モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第百五話 ●

 真比呂が高く上げたシャトルに追いついた古賀は、ゆっくり身構えると鋭くラケットを振り切り、スマッシュを放ってきた。
 急にテンポを変えたショットに真比呂はバランスを崩しながらも追いついてラケットを振る。力の限り飛ばしたシャトルは絶妙な飛距離を保っていて、シングルスラインから出そうで出ない。古賀も不用意に見逃すことは出来ずに打ち返すものの、一瞬の迷いがあるショットは真比呂にも取りやすかった。

「ふんっ!」

 ドライブ気味に返ってきたシャトルを、真比呂は無理することなく同じ軌道で返す。相手に向かって打てば弾き返されることは分かっているが、シャトルの速度をコントロールすれば失敗してチャンス球を返す可能性のほうがある。
 真比呂はとにかく堅実にシャトルを相手コートに入れようと、打ちまわしていった。

(入ってる……相手も攻めてこなくなった)

 スコアは14対13と真比呂がかろうじてリードしている。強弱をつけてきていた古賀のショットは、インターバルを挟んだ後で打ちまわしが変わり、更に守備的になった。真比呂に呼応するようにひたすらシャトルをコートに入れ、ラインの内側から出ないようにするというラリー。
 必然的に一回のラリーの時間が長くなり、一つ終わる度に疲労が蓄積するようになる。

(くっそ。足も重たくなってきた……俺の状態に気付いて、仕掛けてきてるってか)

 真比呂は古賀の様子を見てからハイクリアを上げる。
 シングルスラインをまっすぐに沿って飛んでいたシャトルは、少し外側にカーブする。古賀もシャトルの行き先を理解して、構えていたラケットを横に下ろして見送った。

「ポイント。フォーティーンオール(14対14)」
「くっ」

 自滅した自分の胸を右拳で軽く殴る。不甲斐なさへの怒りはそのままコートを伝って外に流れていき、一息つくともう精神は安定していた。真比呂はラケットを掲げながら古賀の様子を見た。

(でもなんかおかしいな。俺に付き合って持久戦しなくても。力押しやら技押ししてけば勝てるだろうに)

 実際、先にインターバルを取ったのは古賀だった。緩急を織り混ぜた攻撃に真比呂もかろうじて喰らいついていたがやはり一日の長があり、隙を生み出されてシャトルを叩きこまれる。そうして点差は離されてしまい、インターバルの時は8対11でこのままずるずると最後まで進む可能性もあったのだ。それでも隼人は持久戦を続けることを告げ、真比呂は期待に応えるために吼えた。
 そうして、今の状況がある。

(……もしかして。あっちも疲れてるのか?)

 頭に浮かんだ瞬間に前へと落ちていくシャトル。ショートサーブで放たれたシャトルをしっかりとロブで遠くにあげて、コート中央で腰を下ろす。ずっしりと腰にかかる重さに歯を食いしばる真比呂は、それでも放たれたハイクリアに反応した。

「ぉおおおお!」

 シャトルへと追いついてラケットを振りかぶる。絶好球と思って体はスマッシュを求めていたが、理性に後押しされてドリブンクリアに変換した。
 その変換は真比呂にとってはプラスに働く。
 古賀は真比呂の打ち気を読んでスマッシュが来ると思ったのか、前に重心をかけて構えていた。しかし、ドリブンクリアが放たれたことで急に後方へとシャトルを追いかけていかねばならず、体を起こす。そこでバランスを崩して尻もちをついてしまった。

「うぐっ!?」

 大きな音と共に苦鳴を出した古賀は、立ち上がることができずにシャトルを見送る。真比呂の打ったシャトルは無事にコート内に収まって、十五点目が入った。

「だ、大丈夫っすか!」

 自分の得点にはなったが、真比呂は古賀のことが心配になっていた。真比呂から見えた転び方が危険を感じさせるもので、不安が広がる。バスケットの試合でも接触して相手に怪我をさせたり、させられたりということはあったが、不可抗力とはいえ気分は悪くなる。今も、古賀の苦しそうな表情に胸が締めつけられるようだ。

「……」

 古賀は無言で立ち上がると自分の状態を確認していく。
 足首を回し、アキレス腱を伸ばし、屈伸運動で膝を曲げる。
 伸脚で膝を伸ばし終えてからラケットを軽く振ると、シャトルを取りに戻っていった。後姿を見る限りでは故障しているようには見えず、真比呂はほっとする。
 シャトルを拾いあげてラケットで打ってきた時に見えた顔は、真比呂への敵意に染まっている。

(やっぱり、疲れてるんだな)

 古賀の様子が精いっぱい虚勢を張っているように見えたことで、真比呂は自分の考えが正しいと悟る。攻め続けようにも体力が尽きてきて、攻め切れないと判断した古賀は真比呂もまたガス欠が近いと睨んで持久戦に切り替えてきた。自分から率先して持久戦に持ち込んだ真比呂に対して、更に長い時間ラリーを続けるようにした古賀の選択は、結果的に自分を苦しめたことになる。

(確かに、俺にも効果はあるけどな)

 真比呂もシャトルを受け取って羽を整えながら、さりげなく自分の状態を確認する。特に行動は起こさなかったが、左足にわずかに違和感がある。もしかしたら先に足が攣って試合が終わるかもしれない。

(そうだとしても、俺は)

 真比呂はサーブ体勢を取り、息を大きく吸うと会場全体を震わせるような声で吼えていた。

「一本!!」

 自分の周囲に闘志を爆散させるかのような声と同時に、シャトルが鋭く打ちあがる。飛んでいくシャトルの下にゆったりとした動作で入った古賀は、ラケットを振り切ってドロップを打ちこんでくる。真比呂は前方にすべり込むように踏み込んで左足で体を支えると、シャトルを奥へと打ち上げた。

「ふんっ!」

 重力に負けそうになる体を、気合いを込めて起こしてからコート中央へと陣取る真比呂。古賀は真比呂を一瞬だけ見た後にクロスにハイクリアを打った。自分がバランスを崩されたことをやり返すという意気を感じ取り、真比呂はまた息を吐き出して飛んだ。

「ぐっ……おおおああ!」

 シャトルを追う巨体。自分でも理解できるほどフットワークが崩れていたが、追いついてからストレートにハイクリアを放っていた。
 自分が体力を減らしていることも隠せない。周囲からも古賀からも分かってしまっているならば、後は先に倒れないことだけ。古賀は真比呂の打ったシャトルを追いかけて、飛び上がってラケットを振り切る。シャトルはストレートに返ってきたために真比呂はその場から動くことなく、今度はハイクリアをクロスに放った。逆サイドへと駆けていく古賀の状態は真比呂から見ても良いとは言えない。スムーズだったフットワークのキレは鈍り、前ならば楽にスマッシュまで持って行けていたはずだが、ぎりぎり追いついてストレートのハイクリアを放つのみになる。真比呂は痺れてくる足を無理やり動かして、落下点に素早く入るとスマッシュを打つつもりで古賀の左側を狙っていた。

「くらぇえええ!」

 声を思い切り出しながら放ったのはスマッシュ、ではなくハイクリア。
 古賀はフェイントするにしてもドロップだと踏んでいたのか、明らかに前のめりとなってバランスを崩す。だが、床に手を突いて体勢を強引に戻してからシャトルを追って飛びついた。
 十五点目を取った時と似たような光景に、真比呂は尻もちをつく古賀を幻視するが、惑わされずにシャトルの行方を追った。今度は倒れることもせずにしっかりとストレートに奥へと返してきた古賀は、コート中央に陣取って真比呂の次を待ち受ける。
 今度こそ攻めてくるのか。まだ、持久戦を続けるのか。

(……続けるに、決まってんだろ!)

 真比呂は内側から生み出される攻め気を押さえつけて、ハイクリアを打つ。古賀はここまで来ても攻めてこない真比呂の考えが理解できないのか、明らかに表情をこわばらせてシャトルを追っていく。
 追いついてシャトルを打ったものの、スマッシュの弾道で速度が足りずにネットに当たって十六点目が真比呂へと入った。

「しっ!」

 気合い十分に得点した喜びを表現する真比呂と対照的に、狼狽していく古賀。サーブ体勢を整えつつ、真比呂は違いを思い浮かべる。

(俺は迷わない。隼人を、俺は信じる)

 深呼吸を繰り返しながらリラックスして、サーブ体勢を取る。流れ落ちていく汗の感触はバスケの試合で経験したものに似ていた。これまでの試合以上に汗をかき、なくなっていく体力。ガス欠がすぐそこまで迫っていたとしても、真比呂は耐え抜いて試合を続けられる自信があった。

「一本!」

 シャトルを打つ度に全身を迸る気迫は、その時だけ疲労を忘れることができた。最初は全くシャトルを打てないところから始めて、フットワークやショットを徐々に覚えてここまできた。
 さらに先へと向かうために、真比呂は渾身の力を込めてシャトルを打ち抜く。
 ハイクリアで飛んだシャトルは、シングルスラインの手前で失速して落ちていく。飛距離が出なくなってきても、アウトの心配がなくなると真比呂は喜ぶだけ。真比呂の笑みが見えたのか、古賀は表情を引きつらせて身構えると、ラケットをサイドストロークで振るっていた。
 鋭く飛んでくるシャトルにラケットを合わせて打ち上げる真比呂。中途半端に浮いたシャトルをハイクリアで打ち返し続ける古賀と真比呂に対して、周囲の視線も緩むことはない。
 彼らがただ試合を長引かせるためだけに打ち合いをしているわけじゃないと、分かっていたからだ。戦略として持久戦を互いに仕掛けているならば、不自然にスマッシュが放たれないラリーとなるのは自明の理だろう。

「おらあ!」

 古賀はそれでも攻撃的なドリブンクリアで真比呂の背筋をのけ反らせる。体勢をできるだけ崩して、本当に甘い球を打たせたならばスマッシュで叩き込むだけ。

「くっ!」

 真比呂は思い切りのけ反った状態からハイクリアを打ったが、打点が悪くなってネットを越えたところで降りていった。
 叩き込むしかないシャトルに対して古賀は躊躇することなくスマッシュを放ち、十五点目を手に入れる。真比呂はコートに転がったシャトルを拾いあげて羽を整えてから放り投げる。中空で絡めとろうとしたシャトルがラケットから離れていき、コートへと落ちた。

(大分、疲れてる。でも、簡単に喜ぶなよ)

 心の乱れは体力低下に繋がる。真比呂は何度も深呼吸をした後で身構えて、古賀のサーブを待った。相手から放たれるシャトルだけに集中して、打ち上げる。
 単調作業を愚直に続けられるのは心の中に信じられるものがあるから。

(いこうぜ、隼人!)

 裂ぱくの気合いと共にシャトルがコート奥へと放たれて、真比呂は後方へと追っていき、飛び上がる。
 スマッシュを打つかのように力を込めて、そのままハイクリアを放つと弾道が低いドリブンクリアとなって古賀のコートをえぐっていく。シャトルは真比呂がこの試合で打った最高のショットに乗って、急激に落ちていった。だが、古賀はシャトルの落下位置よりも後方へと移動して、前のめりになるようにラケットを振るう。ドライブ気味に跳ね返されたシャトルはちょうど真比呂の真正面。慌ててラケットを目の前に置くと偶然跳ね返り、シャトルはネット前に浮かびあがった。

「うぉおおああああ!」

 気合いの咆哮と共に前方に突進してくる古賀。真比呂は一か八か深く落として足のスタンスを大幅に増やして待ち受ける。

(跳ね返して、チャンスを作る!)

 おそらくは渾身の力で叩き込まれるシャトル。勢いをそのままにカウンターを放とうとするのは自殺行為だ。しかし、ほぼ詰んだ状態から何もしなければ後から後悔することになる。

「おらあああ!」
「うあああああ!」

 古賀が叫びと共に前へ体を乗り出し、ラケットを振り切る。シャトルは爆発音と共に真比呂の顔面に向けて放たれてきた。
 真比呂が上体を反らしながらラケットを振った軌道は、自分の目の前。タイミングが奇跡的に一致して、シャトルは金属音を立てながら再び舞い上がっていた。

(フレームに!?)

 ガットが張られたフレームにぶつかった音。シャトルの軌道を完全に勘で決めつけて振った結果に後悔する暇はない。真比呂は再び腰を深く落とした。

(ぐっ……)

 真比呂は急激に自分を襲う重力に歯を食いしばる。試合の間に何度か同じような脱力感を味わっていた。体力が落ちて足腰に乳酸が溜まり、動けなくなる現象。それでも真比呂には動くしか道はなく、強引に足を動かしてきた。
 今度もこれまでと同じで、突き進むだけ。
 だが――

(うごか……ない)

 今までと明らかに重さが異なる。上から下へとかかる重力だけではなく、今はコートからも無数の手が伸びて自分を押さえつけているかのように真比呂は感じる。全く未経験の現象ならば頭が混乱してしまったが、幸いに経験済みのことであるため焦燥は少ない。
 ――なくなりかけていた体力が遂に尽きようとしている。動揺は少ないながらも現実は最悪の一途をたどる。

(まだ、残ってるのに……)

 気合いを込めて動こうとしても両足が震えて前に出ない。腰だめに構えたままでシャトルを待ち受ける体勢を取ることすら辛く、真比呂は倒れそうになった。仲間のざわつく声が届いても真比呂には体を止められない。

(く、そ……ここで、負――)

 体力が尽きると共に心がひび割れる音が頭の中に響く。視界に映るのはシャトルを打ち抜こうとする古賀。スローモーションに映る光景の中で、真比呂はせめて最後まで立ったままでいようと最後の力を振り絞って身構える。震える体は止まったものの、もうラケットを振る力もない。
 だが、表情は自然と緩んで笑みを浮かべていた。真比呂自身もどうして笑ったのか分からない。その行為には何の意味もないはずだったが、見ている仲間達にも相手チームにも弱いところを見せたくはなかったのかもしれない。

「――っ」

 古賀が何かを叫びながらラケットを振り上げる。シャトルが打ちこまれた時が、試合が終わる時。途中でも真比呂には続ける体力がなく、自動的に古賀が勝つだろう。同じくらい体力が減っていた礼緒は勝ち、自分は負ける。辛くても、悔しくてもそれが現実なら、受け入れるしかなかった。

「……ちくしょう」

 次に起こったことに皆が目を奪われなければ、呟きを聞いた者は誰かいたかもしれなかった。

「あぐああっ!?」

 突如重たいものがコートに落ちた音が響き渡り、真比呂は斜め下に向いていた目線を前に向ける。
 そこには、コートに崩れ落ちて呻いている古賀と、駆け寄る横浜学院の顧問の姿があった。シャトルは古賀の傍に落ちており、シャトルを打とうとして結局は打てずに倒れ込んだのだとようやく悟る。

「……横浜学院、古賀君の試合続行不可能により、栄水第一、井波君の勝利です」

 審判が動揺を抑えながら宣言したところで、真比呂はゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。よろめきながらネット前に向かい、顧問の肩を借りて立ち上がった古賀の前へとネット越しに立つ。

「……ありがとう、ございました」

 真比呂が差し出した手を無言で掴むと、古賀は笑みを浮かべてから手を離す。どんな意味が込められていたのか分からないまま、真比呂は去っていく背中を見送った。

 全国選抜バドミントン大会神奈川県予選、準決勝。
 横浜学院対栄水第一の試合は、無名校が第一シードを破るという波乱で幕を閉じた。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2017 sekiya akatsuki All rights reserved.