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● SkyDrive! --- 第二話 ●

「はぁ」

 隼人は外を見ながら人知れずため息をついた。
 昼休み直前の四時間目。古文の教師である高田の声は緩やかに耳に入ってきて、眠気を誘う。しかも普段からなじみの無い古語。なかなか理解しづらい単語を頑張って聞こうとすれば脳は活性化するだろうが、一度置いていかれた思考は後は止まって眠るだけ。

(なんとなく、寝付けなかったしな)

 昨日の夜、目を閉じれば浮かんできたのはある女子の姿だった。
 バドミントンコートに立っている姿はさながら一つの絵画のよう。同学年で見かけた記憶は無いため、おそらく上級生だろうと思っていた。
 それだけ考えても何もならないとすぐ寝ようと考えても、またその女子の姿が浮かび上がってくる。
 そのまま、ちゃんと寝入ったのが午前四時を過ぎていた。

(なんだろな……漫画みたいに一目ぼれとか? でもそれとも違うような)

 隼人自身、異性を好きになったことは何度かあるが、その時の感情とは何かが違う。その違いを考えるとすぐに行き止まり、フラストレーションが溜まっていく。
 自分を悩ます原因が何かを突き詰めなければ気がすまない。分析はバドミントンをしている時はずっとやってきたが、今回のことには答えが出ようが無い。
 何度目かの思考の袋小路に達したところで、チャイムが鳴った。四時間目の終了。ここから昼休みに入るということで、クラス中の雰囲気が柔らいだ。
 教師が教室から去るとすぐに各々行動を開始するクラスメイトを横目に、隼人は家から持ってきた弁当箱を机の上に取り出した。
 そこに影がさす。
 大きく自分を覆ったその影の主の顔を見上げるのは骨が折れた。自分より十センチ以上高い身長の相手を座りながら見上げるのだから、首だけじゃなく背中も椅子の背当てに荷重をかける。

「高羽! 今日の放課後に先生に言いに行こう!」
「……井波。何を誰に言いに行くんだよ」
「もちろん、バド部の顧問の先生にバドミントン部を作らせてもらいに、だ!」

 拳を握って力説する井波真比呂(いなみまひろ)に向けて隼人はため息を大きくついた。わざとらしさに井波も気づいて不服そうな顔を向ける。

「なんだよー。お前も月島さんに惚れたんだろ? 一緒に作ろうぜ、男子バドミントン部」
「惚れたって? 誰だって?」
「月島さんだよ! 月島奏(つきしまかなで)さん。一こ上の。昨日、コートで打ってた」

 一つだけ思考の袋小路から抜ける。
 同学年ではないと分かっていたが、一つ上。高校二年生。そして。

「月島、奏さんか」
「そうそう。あの人、凄い綺麗に動いたり打ったりするよな。あんな風になりたいし、お近づきになりたい。だから、作ろう」
「不純すぎだな」
「やっぱり綺麗な人が傍にいるとやる気が違う」

 隼人の言葉にも井波は悪びれずに返した。まったく悪いと思っていないと隼人は内心ため息をつくが、同時に井波という男を嫌いになれない自分にも気づく。
 同じクラスで初めてちゃんと会話できたクラスメイトにしては中学時代の周りにいたキャラと離れていたが、逆にそういった目新しさにも惹かれているのだろう。
 中学時代は同じ目標を不純物無く目指していた男たちばかりだったから。
 過去回想にふけりそうになるのを抑えて、隼人は言う。

「まあ、分からなくもないけど」
「だろだろ! バドミントン部作ろうぜ」
「うーん。まあ……いいんだけど」

 煮え切らない返事に井波も眉をひそめる。その様子を見て、案外図々しくないのだろうと井波の考えを読もうとする。行動を起こすのに起爆剤が必要なのだろうが、いざ実際に事を起こそうとすると他人を巻き込むことに抵抗がある。
 根本的に『良い男』なんだろう。だからこそ、嫌いになれない。むしろ好感が持てた。

(別にバドミントン部、悪くは無いんだけど)

 実際、隼人も最初は作ろうかと思ったほどだ。すぐに手続きなどの面倒を考えて止めたが。今回はメンバーとして参加すれば井波がメインで動いてくれるに違いない。否定する理由は無いはず。それでも、どこか煮え切らない自分自身に隼人は理由を探している。

(なんで抵抗あるのかな。やっぱり作るからには負けたくないからなんだろうか)

 そこまで思い、隼人は井波へと問いかける。

「なあ。バド部作ったとして。目標はどこなんだ?」
「そんなもの、全国制覇に決まってるだろ」
「……お前、そんなに強いのか、バドミントン」

 いきなりの大きな目標に隼人は唖然とする。名前を中学時代には聞かなかったが、もしかして井波のバドミントンの実力は凄いのだろうか。そう思い更に尋ねてみるとさらりと井波は言った。

「いや。中学時代はバスケ部。兄貴がバドやってるけど俺はラケット触ったことも無い」
「へぇ……ってじゃあ全国制覇なんて夢のまた夢じゃん」
「夢だから掲げるんだろ。現実にするのにさ」

 更にあっさりと語る井波。月島に近づきたいために部を作る。そして、部を作るなら目標はもちろん全国制覇。不純だったり変なところで真面目だったりと井波を見ていると楽しくなってくる自分を隼人は止められなかった。

「分かったよ。俺はめんどくさいから、メインではお前が動けよ」
「おおう、ありがとう! 授業全部終わったらまた声かけるわ!」

 井波はそう言い残して隼人から離れていった。
 井波が去ってから急ぎ気味に弁当の中身を平らげて、隼人は机に突っ伏した。睡眠を少しでも取っておこうという魂胆だったが、目を閉じて思い浮かぶのは月島奏のプレーしている姿だった。
 均整の取れた体つきから繰り出される正確なショット。滑らかなフットワーク。さも当たり前のようにプレイしているが、その動きを体現するためには途方も無い努力が必要なということを隼人は知っている。自分も目指して、中学時代には達成できなかったこと。自分の努力はけして少なくなかったと思っていた。それでも届かなかった理想。それは頭の中にだけあって現実には存在しないのかもしれないと心のどこかで思っていたのかもしれない。しかし、それを隼人は見つけたのだ。
 月島奏の動きから。
 月島のプレイが脳内で幾度も再生され、結局、隼人はちゃんと寝られないままに昼休みを終えるしかなかった。


 * * *


「ねえ。高羽君」

 授業が全て終わり、教室の掃除の時間となった。
 箒で床を掃きながらあくびをしていたところに、後ろから声をかけられた隼人は勢い良く口を閉めた。上と下の歯ががちりとぶつかり、眠気と痛みに涙が漏れる。口を押さえて何とか声が漏れるのを抑えると、ゆっくりと後ろを振り向いた。そこには井上亜里菜が立っている。いつものように眼鏡をかけており、昨日、廊下でぶつかった時に感じた違和感はない。

「な、何? 井上」
「眠そうだけど大丈夫?」
「大丈夫だけど……どうした?」

 ただ眠気に気遣いをするというのは、声をかける理由としては薄い気がした隼人は、再度問いかける。井上は「んー」と少し唸った後で恐る恐る問いかけた。

「あのさ、高羽君はバドミントン部作るの?」
「……なんでそう思う?」
「昼休み、井波君とそんなこと言ってた気がするから」
「あいつの声、でかいのか」

 井上は苦笑して何も言わない。それだけで隼人は肯定と捉えてため息をついた。けして間違いではないからと、先を続ける。

「井波はそのつもりだから。俺も乗ってみた。まあ、掃除終わったらバド部顧問の先生に聞きに行くつもりなんだけど」
「そうなんだ。なら、私が案内してあげる」
「そうか? じゃあお願い」

 井上は何が嬉しいのかオーケーと親指を立てて隼人から離れていった。井上もまた別教室の掃除当番を当てられていたはずと思い至り、隼人も手を振って井上を送り出した。

(乗り気なかったのは確かだけど、なんだかんだでやる気あるのかね)

 自分の心の持ちようがいまいち把握できていなかった。眠る前に何かを考えた気がするが覚えていなかった。
 それから特に妨害も無く掃除は終わり、隼人は教室で窓際にある誰かの机に座ったまま井波を待っていた。外を眺めると野球部とバスケットボール部が一緒にランニングを開始していた。それぞれユニフォームを着ていたから判別できたわけだが、隼人は不思議な気持ちになる。

(競ってやってるのかな?)

 室内と外という違いはあるが、同じように体力勝負なのか。入学して少ししか経っていないが運動部のこうした光景は目に入った。運動系は最初の準備運動やランニングなどスペースが被っている部分は一緒にやる傾向にあるらしい。これも栄水第一の運動系部活への取り組みなのだろうか。

「おまたせー」

 井上の声に振り返ると、教室の扉を開けたところに井波も一緒に立っていた。どうして一緒にいるのか問いかけようとしたところで二人の苗字から同じ掃除場所だったと思い至る。

(なるほどな。あっちとはもう話が付いてたんだ。だから俺に案内をすると言って来たわけだ)

 そう気づいて言葉を止め、机から降りる。自分の席の鞄を取って二人へと近づき、言う。

「さ、早く行こうぜ」
「……なんかやる気になってないか?」

 井上の問いかけに隼人は悪びれず答える。

「俺はあまり自分からは動かないが、好きなことに便乗するのは好きなんだ」
「……調子いいなぁ」

 井上は呆れ、井上は笑うだけ。隼人は心にある違和感を消すためにあえて口で嘘を言い、二人を促す。流れに乗れば、変なことは考えずに済む。そして、実際にバドミントンをしてみれば心の違和感は消えるはずだ。それを信じて、今は進むだけ。そう決めていた。
 そのまま三人は職員室へと歩く。その間に井上はバドミントン部顧問について語りだした。

「えーと。顧問の谷口先生は国語の先生だよ。私たちはもう一人の高田先生に習ってるから面識あまりないよね。元々大学までバドミントンやってて、凄く強かったんだって」
「凄くってどれくらい?」
「なんか、実業団でも活躍できるくらいだったらしいよ。昔のバドミントンマガジンにも乗ってた」
「はー凄いな。バドミントン雑誌ってあったんだ」
「井波君。驚きどころ違くない?」

 前を歩く二人の会話を聞きながら隼人は情報を整理する。
 谷口静香という名前で思い出せる大学の選手は、自分がまだ小学生の頃に買ったバドミントンマガジンに乗っていた。確か、インカレ――インターカレッジ――で女子シングルス二位を取っていたはず。そうなれば今は――

「あの先生、若く見えるけど何歳?」
「三十歳かな。そうそう。先生に年齢のこと言うと蹴られるよ」

 自分が考えようとしていたことを先に井波と井上が解決していた。
 職員室に着き、井上が先頭で静かに入る。中学でも職員室に入るというのは年に数回あれば多いほうだった隼人には、その雰囲気が微妙に苦手だった。名前と顔が一致している教師よりもそうではない人のほうが多い。井上や井波の後ろに隠れるように隼人は机の合間を縫って進んでいく。そして目当ての人物が見つかったのか、立ち止まった井波の背中にぶつかった。

(いてて……あ)

 井波の背中から顔を出すと、井上が話しかけている先生が見えた。
 腰まであるロングヘアは黒く瑞々しい。顔は美人とまではいかないが、目が小さく少し垂れているように見えて、おっとりとした雰囲気をかもし出している。女性教師にしては珍しく、パンツスタイルの紺の上下スーツを着ていた。

「っで、後ろの二人が話があるそうです」

 簡単に説明をしたのだろう。井上は下がって井波と隼人の後ろに回った。自然と井波と一緒に先生の前に立つ。椅子に座っていることもあるだろうが、自分たちより身長が低いためにかなり見下ろす形になった。

「えーと。D組の井波真比呂君と高羽隼人君ね。二人とも、昨日ちょっとだけ体育館来てたっけ」
「あ……見られてましたか?」
「卓球部に不釣合いな身長だしね、井波君は。あと高羽君は、うちの月島のプレイに釘づけだったし」

 同時に井波や井上からの視線がきつくなる。そこまでばれているとはと隼人は内心で焦りつつ、返答する。

「中学時代バドミントンをやってた身としては……月島先輩のプレイって凄いなと思ったんです」
「そうね。うちで唯一の全国区だし。二人とも全国出場経験は?」
「ありません」
「俺はバスケでならあります。一回戦負けでしたが」

 隼人も井波も正直に答えると、谷口は井波の回答に眉をひそめた。それを見て、隼人も疑問を感じた。

「どうしてバドミントン部に? バスケやればいいのに。まさかバスケに挫折してバドミントンならいけるって甘い考えじゃないでしょうね?」

 谷口の言葉は初めて会うとしても、教師と生徒という関係にしてもきつめの言葉だった。だがそれはバドミントンをやっている身としては隼人も理解できる。中学時代、似たような考えでバドミントン部に入る男女が多かった。特に女子にその傾向が強い。
 手軽にできると錯覚して入部し、数か月でその辛さに辞めていく。隼人が経験したので一番印象的だったのは、中学二年次。一年生女子が八十名入って二か月で五人になったことだった。五人は誰もが経験者という散々な結果だった。

(井波は……どうしてだろうな)

 最初は井波の言う通り、月島奏目当てだと思っていた。しかし全国制覇を掲げるところからも、どこか信じきれない部分もあった。それが井波の言葉で更に違和感が募る。一回戦負けとはいえ全国まで行ったのなら、バスケ部でもおかしくはない。バスケよりも月島が良いという男には見えなかった。
 そんな隼人の内心を知らずに、井波は答える。その言葉はあっさりとしていた。

「兄もバドミントンやってるから前から興味はありました。でも、決めたのは、月島先輩を見て、こんな風に打ってみたいって思ったんです。そう思ったら、もうバスケよりバドミントンでした」

 井波の回答に曇りは無い。隼人はその回答に、懐かしさを感じていた。
 始めた当初の自分も、人のプレイに憧れて、同じように打ちたいと思ってはまっていたのだと。そして今回も、月島のプレイを見てまたバドミントンをやってもいいと思うようになった。それほどまでに、月島の影響力があったのだろう。

「バスケももちろん好きです。でも……先に月島さんのプレイを見てしまったので、仕方がないです」
「……月島もモテモテね。了解よ。部の作り方を教えるわ。と言っても休部だから作り方って言うよりは復活条件ってところね。で、条件がそろったら私が顧問になってあげる」
「おっしゃ! ありがとうございます! で、条件って?」

 井波の問いかけに谷口は指を一本だけ立てて答える。

「顧問がつくこと以外で、部に必要な条件は大きくは一つだけ。部員が五人以上であること」

 谷口の言葉はメモするまでも無く簡潔だった。
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