マラソン大会を終えて、信が言ってきたのはどこかに食べに行こうというものだった。

部内の罰ゲームに心配することがなくなったということで、かなりにこにこ顔だから、何

となく腹が立つ。



「い、いい、な……いこうぜ」



 あれだけ一瞬輝いた支倉は思ったよりも早く俺達が休んでいるところにやってきた。順

位は後ろのほうだったが、それでも百人は支倉の後ろにいる。

 さっきの俺と同じように空を見上げて、息も絶え絶えに言ってくるのを見るのが楽しい。



「わたしもお腹空いちゃった」



 聞こえてきた声は青島だった。見てみると汗も大分引いている。どうやら信より遅く、

俺より早く着いて今までどこかにいたらしい。

 本当に腹がすいているのか、かなり疲れた顔をしていた。



「大丈夫か? 顔色悪いぞ」

「水分が足りてないのよ、きっと。じゃあ、あとでね」



 そう言うと青島はゆっくりと去っていく。その後姿は少しだけいつもの青島より小さく

見えた。

 何人かついていなかったようだけれど、閉会式が進められた。

 結局、一位から三位は全て野球部という凄い結果になった。あれだけ体力があるのに地

区大会は毎年一回戦負けらしい。やっぱり野球は体力だけじゃ駄目なんだろう。



「なあ、青島、何かあったのか?」



 支倉が後ろから小さい声で話し掛けてくる。こいつも気づくとは……よっぽど青島も疲

れを隠せないんだろうな。

 予想はあるけれど、確信はない。



「さあ。何でそう思うんだ?」

「いやなに。さっき青島が泣きそうな顔をして校舎から出てくるところを見たからな。お

前、なんか知ってそうだなぁと」

「なんで俺が知ってるんだよ」



 冗談めかしたけれど、俺は動揺を抑えるのに必死だった。

 青島が俺に語ったことと、校舎から泣きそうな顔で出てきたこと。

 予想が確信に変わる。



(青島の奴……駄目だったのか……)



 だからカラオケに行ってストレス解消しようとでもいうんだろうか?

 自然と視線は青島を探す。

 そして、ぼんやりと表彰されている生徒を見ている彼女が目に入った。

 ぱっと見た感じ、いつもと変わりがあるとは思えない。



(まあ、聞けないしなぁ)



 考えようとして止める。やっぱり青島自身のことだし、あいつが言ってくれるなら全力

で相談に乗る。でも言ってくれないなら……俺はあくまでいつも通り振舞うしかない。

 いつか立ち直ったときに何も変わらずに自分を受け入れてくれる場所があるってことは

、とても嬉しいことだから。



『これで、マラソン大会を終わります!』



 一位の生徒の胴上げを見ずに、俺は着替えに戻った。



* * * * *
 着替えてから向かったカラオケボックスで、青島は普段と変わらない歌を披露した。そ う言えばカラオケも久しぶりだったと思い出し、青島の声の微かな違いを聞き分けること は出来ない。  少なくとも、もう俺達に弱い部分を見せないほどには回復しているらしい。  支倉は歌えもしないB’zの歌を叫んでいる。こいつはこいつなりに青島を元気にさせ ようというんだろう。  ……中村がいないときに青島を元気付けて点数を稼ごうというオーラが出ているように 見えるのは、俺の考えすぎと思いたい。  用事があるということで信はいないから、この三人だけでカラオケというのは実は初め てで、少し微妙な空気が流れる。  これだけでも中村の存在は大きかったのかもしれない。  カラオケが終わり、このまま帰るのもと支倉が言ったから、俺達は近くのファーストフ ードに入った。その間も青島は今日の大会での自分の走りを自慢していたし、支倉は一瞬 輝いたことを誇らしげに話していた。 (……ま、大丈夫かな)  俺も安心していたからかもしれない。  青島の顔が外を向いた時、強張ったことにすぐ気づいたのは。  支倉は窓側じゃなくて自分の話に夢中になっていて気づかない。  俺は青島の視線につられて外を見た。  そこには、見覚えのある男が歩いていた。  ……隣に女の子を連れて。  女の子の方は分からないけれど……男は知っている。  今日の朝、見た顔だ。 (――そう、だったのか?)  頭の中に広がる考え。  それは青島の顔を見た時に確信に変わった。  青島はどうにか動揺を抑えようと必死になっていた。悔しさを押し殺すために唇を噛ん でいる。その姿は……とても痛々しかった。 「出ようか」  この場にきて支倉も青島の動揺に気づいたようだったが、その原因はすでに歩き去って いる。  俺は男の顔が忘れられなかった。  ……楽しそうに笑った顔が。
* * * * *
 家に帰ってからも、ずっと引っかかっていた。  ベッドに横になりながらぼーっと上を見上げてると、浮かんでくる顔がある。  青島の、必死に耐えている顔とあいつの彼氏――元彼氏の嬉しそうな顔。  部外者の俺が何かを言う資格なんて無いかもしれないけれど、何かを言いたくて仕方が なかった。 「何なんだよ……」  言葉に自然と力と熱がこもる。  この感情は俺自身が中村に振られたからなのか?  冷静に考えれば青島は振られたんだろう。男のほうに新しく彼女が出来たから。  まあ、出来たからとかじゃないかもしれないが……。  そこまで考えているうちに携帯電話が鳴る。着メロがいつもと違うのを聴いて、俺は相 手がすぐわかった。 「おっす」 『おーっす』  亜季は相変わらず元気だ。  そしてふと、一月ほど電話で話していなかったことを思い出す。 「お前、一月ほど何してたの?」  考えてみれば当たり前かもしれない。亜季には亜季の生活があるんだし、その中で俺と の電話を優先させる理由も無いし。言ってから勝手に顔が赤くなる。  でも、次の亜季の言葉は俺を青くさせた。 『おー、実は彼氏と修羅場ってさ。別れた』 「……あ!?」 『そして告白されて、付き合った』 「……ああ!!?」  亜季は驚かせてくれる……ていうか、彼氏と別れて新しい彼氏と付き合ったってかい。 「なんかそれだけ聞くと殺意が生まれるのだが」 『あ、ごめんごめん。持てる女は辛いのです』  亜季の、その口調の端にちょっとした震えを感じ取れる。  こういう時、電話は感情を隠すには不向きだと思う。  亜季も明るくは振舞っているが、やっぱり相当悩んだ末に新たに付き合い始めたんだろ う。  不器用な娘だ。 「そうかい。……で、どんな感じだった?」 『んーとね……』  結局は、亜季は俺にそれまでの愚痴をこぼしにきたんだ。そんな存在でいられるのは嬉 しかったし、優越感とかじゃなくて、本当に亜季を助けてあげたいと思える自分にほっと した。少なくともこれで、青島へと感じるものも同情とかじゃないと分かるから。  三十分もの間、亜季は話し続けた。  彼氏のほうに女の子が寄って来たこと。  そして、彼氏がその娘に惹かれていったこと。  別れる時の修羅場。  そして……友達だった男からの告白。 『恋は難しいね』  電話での最後の言葉は、どこか寂しげだった。  そう。確かに難しい。 「難しいな」  俺にはそれだけしか言えなかった。
* * * * *
 一夜明けて学校に行ってみると、いきなり人だかりが出来ていた。  下駄箱に靴を入れるときから何らかの喧騒は聞こえてきて、一階上がっただけでそれは 頂点に達していた。  三年の廊下に集まる人。背伸びをして人だかりの後ろから見てみると、騒ぎの中心には 青島がいた。青島と、青島の彼氏だった男。  三年生ががやがやうるさいから何を言っているか分からないけれど、青島の平手が男に 飛んだのを見て、女子は悲鳴を上げて、男子は冷やかしの声を上げた。  平手を受けた男が呆然としている間に青島はすでに歩き出す。  群がっていた三年生が青島の行く手を開けていった。  まるでモーゼが海を割る光景みたい。そしてモーゼは俺の前にやってきた。 「あら、高瀬君」 「おはよう。朝から強いな」 「まあね」  青島は笑っていた。昨日までの陰鬱な感情なんてどこにも無い。本当に心の底から笑っ ている。そりゃあ、これだけの面前で修羅場を繰り広げたんだから気分はいいだろうが。  青島の後ろを黙ってついて歩く。今の青島には生のオーラ、見たいな物が見える。やっ ぱりこの娘は強い。俺や中村よりもずっと。  後ろについたまま教室の前に来た時、青島が振り向いて言ってきた。 「ありがとう、高瀬君」  その言葉の意味を問いかけようとしたけど、すぐに教室に入ってしまって聞けないまま になる。 「おっはよ〜。渚」 「おはよう〜。裕美、マラソン大会、二十位以内に入ったってね! 凄い〜」 「そうでしょう? じゃあ何かおごって?」 「なら俺がガラナをおごろう」 「それは嫌」  いつものテンションで話す青島達。  支倉も昨日の青島のことは分かっているのに、それを感じさせない。  後からゆっくり教室に入って三人のやり取りを見ていると、俺の中になんともいえない 気持ちが広がる。 (……やっぱり普段通りっていいな)  何かあった時に、いつもと変わらずに接してくれる人がいること。  何よりも嬉しいこと。  とても心が温かくなった。 「あ、高瀬君おはよー」 「おはよう。どうだった? 俺達が苦しんでるときに楽しんできたんだろう?」 「フリスビーとかして遊んでた」  にこやかに笑う中村。それに突っ込む青島に、いつもうるさい支倉。  ふと、この三人と友達で良かったと、思った。


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