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● SkyDrive! --- 第百三話 ●

 礼緒と赤城の第二ゲームは中盤まで一進一退の攻防を続けていた。
 だが、二人に差が付き始めたのはインターバルとなる十一点目を礼緒がもぎ取った時だった。

「はっ!」

 お互いにハイクリアを放って攻撃に移るタイミングを計っていたが、十回目のクリアで奥へと追いやられた礼緒は意を決してストレートのスマッシュを放っていた。シングルスのライン上を沿うように進んでいったシャトルを赤城はクロスに打ち返し、ネット前に落とす軌道へと乗せる。既に礼緒は打つ方向を読んでいて、一気に前へと詰めると体を投げ出すようにしてラケットを掲げ、前へと押し出した。

「はあああああっ!」

 気合いの咆哮と共に飛ぶ体。ラケットは中心で的確にシャトルを打ち、赤城が追いついたにもかかわらずラケットを振るところまでいかせないまま、コートへと打ちこまれた。礼緒は倒れないように踏み込んだが、勢いがつきすぎていたために止まりきれず、前転して起き上がる。どだんっ! と強烈な音がしたために隼人たちだけではなく横浜学院の選手たちまでもが慌てて礼緒の無事を確認した。

「……す、すみません。大丈夫です」

 礼緒当人もヒヤッとしたのか、胸元に手を当てて深呼吸しながら心臓の鼓動を収めていた。

「ポイント。イレブンテン(11対10)。インターバル」

 礼緒はゆっくりとコートの外に出てハンドタオルを取ると顔にゴシゴシと押しつけてから離す。半分まで中身が入っていたスポーツドリンクを一気に飲み干してから屈伸、両足の足首を回すなど念入りに準備運動を始めた。

「大丈夫? 礼緒君」
「流石にやばいと思ったけど、なんともないさ」

 礼緒の偽りのない言葉に、亜里菜も不安そうな表情をしながらも下がった。礼緒は何度も足首を回し、アキレス腱を伸ばしながら自分の状態を確認してコートへと戻る。
 亜里菜の顔に浮かぶ感情に負けないくらい礼緒の中でも不安があった。
 もしも怪我をしてしまえば、この試合に勝てたとしても次に繋がらなくなる。一人でも出られなければ一気に負担は増すのだから。

(そこまで無理してプッシュを決める必要があったのか……何となくだけど、しないといけない気がした。直感は信じたほうがいいかもしれない)

 自分の中で膨れ上がる不安を払しょくするための一撃。冷や汗をかいたが、結果を良しとして次に繋げればいい。
 コートに入った礼緒はサーブ位置でシャトルを拾いあげて体勢を整える。既に身構えていた赤城から放たれる気合いが弱くなったように思えて、礼緒はロングサーブを思い切り高く打ち上げていた。
 シャトルは礼緒の込めた気合いをそのまま乗せていき、コートに落下していく。隼人のようなコントロールはなく、結果的にシングルスの後方ラインぎりぎりまで飛んだシャトルを、赤城は見逃していた。

「――っ!」

 シャトルがコートに落ちる直前にシャトルが入っていることに気付いた赤城は、慌ててラケットを振るう。しかし、高さが足りずにネットにぶつかっていた。
 十二点目があっさりと入ったことに、礼緒は赤城の変化を感じ取る。ネットに当たって落ちたシャトルを自ら拾って、手の中で羽を整えながら自分の頭に生まれた仮説を検証しようと、あえてゆっくりとサーブ体勢を取る。赤城はラケットを掲げてレシーブ体勢を整えると何度か息を強く吐き出して、礼緒がサーブを打つのを待った。

(……3……2……1……ここだ!)

 呼吸のタイミングを掴んで、一瞬だけずらすようにサーブを打つ。今度はショートサーブで前のサービスライン上に落としていく軌道。
 赤城は前に出てロブを高く上げる。上手くいったとは言い難いショートサーブだったが、一つ前のロングサーブの印象が残っていたためか赤城が前に出るタイミングは遅く、当人もしっかりとロブを上げて礼緒を遠くに押しやることに専念したらしい。
 だが、礼緒はシャトルを追っていき、右腕を掲げたところでシャトルが落ちていくのをスルーしていた。
 シャトルが床に落ちたところで、ラインズマンが両手を横に大きく広げる。一瞬の沈黙の後に、審判は告げた。

「ポイント。サーティーンテン(13対10)」

 赤城に向けて声をかける横浜学院と比較して、栄水第一は静かだった。亜里菜が「ナイス判断!」と声をかけるが一番声が大きい真比呂が沈黙している分、礼緒は新鮮な気持ちになる。

(でも、今はちょうどいいかもしれない)

 インターバルを挟んでからの試合展開は、礼緒にとって理想的だった。ある程度狙っていたとはいえ、自分の望み通りに相手がミスをしていく。打ちこんだシャトルはアウトになることはなく、相手が打ったシャトルはアウトになる。ラケットを振る力の強弱設定を今まで以上に的確に設定できている感覚があった。

(今の俺は調子が、いい)

 拾い上げたシャトルの羽を整えて、更に審判に宣言して靴紐も結ぶ。視線はあえて合わせなかったが気配が赤城のいらだちを伝えてきた。一ゲームを取られ、第二ゲームも先にインターバルに入られたことで赤城の中には確実に焦りが生まれている。その焦りを、礼緒は感じ取れている。

(ここが、畳みかけるところ、か)

 サーブ体勢を取ってゆっくりと息を吸い、肺を新鮮な酸素で満たす。
 体中にかかる力が適度に抜けていることを自覚してから、礼緒は無言でシャトルを打ち上げた。ロングサーブで飛ばしたシャトルは二つ前と同様に後ろのラインギリギリへと落ちていく。今度は同じ轍を踏まないということか、赤城は迷わずにシャトルをスマッシュで打ちこんできた。
 巨体が振り下ろすラケットから放たれたシャトルを、礼緒も自ら前に出て打ち返す。バックハンドになっても威力を落とさないままドライブで弾き飛ばすと、ちょうどよく赤城の胸元へと飛び込んでいく。体の傍に打ち返されたシャトルを、赤城は体勢を崩して強引にクロスに打ち返した。真正面に動く礼緒には遠い軌道だったが、左利きにはフォアハンドとなる。腕を伸ばして横に飛び、シャトルを拾っていた。

「ふっ!」

 シャトルが強打されてコートの奥へとストレートに進んでいく。追っていった赤城が礼緒を一瞥するのを感じ取ってその場に腰を落とす。そしてシャトルが放たれた瞬間に逆サイドにラケットを伸ばした。

(――!)

 ラケットを振り切った赤城の顔が驚愕に染まるのを視界におさめつつ、礼緒はシャトルにスピンをかけてネット前に沈めていた。

「ポイント。フォーティーンテン(14対10)」

 広がっていく点差にコートの中の空気に変化が生じていくのを、礼緒は感じ取っていた。ネットの下からラケットでシャトルを引き寄せ、手に取って羽を整え、コックを持ってくるりと回す。一連の動作の中でも自分の感覚が研ぎ澄まされていくように思えて、赤城の考えていることまで当てられるのではないかと錯覚する。

(相手の思考は読めないけど、心理は読めるかもしれない)

 赤城はラケットを上げて、体を大きく見せるようにして身構える。表情は感情を見せていなかったが、纏っている雰囲気にほつれが感じられた。

「一本!」

 気を引き締めるために一声上げて、シャトルを高く弾き飛ばす。高く打ち過ぎて飛距離が出なかったが、赤城はストレートにスマッシュを放ってきた。その軌道は読みやすく、バックハンドで軌道に入れると簡単に取れる。勢いを殺されたシャトルはふわりと跳ね返り、白帯にシャトルコックが当たってくるりと回転した。

(入る……!?)

 確信を持って動きを止める礼緒。だが、赤城は前に飛び込んでラケットを下から上に思い切り振り上げた。驚いて体を固めてしまったが、シャトルはネットに跳ね返されて赤城の前に落ちた。
 十五点目が入ってほっとしているところにシャトルが返される。二人の強打に晒されたシャトルの替えを要求し、少しだけ間を取った。

(押してるとはいえ、油断できない。確かに今は俺の方に流れがきてるけど)

 シャトルコックを中心にシャトルを回しながら、礼緒は気付かれないように赤城に視線を向ける。そこには序盤と同様の体勢を整えながらサーブを待つ姿がある。
 リードしていて、かつまとっていた圧力が弱まっても油断するわけにはいかなかった。

(相手は第一シードのチームにいるシングルスプレイヤー。俺よりも格上だ。油断してどうする。絶対に付け込ませない)

 優位に事を進めている今だからこそ、突き放すチャンス。これまでの流れに自信を持ちつつ慢心はしない。言葉にすれば簡単なのに、シャトルを打って決まれば決まるほどに心が綻んでしまう。

(その点、高羽はしっかりしてるよな)

 ままならない心を制御できている身近な人間といえば、隼人だと礼緒は思う。
 真比呂の名を呼んだ時は流石に驚いたが、それでも半分くらいは狙ってやったに違いない。バドミントンに関するすべての行動を鉄の自制心で抑え込んで、作戦通りに事を進める。
 完全に感情優先な真比呂と自制する隼人。
 自分は中間にいるのだろうと礼緒は思う。

(感情的にもなれるなら、もっと積極的になるか)

 弾き飛ばしたシャトルの行く先を見ながら腰をコート中央に落とす礼緒。
 赤城がシャトルの落下点からスマッシュをストレートに放ってきたのに合わせて、右側へとラケットを伸ばす。サウスポーとの試合に慣れたのか赤城は第二ゲームからは積極的に礼緒の右側を狙ってくる。その組み立てに合わせるようにして、礼緒はストレートにシャトルを落とし、また上げていく。いくらでもバックハンド側へと打ってこいと言わんばかりに。

「らあっ!」

 赤城もより積極的になって襲ってくる。だが、シャトルに乗ってくるのは攻撃的な意思というよりも焦りのほうが多くなっているように礼緒には思えた。無論、シャトルで語り合うなどと言ったことができるわけもなく自分の中の妄想に過ぎない。

(井波なら拳で語るノリで……言いそうだけどな!)

 礼緒は同じようにストレートで向かってきたシャトルを、同じ軌道となるヘアピンで返す。シングルスだというのにコートの右半分で展開されているラリーは、外から見ているよりも抜け出すのが難しい。そこから抜け出すのは相手のバランスを崩すためにわざとハイクリアやドロップをクロスへと打ちこめばいいわけだが、当然、赤城も礼緒も警戒している。意識している中でその通りの場所にシャトルが行けば、相手の隙を作り出そうとして最大のチャンスを与えしまうことになる。よって二人の間ではどのタイミングでラリーを抜け出すかということが大事になってくる。

(いつ、変化をつけるか。遂に来る。次こそ来る、と思った瞬間に来ないことでテンポが崩れてシャトルを打つタイミングがずれてしまう……でも!)

 礼緒はあえてその勝負を途中で切れさせて、クロスヘアピンを打った。赤城も礼緒の打ち気を読んだのか、ネット前へと飛ぶように駆けこんでくる。白帯の上ギリギリを狙ったヘアピンに満足せず、礼緒もシャトルを追うようにして移動する。

「おぉおおおおおお!」

 自分を鼓舞するように吼えながらラケットを伸ばす赤城。タイミング的には届くと考えてネット前に身構えた礼緒は、シャトルが白帯を越えようとした瞬間にコックが当たって軌道がずれたことに気付く。ふわりと浮かび、下へと落ちるタイミングがほんのわずか鈍ったことで赤城のラケットは確実に届く。しかも浮いてしまったのならプッシュするのも楽になり、角度もつく。今の勝負は自分の負けかと思ったその時、それは起きた。

「うわっ!?」

 シャトルが浮かんだことでタイミングがずれたのは、赤城も同様だった。ヘアピンを打つ予定だったところで降って湧いたプッシュのチャンス。しかし、意識は一瞬で変更を判断できても体が追いつくことはできなかった結果、シャトルを叩くと共にネットにラケットがぶつかってしまった。

「ポイント! フィフティーンテン(15対10)!」

 審判のコールに礼緒は呆気にとられたが、無言で右腕を振り上げた。
 同時に赤城はしゃがんだ体勢のままでラケットグリップの底を床へと叩き付けた。ドンッ! と鈍い音が響いて視線が集まる。
 立って見下ろす礼緒と、俯いて震えている赤城。
 その光景は試合を見ている者全てに今の二人の格の差を見せつけていた。

「……さあ、一本」

 自分のコートへと叩き込まれたシャトルを拾いあげてサーブ体勢を取る礼緒。
 ふらっと幽霊のように存在感を見せないまま立ち上がり、レシーブ位置に着く赤城。
 そこからは、一気に礼緒の攻勢が始まった。
 礼緒のサーブに対してバックハンド側へのスマッシュを中心にラリーを組み立てる赤城。だが、礼緒はもうラリーには付き合わずに様々な方向へとシャトルを打ちまわしていく。
 シャトルを追い、スマッシュで打ちこむということを繰り返す内に体が追いつかなくなり、上げられたチャンス球を一発のスマッシュで叩き落す。すぐにラリーが終わるわけではなく、赤城の攻めも緩いわけではない。集中力が切れていることもなく、常に礼緒を倒すためのシャトルを放っている。しかし、いずれも礼緒から得点を奪うまでにはいかなかった。

(シャトルが見える……理想的な場所へと打てる)

 今なら四隅に置かれたジュースの缶にも当てられるのではないかと思えるほどに、コントロールまで良くなっている気がした。自分を包み込む全能感に従ってラケットを振るい、的確な位置へとシャトルを打つ。そうすることで赤城の打ち返してきたシャトルも甘くなり、次の動作に移ることが遅れたところで追いつけない場所へと最速のシャトルを送り込む。
 まるで詰将棋のようだと思った時には、審判は二十点目のコールをした。

「ポイント。トゥエンティイレブン(20対11)。マッチポイント!」
「ラスト一本だ!」
「一本いこう!」

 聞こえてきた声はいつも聞いていた真比呂の声。亜里菜や隼人も叫んでいるが、復活した真比呂に比べたら小さい。一度気分を落ち着かせるためにコートの外を見ると、真比呂が拳を握りしめて礼緒へと突き出していた。

「礼緒! ラスト決めて来い! 俺が次で終わらせる!」

 ビックマウスに横浜学院側の空気が張りつめる。その空気の変化に気付くほど敏感でもない真比呂は、礼緒に向けて更に声援を送っていた。体力的に厳しいはずだが、いつも通りの様子に安心して礼緒は最後のシャトルを打ち上げる。
 コートに腰を落として次のシャトルを待つ。
 しかし、そこで急に足が鉛のように重たくなった。

(――な、に?)

 一瞬気を取られた隙に赤城が飛び上がるのが見える。終盤にきてまだ体力が余っているのか、大技のジャンピングスマッシュの体勢を取る。

(まずい! でも、動かない!)

 おそらくはコートの右サイドを狙ってくると考えて移動しようとしても、下半身は言うことを聞かない。精神力でカバーしていた体力が遂に底をついたのかと、シャトルを取れないことを覚悟する。
 しかし、シャトルは白帯に当たって相手のコートへと跳ね返って落ちていた。

「ポイント! トゥエンティワンイレブン(21対11)。マッチウォンバイ、小峰。栄水第一!」

 圧倒的な危機感が込み上げた矢先の、あまりにもあっけない終幕。
 審判の言葉を聞いて、礼緒はその場に膝をついて息を吐いた。
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