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● SkyDrive! --- 第百四話 ●

「ありがとうございました」と言葉がコートから届くと共に真比呂は顔を上げた。
 いつの間にか頭が下がっていたことに自分でも驚くが、幸い他のメンバーは戻ってくる礼緒の方へと視線を向けていたために真比呂の様子には気づいていない。ほっと胸を撫でおろしてから仲間に習って礼緒へと話しかける。

「やったなぁ! 礼緒! これで一勝二敗。俺に任せろ!」
「そうだな……頼む」

 礼緒はそう言うとふらつきながら椅子に座り込む。その様子だけでも、かなり体力を消耗していたことは明らかだ。
 スコアとしては第二ゲームで大差をつけたが、楽なラリーだったとは真比呂から見ても思えない。何度もシャトルを打ち、拾いあった結果、礼緒が常に先行していただけのこと。
 その「だけ」に込められているのは、まだ真比呂が想像できない部分。

「それでは、第二シングルスを開始します。選手の方は入ってください」
「しゃおら! 行ってくる!」
「井波」

 自分に気合いを入れてコートに入ろうとする真比呂に向かって、隼人が一度足を止めさせる。何だと振り返ると顔を険しくした隼人と、困ったような表情をしている亜里菜がいる。純や理貴、賢斗も似たようなものだ。

「そっか。作戦、どうするんだ?」
「相手は俺らのダブルスと対戦した組の片方だよ。俺らと条件は同じだ」

 隼人の言葉に視線を向けると、確かにダブルスで戦った相手だと分かった。
 名前は古賀だと思い出すのには時間がかかる。バスケットボールに時間を費やしていた時代も、背番号で呼ぶことが主で名前では覚えていないため思い出せるのはほんの数人だ。
 バドミントンでも自分の記憶力が変わるわけでもなく、対戦校で何番目に出てきたやつ、というレベルでしか認識していない。

「古賀さんはお前とタイプが似て、スマッシュで押してくる。まともにやりあえばお前が負ける」
「俺は下手だからな」

 平然と言ってのける真比呂に一度咳払いをしてから、隼人は本題である策を告げた。

「だから、持久戦を仕掛けろ。とにかくシャトルを上げるんだ」
「分かった」

 隼人の言葉に一度だけ頷いて、真比呂はコートへと踏み込む。まだ言うことがあると口を開きかけた隼人も思い切りの良さに何も言えずに見送った。

(隼人が俺のために作戦を考えてくれる。俺は、それに従う。競技に慣れてないやつは、慣れてるやつの言うことを聞くのが一番いい)

 初心者という段階から抜け出てきた自覚がある真比呂は、その危険さも分かっていた。競技に慣れてくると自分のやりやすいように物事を考えて実行していってしまうが、それは基礎が疎かになることや「自分は上手くなっている」という油断に繋がる。
 基本を覚えて応用に入り始めた段階は、まだ競技の先輩に従うのが実力を向上させる近道だとバスケットボール部時代から理解していた。

(隼人は俺の特性を生かして作戦を練る。俺はただ作戦を実行する。それで、今はいい)

 自分で考えてプレイをするのはもう少し先のこと。そう割り切った真比呂は礼緒がついさっきまで立っていた場所に立ち、ネット越しに古賀を見る。
 自分とほぼ同じ身長である古賀の目線はまっすぐに真比呂を貫いてきて、久しく感じることのなかった殺気に体が高揚していった。

「じゃんけんぽっ!」

 シャトルとコートの最初の所有権を決めるじゃんけんで、真比呂は一発で負けた。当然のようにシャトルを取った古賀に対して真比呂は高らかに宣言する。

「コート、そっちで!」

 まるでコートを確保したほうが良かったと周囲に思わせるような真比呂の声色に、古賀はコートチェンジを一瞬躊躇する。だが、すぐに気を取り直してコートから出るとラケットバッグを取って移動してくる。真比呂もまた、コートから出て隼人たちにラケットバッグを手渡されてから相手の選手たちがいる側へと入った。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ!」
「しゃあ、まずはストップして一本!」

 審判が試合の開始を告げて、真比呂はラケットを掲げて相手のサーブを待ち受ける。古賀は静かに頷いてサーブ体勢を取ると、すぐにロングサーブでシャトルをコート奥に運んできた。真比呂は軽快なステップでシャトルを追っていくと、スマッシュを打とうとジャンプしてから隼人の言葉を思い出した。

(ぐお!)

 スマッシュを打つ直前でハイクリアへと変換する。結果、軌道はドライブにも似たドリブンクリアに変わって真っ直ぐに飛んでいく。古賀はスマッシュに備えていたのか、シャトルを追うために踏み出すタイミングがわずかだが遅れて追っていく。シャトルに追いついてからはスマッシュではなくクロスハイクリアで体勢を立て直そうとする。

(――打ちたいけど……我慢!)

 再びシャトルに向けてラケットを振り上げ、スマッシュを打とうとする真比呂。だが、作戦を思い出してまたハイクリアを打つ。がくん、と体を揺らした古賀は明らかに慌ててシャトルを追っていった。

「おらあ!」

 崩れた体勢のまま放たれたシャトルはストレートにシングルスライン上へ落ちていく。しかし真比呂の真正面であり、バックハンドでラケットを持った真比呂はただ当てるようにしてネットへと跳ね返した。
 シャトルは白帯を超えても全く浮かないという理想的な軌道を描いてコートに落ちていく。古賀もヘアピンを読んで前に出てきたが、ヘアピンの鋭さにラケットが届かなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「おっしゃあ!」

 自分でも偶然と分かっていたが、はったりをきかせながら吼える。できると思わせることがフェイントという体に染み込んだ技術を使い、地力の差を埋めていく。

(ここで俺が勝てば、隼人は十分休めるからな……それに)

 真比呂は受け取ったシャトルを右手に掲げ、古賀の準備が整うと同時にシャトルを打ち上げる。遠くには飛ばしたがコートから出るかもしれないというギリギリの軌道に、内心気にしながらも腰を落とす。古賀は入っていると判断してか、スマッシュを真比呂の胸部を狙うように打ってきた。真比呂はバックハンドに持ち替えて真正面で受け止める。シャトルは一つ前のラリーと同様に白帯を越えたが、今度は古賀のラケットが届いて更にヘアピンを打ってきた。

「この野郎!」

 最も苦手なヘアピンを突かれても、真比呂のやることは一つ。ヘアピンで返すという危険とロブを上げる危険。どちらを取るか迷うことなく打ち上げていた。
 しかし高さは出たが飛距離が出ずに、シャトルは相手コートの中程度で落ちていく。古賀はシャトルを高い場所から打ち降ろすために飛び上がっていた。真比呂は古賀のほうではなくシャトルのみ見上げて、どこに打ち下ろされるのかを集中する。隼人のオーダーを全うするためにはとにかく拾うこと。体力と思考を全て、ラリーを続けるためにだけ使用する。

「おらぁあああああ!」

 古賀のラケットがシャトルを捕えた瞬間に、真比呂は左側へと飛ぶ。後を追うようにシャトルが落ちてきたことで真比呂はラケットを振り切り、完璧に打ち返していた。ジャンピングスマッシュによって放たれたシャトルをこれ以上ないタイミングで打ち返したことで、古賀はシャトルを追うことすらできずに着地してから視線で追うだけ。
 シャトルはシングルスコートの奥まで飛んで行って、そのままラインを割った。

「ぽ、ポイント……ワンオール(1対1)」
「ちっくしょー! もうちょいだったな!」

 シャトルの行方を追ってアウトだと分かっても真比呂にはダメージはなかった。
 完璧なタイミングに見えてもそうではなかった。だからこそアウトになる。
 それはどんな競技でもありえることだ。
 自分が上手くいったと思っても上手くいかない。逆に上手くいっていなくても上手くいく。試合という生き物の上を走っていく選手という自分を想像して、自分の手の届く範囲でどうにかなることとならないことがある。
 どうにかならないことに一喜一憂しても仕方がない。

(とにかく、俺はラリーを長引かせる。ああいうスマッシュは打たせないよういしないといけない)

 自分の失敗から次に経験を生かす。その機会が試合中に与えられているのだから真比呂には嬉しさがほとんどだ。込み上げてくる感情に従って笑みの形に顔が緩むと、逆に古賀の顔は険しくなっていく。

「さあ、一本だ!」

 真比呂が飛ばしたシャトルを取りに行って戻ってきた古賀は呼気を強めて吼える。気迫が一段階増して、ダブルスの時の気配に近づいていく。

(それでも、まだダブルスの時ほどじゃねぇな)

 古賀がロングサーブで飛ばしたシャトルを真比呂が追っていく。飛び上がって最初からハイクリアを打とうとラケットを振り切ると、クロスにハイクリアが飛んでいき、古賀があっという間に追いつく。振り切られたラケットがストレートに放たれて、真比呂がバックハンドでシャトルにラケット面を当てる前にコートへと落ちていた。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 古賀のスマッシュに色めき立つ横浜学院側。隣から聞こえてくる声は右から左に抜けて、真比呂は古賀の状態だけを把握していく。

(動きが良くなった。でも……少し息が荒いか? 一気に動いたから一瞬のことか?)

 探っているのは体力のこと。古賀の体力がどれほどあるのかを試すために何かをしなければいけないと考えたが、すぐに頭の中を空にする。
 自分がするのは隼人に言われた持久戦を実行するだけ。
 ならば、シャトルを全て打ち返せばいい。
 再度シンプルな思考にしてからラリーに戻る。          
 シャトルを返してからラケットを掲げる。何度も自分がやることを反芻しながらサーブが放たれるのを待ち、シャトルが飛んだ後はたった一つの想いを胸に打ち返す。
 ドリブンクリアで飛んだシャトルに追いついた古賀はスマッシュでコートを斬り裂いていく。ストレートではなくクロスに放たれたが、真比呂は横っ飛びで追いついてストレートでロブを返す。返ってきたシャトルをもう一度スマッシュで叩き付けてくる古賀の姿を見て、いる場所へと同じように返す。自分のところに返ってきたシャトルに驚いた表情を見せる古賀が一瞬だけ見えたが、意識はすぐにシャトルでいっぱいになる。

「おらあああ!」

 咆哮と共に放たれるシャトルが二度、三度と真比呂を襲っても打ち返し続ける。しかも、古賀のいる場所へと。

(打ち返すだけなら、目印が合った方が分かりやすい!)

 相手のいない方向に打ってシャトルを落とすのが目的のバドミントンだが、今の真比呂はあくまでシャトルを相手コートに返すことが目的。できるだけ古賀のいる方向へと打っていくとシャトルが返ってくる当人も困惑していく。それでも打ちごろのシャトルはスマッシュで打ちこむしかないが、十回を超えてもシャトルは真比呂のコートには直撃せずに宙を舞った。

「はあっ! おら! らあああ!」

 連続したスマッシュも次々と返す真比呂。バランスを崩されても、速度に追いつけていなくてもひたすらに奥へと飛ばすと飛距離が足りなくても次で挽回できる。

「うらああ!」

 最初から数えていないスマッシュ――実際には二十回目のシャトルを強打すると、軌道はロブよりもドライブ気味となり、古賀の横を通ってから床へと着弾していた。

「ポイント。ツーオール(2対2)」
「しゃああ!」

 拳を握り、気合いを前面に出す真比呂。体も心も熱く、全身が気合いによってスムーズに動かせるように思える。
 ふわりと山なりの軌道を描いてやってきたシャトルを見ると、自然とラケットを差し出す。隼人や礼緒たちがやっているようにシャトルに沿ってラケット面を進ませてからある一点で絡めとる。
 いつもは上手くいかない動作を完璧にこなせて、真比呂は再度ガッツポーズを取った。

「うっし! このままいくぜ、隼人!」

 ネットを越えた先にいる隼人に向けて吼える真比呂。隼人は身振り手振りで「集中しろ」と言って突っ返したが、真比呂がシャトルを拾うことに成功したのには頬を緩めていた。

「よし、じゃあ――」

 シャトルを持ってサーブ体勢を取ろうとした真比呂は言葉を急に止める。
 視界が一瞬ぼやけて涙が出た時のように何も見えなくなったからだが、すぐに元に戻る。よく分からない出来事に首を傾げ、瞼をこすったがもう再発はしない。

「よし、じゃあ一本!」

 今度は何の遮りもないままに宣言する。一瞬の停滞を誰も重要視していないらしかったが、真比呂はシャトルを打ち上げた後に胸の内に巣食う不安が広がっていく。

(なんだこれ……体が重くなった、気がしたぞ)

 放たれたクロススマッシュに合わせて体を移動させ、ラケットを前に出す。
 体が重くなった分だけ力を込めて素早くラケットを振るうと、取ることに支障はない。ロブで高く遠くに打ち返したシャトルは古賀が回り込んでスマッシュを放ってくる。とにかく力押しで来るのだと悟ったものの、真比呂にできることはロブを上げることのみ。だが、古賀はすぐに真比呂の思惑を外してくる。

「はっ!」

 高く飛び上がり、気合いの乗った声と同時に放たれたのはスマッシュではなくドロップ。力を完全に抜いて反動だけでシャトルをネット前へと運んでいくドロップに真比呂も虚を突かれ、両腕を床についた反動で飛び出していく。
 どうにかシャトルに触れてロブを上げたものの、次に身構えるとまたドロップが放たれていた。今度は勢いだけではなく、ラケット面をシャトルに対して斜めに振り下ろすカットドロップ。より鋭い軌道を描いてネット前に落ちていくシャトルに真比呂は何とか追いついてロブを上げる。体勢が完全に崩れたところから上がるシャトルは飛距離が足りないが、タイミングがずれたためか古賀はハイクリアで真比呂から離れていくようにシャトルを打つ。

「こぉおおお!」

 膝を付いた状態から起き上がってシャトルを追っていく真比呂。
 これまでになく滑らかなフットワークでシャトルに追いついた真比呂は、お返しとばかりにドリブンクリアをクロスに放つ。最も飛距離が出る方向へと飛んで行ったシャトルを古賀は拾い、またスマッシュではなくハイクリアで真比呂を翻弄していった。

(くっそ! スマッシュだけじゃ埒が明かないからって……って当たり前、なのか?)

 力押しではなく技術と戦略で真比呂を絡めとろうとしている。
 それは真比呂にとっては一人前の選手として認められたという思いを強くする。力押しで何とかなるのは相当の実力差があるため。真比呂の防御力がスマッシュだけだと突き破れないと考えた上と思われる古賀の行動に、真比呂は口の端がつり上がっていった。

(面白れぇ……俺の全部をこのコートに置いてやるよ!)

 前に。後ろに。高く、低く。あらゆるコースにシャトルを乗せていく古賀に対して真比呂は出来る限り同じように返していた。
 軌道が低ければ低く。高ければ高く。
 鏡に映るように打ちこんでいけば相手も打ち辛いはずだという考えで、効果が出ている内は信じていく。
 実際にラリーは均衡状態となり、一回のラリーが激しく終わればハイクリアを多用した緩やかな展開になり、やがてまたスマッシュやドライブを軸とした短いテンポでの打ち合いとなる。
 声援を送ることも忘れて横浜学院も栄水第一も二人のシャトルの行方を見守っていた。
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