●● SkyDrive! --- 第百二話 ●●
礼緒はハイクリアを打って相手をコートの奥へと追いやってから、コート中央に身構える。横浜学院のシングルス1は礼緒よりも高い位置からジャンピングスマッシュでシャトルを叩きこんできた。
かろうじて反応してラケットを差し出して打ち返すものの、相手は前に詰めてくる速度もあり、プッシュを打たれてしまう。
「ふっ!」
礼緒は完全にヤマを張って自分の胸元へラケットヘッドを置くと、そこへ吸い込まれるようにシャトルが迫ってきたために打ち返していた。ネット前にふわりと落ちていくシャトルを連続してプッシュするには相手も体勢が崩れてすぎていて、やむなくという顔をしながらヘアピンで落としてくる。
礼緒もその頃には持ち直してラケットを伸ばし、ロブをしっかりと上げていた。
(……やっぱり、強いな。俺よりでかいやつなんて初めて見た)
横浜学院の赤城武文。
角刈りにした頭の下には角ばった顔があり、礼緒は初見だと歴史の授業で習ったモアイ像を思い出した。
神奈川県ではなく県外からバドミントン留学でやってきた男。谷口や亜里菜が収集した情報では、中学時代に目立った戦績はなく高校に入って一年次も試合には出ていない。
だが二年になっていきなり頭角を現して、団体戦のメンバーを任されるほどに成長していた。
(何となくだけど、分かる気がする)
シャトルを追っていく足取りは軽やかで、自分よりも身長があるとは思えない。
赤城は軽く飛び上がるだけで、平均的な身長の選手よりも高い打点からスマッシュを打ち分ける。ストレートの威力もさることながら、クロススマッシュで射線を長くコートに打ちこんでも速度はほとんど落ちていなかった。
「はぁああああ……ふっ!」
礼緒はバックハンドで再び打ち返そうとして、踏み込みと同時にネット前に落とす。赤城は礼緒のフェイントに体を硬直させて、前に出ようとするも動けないままシャトルを見送った。
「ポイント。シックスフォー(6対4)」
無事にラリーを終えて、ほっとしてから礼緒はネットの下にラケットを通してシャトルを拾いあげる。リードしているのはたまたま相手のミスが自分よりも多いだけ。まだ序盤で体も温まっていないからかもしれない。
逆に礼緒はスタートダッシュをかけるために十分に体を温めていたはずなのに、引き離せない。それだけ地力の差があるのかもしれないと考えて、冷や汗が背中を流れる。
(弱気になるな……俺が勝たないと、負ける。でも……)
周囲の視線を徐々に克服してきたことで、選抜大会予選からは四月の頃の自分が理解できないくらいに緊張はしなくなっていた。この大会も苦戦はしたものの本当に危ないということはなく余力を残すことができた。
しかし、今、ネットを挟んで立っているのは全力を出してなお、勝てるか分からない相手だ。周囲からでくの坊と呼ばれ、蔑まれていた頃には対戦することなど考えられなかった相手だ。
(勝てる……のか……?)
額から流れ落ちる汗を拭うために、審判にタオルで拭く時間を要求する。
審判に認められてコートの外にあるラケットバッグまで歩いていく間も、嫌な汗は止まらない。コートの熱気に滲むものではなく、もっと別のもの。汗をかく時間が長ければ長いほどに焦燥感が募っていく。
「礼緒君。大丈夫?」
ラケットバッグからタオルを取り出した時、亜里菜が声をかけてきた。
すぐ傍には椅子に座って俯いている隼人と真比呂。
隣のコートでは理貴と賢斗が試合を続けている。
スコアを見る限り接戦だが、冷静に考えると押されているのは自分たち。更に俯いている真比呂の様子は練習でも試合でも見たことがないほど消耗しているようだった。
シングルス2の試合をすることができるのか不安になるほどに。
(試合できたとしても、勝つのは厳しいんじゃないか?)
シングルスとなれば下手をすればダブルスよりも動き回ることになる。体力だけが取り柄の真比呂から体力が奪われたなら、勝つ見込みはなく、隼人に出番を回すことになる。
それも、礼緒が勝つことが前提になるが。
「……礼緒君?」
「ん? ああ。大丈夫、だと思う」
顔を拭きながら考えている間に返答を忘れたため、亜里菜が再度問いかけてきた。礼緒は頷いて答えてから審判に注意を受ける前にコートに戻る。上手く放ることができずに落ちたタオルを亜里菜がキャッチすると素早く口にした。
「緊張しすぎないでね」
返答はできなかったが、亜里菜は礼緒の体に力が入っていることに気付いたのだろう。
サーブ位置に戻り、コートに置いていたシャトルを取り上げると、軽く回して羽の状態を確認する。
一つ一つの羽は礼緒と赤城のラリーによって徐々に欠けていく。ひたすらに力を込めて打つのは体力が消費されるが、相手のパワーに対抗するためにしっかりと奥へと打ち返す必要があった。
(一息ついて考えてみれば、まだそこまで力入れなくてもタイミング、か)
委縮した筋肉では、力を入れて打ってもタイミングと打点が合わなければシャトルは飛ばない。そんな当たり前のことも忘れていたのは、自分が緊張していた証。確かに負けたらどうしようという懸念はあるものの、緊張していては勝てるかもしれない未来を失うことになる。
(皆は俺に期待しないかもしれない。でも、仲間だけは、少なくともしてくれる)
礼緒はサーブ体勢を取って赤城を視界に入れる。身長を大きく見せるためにサーブレシーブの体勢は斜め前にラケットを突き出すよりも、垂直にして両足を広げている。力を抜いて、シャトルに素早く追いつけるように徹底的に体を脱力させていた。礼緒は覚悟を決めてショートサーブを放つと、それまでの体たらくを挽回するように赤城はシャトルへと押し寄せる。
「はっ!」
赤城が飛び込んで打ったシャトルは、シングルスライン上へと突き進んだ。しかし、礼緒には軌道が見えていて、ラケットを水平に振り抜く。シャトルは赤城が届かないシングルスラインに並行に飛んでいってコートに着弾した。
「ポイント。セブンフォー(7対4)」
ガッツポーズと小さくしてからサーブ位置を移る。赤城はラケットを振って自分のショットを確認するが、礼緒から見ても自分に劣っているところは見当たらない。
(もしかして、調子いいのか?)
自分ですら分からぬ調子の波に礼緒は苦笑いするしかなかった。
元々、礼緒は高いポテンシャルは持っていたが精神的な弱さが邪魔をして実力を発揮できなかった。その際に仲間に追った負い目や、周囲からの侮蔑の眼差しが重なってバドミントンを一度は捨てようとした。
でも、そんな自分が今、神奈川県の第一シードチームのシングルスプレイヤーと対決している。ここまで来ることができるなんて、入部時の女子部との団体戦からは考えられなかった。
(練習試合や市内の大会。少しずつ、自分の中に新しい自信が湧いてきた)
サーブ体勢を取って八点目を狙う。奇をてらって、一つ前のラリーの開始時と同じ軌道にシャトルを送り込んだが、赤城は同じように飛び出すとシングルスラインではなく礼緒の胴体目掛けてシャトルを打ちこんでくる。礼緒は速度に対応しきれずに跳ね返すのが精いっぱいで、ネット前に浮いたシャトルを赤城は渾身の力で叩き落した。
「ポイント。ファイブセブン(5対7)」
「しっ!」
テンポを自分で作りたいのか、ネット前に転がったシャトルを自分で拾う赤城。だが、力を込めすぎたからかシャトルの羽はボロボロになっていて、とても次のラリーを続けられる状況ではない。
「シャトルの替え、お願いします」
赤城の申告に審判は無言で横に置いているシャトルケースから一つ取り出し、赤城へと放る。中空でラケットにより絡めとると軽く礼緒へと打ってきた。礼緒もシャトルを打つ感触を確かめるように軽く打ち返し、数度同じように二人の間でシャトルが行きかった。
「っし。一本」
シャトルの感触を確かめ終えて、赤城はサーブ位置へと立つと身構える。溢れ出してくる気合いに礼緒は気圧されそうになるかと不安になったが、何故か熱い風は礼緒を押し返さずに体を避けて流れていくようだった。
(俺を圧迫しない……というよりも、俺が抵抗しようとしていないのか)
レシーブ体勢を取って、サーブを待ち受ける礼緒は手首の細かい動きで打ちあがるシャトルを見ていた。ショートサーブと見せかけてのロングサーブならばこれ以上ないくらいの出来。それでも、礼緒は後方へとフットワークで移動するとラケットを掲げる。
(これで……どうだ!)
打ったのはドリブンクリア。放物線というよりも、高い位置に一直線にシャトルを打ち、鋭く落ちていく軌道を描く。シングルスコートの右奥に打つことによって右利きの赤城が無理をして体を入れなければ打てないようにする。
そして、ちゃんと真下に入る前に高さを無くす。
二つの狙いは赤城が背中を見せるようにして、バックハンドで打つ体勢を取ったことで崩される。
(あそこから、打つのか!)
礼緒は唐突な二択に迫られて一度腰を深く落とす。一瞬だけできた間によってインパクトの瞬間に右に飛んだ。
「おああ!」
赤城の咆哮と同時にシャトルはストレートに放たれる。シングルスラインを平行に進んでいくシャトルは白帯を越えて礼緒のコートを侵略していた。
(くそっ!)
ラケットを差し出してシャトルに触れさせるのが精いっぱい。しかも、フレームに当たって甲高い音を立てたシャトルは制御を失ってネットへと落ちていく。礼緒にとって幸福だったのは、予想が当たったこと。その予想が早いことで前の位置でシャトルに触れることができて、シャトルの高さがなくなる前に相手コートを越えていたことだった。
後方から突進してくる赤城は間に合わずにシャトルはコートへと落ちる。ほんの少しの差で拾うことができなかった赤城は悔しそうにラケットを持っていない手で尻を叩いたが、すっきりとした顔で礼緒を睨み付けるとレシーブ位置に戻っていった。
(危なかったな)
相手コートに落ちているシャトルをラケットで引き寄せて羽を直す。新しかった羽はすぐにささくれ立つように乱れ、コートにいる二人の力強さを物語っている。サーブ位置に着くまでに礼緒は今のショットを分析した。
(あのバックハンドは完全に武器だ。打ったあとの動きも速い。前に落とされることも考慮に入れてる。でも)
礼緒はコートの外にいる純を一瞬だけ見た。ちょうど自分のことを見ていたらしき純と目が合って、相手が動揺するのを感じ取る。礼緒は軽く笑ってからまたネットを越えた先に意識を向けた。
(でも……あのドライブは、外山のドライブよりは、速くない)
経験していれば脅威ではない。相手の引き出しの中身を全て晒すことになっても、自分が優っているならば勝てる。
「一本!」
これまで以上に自信を持ってのサーブはロング。
相手のスマッシュやハイクリア。ドロップを意識の中でケアをして、来たシャトルを打ち返す。視界の中でラケットを振り上げた赤城はストレートのハイクリアで礼緒をシングルスコートの奥へと追いやった。追いつくのは問題ないが、スマッシュを打っても飛距離がながくて取られるかもしれない。
礼緒はクロスハイクリアでまた赤城のバックハンド側へとシャトルを打ち返す。
「おぉおおお!」
再び赤城は背中を向けてバックハンドストロークの体勢を取る。今度はドライブではなく高い位置から打ってきた。シャトルは軽い音を立てて、鋭くネット前へと落ちていく。礼緒にも到底できないバックハンドのカットドロップ。本来ならコントロールが難しいにもかかわらず、シャトルはシングルスライン上に着陸するように向かっていく。
「ふっ!」
それでも、礼緒はラケットを伸ばしてヘッドをシャトルに届かせる。受け止めた瞬間にラケット面を滑らせて回転させることでヘアピンに変化を加えた。赤城もまた前に追いついてシャトルに触れたが、不規則な変化をとらえきれずにネットにぶつけてしまった。
「ポイント。ナインファイブ(9対5)」
審判がポイントの追加を告げるが、目の前に赤城がいては喜ぶものも喜べない。
赤城は静かにシャトルを持って立ち上がると礼緒に向けて無言で放り、去っていく。
(大分フラストレーション溜まってる……なんだ? 思ったよりも)
自分の内に生まれる違和感に説明はつかないが、上手く進んでいるのならまずは突き進むと礼緒は羽を整えながら決めた。
礼緒が決意してから、不気味なほどに状況は均衡状態に入っていた。
次のラリーでは得点され、相手サーブの時にスマッシュを決めて10点に到達。インターバルを挟んでからもお互いのサーブの時に得点を重ねながらファーストゲームは緩慢に動いていく。
ハイクリアの応酬からのスマッシュ。相手のレシーブが甘くなり、中途半端に相手コートに向かったのを第二弾のスマッシュで叩き込む。
ラリーの回数が増えたり、スマッシュがプッシュになる。それでは決まらずにラリーがさらに続くなど多少の変化はあったが、ほとんどは同じパターンで決まっていた。
礼緒も赤城も相手の実力を把握して、どうにか主導権を奪いたいと思いながらラリーの度に攻め方を変えようとしていたが、最終的には一つに収束して終わる。
当然、先に20点に到達したのは礼緒だった。
「ポイント。トゥエンティゲームポイントトゥエルブ(20対16)」
「ふぅ……」
礼緒は壊れてしまったシャトルの代わりを受け取って、羽を見ながらため息を吐く。得点はリードしており、このままでいけば次は赤城が得点して、その次に自分が第一ゲームを取ることになる。気持ち悪いくらいの流れに、礼緒も自覚せざるを得ない。
(ここで、流れを断ち切らないといけない気がする)
同じ流れが続いているということは、お互いに良い流れに持っていけていないということ。第二ゲームに入る前に自分へと引き寄せるしかない。
(なんだろう……分かる……ここを、取れたら試合に勝てる、気がする)
このゲームを取ったとしても、第二ゲームやファイナルゲームがある可能性はある。それでも礼緒は予感に従って、思い切りシャトルを打ち上げていた。迷いのないサーブは力強くシャトルをシングルスコートの奥へと運ぶ。勢いがつきすぎてアウトになるかもしれないと、赤城は真下に向かってから一瞬だけラインと見比べて、飛び上がった。
「おらぁああああ!」
礼緒にとってバックハンド側となる右ラインへとシャトルが打ちこまれる。礼緒はシャトルが放たれる瞬間には、斜め前へとステップを踏んでラケットを突き出していた。
今日最速の動きで突き出したラケットは真芯でシャトルを捕えて、完全に勢いを殺したヘアピンになった。後方から飛ぶように向かってくる赤城の顔が教学に歪み、腕も限界まで伸ばしてラケットを届かせようとする。
シャトルとラケットが触れ合って、ストレートのヘアピンが返った瞬間に礼緒はラケットをコンパクトにスイングしてシャトルに叩きつける。
「ふんっ!」
鋭く息を吐いて力を込める。白帯ぎりぎりで上昇を止めるように軌道を描いたシャトルを、礼緒は完璧にコートへ打ちこんでいた。
「ポイント! トゥエンティワンシックスティーン(21対16)。チェンジエンド」
審判の声に従ってコートの外に出た礼緒は、ラケットバッグからタオルを取りだして顔に当てると、緊張に止まっていた息を吐き出した。
「……はぁ……はぁ……はぁ……んっ……はぁ……」
最も神経を使う瞬間に最高のショットを打った代償か、体力をごっそりと持って行かれたように感じる。それでも、最後の最後で流れを断ち切り、自分に引き寄せることに成功したと理解していた。
「ナイスショットだったよ、礼緒君」
「……あと一ゲーム。頑張るさ」
タオルに顔を埋めたままで聞こえてきた亜里菜の声に応える礼緒の体には、自分の思い通りにできたことによる気合いが満ちていた。
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