反応する必要がある。藤井の前衛の動きは時間をかけて研ぎ澄まされたものに違いなかった。

「っし。一本」

 藤井がシャトルを持ってサーブ位置に立つ。レシーブすることになる隼人はラケットを掲げて立ち位置に着くと、ほんのわずかだが内側に寄った。藤井は隼人の体勢が固まると同時にロングサーブを打ってくる。軌道は隼人の左側。内側に寄った隼人を見て逆側へと打ち上げる。
 隼人は放たれた瞬間に迷うことなく外側へと移動していた。シャトルが飛んでいく方向にあっという間に追いつくと、無理せずクロスハイクリアでシャトルを飛ばす。コートを斜めに斬り裂いたシャトルを追いかけるのは沖浦。藤井はそのまま前で腰を落として、沖浦のスマッシュを背中で待つ。

「らああっ!」

 隼人へと打ちこんだシャトルと同様に沖浦は豪快なフォームでスマッシュを叩き込む。今度の狙いは真正面の賢斗。ラケットを顔の前に立てて置いていると、そこ目掛けてシャトルが飛び込んできた。ガットが強く弾かれる音と共にシャトルは跳ね返り、ネット前へと落ちていく。

「ふっ!」

 飛び込んできた藤井がシャトルヘアピンで打ち返す。隼人のフォローが間に合わないように、打ち返したばかりで隙がある賢斗へとストレートヘアピン。だが、賢斗は顔の前に立てていたラケットを、手首を中心に回転させてシャトルをクロスへと打ち返していた。
 綺麗にネットを交差して落ちていくシャトルには藤井も反応しきれなかった。全国レベルでも難しいような滑らかな軌道を取ったこともあるが、隼人の目には藤井の頭にシャトルが返ってくるという想定がなかったように見える。

「ポイント。ワンオール(1対1)」

 小さくガッツポーズをして落ちたシャトルを拾おうとした賢斗だったが、藤井が我に返って自分でシャトルを取ると、羽を整えて賢斗に渡す。その表情は厳しかったが、口元は微かに笑っていた。
 強い相手との試合を楽しんでいるかのような微笑みに、隼人も嬉しくなってくる。

「はい。高羽」

 自分の方を振り向いてシャトルを打ってきた賢斗の表情を見て、隼人は思わず頬を緩めていた。

「鈴風。楽しいか?」

 シャトルを受け取ってから前に出つつ、賢斗へと尋ねる。
 最初、質問の意味が理解できずに首を傾げていた賢斗は、自分の頬に手を当ててようやく理解する。
 賢斗の表情は藤井が見せたものと酷似している。自分の自信あるショットを返されて点を取られることは悔しいが、嬉しい。簡単には登れない山がネットを挟んでそびえ立っていることに喜ぶ。賢斗にも相手を倒す思いが芽生えているのは理解していたが、一度練習試合で対戦した相手だからこそ際立って見えるのかもしれなかった。

「高羽。一本行こう。どんどん攻めていいよ。ついていくから」

 賢斗から湧き出す闘志は今まで以上に強かった。
 隼人でさえも少し気圧されるほどの気合いに一度息を止めてからゆっくりと吐く。賢斗が背後についたところで隼人はサーブ体勢をとった。

「一本!」

 背後から聞こえてくる賢斗の咆哮。響く声を用いた気合いは隼人の背中を貫き、力を与えてくれる。シャトルを握る手にも力が伝わってラケットを振ると同時に絶妙なタイミングで放していた。
 シャトルは隼人が思い描いた軌道を描いて進んでいき、白帯を越える。
 そこに飛び込んでくる藤井のラケットは、躊躇なくプッシュを打ちこんでいた。
 ネットに触るのを避けるために勢いはないが、隼人が取れないタイミングで後方へとシャトルが流れていく。

「はあああ!」

 シャトルに追いついたのは賢斗。右足を踏み込んでラケットを振り切り、シャトルは相手コートへとしっかりと打ち返されていた。藤井は前にとどまり、沖浦が追っていく。一点目を取った時と同じフォーメーションに隼人はバックハンドで身構えつつ腰を落とす。

(次はどこに来る……ストレートか?)

 過去二回の沖浦のフォームとスマッシュを思い返し、ラケットの位置を微調整する。もしも賢斗の側へと打ちこまれたなら任せるしかないタイミングで、シャトルが放たれた。

「はああ!」

 力を抜くということを考えていない、渾身のストレートスマッシュ。シャトルは速度を保ったままネットへと近づき、白帯へとぶつかって跳ね返っていた。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 落ちたシャトルを藤井がすぐ拾い上げて隼人へと返す。隼人はシャトルを手に取って羽を整えながら、踵を返して沖浦にドンマイと声をかける藤井の様子を見ていた。
 沖浦は藤井に頭を下げてから、ラケットを何度かその場でラケットを振って腕の振り方を確認しているようだった。その日のコンディションで微妙にシャトルへのタッチが異なるのかもしれない。時に、全身を投げ出すようにラケットを振る沖浦には、その時々の調子が強く現れるのだろう。

(今回は調子がいいか、悪いか)

 沖浦はラケットを振ることを止めると隼人からのサーブを受けるために移動する。レシーブ位置に着いた沖浦の表情は笑顔が広がっていた。表情は雄弁に語り、隼人は背中に悪寒が走るのを感じる。ラケットを握る手に余分な力がこもるのを深呼吸することで抜くと、静かにラケットを振った。
 シャトルは静かに白帯を越えて相手コートへと入る。沖浦は前に出たもののプッシュは諦めてロブを上げていた。追っていくのは背後に構えていた賢斗。シャトルの真下に入った賢斗は息を止めてスマッシュを放つ。ストレートに放たれたシャトルを沖浦は前衛から少ししか下がらずにクロスへ打ち返す。隼人が伸ばしたラケットを越えてまた後方へと飛んで行ったシャトルへと賢斗はサイドステップで追いつき、ストレートにシャトルを放つ。今度は藤井が逆サイドへと打ち返し、賢斗を左右に走らせていく。

(鈴風。今は我慢だぞ……)

 賢斗がいつハイクリアを打っても反応できるように腰を落としたまま集中する。
 同時に、スマッシュレシーブのシャトルが少しでも甘い弾道に入ったならば弾き返せるようにラケットを掲げる。
 沖浦と藤井も隼人のインターセプトを避けるためにシャトルを打ちまわしていた。隼人もラケットを動かす範囲を考えており、相手も隼人を警戒することで厳しいコースには打つことができず、賢斗も追いやすい。左右の動きを続けながら、賢斗はスマッシュを打ち続ける。力強く叩き込まれるスマッシュの音は隼人に耳心地の良さを与えて、リズムに乗ってくる。ラケットを掲げながら前衛で上下に軽く揺れている隼人は、下手にヘアピンを打てばプッシュを打ちこむというプレッシャーをかけ始めた。沖浦と藤井にもその圧力は伝わっていて、スマッシュレシーブのテンポを変えずに打ち返し続けるしかない。

(鈴風の体力がどこまで持つかだな……どうする?)

 ラリーは硬直状態に陥ったが、不利なのはスマッシュを打ち続けている賢斗だ。高速で飛んでくるシャトルを正確に打ち返そうと集中している側も疲労は溜まるが、力強くシャトルを打っている側はその比ではなく体力は減っていくはずだった。
 しかし、賢斗はスマッシュを打つことを止めない。打ち続けることと、隼人の牽制によって完全に相手側はレシーブをクロスで高く上げることくらいしかできなくなっていた。

(鈴風……?)

 準決勝までと明らかに異なる賢斗の攻撃的な部分に、隼人は違和感を覚えていた。
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