朝起きたら、窓の外は雪国だった。
「ってなんじゃこりゃー!?」
思わずそう叫んで窓を開ける。そしてすぐに入ってくる寒さに閉めた。もう、明らかに
寒い。冬だ。
熱が下がって学校復帰と思った矢先に、何で初雪降ってるんだよ……。
大体良くなった気分がまた落ち込んでくるように思える。
「お、兄貴おはよう」
ドアをノックしてすぐに開けてくるみなほは、悪びれもせず笑った。
すでに学校に行く用意をしている。時計を見ると朝七時半だ。
「この分だと自転車使えないし、早く行かないとね〜」
「……そう思うなら何故起こさなかった」
なんとか怒りを伝えようとわざわざ声を低くして言ったが、みなほは明らかに分かって
いるだろうに、そうでないよう振舞っていた。
「だって兄貴、今日行くかどうか分からなかったもの。じゃね〜」
そのまま扉を閉めて、みなほは下に降りていった。何となく釈然としなかったけど、服
を着てから授業の準備を整えて、鞄を持って下に行く。
すでに朝食は用意されていた。
でも用意された物には手をつけずに両親が食べているパンをトースターで焼く。
焼けるまでの間にまた外を見てみた。
空は晴れていて、おそらくこのままの天気なら雪は溶けるだろう。
それだけに、朝は自転車で行くのは自殺行為だった。自転車が水浸しになるのも面白く
ないし。
「……遅刻か」
とりあえず諦めの言葉を呟いてみると、気が楽になった。
ちょうどパンが焼ける合図が鳴る。パンを取り出して適当にイチゴジャムを塗ってから、
俺は食べながら家を出た。
人と会う前に歩きながら食べてしまおう。
「――寒い」
適当にクローゼットから出しておいた冬用のコートを着てても寒い。
白い息が昇って行くような朝の中、俺は学校へと歩き出した。
* * * * *
「ぎりぎりだったなぁ、高瀬」
「病み上がりにダッシュは辛い」
支倉の声になんとか反応しつつ、俺は机に突っ伏していた。パンを食べながらなんて漫
画みたいなことはしないほうがいい。結局最後は走ってホームルームに突っ込み、何とか
間に合ったのだけれど、病み上がりの身体は悲鳴をあげてしまった。
でも、疲れているのは本当だが、突っ伏しているのは違う理由もある。
中村の顔をあまり見たくなかったというのが本音だ。
一方、あっちはあっちで、俺のそんな気持ちを汲んでくれているのかいないのか、軽く
朝の挨拶をかけてきただけだった。
青島が密かにウインクしてきたから、何か言ってくれたのかもしれない。
あとで礼を言っておこう。
「そうそう。今日の放課後空いてるか?」
突っ伏したままの俺に支倉がいつも以上にご機嫌な声で言ってくる。突っ伏したままだ
と流石に悪いから、顔だけ上げた。
「無理……と見えないか?」
「まあ時間経てば回復するだろうと思ってな」
支倉の言葉に邪気は無い。どうやら何か真面目な用事のようだ。
体調との相談もあるけど……多分大丈夫だろう。
「ああ。いいよ」
「おっし。ちなみに青島も中村さんも誘ってるからな」
「なにっ!」
思わず大声を出してしまう。支倉は悪びれもせず、鼻を鳴らす。
満ち足りた表情をしているところを見ると、俺の驚愕の意味には気づいてないらしい。
「まあ、放課後のお楽しみだ。心待ちにしてるがよい」
「……りょーかい」
俺はそのまま机の上に一限目の教科書を出して、また突っ伏した。
中村の笑い声がかすかに聞こえた気がした……。
* * * * *
ぼんやりとしつつ六限目が終わる。
掃除当番は特に割り当てられてなかったから、適当に時間を潰す。
体調は大分戻ってきていた。これなら風邪もぶりかえさないだろう。
掃除が終わった教室で、自分の机の上に腰掛けて外を見ていると、声が聞こえてきた。
「高瀬君。風邪、大丈夫?」
「ん。なんとかね」
声に対してすんなり返し、隣を向いたら中村がいた。
さほど心臓が跳ね上がらないし、言葉に違和感も出ない。
意外と平静に接することができるのは、やっぱり諦めてないからだろう。
中村が自分から俺達のほうへと来てくれるまで、そしてその後も、最低友達以下にはな
らないと決めたからだろう。
中村が笑って俺の体調を気遣ってくれる。
今はそんな彼女を、大事にしたいと思った。
「待たせたなぁ」
支倉が、両手を後ろに回して現れた。
やけににやにやした支倉は、後ろに回した手を俺達の前に差し出した。
手には赤い缶が握られている。
「お前……初雪降ったのにガラナかよ」
「寒いときとか関係なし! ガラナは三百六十五日有効だ!」
そう言って俺と中村にむりやる持たせると、自分も後ろのポケットに入れておいたのか、
三本目を取り出してプルタブを開ける。
「お前、尻が冷たくならないか?」
「全然。愛だから」
意味が分からない。
隣を見ると中村がガラナを飲んでいるし、俺も結局飲むことにする。
冷えた液体が喉の奥を冷やし、炭酸が鼻の奥を刺激する。
はっきり言って、寒い。
「もうそろそろ用件を教えろよ。無いなら帰りたいんだけど」
「わたしも〜」
中村はこみ上げてくる息を押さえようと口元に手を当てている。
その仕草が可愛い……。見てみると支倉も顔を赤くしていた。
お互い素直だなぁ。
「あ、ああ……これから視聴覚室で部会があるんですよ、中村さん」
「部会?」
問い掛けた俺にじゃなくて中村に言うところが支倉だ。
俺はガラナを窓の縁に置いて支倉の顔を掴み、ぐるりと俺のほうを向かせる。
「何の部会?」
「……日本ガラナ党の、だよ」
「ガラナ党……本当にあったのか」
俺は少なからず驚愕していた。この学校で、あの『番組研究会』と勢力を二分するとい
う文化系部……というか、文化系なのか? 活動はなんなんだ?
「ふふふ。まあいろいろ思うところはあるだろうが、これから視聴覚室に来てみろ。何を
やってるか分かると思うぞ。ささ、行きましょう中村さん」
「うん。高瀬君も行こうよ」
俺は一瞬どうしようか考えたけれど、中村がいきなり俺の手を掴んでくる。
それで、俺の中の振り子は一瞬で振り切れた。
「分かった」
全く……弱いものだ。
そんな自分の照れを隠すのと、ふと思い出したことを支倉へ言う。
「青島はどうしたんだ?」
「ガラナ臭くなりたくないから遠慮するってよ。全く……体にいいのに」
いいのか?
それを突っ込む気にもなれず、俺は中村に手を引かれるままに視聴覚室へと向かった。
視聴覚室に入るとすでにたくさんの生徒達がいた。見てみると一年で見知った顔もいる
し、二、三年も多くいるようだ。俺と中村、支倉は後ろのほうに座る。
周りを見てみると、全ての生徒が赤い缶を持っていた。もちろんガラナだ。
「高瀬君」
幾分呆れが入った中村の声に誘われて、視線を向けてみるとそこにはゴミ箱があった。
プラスチックで水色のゴミ箱が、うっすらと赤色に染まっている。
「ゴミ箱ガラナ色……」
思わず、呟いていた。ゴミ箱の中身は全てガラナのようだ。普通ならペットボトル、と
か燃えるゴミとか張り紙が貼ってあるけれど、そのゴミ箱には『ガラナ』と書かれていた。
完璧にガラナ限定かよ……。
よく匂いをかぐと、鈍っていた嗅覚が蘇ってくる。
感じた臭いはガラナ臭だった。
流石にここまで皆がガラナを飲んでいると、これが正常のように思えてくる。
もう少しで鼻が麻痺して匂いを感じなくなってしまうだろう。
「もう少しで総裁が現れるぞ」
「総裁、かよ……」
「あはは」
中村は何が面白いのか周りを見て笑っていた。
この空気に俺よりも早く順応しているらしい。
……恐ろしい女の子だ。
「きたぞ」
支倉がそう言って人差し指を口に当てる。俺はゆっくりと黒板のほうへと視線を移した。
そこにはいたって普通の男が立っていた。
髪型も特に変化なく、黒髪でちょうどいい長さ。
学生服をぴしっと決めて、すらりとした背を強調するように背筋を伸ばして立っている。
そしてそれは、見覚えがあった。
「あれって生徒会長じゃん」
日本ガラナ党という文化系部影の実力者集団を束ねるのは、今の生徒会長だった。
確か二年の……
「えー。わたしが、日本ガラナ党総帥、江島則之である!!」
『おおおおお!!』
生徒会長が叫ぶと共に座っていた会員達が立ち上がって吼える。
床が揺れているような錯覚に陥って、思わず机を掴んだ。
「凄いね〜。新しく生徒会長になった時にした演説のときと全然違う〜」
中村の言葉に、俺は新生徒会長が誕生したときの彼を思い出してみた。
その時は毅然とした態度で生徒達の前で今後の決意表明をした江島さんがいた。
……確かに今も毅然としてるけど。
歓声が収まると共に、江島さんは再び口を開く。
「これより日本ガラナ党、定期総会を始める。まずはガラナ布教状況を報告してもらおう。
一年担当、支倉直人!」
「はい!」
俺達の隣でいきなり立ち上がった支倉に俺は唖然とする。
中村は相変わらず楽しそうだ。
「現在、一年の約四十二パーセントにメッツガラナ布教を完了しております」
「ノルマは達成しているようだな。だがまだまだ生ぬるい! 以後も他の同士と協力して
布教活動に専念してくれ」
「はい!」
報告は二年生に移り、支倉は座った。
俺は見ない顔だと江島さんに言われたくない一心で身をかがめていた。
それが効をそうしたのか、何も言われない。
「何を隠れてるんだ、高瀬」
「隠れたくもなるわ……」
俺の思いを他所に、集会は続いていった。
* * * * *
集会は会長の「ガラナ缶が自動販売機の一列全部を制覇した」という発言で終わった。
もう五時にもなると、この時期は暗くなってしまう。
中村の背中を見ながら俺は坂を降りていた。
大分暗くなっていたから、彼女の栗色の髪が少し目立つくらいだ。
「面白かったねぇ」
俺のほうに片側だけ顔を向けながら言ってくる。
あの状況を面白いと思える中村はやっぱり面白い。
「そうだな……まさか生徒会長がガラナ党の会長だとはなぁ」
「支倉も俺達にガラナ党に入れということなんだろうな」
「絶対お断りだけどね」
久しぶりに聞いたような中村のきつい言葉に思わず吹き出す。
中村は歩みを止めて俺に向き合い、頬を膨らませてくる。
俺は思わず呟いていた。
「やっぱり可愛いなぁ」
「……高瀬君、恥ずかしいこと言ってるね」
そう言う口調がみなほと似ていて、また笑ってしまう。
自分でもすんなり言えたことに驚いている。どうやら一度ふられたことで逆に大胆にな
ってるらしい。
ふと気づくと、中村が傍まで来ていた。
眼前に顔があって、流石に血が上ってくる。
暗くてもここまで近ければ顔ははっきりと見えていた。
「中村」
顔の熱に負けないように、俺は緊張から震える声を押さえて吐き出した。
「やっぱり、俺はまだ中村のこと好きだよ」
俺の言葉に中村は少し顔をうつむかせた。照れているのかどうかは分からない。
出来れば照れていてほしいけれど。
次にきた中村の言葉は少しだけかすれていた。
「でも……わたし、高瀬君のことふっちゃったんだよ?」
「うん。でもまあ……未練がましいだろうけど、また望みありそうだし」
俺は頬をかきながら歩きだす。
俺の言葉を否定しないで、慌てて中村が俺の隣に並んできた。
沈黙が怖くて、俺は言葉を続ける。
「もう少しだけ、好きでいさせてくれないか?」
俺の言葉に中村が寂しげに笑う。確かにこんなことを言うのは何か違うだろう。
好きでいるのは個人の自由なんだし……。
でも、言ってしまったものは仕方がない。
「うん。嫌われないだけ、わたしは幸せだよ」
中村は、笑った。少しだけ申し訳なさそうに笑顔を曇らせて。
その気遣いだけでも、今の俺には十分だった。
「まあ、あまり考えるなよ。別に無理やり中村を俺のものにする! とか言うわけじゃな
いんだし」
「そんなことしたら警察行きだよ」
この時、一瞬だけ俺達の間にいつもの空気が流れた。
これなら大丈夫なかもしれない。前とはまた形は違うけれど、似たような形を作れるか
もしれない。それ以上の関係もまた。
「明日からもまたよろしく」
「……うん」
おずおずと握ってきた手から、少しだけ中村の気持ちが伝わってきた気がした。