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● SkyDrive! --- 第九話 ●

 コート奥へと放たれるシャトル。アウトになればワンポイントで真比呂の勝利条件は達成される。それを恐れて、それまでは少し浅めになっていたシャトルだったが、ここにきて今まで以上にきつい位置へと飛んでいく。真比呂もそれを見送ることは考えていなかった。自分がラケットを振ってシャトルに当てなければ、中島のシャトルの行方ですべてが決まってしまう。それだけは嫌だった。

(アウトだろうとインだろうと、振る!)

 真比呂はシャトルの真下へ入ってラケットを振りかぶる。右手でシャトルをロックオンし、ラケットを持つ左手を前に思い切り振り抜いた。前に足を踏み出すと同時にシャトルを打ち込むと、ハイクリアとなってストレートに飛んだ。コースはシングルスライン上。入っているかどうか際どいコース。それを中島は躊躇なく打つ体勢に入る。

「おおお!」

 中島は初めて気合いを表に出して、ラケットを振りぬく。スマッシュはクロスでコートを切り裂き、真比呂のコートを襲う。しかし真比呂は反応してラケットを伸ばしながらサイドステップで進んだ。バスケの試合のようにまっすぐ走っていた当初と比べて、不格好ではあるがサイドステップになっている。シャトルに追いついた真比呂がラケットを振りぬくと、ストレートのロブで中島のコートへと返った。最後になるかもしれないラリーにして、今までで一番際どいコースを互いに狙っている。真比呂の場合は偶然の要素が強かったが。
 互いの間でシャトルが行き来する。三度、四度と続いていくうちに、徐々に中島のほうが後ろに下がることが多くなった。真比呂が全力で打ち返しているために、自然とパワー負けしている。しかしそれではいずれアウトになると真比呂は考えて、次のシャトルが来た時に前に落とすと決める。

(次……ここだ!)

 前に落とすために自分も前へと出る。しかし、その瞬間を見計らったかのように中島はシャトルを遠くへと飛ばした。自分の頭上を越えようとするシャトルを思い切りジャンプしてラケットを伸ばし、インターセプトしようとする真比呂。
 そのラケットが、かすかにシャトルへと当たった。
 元々鋭い打球を返すために軌道は低めだった。しかし、真比呂の身長とジャンプ力が中島の想像以上に高かったのだ。シャトルは偶然か、ネット前に落ちていき、慌てて中島もラケットを伸ばして前に突進する。

「届けぇええ!」

 中島の気持ちが繋げたのか、ラケット面にシャトルが触れて、ネット前にふわりと上がった。
 次の瞬間、中島の視界が暗くなる。
 誰かが目の前に立ったために、影ができていた。
 誰か。それは一人しかいない。

「うおお!」

 ジャンプしてから足が床に着いた瞬間に、真比呂は前へと体を投げ出していた。両足では無理のため、片足で。
 バスケで鍛えた強靭な足腰が可能にした強引な飛び込み。前方に倒れることを前提とした、捨て身の攻め。ネットを越えたところで、真比呂のラケットにより軽く押し出されたシャトル。真比呂のコートに入るはずだったそれは、倒れた中島の背中へとぽとりと落ちていた。
 次には真比呂もネットに触れないように体を捻って床に倒れる。大きな音がして周りがざわついたが、真比呂は大丈夫というアピールをしてからゆっくりと立ち上がった。その間、中島のほうが立ち上がらなかった。

「……ポイント」

 真比呂が立ち上がってからゆっくりと立ち上がり、中島は呟く。次の言葉を待つために中島をじっと見る真比呂。その視線に根負けしたかのように次のポイントを言い放った。

「ワントウェンティ(1対20)」
『おおお!』

 隼人たちだけではなく、サークルの面々までもが感嘆の声を上げながら拍手をする。しばらく真比呂へと惜しみない拍手が送られて、真比呂自身は照れくささに頭をかいていた。中島はため息を大きくついてから、シャトルを持ってコートを出ていく。
 そこで、真比呂は中島を呼び止めた。

「おい、ちょっと待てよ」
「……まだやるのか? お前が勝っただろ?」
「何、言ってるんだよ」
「?」

 真比呂の声に含まれるかすかな怒りが理解できない中島は首をかしげて見返す。真比呂の勝利条件は達成された。中島が二十一点取る間に一点取る。それが終わったなら、試合に意味はないと中島は思っていたのだ。しかし、真比呂ははっきりと中島へと言う。

「まだ試合終わってねぇだろ。あと十九点取って、セティングだっけ。それやって。逆転勝ちしねぇと」
「いや……だって、一点取ったし」
「一点は一点だろ! バドミントンは二十一点ゲームじゃないのかよ! ほら、さっさとシャトルくれよ!」
「……お前……分かったよ」

 中島は呆れた顔から少しだけ笑い顔になる。そしてシャトルを渡すと自分はレシーブ位置に立った。真比呂は初得点により、今まで右側に立っていたところから左側に移動してシャトルを構える。

(高津って人が一点取れば勝ちとか言うのは、別の話だ。俺は俺で、こいつに勝ちたいんだ)

 真比呂の中に燃える炎。初めて試合をして、生まれた欲。
 それをラケットに込めて、シャトルを打ち出す。

「うら!」

 真比呂のロングサーブは深く遠く飛び、中島はコートの後ろのラインぎりぎりまで移動した。真比呂はそれをコート中央で構えて睨みつける。次に右と左どちらかにスマッシュが来るかを予想して。
 だが――

「はっ!」

 シャトルは予測と異なり真比呂の胸部へと届いていた。

「!?」

 咄嗟にラケットを胸元に持ってくるが、甲高い音を立ててシャトルはコートに落ちてしまった。
 胸部へのスマッシュ。最も取りづらいところへの強打。
 呆然としている真比呂の代わりに、中島が言った。

「ポイント。トウェンティワン、ワン(21対1)。マッチウォンバイ、中島」


 ◇ ◆ ◇


 終わってしまえばあっという間だった。真比呂がどういう思いであろうと。実力差は如実に結果を表す。
 中島は一礼してコートから先に出た。それを追うように真比呂がコートの外に出ると隼人と純が駆け寄って声をかける。

「お疲れ様」
「よくやったなぁ。一点とれたじゃないか」
「……」

 純の言葉に返せない真比呂。純は首をかしげるが、真比呂の俯いた顔が歪んでいるのが見えた。なまじ背丈が高いために下から覗きこめる。

「悔しかったら、強くなりな」
「ああ……」

 純に肩を借りつつ真比呂は壁側に歩いていく。そして背中を預けてへたり込んだ。実際、体力も大分消費したのだろう。バスケットで培った体力があるとはいえ、使う筋肉も動きも異なり、何より思考を最初から最後まで続けた。それによって別の疲れがたまっていき、真比呂の全身を覆ったのだろう。これから真比呂が成長していく兆しを見せた良い試合だったと、隼人は思う。

「あいつ。強くなるな」
「はい。井波には今後戦力になってもらわないと困りますから」

 隼人は近寄ってきた高津に向けて言う。更に高津は中島を後ろに連れて来ていた。隠れるように立っていた中島を前に押し出して隼人の前に立たせる。

「おら。一点取られたんだから、おとなしく入れ」
「なんで……ですか……俺は、こんなところで寄り道してる暇なんてないのに」
「寄り道?」

 高津と中島の会話の中で気になる言葉を見つけた隼人は反射的に呟く。それを聞いて中島も隼人へと視線を移す。それでも口を開こうとしなかったが、横から高津が代わりに言った。

「こいつ。元は静岡にいたんだとよ。結構強い中学に」
「高津さ――」
「ダブルス組んでたやつとインターミドルの全国大会にあと一歩だったってよ。それでその相棒と高校でも花ぁ咲かせようとしてたみたいだけど、転勤でこっち来たし。しょうがないから高校でなんとかって思ったら高校に部活ないしで、高校は捨てて大学でパートナーとやり直すって決めてたらしい」
「……その通りですよ。だから、俺はここで強くなる」

 中島の強い口調は高津ではなく隼人へと向けられていた。高津の条件とはいえ、ここで部活に勧誘しても自分はなびかないと言うのだろう。自分のことをつらつらと話されたことを逆に利用した形になる。
 隼人は何と言ったらいいか考えていたが、その前に高津が中島の頭を軽く小突いていた。

「いた!?」
「ばーか。お前な、俺らといてもバドミントンしか上手くならねぇぞ」

 その言葉の意味を、隼人も中島も理解できなかった。
 高津は自分の言葉が最初から受け入れられないと分かっていたように、よどみなく次の言葉を続ける。それは親が子に何かを諭すように語る様子に似ていた。

「俺らといれば、バドミントンは強くなるだろうさ。でもな、そういうのはあとで良いんだよ。中島。お前に必要なのはバドミントンの実力、だけじゃない」
「……言ってる意味が。俺はバドミントンの実力を上げて、大学でやりなおすんだ」
「そういうのがいけねぇんだよ。俺たちは、お前と明らかに違う」

 高津の言葉の力強さに中島が黙った。しかし隼人は高津の言葉の中に自分たちへしっかりと何かを伝えようとする意志を垣間見る。常に相手の思考を分析して次のショットを予測する癖がついていた隼人だからこそ分かったのかもしれない。高津の口調は半分は演技だ。力強く、相手の反論を黙らせて話をまず聞かせるような強制的なもの。

「俺たちはお前に優しいさ。だって、俺たちの人生でお前はそこまで関わる人間じゃないからな。俺たちは他のコミュニティで、自分の生活をした後でここに来ている。自分たちの本来の生活を送った上で、ここに来てる。仕事なりなんなりな。でも、お前はお前の高校生活から逃げてここに来てる」
「逃げるなんて――」
「過去の約束に逃げて今を否定してるだけだ。お前に必要なのは俺たちのようにあまり深く関わらない友人じゃない。こいつらみたいに、同じ学校で同じ部活を過ごす、深く関わる本当の仲間なんだよ」
「仲間……」

 隼人は高津という人物に興味を持った。社会人のサークルをまとめ、その経験から中島を諭そうとしている。本当に高津が口で言うほど自分たちと中島は深く関わらない友人止まりならば、こんなことさえも言わない。高津なりに『仲間』というものに思い出があり、それは同じ高校の部活仲間の中で培うべきだという考えがあるのだろう。

「バドミントンの実力だけじゃ、大人にはなれん。大人になったやつに、バドミントンの実力がついてるような、人間になれ。お前はまだまだ甘い」

 高津はそこまでいうと隼人に向けて一言「こいつを頼む」と言ってからその場を去った。まだサークルの人員は高津を見ながら軽く拍手したり「いつものが終わったか」と呟いていたりと反応は様々だ。どうやらああした説教は恒例らしい。隼人はひとまず中島に声をかけようと近づき、そこで絶句した。

「うう……ううう……」

 中島は涙を流しながら嗚咽を唇を噛むことで堪えていた。
 そこまで悔しかったのか、あるいは部活に入るのがそんなに嫌なのか。中島の考えは読めなかったが、少なくとも真剣さだけは伝わってくる。いろいろ考えて言葉を探そうとした隼人だったが、中島との間に真比呂が立って代わりに口を開いていた。

「中島! 部活入ってくれよ! 一緒に全国優勝目指そうぜ!」
「ぜ……全国だって……?」

 涙を強引に拭いてから真比呂を睨みつける中島。真比呂の口調の軽さに、怒りが勝ったのか怒号交じりに叫ぶ。

「お前! 全国がどれだけ大変か分かってるのかよ! バドミントンを舐めるなよ! このメンバーだけでいけるわけ――」
「行こうぜ!」

 真比呂は中島の言葉を遮って両肩をがっしりと掴んだ。体格のある真比呂から見れば中島は小柄な方だ。両肩を掴まれる様子を傍から見ると事情が分からなければ襲われているようにも見えるだろう。

「今の俺たちじゃ絶対行けない! だから、お前が入って俺たちを鍛えてくれ! 俺たちもお前を鍛える! それで、全国行こう! お前の友達もきっと出てくるんだろ!? 大学でとか言ってないで早く会おうぜ!」
「か……簡単に言うなって!」
「簡単じゃないからのんびりやってる暇なんてないんだろ!」

 隼人は、真比呂の口調に押されて中島のまとう雰囲気が崩れていくのを感じていた。真比呂の言葉はただ軽いわけじゃない。実際に、中学時代はバスケットで上を目指して戦っていた真比呂だ。全国という言葉には重みがあるということを知っている。それでもなお目指すと言っているのは、それだけ挑もうとしているから。そして、真比呂のその気迫がちゃんと伝わっているから、言葉が軽いと言いつつそれを否定できないのだ。

「なんで、お前そんなに前だけ見れるんだよ」

 中島は真比呂の両手から逃れてから言う。試合中もそうだった。真比呂は0対20から1点を取り、更にあと20点取る気でいたのだ。絶望的な状況でも全く諦めない。それを中島は理解できないのだろう。真比呂はその質問をされることに対して首を傾げつつも、答えていた。

「だって、点を取れば勝てる可能性があるんだろ? なら負けるまで諦める必要はないだろ。バスケはどんなに頑張っても時間が来れば負ける。でもバドミントンは、どんなに時間かけても最後に21点目を取ったほうが勝ちなんだから。相手が21点取るまでは、勝てるんだ」
「……あっはっは! そん通りだよな! いろんな意味でお前の負けだぞ、中島」

 真比呂から逃れた中島を、今度は純が背中を叩く。痛みに顔をしかめて咳き込んだ中島は抗議の目を純に向けたが、すぐに真比呂へと視線を戻した。隼人から見て、中島の目からは拒絶の意志は消えていた。

「分かったよ……。元々点を取られたら入ることになってしまってたんだ。ただ、部員が集まるまでは名前だけ貸しておく。俺はまだ、大学まで力を付けるって考えは捨ててないからな」
「分かった! ありがとう! これであと一人だなら、隼人!」

 真比呂は心底嬉しそうに隼人へと向いて笑った。隼人は「名前で呼ぶな」と言いつつも中島の仮入部を歓迎する。

 中島理貴、仮入部。
 栄水第一バドミントン部設立まで、あと1人。
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