紅白歌合戦が赤組の勝利に終わったのを見届けてから、俺はコートを着込んだ。

 部屋を出ると、みなほも同じように外に出る準備をしていた。相手は信だろうから、特

に突っ込みはしない。



「別に朝帰りしてもいいぞ?」

「な――」

「牛丼屋でも寄ったりカラオケ行ったりしてさ」



 顔を真っ赤に染めてみなほが震える。何かを言おうとしていたが、俺がさらに言葉を続

けたことで何も言えなくなったようだ。

 口をぱくぱくさせて固まった後で、俺を睨みつけてきた。

 一体何を考えたのか。

 まあ追求するのも意味ないし、亜季との待ち合わせにはあまり遅れたくないからな。



「んじゃ、あっちで会えたら会おう」



 後ろから来る殺気に近いものを特に気にせずに、俺は家を出た。







 冷えた空気の中を歩くのは好きだった。雪が降ったりした後は空気中の埃がなくなって

空気が澄むんだって前に聞いたことがあったけど、やっぱりそれが理由だろう。

 昔からもうすぐ年が変わるって時は出歩いている人が少なくて、神社に近づくにつれて

多くなるから、家から出てすぐは本当に誰もいない。

 そして雪も降らないから、雪を踏みしめる音がしっかりと耳に入ってきて心地いい。

 遠くから車が走る音がかすかに耳に届いた。



「あと……十五分」



 待ち合わせ場所まで五分とかからない場所に来て、腕時計を見る。

 もう少しでカウントダウンが始まって、神社では新しい年を祝うんだろう。

 でも、別に今日から明日になっただけで特に変わりはしないはずなんだよな。

 変わらないはずだけれど……新年を俺達は嬉しく思う。



(変わらないんだけど……やっぱり変わるんだよな)



 何となく難しいことを考えている気がして、俺は頭を振ってその考えを消した。

 考えても意味がない。

 祝いたくなるんだから、それでいいじゃないか。



「何、難しそうな顔をしてるの?」

「おわ!?」



 いつの間にか亜季が目の前に立っていた。俺は歩き続けていたから誤ってぶつかりそう

になるのを回避するために、横に飛びのいた。

 ――そして、滑った。

 踏みとどまれずに尻もちをついたけれど、周りには人はいなかった。

 いるのは大笑いをしている亜季だけ。



「なななな、なに滑ってるの!? 初こけ? 初こけ?」

「そんなに連発するな! どちらかと言えばラストこけだ!」



 俺は恥ずかしさを抑えきれずに叫びながら立ち上がった。ちょうどそこで亜季が時計を

見る。

 俺も釣られて時計を見ると、秒針が十二時を回っていた。



「……あけまして」

「おめでとう」



 二人同時に言っていた。







 神社に向かう道を進んでいくと、徐々に人が増えていった。神社は坂の上にあるため、

少し深めの雪が足にまとわりつくと中々歩きにくい。それでも隣の亜季は笑いながら歩い

ていた。



「これで普通に雪降ってきてたら、雄太も大変でしょー」

「んー、雪は好きだけどね。確かに傘もないし雪まみれは嫌だな」



 亜季の顔を見て言ってから視線を前に移すと、数組のカップルが目に付く。思いついて

周囲を見回してみると、やっぱりカップルの姿が多かった。家族連れはほとんどいない。

カップルか、同性で来ている人達で道は占められていた。



「私達ってカップルに見えるのかな?」

「どうだろうな」



 さらりと言ったけれど、内心はかなり緊張していた。

 亜季と付き合ってもデートに出かけるなんてこともほとんどなかったし、ある意味あの

頃よりも恋人らしいことをしている気がする。

 自然と顔が熱くなってきた……。どうして今頃亜季といることに緊張するんだろう?



「カップルに見えるのもいいかもね」



 亜季はそう言って、俺の手を両手で抱え込んでいた。バランスを崩して少し前にのめる。

俺は怒ろうと思ったけれど、腕に身体を密着されているからか、コート越しに亜季の胸の

感触が伝わってくる……気がして、声が出ない。



「あ、エッチなこと考えたでしょ?」

「馬鹿なこというな!」



 思わずみなほのようなことを言ってしまった。

 亜季は俺の顔を見てくすくすと笑っている。



「雄太は顔に出やすいねぇ」



 明らかに馬鹿にされているけれど……悪意は全くないから悪い気はしない。

 結局、手を両手で包まれたまま歩く。

 本当に恋人同士っぽいけれど、これはきっと、その関係では出来なかっただろう。

 俺達二人の間にある空気は、友達っていう関係ならではの空気だろうから。

 踏み込みすぎず、でも離れすぎずの距離。

 ……とりあえず新年の願いの一つは決まった。



「うっわー、人凄いね」



 亜季の声に考え事から意識を戻すと、神社の境内への入り口から人が溢れていた。ずら

りと並ぶ人達を見て、少しうんざりする。



「いつになったらお参りできるやら……」

「ま、ゆっくり行こうよ。今日は徹夜で」

「ああ……って、徹夜!?」

「この後は牛丼屋行ってからカラオケだよ」



 そう言う亜季の目は大真面目だった。

 どうやら本当に初詣の後は徹夜で連れまわされるらしい。みなほに同じことを言ったけ

れど、自分が提案されるとこんなにも嫌なもんか。あとでみなほには謝っておこうか。

 

「うーん……亜季。夜に牛丼食べたら太るぞ? カラオケも夜にやるのはどうかと……」

「大丈夫大丈夫。私太りにくいから今日くらい食べたって平気だよ。それとも……やっぱ

り嫌?」

「むしろ良いけれど、やっぱり疲れるかな」



 俺が素直に言うと亜季は何故か顔を赤くしていた。何か変なことでも言っただろうか?



「どうした?」

「……んーや! なんでもないよ〜」



 亜季は一瞬、視線をそらした後ですぐ俺の顔を見ながら言った。特に変わったところも

見えなかったから、さっきのことは聞かないままにする。

 二人で列の後ろに並ぶと次々と後ろに人が並んでいく。やっぱりカップルが多くて、下

校途中に見た他の学校の人とか、俺の学校で見た奴らが何人もいる。

 たちまち前も後ろも人に囲まれる。



「凄いな」

「本当、いつお参りできるだろうね……」



 お互いに不安になったけれど、意外と列は早く進む。

 人の隙間から何とか前を見ると、どうやら一気に十何人くらいが賽銭を投げている。巫

女さんがスムーズに列を誘導しているのを見て思わず呟いた。



「新年から大変だよなぁ」

「雄太、巫女さん服って好き?」



 かなり唐突な亜季に思わず反応を忘れる。でも俺の答えを待っているのか、視線を外し

てはこない。答えるのもめんどくさくなるような問い掛けだけれど、このまま無言で通す

わけにも行かない。黙っていたらあることないこと言われそうだし。



「まあ、見栄えはいいよね」

「エッチ」

「何でエッチだよ!」



 ただ誉めただけなのにエッチ呼ばわりされるのは流石に心外だった。でも亜季にとって

は巫女服が好きとエッチな人というは等しいらしい。

 なんて油断できない思い込みだ。



「雄太……高校に入ってより萌えというものに走っていたのね」

「おい待て。その言葉使いだと中学の時から萌えを求めていたように思われるだろ!」

「誰によ!」

「周りの人……だ……よ……」



 徐々に声を小さくして、俺は周りを見た。

 笑いをこらえている人達の視線が、痛かった。

 周りの視線を気にしないようにしたまま、ようやく賽銭箱までたどり着いたのは十二時

を三十分ほど過ぎていた。意外と長い時間並んでいたわりには寒くもないし退屈もしなか

ったのは、やっぱり亜季との話に気が割かれているからだろうな。



「ようやく着いたね〜」



 そう言って亜季は財布から五円玉を取り出した。それを見て俺は最大の失敗に気づく。



「……五円玉がない」

「え!?」



 俺の記憶が正しければ、財布の中には五円玉はないはずだ。ポケットから取り出して確

認してみると……やっぱりない。

 あるのは五円玉を抜かした全ての円。



「狙ったかのように五円玉だけないぞ……」

「それは痛いね……」



 亜季は顔をしかめて自分の財布を見る。

 少し晴れやかな表情になったが、すぐに落ち込んでしまった。



「雄太の分の五円玉あったかと思ったけど違ったよ……」

「いいよ。人からもらった五円玉だとご利益がなさそうだ」



 しょうがなく代わりの硬貨を取り出す。

 亜季が驚いた表紙に隣にいた人へと体当たりするのを尻目に、俺は硬貨を賽銭箱に投げ

入れた。



「ゆ、雄太……太っ腹だね」

「これくらいしたほうが願いかないそうじゃん」

「でも五百円でしょ?」

「同じ五だからいいの!」



 俺は亜季が反論する前に手を合わせた。そして必死に願い事を繰り返す。

 亜季も慌てて自分の五円玉を投げ入れてから手を合わせるのが気配で分かった。



(中村と恋人同士になれますように中村と恋人同士になれますように……)



 自分の健康よりも中村との今後を祈るのはなんか男らしくないかもとかすかに思ったけ

れど、俺は十回心の中で願いを唱え、いくつか違う願いをまた唱えてから手を合わせた。

 奮発したんだ。成果ないと怒るぞ……神様。



「願い事終わり! 雄太は何をお願いしたの?」

「いきなり言ったら願い叶わないだろう」



 後ろに控える参拝客から逃げるように進む俺達。そして、目の前にあるおみくじを買っ

て、お互いに見てみた。



「小吉……普通だ」

「おお! 大吉だよ」



 亜季は俺に大吉を見せびらかしてくる。何となく腹が立つが……すぐに怒りは消えた。

少し離れたところから叫び声が聞こえたから。



「なにぃいいい!! 凶だとぉおおおお!!」



 聞き覚えのあるその声に、俺は頭を抱えた。

 声が聞こえたタイミングからして、どうやら俺達と同じ時に賽銭を投げたらしい。

 人ごみにまぎれて見えなかったのだろうが……どうせならずっと見えないままでいれた

らよかったのに。

 でも、亜季が声に驚いて振り向いた後で動きが止まっているのを見ると、どうやら声の

主と視線が合ってしまっているらしい。すると当然、相手には俺の姿も見えるわけで……。



「もしかして、高瀬かっ!」



 やっぱりだった。予想がこれほど外れて欲しいと思ったことはなかったのに。

 観念して振り向くと、これまた代わり映えのしない顔が現れた。



「もしかしなくても支倉だったな」



 支倉はさっき悲壮な声を出していたとは思えないほど明るい顔をして、俺達に近づいて

きた。そしていきなり亜季に一礼して挨拶をする。



「初めまして。俺は支倉直人。高瀬の心の友をやってます! 以後よろしく!」

「お前、いつの間に心の友なんかになったんだよ……」



 支倉の言葉に反論したかったが、亜季はどうやら支倉を気に入ったらしい。

 それならあえて話を遮るよりも進めたほうがいいだろう。



「心の友じゃ全くないが、まあ友達だ」



 それから亜季に簡単に支倉のことを説明すると、亜季はやけに楽しそうにしながら言っ

た。



「ねぇねぇ。あなたも私達と一緒に徹夜の旅に行かない?」

「徹夜の旅?」

「なに!?」



 亜季の発言に俺も支倉も驚いた。

 ただでさえ疲れるのに支倉がいたら二倍疲れるぞ……。

 と、そこで更に後ろから声がかかる。



「あ、兄貴」

「雄太じゃん……それに小谷に支倉」



 ……後ろから信とみなほまで現れた。

 信とみなほの登場に、亜季は喜んでいた。

 そう言えば、地元で亜季が俺以外に気軽に話せるのって、この二人しかいないんだっけ。

他の友達と連絡を取り合っているって話も聞かないし。



「二人ともこれからどうするの?」



 ……って、いきなり誘おうとしているし。

 これから待っている耐久レースを全く知らない二人は、顔を見合わせて「特に予定はな

いなぁ」と言っている。しかもその言葉がほぼ同時に発せられていた。そう言えば二人が

デートしているところは初めて見たけれど、いつの間にかここまで息が合うようになって

たとはなぁ……。



「お兄さんは嬉しいよ、うん」

「兄貴……何変なこと言ってるの!?」



 みなほは心底気味悪そうに俺を見てきた。

 兄に対して何だ、その視線は……。



「皆、俺のこと忘れてない?」



 支倉が後ろで寂しく呟いていた。俺は正直に答えてやる。



「まだいたのか」

「ふ……今年も切れ味がいいな、高瀬」



 冗談だったが、全くダメージを受けないというのもこいつは不思議だ。俺が支倉と話し

ている間に、亜季はみなほ達と話をつけてしまったらしい。信は少し渋っていたがみなほ

はかなり乗り気だった。俺が言った時はうろたえたのに。



「お前、徹夜大丈夫かよ」

「大丈夫でしょ。遅くなるのも兄貴達と一緒ならいいだろうし」

「なるほどな」



 信と二人は恥ずかしいが、皆なら問題ないてことか。

 そうと決まったら、行動することにしよう。



「じゃあさ、早速牛丼食べに行こう〜!」

「亜季、思ったけど牛丼って今ないぞ」

「兄貴〜そこはあとで突っ込まないと」

「小腹空いたところだし、ちょうどいいな」



 みなほと信を後ろに連れて、俺達は歩き出した。更に後ろから、さっき凶を引いた男が

叫んでくる。



「俺を無視するな!」



 結局、新年も去年と同じような同じようなテンションから始まった。





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