「さて、もう少しだな」

「何が?」



 例によって支倉は唐突に言ってきた。昼休み。俺は弁当に入っていたから揚げを箸で摘

み上げたまま固まった。全く意味が分からない……かと思ったけれど、二月にある「もう

少しだな」には一つしか思い当たらない。



「節分は明日だぞ?」

「そう言うと思ったよ兄弟。無論違うぞ」



 ガラナ臭い息を吐いて支倉は遠い目を外に向けた。俺達が座っている場所は窓際。つい

最近、急に行われた席替えによって俺達は窓際の列に前後で座ることになったんだ。おか

げで休み時間全て、支倉とトークを繰り広げている。

 中村は何か合唱部の催し物の準備だと言うことで昼休みは音楽室に行ってるようだ。だ

からか青島も違う友達と弁当を広げて話している。



「俺達はいろいろと校内大会で活躍しているから、もしかしたらチョコは多めにもらえる

かもしれないぞ! これは一瞬だけもてもてになるチャンスだ!」



 支倉は拳を震わせてやけに気合を入れていた。俺は中学時代も少しは校内行事で活躍し

ていたけれど、チョコは友達数人から義理でもらうくらいだった。告白と一緒にも数個き

たけれど。

 だから支倉の考えに素直に賛同はできない。

 そこを指摘しようとも思ったけれど、そこまですることはないかな。



「ま、頑張ってくれ。俺は甘いもの少し苦手だし」

「お前なぁ! 心がこもったチョコレートなら義理だろうが本命だろうが変わらん! な

らもらったなら義務として食べろ! お前はきっとチョコの海に埋もれることだろう!」

「あー、そうだといいな」



 弁当を片付けてから俺はあくびをした。腹が膨れて血液が胃に回ったのか、眠くなる。

 それで支倉への返事はおざなりになった。不服そうな空気は伝わってきたけれど、俺の

眠気に気づいてくれたか、ガラナ息をわざと吹きかけてから前を向いた。次の授業までに

少し寝ておこう。



「ちょっと、高瀬君」



 机に突っ伏した俺に近寄ってきた誰かが囁きかけてくる。声に聞き覚えもあったから顔

を上げた。思った通り青島だ。



「渚のことでちょっと気になることがあるの」

「……」



 俺は無言で頷くと、ゆっくり立ち上がって背伸びをした。そうやって身体をほぐしてか

ら教室の外へと出る。後ろからは青島がついてきた。

 支倉がついてくる気配がないことを確認して、トイレの傍にある水飲み場で青島と向か

い合った。



「どうした?」

「少しね、渚が変なのよね」



 中村が変……でも中村は実は結構変なように振舞っているじゃないか。それも自分の暗

い部分を隠すために。

 もう少しで一年が終わろうとしているけれど、すでに中村の位置は「可愛いけど少し変

な女の子」ってところに固まってるみたいだった。イベントが近づくたびに告白する男子

が出てくるけれど、さすがに人数は減ってきていたらしかった。それは外見の可愛さより

も少し変わった性格を許容できるか出来ないかを考える男が増えてきたということだろう。

 ……正直、中村と付き合うのはかなり大変だと思う。

 俺もまだ諦めたわけじゃないけれど、どうしたら最後の一歩を踏み込めるか分からない。

 俺は俺らしくするしかないんだけど。



「具体的にどこが変なの?」



 青島は少し黙って虚空に目を向けた。

 どうやら上手く言葉で説明しようとしているらしかったが、ため息とともにそれを諦め

たらしい。



「上手く言えないから昔からの例というとね、この時期、渚ってチョコレートをむやみに

配ろうと誘う頃なのよね」



 青島の話では、中学の今の時期はクラスの男子全員に義理チョコを配っていたらしい。

そろそろバレンタインデーだからチョコが売り出される。中村はチョコを作るために市販

のチョコを買い溜めるらしかった。



「今は合唱部でも何かイベントがあるようだし、それに集中しているからじゃない?」

「でも……今年に入ってからちょっと違和感あるのは確かなんだ……」

「そう言えば、そうか」



 俺は新学期が始まってから今までの中村の行動を思い返してみた。

 それまでの中村と、今の中村の違い……。

 少しだけ、クラスの皆に対する目線が変わったような気がする。



「前よりも、なんか本音を出してるって感じかな」

「いい傾向なのかもしれないけど、逆に不安」



 青島は中村が傷を負ってからずっと友達でいるから、中村の変化が嬉しい反面ぶり返し

が怖いのかもしれない。俺は自然と笑って言った。



「中村は大丈夫だよきっと。まあ、俺達はいつも通りいるしかないさ」

「……そうだね。ありがとう、高瀬君」



 ようやく笑った青島も充分可愛かった。思わず顔を赤らめてしまう。



「二人でラブラブモード?」



 そこに少し不機嫌な声が割り込んできた。顔を向けると、腰に手を当てて顔を膨らませ

た中村がいた。

 明らかに不機嫌な中村の顔。

 その顔に俺はやっぱり違和感を覚えた。

 どうして青島と話しているだけでこんなに怒られるのか?



「いや、ラブラブじゃないぞ?」

「でもでも……裕美は結構人気高いんだよ? 最近、たまに告白されてるの見てるんだか

ら!」



 中村を怒らせているのは何なのだろう?

 前から青島と俺が話すなんて機会はあったのに。女子の中で中村以外だったら間違いな

く青島と話している。それは中村に関することが多かったけれど。



「まあまあ、渚。別に高瀬君とラブラブになろうとは全く思ってないから安心してよ」

「本当?」

「そう言われると俺としては悲しいんだけれど」



 俺のささやかな抗議には耳を傾けずに、女の子二人はさっきまでの険悪な空気からは考

えられないように明るく話しながら歩いていった。俺はそのままその場に残って水飲み場

に並ぶ蛇口をひねる。

 凍結しているかと思ったけれど、ちゃんと水は出た。口に含むととても冷たくて、喉の

奥から潤されていく。

 そのまま頭もすっきりした。

 そこで中村の違和感にようやく気づく。

 ただ、それを言うことが何か自分に奢っているような気がして、言い辛い。



「まるで青島さんに嫉妬しているみたいよね」



 言おうとした言葉を、後ろから言われてしまった。しかも、あまり聞きたくない声だ。

最近全く聞いていなかったのに……どうして今になって。



「三上」



 振り向くと、三上はるかが立っていた。なんかデジャビュを感じる立ち位置。



「何よ。バレンタインデーに奮発して高瀬君の心変わりを狙おうと思ったのに、もう中村

さんといい感じなんじゃないの」

「いや、そんなことは――」

「この後に及んで否定しなくてもいいじゃない」



 三上はそのまま名残惜しそうに俺を見ながら去っていった。気づくとチャイムが鳴って

いて、俺も慌ててクラスに戻った。

 言い様のない不安が広がる。



(そんな素振りが全くなかったはずなのに、どうして今になっていきなり態度が変わる?)



 おそらく中村の過去を知らなかったままならば、嫉妬してくれてる中村を見て嬉しかっ

たのかもしれないけど。



(何もなきゃいいけど)



 何とか先生が来る前に教室に戻って席についた。



* * * * *
 今月のバレンタインデーは月曜日。  そう言えば中学の時にちょっともらったチョコが当日じゃなかったのは、前とその前が 土日だったからだったと今更ながら気づく。 「さーて、どれにしようかな〜」  前を歩く中村。必然的に見える背中。中村が感じている嬉しさが伝わってくる。  二人だけでこうして買い物に来ているのは嬉しいんだけれど……。 「どうして俺はここにいるんだ?」  積み上げられたチョコを手にとって、中村は俺を振り向いた。顔には疑問符が浮かんで いる。何を言っているのかといわんばかりに。 「そんな顔しても……だって、いきなりついて来てとか言われたんだぞ? どういうこと か説明してくれよ」 「この周りを見たら分からないかな?」  わざわざ両手を広げて周りを示してくれる。その動作に他の買い物客が中村に注目して いた。当然、男でここに居るはずもない俺にも視線が集まる。学校帰りなこともあって同 じように制服来た女の子達が多い。  少し身体を小さくしてうつむいた。 「だから、どうしてバレンタインデーのコーナーに、俺がいるんだ?」  中村にささっと近づいて、小声でも叫んでいた。  中村の話によると、いつもは青島と材料を買いに来て、前々日くらいに作るらしい。今 回は土日を挟むからより気合を入れるそうだ。そのためにも材料を大目に買う必要がある。 だから、男手がいる、という流れらしい。  ということは……俺は荷物持ちかそうか。 「納得できないんだが」 「そう? 高瀬君にはより気合入れて作るから我慢してくれない?」 「より気合って――」  そこで言葉が途切れた。中村は会話は終わりということで材料探しに専念している。心 に過ぎった思いに胸が詰まる。  より気合を入れて作るという言葉に、特別なものが含まれてると錯覚してしまう。 (中村はそんな意味で言ったわけじゃない。これに付き合ってくれたお礼としてだよ……)  優しい言葉に期待する。  中村の特別になりたい。  俺自身の意思でそう思うのは勝手だけれど、中村の言葉の裏を読んじゃいけない。  本当は、好きでいることも駄目かもしれないんだから。 (振られてるってこと、忘れがちだよな)  一度付き合ってみて、やっぱり駄目だと言われた。  思い切り拒絶されたわけじゃないけれど、確かに一線を引かれたはずだった。  それから前までと同じような月日が流れて……もうすぐ二年生になる。 (もう一度、告白してみるかな)  自然と気持ちが現れていた。 (って、何を考えてるんだよ!)  俺は頭を振って浮かんだ考えを振り払った。中村とのスタンスはしばらくは友達でいい んだ。正直、徐々に中村は心を開くようになってるとは思ってるけど、まだまだ足りない。  二月中に中村と俺達の間が一気に縮まるとは……思えないし。 「ぼんやりしてるね」  突然声が近くに聞こえて、俺は声を上げそうになる。  必死にこらえながら視線を少し上げると、中村の顔が間近にある。  そして手に持っていたカゴを俺の手に握らせた。 「……こんなに?」 「うん。合唱部の皆にも渡さないといけないし」  中村に手を引かれてそのままレジへと。レジで応対した女の子もおそらく高校生だろう。 俺達二人を少し睨みつけるように見ていた。彼氏彼女にでも見えるんだろうか。  代金を告げる声が少し強張っていたところも、それでいいのかと思う。 「今の娘、どうしてあんなに怒ってるんだろう?」  返答は出来なかった。  たくさんのチョコ原料が入った袋を下げながら中村と歩く。  最近、三年生を送るために一、二年生で出し物を計画しているらしい。その内容は教え てくれなかったけれど、かなり楽しそうに話してくれる。  こうやって二人で帰る時の空気は、何か学校で一緒にいる時とは違って不思議な感じが する。  このまま……時が止まればいいのに。 「どうしたの?」  気づくと俺は、中村の手を取っていた。  自然と足が止まる。中村は俺を不思議そうに見ている。  いつもなら人通りが多い道を通っているのに、今は誰もいなかった。遠くを通る車の音 がかすかに聞こえてくる。  何も、言えない。頭がぼんやりとして、単純なことしか考えられない。  俺は、中村を抱きしめていた。 「高瀬君!?」  中村は驚いて俺から離れようとしたけど、背中に手を回して思い切り力を込めている俺 からは逃れられない。少しだけじたばたとしていたけど、やがて中村は動きを止めた。  自分を落ち着かせるように息をゆっくりと吸い、吐いてから俺を見てくる。 「ちょっとだけだよ」  中村の胸の前で組まれていた手が、俺の背中に回る。  遮るものがなくなって、俺達の体は密着した。ちょうど俺の鼻が中村の頭部にあたり、 いい匂いがする。  そのまましばらく、俺達は抱き合っていた。


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