モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第百六話 ●

 観客席に戻った隼人たちは、全員が無言で椅子に座り込んでいた。体力自慢の真比呂すらも体力が限界だったのか無言を通し、他の面々もどこか動きが鈍い。その理由が分かるだけに、隼人はどう言ったらいいか分からなかった。

(あんな幕切れだと……やっぱりな……)

 隼人は、ほんの少し前まで激戦を繰り広げていたコートへと視線を向ける。
 眼下にはバドミントン協会の役員がモップをかけて床を綺麗にしているのが見えた。飛び散った羽だけではなく試合の中で流れ落ち、乾いた汗も拭き取られていく。激しい準決勝は終わり、遂に残すのは決勝戦となった。
 体力回復の時間として一時間程度間に挟まれて、会場は一時の停滞に包まれる。一時間後には男女の団体戦決勝が行われ、全国大会へ進むチームが決まる。

「……皆、とにかくお疲れさま」

 誰も言葉を発しない男子に変わって、亜里菜がペットボトルを配りながら声をかける。だが、重々しい空気に阻まれて、ペットボトルを渡したところで何も言えなくなっていた。

(このもやっとした気分を何とかしないとな)

 しなければいけないことは理解していたが、どうしたら晴らせるのか考えようとしても隼人の頭は回らない。考えをまとめようとしても蓄積した疲労が邪魔をしてまとまらない。
 真比呂が頑張ったおかげで自分の番まで回らなかった分、体力は余っている。
 それでも、ダブルスを終えた後から仲間の試合を見て何かアドバイスをしようとしていたために頭の回転は続けていた。そして試合が終わった後の安堵感から回復できていない。

「えっと……みんな。確かに消化不良かもしれないけど……次に繋げようよ」

 隼人が、そしておそらくは他の面々も感じている不穏な空気の元を晴らそうと、亜里菜は口を開く。しかし男子はなかなか顔を亜里菜へと向けない。
 相手の棄権負けという結末。勝利したのは間違いないが、全員が真正面からぶつかって勝つ機会が強制的に終了したことに頭を切り替えられていない。
 程度の差はあれど、六人が真面目にバドミントンに向き合っているからこそ起こるギスギスとした空気。それを分かっている亜里菜にも、晴らすには力が足りない。

「……みんな。ごめん」

 望まぬ勝利の重たい空気を晴らすのは、別方向からの風だった。
 座り込んでいた六人の中で立ち上がったのは純。何を謝るのかと隼人は思ったが、純は全員の顔を眺める。亜里菜には反応しなかった男子は、一人ずつ純へと視線を向けた。

「ずっと、この大会で不甲斐ない俺が言うのも悪いんだけど……今の試合、凄かった。ほんと、凄かったよ」

 並んで座っている賢斗と理貴に視線を向けた純は、二人の腕を取って力強く握りながら告げる。

「理貴と、鈴風のダブルス。即席ってわけでもないけど、コンビネーションが凄かった。正直、今の試合なら、俺と理貴のダブルスより凄かったと思う」

 二人の表情をしっかりと見た後で手を離した純は、礼緒の腕を取った。

「小峰。お前のシングルス……ほんと凄いよ。苦戦してても、きっと勝ってくれるって安心感があった。外から見てて、こんなに頼もしいチームメイトがいるなんてさ」

 言った自分自身が照れくさいと、純は顔を赤くして手を離す。次に手を取ったのは真比呂だった。疲労の色が濃かった真比呂も、純に手を握られるとしっかりと力を込めて握り返す。

「井波。お前の成長っぷり、驚いた。あそこまでいい試合できるなんて正直、嫉妬するくらいだ。でもお前のおかげでチームもいつも良い雰囲気だったし、今日も決勝に進むことができた」
「純……」

 真比呂は純の名前を呟いて微笑む。視線を数秒交わした後で純は手を離し、最後に隼人へと手を差し出した。

「今まで、ごめん。高羽」

 純の顔と手を交互に見比べる隼人。何を謝っているのかも、これから何をしたいのかも隼人は予想できていた。それを受け入れるだけで先には進めるが、すんなりと進んでいいものか決めかねる。

「試合に出ないで、外から見てて。思ったんだ、俺」

 隼人に動きがないことから、純は自分から踏み込んでいく。それは隼人に対してというよりも全員に向けて告げている。亜里菜も含めた、栄水第一バドミントン部の男子部全員に向けて。

「試合に勝つだけじゃなくて、このメンバーで、全国大会に行きたい。そして、全国で、勝ちたいんだ」

 純の口から出た力強い言葉に、隼人は背筋を電流が駆け抜けたかのように感じる。年を越す前からなくなっていた純の心から湧き出る闘志を久しぶりに感じ取る。その感覚は、更に前に感じていたことを思い出す。

(外山と初めて会って、試合をした時以来かもしれない)

 真比呂と二人で純と会い、試合をした。ネットを挟んで対峙した時に感じた純の熱意。仲間が増えて、試合もこなしていく中でいつしか純の中に埋もれていった思いが再び顔を出している。隼人は引き寄せられるように腕を伸ばして、差し出されたままの掌を握っていた。

「外山。決勝はお前と中島のダブルスが必要だ。頼む。力を貸してくれ」

 隼人の問いかけに純は頷こうとする。しかし、先に掌が横から重ねられていた。
 左からは理貴と賢斗。そして遅れて、右からは礼緒と真比呂が隼人と純が交わした握手の上に掌を重ねていく。五人がしっかりと、純の手を握って顔を見る。

「私もいるよ」

 一番上に乗せられたのは亜里菜の掌。まるで六つの掌を上から優しく包み込むように添えられる。全員の視線を集めた純は一度俯いて息を深く吐くと、顔を上げて全員を受け止めた。

「みんな。今まで、ごめん。決勝は、必ず理貴と勝ってみせる!」

 純の瞳に炎が灯ったかのように感じた隼人は、全員の顔を一瞥してから息を吸い、気合いを込めて叫ぶ。温存できた体力をこの瞬間に注ぎ込むかのように。

「栄水第一ぃいいい! ファイト!」
『おう!!』

 亜里菜も含めた七人の気迫が円陣から周囲へと発せられ、空気が弾けていた。
 ついさっきまで淀んでいた空気が霧散して、新たに生まれた熱い空気に隼人は心地よさを覚える。大会が始まる前からスランプに落ちていた純は復活し、決勝での懸念事項はほぼ解決した。後は、消耗した体力をできるだけ回復するのみ。隼人は亜里菜に視線を向けて尋ねる。

「そういえば……決勝の相手は」
「うん。あっちの山も、番狂わせが起こったよ」
「白泉学園高校か」


 亜里菜の言葉を引き継ぐように、理貴が言葉にする。全員の間に緊張が走り、次には緩んだ。緊張自体が切れたというわけではないが、雰囲気に含まれるのは「期待」のようにプラスの感情だ。

「そっか……まさか練習試合の再現になるなんてな」
「凄いこと、だよねきっと」
「そりゃ、俺たちもあっちも、正直なところ決勝で試合するように予想したところはどこもなかったと思う」

 ため息を吐いてから言う理貴に、質問する賢斗。隼人は素直な気持ちを賢斗だけではなく全員に告げた。この場にいるのはけして偶然ではなく、下馬評を覆してきた結果であることを改めて知らしめるために言葉を選ぶ。それは、トーナメントの反対側でも同様で、かつて勝利した白泉学園高校の面々も死にもの狂いで努力を重ねてきたのだろう。

「あっちも私たちの試合が終わる直前まで試合してたみたい。同じように、3対1で勝ってる。オーダーはちゃんとは見てないけど、多分三鷹君がシングルス3だった」
「三鷹……そっか……」

 隼人はかつてのチームメイトの名前を呼ぶ。今は別々の高校で、互いの前に立ち塞がる選手。練習試合では、隼人が唯一負けてしまった相手。

(あの時のトラウマ……はもう克服してる。なら……)

 考え込んで黙る隼人に対して亜里菜が言葉を続けようとする。しかし、亜里菜の口が開く前にその後方から大きな声がかかった。

「ごめんね! 女子のミーティングで遅れたわ!」

 早足でやってきた谷口の表情は普段よりも緩んでいた。声に正気に戻った隼人は谷口が七人の輪の傍で立ち止まったところで告げる。

「先生。決勝戦のオーダーなんですが」
「うん? その顔はもう決まってるんじゃない?」

 谷口の言葉に促されるように隼人は全員を見まわす。亜里菜も隼人の言わんとするところは理解していた。更に言えば、全員が隼人と同じことを考えているのだという自信がある。

「決勝戦のオーダーは、白泉学園高校と練習試合をした時と、同じで行く」
「つまり、いつものオーダーってことだな」

 これまで口数が少なかった真比呂が満面の笑みで言う。
 第一ダブルスは隼人と賢斗。
 第二ダブルスは純と理貴。
 第一シングルスが真比呂。
 第二シングルスが礼緒。
 そして、第三シングルスが隼人。
 一番しっくりくるオーダー。横浜学院との試合とは異なり、真正面からぶつかっていく。相手にとって不足はなく、隼人たちも迷いはない。

「私もそれでいいと思う。女子の決勝戦があるから、私はやっぱり傍にいられない。だから、これだけは言っておくわね」

 谷口が視線を向けたのは真比呂と礼緒に対してだ。
 瞳に含まれる強い光に二人は体を硬直させる。怒っているというわけではないが、何か意志を感じさせる視線に真比呂と礼緒は二人同時に緊張が高まっていった。

「井波君と小峰君は、絶対に無理をしないこと。準決勝……君たち二人の頑張りで突破できたと言ってもいいと思う。だから、それなりの代償を支払ったはず」
「それは……」
「大丈夫っすよ!」

 代償という言葉に礼緒は思い当たる節があるのか伏し目がちになり、真比呂は逆に顔を上げて主張する。相反する二人の反応は分かりやすく、準決勝での全力を尽くした結果に背負ったものがあると理解する。

(それだけのことはしたってことだよな。団体戦しか出てないのにな)

 一年目は個人戦を諦めて団体戦のみに専念すると決めて始めた挑戦。隼人は極力、自分の先入観を排除したうえでチームの現状を把握しようとする。自分はダブルスで体力を消費していたが、まだダブルスとシングルスを一試合分するのは可能だろう。それも、決勝戦で行うダブルスの激しさ次第だが。
 賢斗と純に関してはダブルスだけの出場であり、パフォーマンスは落ちないはず。特に純は、準決勝を完全休養した分だけ体力は余り、パートナーの理貴を助けてくれるに違いない。

「あとは、お前らか」

 自然と言葉にしていて、真比呂と礼緒は隼人に視線を向けた。

「井波。小峰。正直に答えて欲しい。足、大丈夫か?」
「心配すんなって、隼人。体力だけはあるんだからよ!」
「……休めば何とかなるさ」

 全く問題ないと主張する真比呂。不安要素が休憩の結果、どうなっているかというところまで回答を伸ばそうとする礼緒。二人とも、隼人に対して嘘を言っているようには見えずにほっとする。

(二人とも、怪我の危険性を十分に理解してるはずだし……いざという時に嘘は言わないだろ)

 二人に対する信頼感が自分の中にある。その感覚を信じて、告げる。

「もし、試合をする前や、している間に異常があったら絶対に棄権してくれ。俺は、怪我をするくらいなら負けた方がましだと思ってる」
「お前……それは……」
「挑戦はまだ一年目だ。全国制覇が目標だ、なんて言ってチームになって。この段階でもう全国出場が手の届くところまで来た。なら……」
「俺は、やだね! チャンスが目の前にあるなら足掻きたい!」

 真比呂が強い口調で隼人を否定する。大きな声に周囲の視線が向き、男子たちの間に緊張した空気が流れる。隼人と真比呂はしばらくの間に視線を交差しあっていたが、止まった時を動かしたのは隼人だった。

「ああ。俺もできるなら今回で全国に行きたい。だから……俺に回してくれ」

 隼人は告げてから一度咳き込んで、真比呂だけではなく全員に向けて言った。

「井波と小峰は、無理だと思ったら俺に……俺に、回してくれ。俺が、勝つ」

 過去の自分なら言えないであろう言葉は自然と口から発していた。

「確かに、今時点でうちらのコンディションは、井波と小峰が一番悪いだろうな。なら、ダブルスで二勝して、シングルスは棄権ってことでもいいかもしれない」
「そんな……理貴ぃ。最初から負ける前提なんてよ」

 隼人を後押しするように言うのは、黙っていた理貴だった。真比呂が抗議しようとするが、今度は賢斗が口を挟む。

「駄目だよ。うちのチームは誰が欠けても主力が減るんだから。怪我って癖になったりするかもしれないんでしょ? 来年以降も考えて、怪我はしないに限るよ」
「……むむ。賢斗の言うことに反論できない」

 文科系出身の賢斗が発した言葉は、真比呂も反論できない。だが、心なしか表情が緩んでいる理由は隼人にも分かる。他メンバーの表情を見ていると、自分を含めた全員が微笑んでいるのが分かった。

(鈴風から「うちのチーム」って言葉が出るのは、やっぱり嬉しいよな)

 合唱部からバドミントン部に変わった、最も遠かったであろう賢斗。その賢斗がもはや栄水第一バドミントン部に取って大事なメンバーとなり、更に隼人の大事なダブルスパートナーとなっている。
 復活した純と、それを待ち望んでいた理貴。
 チームの良い潤滑油となっていく賢斗に、牽引役として確たる地位を持った真比呂。
 シングルスの柱としてしっかりと立つようになった礼緒に、エースだと公言するかのように強気な発言ができるようになった自分。
 シード校を二つ倒したことで、一人一人の中に芽生えたものが確実に育っていた。

「本当に、まとまったようね」

 隼人の心を現実に戻したのは谷口の言葉だった。全員の視線を受け止めた谷口は、ゆっくりと頭を下げる。

「ごめんね。どうしても女子を優先するから、皆をあまり見ることが出来なくて」
「な……そんな。仕方がないっすよ。俺らは井上や隼人が監督みたいに頑張ってくれてるし……」

 真比呂の言葉に顔を上げた谷口は、一人一人の顔を見ながらゆっくりと口にする。自分の中にある感情をゆっくりと吐き出すように。

「正直、私は今回、男子はシード校に負けて終わりと思っていた。でも、皆は自分たちの力で切り抜けて、ここまでたどり着いた。次に試合をしたら同じ結果にはならないかもしれない。でも、あなたたちがここまでこれたのは、今のあなたたちの実力。自信を持ってほしい」

 谷口の飾らない言葉。聴くタイミングによっては激励にならないかもしれないが、六人には背中をしっかりと押す言葉に思えた。

「絶対に、女子とアベック優勝しましょう。そのために、私は亜里菜にいろいろアドバイスしておくわ。ピンチになったら作戦を授けられるように」
「心強いです……よろしくお願いします」
「じゃあ、ミーティングはここまで。十分に体を休ませるように」
『はい!』

 全員そろってのミーティングの終わり。解散してすぐに谷口は亜里菜を連れていった。隼人は去っていく背中を見ながら、頭に生まれた違和感の理由に思い至る。

(先生。井上の事……名前で呼んだな)

 その前に隼人たちにかけた言葉も、これまでより自分の思いをストレートに伝えてきているように思えた。

 全国バドミントン選抜大会神奈川地区予選、決勝開始まで、あと五十分。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2017 sekiya akatsuki All rights reserved.