●● SkyDrive! --- 第百九話 ●●
隼人がドライブを打ったと同時に、賢斗は前に出た。
バックハンドでのドライブは威力が落ちていて、真正面に陣取っている沖浦にはチャンス球になる。クロスに打たれて抜かれれば後衛にいる隼人でも追いつけないかもしれない。だからこそ、賢斗はラケットを前に突き出しながら、ネット前でクロスに打つコースを塞ぐように立ち塞がった。
(体に当たらないように、ラケットには当たるように……)
ストレートに打つしかないようなプレッシャーを与えるための境界線。
自分を主張しすぎれば体を狙い打たれて点を取られてしまう。それを恐れて体をすくませれば圧力にもならずに、簡単にシャトルを打ちこまれてしまう。放たれて、体にぶつかりそうになった瞬間に避けれれば一番いいが、時速何百キロを超える初速を持つシャトルを躱せる道理は、ほぼない。
「はっ!」
沖浦はスマッシュの時と同様に大きなスイングでラケットを振りきる。
斜め方向が横に変わっただけだが、賢斗の目には一瞬でクロスへ打ちこまれてきたように見えた。ただ、軌道はラケット面を押し出した方向であり、そのまま前に突き出す。
右腕に衝撃が走って、シャトルは白帯にぶつかってから相手コートへと落ちていった。
「ポイント。19対17(ナインティーンセブンティーン)」
「ナイスプッシュ! ラッキーだぞ賢斗!」
コートの外から張りのある声が届く。自分が出すような制御された大声というよりは単純に声が大きい。喉の状態を整えないで大声を出してしまえばすぐに枯れてしまうが、真比呂は常に地声を張り上げて仲間たちを鼓舞し続けている。
(あいつはずっと元気……のはずだけど。今日は違いそうだ)
合唱部で声を鍛えてきた賢斗だからこそ分かる。今日の真比呂が放つ声は疲労が隠しきれていなかった。声質も微妙に掠れていて、力がない。
前日には体力が取り柄の真比呂が倒れそうになるほどの試合をしていたのだから、無理はないと賢斗は思った。
(昨日だけじゃない。今日まで、あいつはずっとこのチームを引っ張ってきたんだ)
栄水第一男子バドミントン部が前に進もうとする力の源は、間違いなく真比呂だった。賢斗は皆の後ろについて背中をずっと見てきた。試合の時には隼人を鼓舞しようと、真比呂の真似をして気合いを入れてきた。
(だから、この試合は俺が頑張って、高羽を勝たせるんだ)
シャトルを受け取って羽を整えてから二十点目を取るために、サーブ位置に着く。あと二点とれば第一ゲームを勝ち取れる。
だが今から打つサーブをミスってしまえばテンポも崩れるかもしれない。自然と体に力が入って固まってしまう。
「鈴風」
心臓の鼓動が激しくなり、耳が聞こえなくなりかけた時。
隼人の声が隙間を縫うように届いた。
「いろいろ考えるな。目の前の一本だけとること、考えろ」
隼人の声に含まれる感情の名前を賢斗は正確には把握できない。
しかし、声音に含まれているのは直前の試合まで受けたことはなかったものだ。心の奥が暖かくなり、心臓の鼓動が小さくなっていく。
自分の呼吸音や周囲の喧噪。ネットの向かいにいるライバルの息遣いまで全部聞こえてくる気がして、全能感が広がる。コートの隅から隅まで感じ取れるかのよう。
「一本」
シャトルを打ち出した時もまるで足を踏み出すような自然な動作からラケットを振ることができた。ネットを越えてシャトルがふわりと飛んでいくと、そこに飛び込む藤井の顔が見える。ラケット面を立てて下から上へとこすり上げるようにしてシャトルを打ちこんできたが、賢斗はシャトルの軌道上にラケットを既に伸ばしていた。
ラケットを差し出すのも気負いなく、シャトルはラケット面に当たると威力を跳ね返して白帯の高さまで浮かび上がり、くるりと回転して落ちていった。
「ポイント。トゥエンティセブンティーン(20対17)。ゲームポイント」
「しっ!」
ネットを挟んですぐ傍に落ちたシャトルをラケットで引き寄せて手に取る。
羽はまだ少しだけささくれているが、指の腹で整えれば元に戻った。綺麗になったことが嬉しくて笑みを浮かべながら、賢斗は最後のポイントを取るためにサーブ位置へと移動する。隼人に近づくこととなり、自分に向けられる笑顔を見た。
「鈴風。楽しそうだな」
「……楽しいよ。こうして試合できること」
最小限の会話を交わして、賢斗はサーブ位置で身構える。
隼人も背中を軽く叩いてから離れて、コートの中央線を跨ぐように両足を広げて腰を落とす。賢斗は即座にショートサーブのサインを出して、前衛にプレッシャーをかける沖浦へと向きあった。
ネット越しの沖浦から伝わってくる気迫は、賢斗がショートサーブを打つことを読んでいると確信させる。普通ならばロングサーブで外すことも作戦の一つ。しかし、今の賢斗はあえてショートサーブを打ちたい気持ちが高まっていた。
(怖い。でも、この怖さをもっと感じたい)
ラケットを振る腕に少しでも余計な力が入れば、ショートサーブは失敗して強烈なプッシュを受けてしまうだろう。
怖いし、逃げ出したい。でも挑みたい。
第一ゲームを勝ち取れるかもしれないという重要な場面で、賢斗は息を止めて腕の震えを止めた。それからイメージする軌道に乗せるようにラケットを振るう。シャトルが打ち出され、透明な軌跡を縫うように飛んでいく。
(何度も、背中から見ていた軌道だ)
隼人のショートサーブによる、理想的な軌道。来ることが分かっていても、強打を打ちこめないギリギリのショートサーブ。賢斗が背中越しに見ていたサーブを、今は自分で打っている。
「はああっ!」
沖浦は飛び込むように前へと出てきてラケットを前へと押し出していた。
シャトルが弾かれて賢斗のラケットが伸びる範囲を突破する。前に出たこととラケットで押し出されたことで体感速度は二倍となり、シャトルに反応できていない。それでも、賢斗は背後を振り向かずにネット前で腰を落とす。
後ろにいるのは頼りになるパートナー。
賢斗が心配する必要もなくシャトルを打ち返してくれる。
「はっ!」
鋭い声と共にシャトルは賢斗の頭上を越えて逆サイドのネット前へと向かっていた。腰を落とした賢斗の頭の位置を既に悟っていたかのように、すれすれの軌道を狙いすましたかのように飛んでいく。外から見ている人間の中で、どれだけの人が故意に行われたことだと気付いただろうか。
(ナイスショット……高羽!)
少なくとも栄水第一の面々は知っている。隼人が、放たれたこの軌道へと打つためにどれだけの練習をしているかと。
賢斗の体をブラインドにしてクロスに放たれたシャトルに、沖浦は半歩だけ反応が遅れた。踏み出してラケットを伸ばし、シャトルにラケット面を触れさせようとする。少しでもコントロールしてしまえばネットすれすれで触ることもできないヘアピンを打つことができるはずだったが、賢斗は迷いなくシャトルを追う。沖浦がラケットでインターセプトするということを信じて賢斗が前に出たため、沖浦は直前で手首を使って賢斗の頭上を越えるようにシャトルを打った。
「ぁああああ!」
飛び込んだのは隼人。前に跳躍したままラケットを振りきると、角度がついてシャトルは鋭くコートへと突き刺さった。
リターンした沖浦は動けないタイミングで、後方に身構えていた藤井も届かない位置。
沖浦のいる場所の逆サイドの前衛にシャトルは転がった。
「ポイント。トゥエンティワンセブンティーン(21対17)。チェンジエンド」
審判の声を聞いて沖浦と藤井が悔しそうにコートから出ていくのを見て、ようやく賢斗は体の力を抜いた。左拳を握りしめて腰に引き、嬉しさを表現する。直後、背中を軽く叩かれたことで振り返ると満面の笑みを浮かべた隼人が立っていた。
「ナイスアシスト。鈴風」
「……ナイススマッシュ。高羽」
隼人が掲げた左手に自らの左手を叩きつけると乾いた音が響いた。
賢斗の中に生まれた自信。自分の動きが沖浦にチャンス球を上げさせて、隼人が決めた。自ら得点を決めたわけではないが、間違いなくアシストできたという思いがある。
「ダブルスは、こういうもんさ。どっちかが決めればいい」
賢斗の内心をフォローするように隼人が呟く。顔に浮かぶ感情に、賢斗も笑顔で返した。
「おーし! まずは一ゲーム!」
「お疲れ。この調子でいけよ」
気分よくコートから出て汗を拭いていると真比呂と礼緒が労いの言葉をかけてくる。二人の声からは声援を送ってきてくれていた時も感じていた疲労が感じられるが、和らいでいるように見える。自分たちの勝利が活力に繋がるなら、全力で挑む価値はある。
「うん。頑張るよ!」
タオルをラケットバッグに入れて逆サイドへと向かう。相手選手のテリトリーだが不思議とアウェー感は覚えなかった。全国大会に出るために鎬を削る相手ではあったが、自分を見てくる表情には敵意はなく、清々しさがあった。
けして勝ちを譲るというわけではないが、第一ゲームを取ったことは素直に称賛し、敬意を払う。後ろめたい感情など何一つなく、次のゲームでの勝利を誓う。そんな妄想が頭の中に広がって賢斗は頬が緩むのを止められなかった。
「楽しそうだな。鈴風」
「うん。今、一番バドミントンが楽しいかも」
隼人からの問いかけに迷うことなく答えると、隼人も同じように破顔した。
かつて、足を引っ張るからとバドミントン部を止めようとした時を思い出し、そこからこんな感情を持てるようになるなんて思ってもみなかった。全国制覇を目指すという自分以外の気合いが重たくて、どうしても達成できなかったことを想像してしまった。それでも、真比呂は全員で目指したいといい、賢斗もまた集まった仲間たちと一緒に目指そうと誓ったのだ。
合唱部から逃げ出した自分が逃げ込んだ先で、再度逃げようとしたのを止めてくれた仲間たち。これから先の自分がどういう道を歩むのかは分からないが、高校は全てバドミントンに、バドミントン部の仲間たちに捧げよう。
その気持ちはいよいよ最高に強くなる。
「セカンドゲーム。ラブオールプレイ!」
『お願いします!』
四人が同時に吼える。鋭く気合いが入った良い声だったが、賢斗はネットを挟んだ先にいる沖浦と藤井の顔が笑っていることに気付いた。
「一本」
賢斗はショートサーブの体勢を整えるとテンポを速くしてシャトルを打っていた。プレッシャーに浮ついたわけではなく、リズムを変えて相手の隙を突きたかった。しかし、沖浦は狙いをショートサーブへ正確に合わせてきて、ラケットを小刻みに振ってプッシュを打ちこんできた。ラケットを出そうとしてもフレームに弾かれる様を想像してとどまった賢斗は、隼人が打ち返すことを期待して腰を落とす。
視覚の外で隼人が吼えた声が届いたと同時にシャトルは相手コート奥へと飛んでいく。一発で決まる様な強さを出せなかったものの、沖浦のプッシュはライン上を狙う厳しいコース。そう簡単にロブを上げることができる位置ではない。それだけでも、隼人のシャトルコントロールに賢斗は感嘆のため息を漏らす。
(……今は、次のシャトルだ!)
シャトルを追っていった藤井は落下点に入り、動きを一瞬止める。
賢斗の目には少なくともそう見えた。そこから放たれたシャトルの速度は完全に想定を超えていて、賢斗はぶつからないように躱すのが精いっぱい。
「しゃがんどけ!」
腰を落としすぎてバランスを崩したところから起き上がろうとしたところを、隼人からの声で動きを止める。
体が軋み、膝に体重がかかっても堪えると、頭上すれすれにドライブでシャトルが突き進んだ。沖浦もラケットを出しているが追いつかずに、相手ダブルスコートの外側ライン上へとシャトルは落ちていく。シャトルの軌道上に辛うじて藤井のラケットが伸ばされて、打ち返されるとシャトルは賢斗のいる場所から逆方向のネット前へと向かった。
(……これを、取る!)
賢斗は右足を踏ん張って強く蹴りだすとシャトルを追ってラケットを伸ばしていた。普段の自分ならばまずは手を出さないようなシャトルを追うように場の空気に緊張が走るのを感じ取る。それが正しい反応かは分からなかったが、賢斗のラケットがシャトルを捕えてヘアピンで落としたことは完全に相手の動きを止めていた。
シャトルがコートに柔らかく落ちて、直後に賢斗が勢いを殺せずに体を倒した音が大きく響いた。
「鈴風!?」
「大丈夫か!」
コートの外から聞こえた真比呂の声は切羽詰まっていて、大丈夫だと身振りをつけなければコート内に入ってくるかもしれない。そんな思いに駆られて賢斗はすぐに上半身を起こすと手を振って問題ないことをアピールした。実際に体は何ともなく、急激な動きをして直後に止まったせいか汗が出ている。
高鳴る心臓を深呼吸で大人しくさせながら立ち上がったところで、藤井がシャトルを打って渡してきた。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
審判も気を取り直してカウントを告げる。賢斗は一点取ったために場所を移動した。
「大丈夫か? 無理するなよ?」
背後からの隼人の問いかけに、賢斗は振り向いて首を振る。真意が分からずに困惑している隼人に向けて、賢斗は自分の考えていることをはっきりと口にした。
「高羽。第二ゲームは俺ができる限り動いてシャトルを取るから。高羽は体力温存しておいてほしい」
「……第三シングルスのため、か」
賢斗の言葉だけで察しがついたのか、キーワードだけを隼人は言う。賢斗の思っている言葉を口にされたことで苦笑しながらラケットで軽く左肩を叩いていた。
「そう。もしも第三シングルスまで行って体力が足りなかったっていうのは嫌だし。俺は……今日、この試合で終わりだから。体力使い切ってもいいんだ」
試合を長く止めないために、賢斗はそこまで言うとサーブ体勢を整えた。
ネットの先にいる藤井の目線を受けとめて、賢斗は次にどこへ狙いを定めるかを判断してからショートサーブの指示を後方へと出した。プッシュはどうしても取らせるかもしれないが、今のような展開になるならば打つ先はある程度予測できる。
隼人ほどデータを集めてというわけではないが、試合が始まる前に亜里菜から貰っていた情報がある。これまでの試合で培ってきた試合勘と、聞いたことを組み合わせれば必ず隼人の力になれるはず。
(もっともっと。このみんなで試合したい。だから、俺が頑張るんだ)
二点目を取ろうと静かにシャトルを打ち出す賢斗。予想通り藤井がプッシュを放ってきて、隼人はロブをストレートにあげてダブルスコートのライン上に落ちる位置へと持っていく。追いついたのは沖浦で、大きく振りかぶったラケットを投げつけるように振り下ろしてシャトルを打ち、前衛にいる賢斗の顔面へと向かってくる。
「ああああ!」
顔に伸びてきたシャトルはラケットを掲げて防ぐ。
弾かれるシャトルに藤井が追いついて、手首の力だけでスマッシュを放ってきた。隼人が取ろうと身構える前に陣取った賢斗は、ヘアピンでラリーの主導権を握ろうとする。
藤井もヘアピンを続けていき、賢斗と藤井の鍔迫り合いが始まっていた。
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