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● SkyDrive! --- 第十話 ●

「え……いま、なんて」

 中学二年での新年を迎えた矢先のことだった。
 中島理貴は食卓の向かいに座る両親へと問いかける。実際には、父親のほうが発した言葉だから父親のみに聞くべきだったが、理貴には二人から同じような圧力を感じた。自分達の言葉を聞くようにと。
 耳にちゃんと届いてはいた。しかし、その言葉の内容を理解したくなくて一度尋ねたのだ。もう一度口が開かれた時には、別の内容が聞こえてくるのではないかと期待して。
 しかし、そんな現実を見ない思いは通じるはずもなく、父親の口から洩れた言葉は全く同じものだった。

「来年の四月から、神奈川へと引っ越すことになった。だから、高校は神奈川の高校を受験してほしい」

 理貴は助けを求めるように母親のほうを見る。しかし、母親もまた父親と同じような顔をしていた。この場で、今住んでいる静岡に留まるという選択肢を持つのは理貴一人だけだったのだ。

「そんな……俺は……彰人(あきと)と一緒に藤沢東に行くんだ。静岡で一番強いバドミントン部で、一緒に全国にいくんだよ……」
「お前がバドミントンを頑張っているのはよく分かってる。柿沢彰人君とのダブルスでこの前の大会でもいいところまで行ったのも。応援に行ったからわかるさ。でもな……こればかりは父さんの仕事の関係で仕方がないんだ」
「短期なら単身赴任も考えたけれど……神奈川で十年くらいかけたプロジェクトらしいのよ。それだともう私たち、みんなで引っ越した方が良いと思って。理貴には申し訳ないけど……バドミントンは神奈川でも続けられるし」
「俺は――」

 理貴は言葉を続けようとして飲み込んだ。
 両親の言っていることが分からないほど子供ではなかった。
 両親がバドミントンをしている自分を応援してくれていることも、十年も離れるならば引っ越した方が良いことも分かっていた。
 この提案に理貴が苦しむことも承知しているだろうということさえも。
 でも、理貴が彰人と一緒にバドミントンがしたいという思いの強さは理解されていなかった。
 それは仕方がないことだと、理貴も分かっている。小学校一年の時からずっとダブルスを組んでいる彰人だからこそ、ずっと一緒にダブルスで強くなろうと思っている。それは理貴の中だけにある思いだ。彰人自身はそこまで強くは理貴とダブルスを組むと思っていないだろう。本当に、自分の中だけの強い意志。
 その意志のために両親を困らせるようなことはしたくはなかった。
 しかし……譲れないものがある。

「……父さん、一度だけチャンスをくれないかな?」
「チャンス?」
「志望校を決めるのは、まずは四月だけど、本格的に決めるのは六月ごろ……普通なら部活で引退する頃。インターミドルに出る人らはもう少し続いているけれど。だから、その時の結果で僕に藤沢東を選ばせてほしい」

 理貴の言葉に含まれる強い意志。母親は何かを言おうとしたが、先に父親が口を開く。

「全国大会に行けば、藤沢東の寮に入れるかもしれないってことか?」

 父親の言葉に理貴は頷く。内心は、父親が自分の思いを分かって口にしてきたことに驚いていた。
 藤沢東はスポーツに力を入れている私立高校だ。特にスポーツ特待生は専用の寮に住む権利が認められている。ただ、それには藤沢東のスカウトに声をかけられ、更には特待生として認められなければいけない。
 少なくとも、全国大会に出ることは必須条件。あとは、どこまで勝ち残れるかにかかっている。

「今は一月。県予選は五月。残り期間で絶対に強くなって、全国に出てみせる。そして勝てるだけ勝ってみせる。それで……藤沢東からスカウトが来た時は……その時は……」
「……いいだろう」
「あなた!?」

 父親がまさか認めるとは思ってもみなかったのか、母親の顔が驚きでひきつった。父親は片手で母親を制すると理貴へ向けて少しだけ視線を鋭くする。強い視線を受けて理貴は体を硬直させた。

「お前も少しずつ大人になっていく。こちらに一人で残って頑張れる可能性があり、それを選ぶ意志があるなら尊重しよう。実際、優秀な選手を違う県から集めるというのは高校からでもあるようだしな。お前も、その一人になれたなら、寮暮らしも悪くないだろう」
「父さん……」
「そして、それがとてつもなく大変だということも、分かってるはずだな?」

 父親の声のトーンが一つ下がる。悪寒が背筋から首元まで昇ってくるような錯覚に襲われて、理貴は体を震わせた。何も話せないまま、父親は言葉を続ける。

「その大変なことに挑むなら、全力で挑めばいい。しかし、ダメとなった瞬間からは完全に未練を捨てろ。お前にはな、そういう全てを賭けるというところが足りないと俺は感じている」
「全てを……賭ける?」

 父親の言葉が理解できない理貴は同じ言葉を繰り返す。父親は分かりやすく説明するということはなく、自分の言葉の続きとして話していく。

「大人になればそういうわけにはいかないことがたくさんある。だから、若いうちだけなんだ。自分の全力で挑んで駄目だったとしても、やり直しができる時期は。理貴。お前は昔からある程度は何でもできた。でもな、何かが足りないのはどこかで手を抜いてしまっているからだと思っている」
「そんな……」
「これから社会に出るまで……少なくとも中学、高校の間は自分の全力を賭けろ。それで倒れても家族やお前の友達は、お前を支えてくれる」

 父親の言葉が自分の何かに突き刺さり、理貴は視界が揺れた。何が辛いのか、苦しいのか、悲しいのか。涙がじわじわと溢れ出る。
 そして視界が揺らめいて両親の姿が見えなくなったところで。
 それが夢だと分かり、理貴は目を開けた。

(……久しぶりにあの時の夢を見たな)

 ゆっくりと布団から起き上がり、そのままベッドを降りる。カーテンの隙間から入ってくる朝日を見ると、今日も快晴らしい。夢見が悪く気だるさが残る体を奮い立たせるように左右に思い切りカーテンを開け放った。とたんに入ってくる強い光に瞼を一度閉じたが、痛みに自然と涙が出ていた。
 目元をぬぐって改めて外を見ると、予想通り快晴。雲一つなし。空の様子を眺めていると、ベッドで枕元に置いた携帯がアラームを鳴らしていた。時刻は朝七時。目覚ましよりも早く起きるのはいつも通り。夢の内容だけは数か月ぶりのものだ。

(仮入部したからかな)

 前日のやり取りを思い出す。
 高津の社会人バドミントンサークル『鱈』のいるところにやってきた隼人たち、栄水第一男子バドミントン部の面々。その中で初心者である真比呂に高津が条件付きで試合するように理貴へと命じた。結果、理貴は21対1で勝ったものの、点を取られたために男子バドミントン部へと入部した。部の成立まではあと一人。名前を貸すだけなら、それ以降もう一人か二人増えれば消してもいいだろう。

(井波、真比呂か)

 自分とやった初心者のことをを思い出す。中学時代はバスケ経験者とまったく畑違い。それでも、そこで培った精神力なのか、絶望的な点差や実力でも点を取ることを諦めなかった。理貴が一点取られれば負けだと思っていたゲームも、自力で21点取ろうとしたのだから大したものだと理貴は感心する。自分ならきっと諦めていただろうから。

(あれが、全力を賭けるってことなのかもしれないな)

 寝間着に使っているジャージのまま階下に降りて、食卓へと付く。すでに母親が朝食を作って待っていた。

「おはよう、理貴」
「おはよう母さん。父さんは昨日、帰ってこなかったんだね」
「そうね。お父さんも帰るのは土曜の夜だって言ってたわ」

 ほとんど出張でいない父親。相当忙しいのはそれだけでも分かった。それでも、家に帰れば疲れた顔を見せずに自分に高校の様子を聞いたりしてくる。それは、藤沢東を選べなかった自分に対する負い目もあるのかもしれないが、自分を守ってくれていると感じることが出来て、理貴には少しくすぐったいが、ありがたかった。

「今度帰って来た時にはすき焼がいいんじゃない? 白滝たくさん入れてさ」
「そうね。あの人、汁を吸いこんだ白滝大好きだもんね」

 目を輝かせて白滝を頬張る父親を思い出したのか、母親が柔らかい笑みを浮かべる。理貴は、今ではここに一緒にいることは良かったと思えた。バドミントンに関することを一つ捨てざるを得なかったが。

(でも、こっちは、選んだんじゃない。選ぶ力がなかったから、こっちしかなかったんだ)

 朝食を早く切り上げて、そのまま学校に行く準備を整えるため洗面所へと向かった。


 * * *


「じゃん」
「……おおお!? これってもしかして男子バド部のポスターか!?」

 井上がA4サイズの紙を広げて隼人たちの前に掲げていた。それに対して一番初めに書いている内容に気づいたのは真比呂。井上から受け取って更に読み込もうとしっかり中身を読む。
 そこには男子バドミントン部募集の文字や、復活したならどういう時間帯で部活を行うのかという予定。どこかから持ってきたのか、スマッシュを打つ瞬間の写真を載せたりなどレイアウトが凝っている。
 そして一番下には連絡先として隼人の名前とメールアドレスが乗っていた。

「ちょ、井上!? お前、俺に無断で携帯メアド載せたのかよ。言えよ!」
「えー。だって驚かせたかったんだもん」
「……マジか……いやまあ、いいけどさ」

 隼人はぐだっと体を机に投げ出していた。
 放課後。掃除も終わった隼人たちは、井上の呼びかけて教室に残っていた。
 真比呂と隼人と純は固まって。そして一つ席を空けて理貴が座っている。
 その配置に井上が何かを言おうとしたが、隼人が遮って話題を先に進めさせた。そこから、今の流れに繋がる。

「じゃあ、私は部活行くから。あと、先生の許可は取ってもう何か所かには貼ってるから、誰かから連絡来るかもしれないからね! 来たら私にも教えてね!」

 そう言って井上はラケットバッグを持って去っていった。
 理貴にはまだ隼人たちや井上の位置関係は分かっていなかったが、てっきりマネージャのポジションだと思っていた女子が普通に部活に行ったことで首を傾げる。ただの協力者にしては行動が早かった。

(まあ、どこにでも当人たちより熱いやつっているかもな)

 目の前でポスターの出来に興奮している真比呂を眺めながら考えて苦笑する理貴。そこへ、隼人が話しかけてきた。

「なあ、中島。お前、中学の時どれくらい行ったんだ?」
「何を突然」

 理貴はあえて不機嫌な声を出して顔をそむける。仮入部とはいえ入ったのだからもう少し歩み寄るのも必要とは思っていたが、理貴自身、まだ気恥ずかしさが抜けなかった。あれだけ入らないと即答して、仮入部だと言ったが、こうして一緒にいると自分の中でやる気が高まってくるのを感じていた。現金なものだと思うと自然と居辛くなる。素直になればいいだけなのだが、そのあたりはプライドがある。

「いや。真比呂もやる気になってるし。俺達も全国に行こうとするのは同じだし。必要なことを一つ一つ明確にしておきたいんだ」
「……お前、そういうの凄く几帳面っぽいよな」
「よく言われるよ」

 隼人は笑顔を理貴へと返す。自然とつられて理貴も微笑んでしまい、慌てて顔を引き締めた。それで黙っていたが隼人の視線は外れない。そこで、まだ質問の答えを言っていないことに気づいた。
 正直、言いたくはなかったがはっきり言わなければこの場は乗り切れないだろう。そう考えて、理貴は覚悟を決めた。

「ベスト8だよ。県大会の」

 それだけ言ってまた外を向く。隼人達の反応がどういう風になるか分からず、とりあえず言った直後の顔は見たくはなかった。しかし、少し経っても何の反応もないことに気になって、理貴は視線を戻す。
 すると隼人と真比呂。そして純が理貴を見ていた。その顔には驚きが張り付いている。

「な、なんだよ」
「なんだよ。俺たちより成績上ジャン。よし、これで貴重な戦力増えた」

 隼人はそう言って立ち上がると理貴の傍に近づいて手を差し出す。

「仮入部でも、入部は入部。よろしくな」
「そうそう。そういえば俺たちって自己紹介してないよな」

 隼人と純は同時に手を差し出す。理貴はとりあえず一人ずつ握手を交わし、頭を下げた。

「俺は高羽隼人。県大会では二回戦負け」
「俺は外山純。県大会にはいけなかった。そもそもシングルスで未勝利」
「そして、井波真比呂。バドミントン未経験!」

 後ろから顔を出して大きく宣言した真比呂に威張るなと同時に二人が突っ込む。その様子を見て理貴は肩の力が抜けた。

(こいつら……今の時点で全国にいけるわけないと分かってて、全国に行く気なんだな)

 実力が足りない今の自分を認めて、足りないものを必死で探す。
 それは中二の一月から中三の五月まで自分がやっていたことではなかったか。全ては全国に出るため。そしてスカウトに目をかけてもらうために。
 だがそれも、県大会のベスト8で敗れた時に終わった。

「俺も含めてそこまで実力あるわけじゃないのに。それでも、行くか?」
「だから頑張るんだろ。行けるように。全部出しきって行けなかったら、その時はその時だ。ま、そういうのは終わったら考えようぜ」

 さも当然のように言う真比呂。そのあっさりとした物言いに耐え切れず、理貴は笑ってしまった。しばらく笑い続けて三人がぽかんとして理貴を見ている。その視線に気づいても笑いは止められなかった。

(そうだな……まだ、高校だもんな。頑張ってみよう。全部、賭けてみよう。こいつらとなら、やっていけるかもしれない)

 父親の言葉。高津の言葉。そして目の前の仲間たち。
 全力をかけて失敗した結果、今のここにいる自分。しかし、一度の失敗はけしてすべての失敗ではない。また、挑もう。全てを賭けて。
 この仲間たちならば、自分を支えてくれる。
 この仲間たちなら、きっと支えられる。
 理貴はそう信じることに決めた。
 二分ほど連続で笑ってようやく落ち着いた理貴は三人に視線を向けて言う。

「いいよ。あと一人部員集まったら本当に入るよ。俺も、もう一度頑張ってみる。よろしくな」
「おお! お前はそういう男だと思っていたぜ、理貴!」
「名前で呼ぶなよ馴れ馴れし――」

 真比呂の勢いに押されつつ言い返そうとした理貴は、その場で鳴った音に言葉を止めた。昔の黒電話のようなジリリリリ、という音が三回響いたと思うと止まる。それは隼人の制服のポケットから鳴っていた。

「メールだ」

 携帯を取り出して隼人は携帯を見る。そして、すぐに呟いていた。

「いきなり、ポスターの効果あったみたいだ」

 その顔には遂に部が発足するということへの興奮が含まれていた。
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