一度チョコを俺から引き離し、鞄に入れる中村。



「高瀬君……まだ、私のこと、好きでいてくれているの?」



 前に中村と一緒に帰った時、答えを言う前に一紗ちゃんが来たから言えなかった。

 前と同じ質問。今度は遮る人はいない。

 俺は伝えた。おそらく、その先に帰ってくる中村の言葉も、真実だと思うから。



「ああ。まだ好きだよ。告白した時よりも」



 正直な気持ち。十月に振られてから今までで、俺の中で更に膨れ上がっていった気持ち。

今なら自信をもって言える。前よりも中村のことが、好きだと。



「そうか……どうして、かな?」



 俺の言葉が本当に信じられないんだろう。

 理解出来ないものを見るように俺に瞳を向けてくる。その後に聞きたい言葉を引き出す

ために、俺は言った。



「中村は、俺を嫌ってはいないだろ? それに、あの時は『まだ』って言った……だから

俺も諦められないんだよな」

「そうかぁ」



 感慨深げに呟く中村。俺から視線をそらして空を見上げる。

 あと、一歩だ。



「俺も聞きたいよ、中村」

「なに?」

「お前はどうしてそこまで好きになれないんだ? 人を」



 さほどショックを受けたようには見えなかった。自分でも自覚しているからだろうが。

もちろん、俺は理由を知っている。青島から聞いたから。

 でも、中村の口からは聞いていない。

 彼女の口から直接聞いてこそ……何かが変わるはずだ。前に進めると思う。



「昔ね、好きな人がいたんだ」



 中村の口から、昔のことが語られる。扉が、開く。



「三村昇君って言ってね。小学生のときからずっと一緒で……わたし、その人のことが好

きだった」



 青島の言葉のリフレイン。

 でも、それは前とは全く別の物だろう。

 それは傍観者からじゃなくて、中村自身から語られるものだから。

 ずっと好きだったこと。

 告白して、付き合うようになったこと。

 青島から見た彼女じゃなくて、中村から語られる三村とのやりとりは、あまりに嬉しそ

うで嫉妬してしまうほどだった。

 でも、それは全て過去のことで。

 過去を昨日のことのように語る中村の瞳は、どこか虚ろだった。

 これから先に言う言葉のために、心にフィルタをかけたみたいだ。



「それでね、デートをする事になったんだよ。わたしの誕生日に」



 きた。そこで、三村は死んだ……。道路を渡ってきた三村に、中村が声をかけて――



「その日ね、夜遅くまで私たち話してたんだ。だから、三村君も眠かったのかもしれない

……寝坊して、急いで待ち合わせ場所に来たんだ」



 言葉を紡ぎながら俺の前を通り過ぎる中村。

 ゆっくりと歩くその先には特に何も無い。目的地がないからか、突然Uターンしてまた

歩き出す。ふらふらと足を踏み出しながらも言葉は揺るがない。



「わたしはちゃんと起きて行ったんだよね。そして、待ってた。少し遠くから来る三村君

を見て、『はやくー!』って叫んだの」



 その声に答えて、三村は走る速度を速めたんだろう。そして――



「三村君ね、横断歩道の真ん中で靴紐がほどけそうになってたの」



 聞いて知ったことと違うもの。

 そこから、全てが終わった後から来た青島には分からなかった事実。

 そして……青島に語らなかった中村の真実。



「わたしね、言ったの。『転んじゃうよ!』って。三村君は一度止まって大丈夫って言っ

たんだけれど……笑いながらその場でかがんだの。わたし、気づかなかった。わたしも、

三村君も気づかなかった。青信号にトラックが来るなんて」



 声が、崩れた。

 気づくと中村の顔を見ることを止めていた。はっとして視線を戻すと、涙を流しながら

俺を凝視する中村と目があう。

 初めてだった。ここまで感情を表す中村は。



「わたし達は! 気づかなかったっ!」



 静けさの中を絶叫が駆け抜けた。

 とめどなく涙を流す中村を、俺はただ見つめていた。

 青島が怪我をした体育大会の時、激しく怒った中村を見たけれど、今の彼女を見たなら

ば、あれも本当の中村じゃなかった。

 俺は今、初めて素の中村を見ている。

 フィルタを通さずに伝わる中村の気配。

 青島から話を聞いて、俺は彼女が自分を偽らずに接してくれることを望んだ。

 その結果だ、これが。

 声もなく俺に近寄ってきた中村は、少し勢いをつけて俺にぶつかってくる。

 そのまま拳を作って何度も俺を叩いた。そんなに力もない。俺のコート越しにかすかな

衝撃が伝わってくるだけ。

 でも、中村の痛みが心に伝わってくる。

 しゃくりあげながら、叩き続ける中村。もうどれくらい言葉を発していないんだろうと

考えて、まだ数分しか経っていないことに気づく。



「中村……」



 名前を呼ぶことしか、今は出来ない。

 でも俺の声に反応して、動きを止めた。

 叩き続けていた手は、今度は思い切りコートを掴む。



「ごめん。暴走した」



 掠れた声でそう言って、俺の身体から離れようとする中村を、俺は肩口を掴んで引き止

める。俺の行為に驚いたのか、はっとして顔を上げた。

 目には動揺の色が見える。今まで少しも見ることが出来なかったもの。

 こうして見ると、今までの中村には見て取れなかったものがどんどん分かる。

 今、完全に中村は自分を隠すことを止めていた。余裕がないんだろう。



「もっと話せよ……正直、俺はお前の辛いことを完全には理解出来ない。でもさ……はけ

口くらいにはなれると思ってる。俺も、青島も、支倉も信も翔治も!」



 ずっと中村の瞳を覆っていたもの。

 他人と交わることへの怖さ。不安。

 それが、少しだけ薄れていくのが分かった。



「そう思えとは言わない。でも……もう少しだけ、俺達を信じてもいいんだってことは、

覚えておいてくれないか?」

「……そうだね」



 中村の言葉に含まれる安堵。俺もその気配に安心して手を放した。

 それと同時に少し俺から離れて、まっすぐに立つ。



「一紗にも同じこと言われたよ」

「……そうか」

「一紗にね、言われたんだ。『高瀬さんにチョコレート渡していい?』って」



 それはいつのことなんだろう? 中村の語り方はつい昨日のことのように思える。中村

を通して伝わる一紗ちゃんの言葉。言葉通り受け取るならば知り合いにチョコを渡す、た

だそれだけのこと。でもそれ以上の意味を持っているように思えた。



「あの娘にいいっていわれたから言うけれど……一紗ね、高瀬君のことが好きらしいんだ」

「……え?」



 唐突な告白に、馬鹿みたいな声を出してしまう。

 中村も俺の声に笑って、今まで会った緊張が少しだけほぐれた――気がする。



「『お姉ちゃんは高瀬さんが好きなの? 友達としてだけなら、わたしが告白しても良い

よね?』ってさ……一紗って本心をなかなか表に出すほうじゃないのに、こういうときに

は強いんだ……梓よりもわたしに似てるよ」



 そこで言葉を切って、どう言おうか悩むように視線を迷わせた。空を見上げる中村につ

られて俺も空を見上げた。

 いつもならば街の光に遮られて見えない星が、今はいくつも瞬いていた。いつも見えて

いるオリオン座の他にも、様々な星座を形成できるほどに、多くの星がある。



 まるでプラネタリウムだ。



「一紗にそう言われて……わたし、嫌だと思った。どうしてか分からないけれど、嫌だと

思ったんだ。その前にも裕美と一緒にいる高瀬君を見て、よく分からないけれど怒っちゃ

ったんだ……」



 それを聞いたとき、俺の中に何かが広がっていく。

 甘くて、幸福に満たされるような感覚。

 それは……もしかして……。

 中村はどうやら否定の言葉を続けようとしたのだろうけど、口の中で「やっぱ駄目だ」

と呟くのが聞こえた。



「分かってないって言ったけれど、多分、答えは分かってるんだと思う。ただ、認めたく

ないんだ。……どうしても、昔を思い出してしまうから」

「思い出すのは、悪いことじゃないよ」



 はっとして俺を見る中村に近づいて、俺は言う。中村は自分を責めてる。好きだった人

を殺したのは自分だと思って、過去の衝撃を思い出す自分は駄目なんだと責めてる。

 だから明るく振舞うことで、自分の心を閉じ込めた。

 でも――



「俺達さ、まだ高校生だぜ? いや、大人でも辛いことを断ち切って生きる人も少ないん

じゃないかな?」



 一歩、足を踏み出して中村に近づく。



「俺のことをどう思うか、ってことよりもさ。もう少しだけ、本当の中村を見せてほしい

な」



 気配が、変わる。

 中村を包んでいた何かが、消えていくのが分かる。



「……分かった」



 そう言って中村は、チョコを取り出した。

 チョコレート色の包装紙に包まれていたチョコ。まるで店に売っている物のように丁寧

に包まれている。中村の言葉を信じれば、これは彼女の手作りとなるわけだけど……。



「買ったんじゃないよ、本当に」



 チョコを見ながらしばらく黙っていたからか、中村が勘違いをしたようだ。いや、確か

に作ったのか買ったのか迷ったんだけれど。



「一紗と一緒に作ったんだ。一紗はピンクの包装紙なんだよ」



 差し出されたそれを、今度はすんなり受け取った。受け取ると、何か感激が生まれた。

周囲が寒いのと、今までの話が重たかったことで本来なら嬉しいだろうチョコをもらうこ

とが少し薄れていた。

 でも、中村も何かを吹っ切ったようにチョコを差し出してきた。そのことで、ようやく

普通のバレンタインデーのような雰囲気になった。



「ありがとう、嬉しいよ」



 自然と洩れる言葉。

 中村の笑みに、俺は寒さに赤くなった頬が更に赤くなったことが分かった。



「正直、高瀬君のこと好きかもしれない。あの時言ったこと、あれは……本当なんだよ。

信じてくれないかもしれないけれど」

「信じるよ。そのほうが俺には嬉しいし」



 付き合うとしたら俺だと言ってくれた中村。あの時もまだ、俺に心を開いてはくれてい

なかったんだろうけれど……それを本当だと言ってくれた。



「まだ……高瀬君を好きになるのは怖い。まだ、あの時の衝撃は残ってるから。でも、で

もね……少なくとも友達としてあなたを失いたくないんだ。支倉君や翔ちゃん。武田君…

…裕美よりも」



 次に来る言葉。

 俺が……多分だけれど、一番望んでいる言葉だ。

 中村と恋人にはなりたいけれど、今、一番求めている物。



「高瀬君。わたしの、友達になってくれますか?」



 その言葉を聞くのは三度目だ。

 入学して初めと、夏休みと、そして今。

 でもその言葉が紡がれるたびに、その重さが変わっていった。

 今、この場での言葉には……中村の精一杯の想いが詰まってるんだろう。



「こちらこそ、お願いします」



 俺の言葉に微笑んだ中村へと近づいて、一瞬で抱きしめた。

 急な行動に身体を硬直させたようだったけど、すぐに力を抜いて俺に体を預けてくる。



「あったかいね」

「……そうかな?」



 鼻先に雪が当たる。徐々に雪が強くなる中で、俺と中村はしばらく一つになっていた。



* * * * *
 クラスのみんなで一斉にゆっくり体育館から退出する。  一年と二年だけの終業式。三年生は三月の初めにもう学校からは消えていた。  すぐに最高学年になる二年生の後ろをついていく俺達。一年と三年に挟まれることにな る……微妙な俺達。  廊下をぞろぞろと歩いていき、自分のクラスに着く。  先生が来るまではまだ時間があるからか、みんなはこれから先、春休みの遊びの予定を 話しているらしい。  俺は俺で窓際の席に座って眠気と戦ってる。  昨日は良く眠れなくて、あくびをかみ殺しながらほお杖をついていた。 「眠そうだね」  隣の席に座る中村が笑みを浮かべながら話し掛けてきた。昨日の夜に面白い小説を読み 終えたとかいうメールを送り続けてきた張本人とは思えない。  中村も同じくらい寝てないはずなのにどうして普通なんだろうか? 「中村はどうして眠くないんだ?」 「わたし? 眠いけどあんまり表に出てないだけ」  得な素質だな……。俺はそう思いつつ口には出さない。眠気のほうが勝っていて、耐え 切れずに机に突っ伏した。  中村も特にそこから話し掛けてはこなかった。ただ、声だけが聞こえた。 「折角隣の席になったのにもう終わりか〜」  その言葉が聞こえてちょっと嬉しかったけれど、やっぱり俺は眠りに落ちた。  バレンタインデーが終わって、一紗ちゃんからもチョコをもらって。  結局、中村との距離は友達のままだった。でも、前と違うのはメールのやり取りが増え たこと。他愛のないことでもメールがくる。それに俺も他愛もない言葉を返す。  特に意味のないことなのかもしれないけれど、その時の空気が俺は好きだった。  きっと青島もこんな会話をしてきたんだろうなと素直に思える。  青島と同じ場所に、俺は来た。後は、その先に進めるかは……俺次第と言うことだろう。  一紗ちゃんのこともあるし……二年も大変かもしれない…… 「高瀬君。先生来たよ」  囁いているけれど、強く俺を起こす声。  はっとして顔を上げると荒木先生がすでに教卓についていた。廊下側からゆっくりと顔 をめぐらして、最後に窓際へ。ちょうど目が合って、先生はにやりと顔を歪ませた。  なんとなく額に手を当ててみると、ちょっと熱を持ってる。  おそらく赤くなってるんだろう。  恥ずかしさの中でも関係なく、先生は話を続けていく。  そして―― 「――あ〜、これで最後のホームルームを終わる。お前達も四月からは二年生だ! 今度 も担任になるかもしれないやつはよろしくな! そうじゃないやつは、新しい学級で頑張 ってくれ! 以上!」  荒木先生は最後に張りのあるいい声で俺達を激励し、教室から出ていった。勢いよく開 けた横開きのドアが戻ってきて先生に直撃し、痛さにうずくまる。帰る事も忘れてしばら くうめいている先生の背中を見ていたが、やがて立ち直って去っていった。  静寂に包まれていたクラスが、すぐに活気を取り戻した。今は正午を回ってすぐだから、 これからご飯を食べてカラオケに繰り出すという友達が何人もいる。  俺達もその一人だった。 「高瀬君の歌聞くのって久しぶりかもね」 「あー、そう言えば二月の間って行ってなかったよな」  俺と中村と青島。三人で待ち合わせ場所の玄関に向かう。時間差はあってもほぼ同時刻 にホームルームは終わったようで、信も翔治もすでにクラスにはいなかった。 「今日は御堂聡子の新曲歌うぞ〜」 「わたしも新曲仕入れたし、渚! 勝負しようか〜」 「カラオケの採点機ってなんか微妙なんだよね〜」  俺の後ろではしゃいでいる二人。  やっぱりいつでも休みに突入する時はみんな浮かれるんだ。  俺も何か浮ついた気持ちになる。 「あ、忘れ物した! 玄関行ってて!」  青島はそう言ってきびすを返す。やっぱりテンションが高い。俺と中村は了解の合図を して玄関へと歩き出した。 「ねぇ、高瀬君」 「なに?」  隣を歩く中村の顔は見えなかったけれど、言葉には少しの不安が浮かんでいた。その声 は今まで何度も聞いてきたものだから、いつの間にか分かるようになっていた。 「もう二年生だね……いろいろ、変わっていくのかな」 「そうだろうな。後輩も入ってくるし、勉強も大変になるだろうし、中村も合唱部では中 心になるだろう?」 「そうなんだよね。本当、どんどん変わっていきそう」 「でも変わってほしくないものもある」  俺の言葉に中村がこっちを向くのが気配で分かった。後ろから誰かが走ってくる気配も。 だから俺は、素早く囁いた。 「いつまでも、友達関係でいたいよ」  誰と、とは言わない。それは中村も分かっているだろうから。 「ごめん! あ、武田君達も待ってるよ!」  追いついてきた青島が指差した先には、信と翔治が手を振っていた。青島に引っ張られ て俺と中村も早足になる。 「ようやく来たなー!」 「遅いぞ〜」  翔治と信の抗議の声もどこか楽しそうだ。  そう、明日から……今日からもう春休みだ。これから先に進む前の休息期間。  来年も再来年も続いていくんだろう。周りを取り巻く状況が変わっても。  二人のところに着いて、五人がそろう。  あと一人いないような…… 「おーい! 待ってくれよっ!」  俺達が来た方向から支倉が慌てて走ってきた。それを見て笑いながら俺は少し先の未来 に思いをはせる。 (とりあえず、来年の今頃もこうしてたいよな)  来年は大学受験だろう。でも、俺達はこうしているだろう。  確証はないけれど、確信できる。  俺達は、ずっと友達だ。 「何ぼんやりしてんだよ〜」  気づくと、他の五人は自分の外履きを持っていた。思ったよりも考え込んでいたらしい。 「ごめん。ぼーっとしてたよ」  俺も自分の下駄箱から靴を取り出して、履き替える。薄情にも俺を待たずに四人は外に 出ていた。  中村を除いて。 「早く行こうよ」 「もう少し……おっけ」  立ち上がろうとして、腕が引っ張られる。突然手を中村につかまれて心臓が高鳴った。 「ほらっ!」 「……ああ」  繋がる手。  これがずっと繋がっていてほしいと思う……。  青島や支倉、信や翔治達よりもずっと強く、繋がっていたいと、思った。
『プラネタリウム・完』


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