青島の申し出はあまりに唐突で、一瞬どう答えていいか分からなかった。青島も俺が落

ち着くのを待ってくれているのか、黙って俺を見ている。

 俺は青島の気遣いに甘えて何度か深呼吸して、気持ちを何とか落ち着かせる。

 そうして改めて青島に向きあって、出てきた言葉は簡単なものだった。



「いいのか? 中村のことだろ?」

「しょうがないでしょ。渚が言わないんだし。それに、怒られるのは高瀬君じゃなくてわ

たしだから大丈夫」



 青島はあっさり言った。それがどういう意味なのかは、寒さに凍えて、少し思考が回っ

てない俺でも想像がついた。



「青島……いいのかよ。お前と中村は友達だろ? 今なら俺だって中村が皆に言えないよ

うな過去を持ってることは分かる。それを、お前が教えたら――」

「表面だけの友情なら、わたしはいらないのよ」



 青島の言葉は、顔はひたすらに無表情だった。でもそれだけに、目の前のこの女の子が

俺には考えも付かない覚悟で、中村のことを話そうとしていることが分かる。

 俺に言うことで、中村にその事実がばれて絶縁されても良いと、思ってる。



「……どうしてそこまでするんだよ。お前にとって中村はそんなに大事な友達なのか?」



 分からなかった。

 今ある友情を壊そうと思ってまで、中村の過去を言おうとする青島が。

 理解できない青島が、何かとても恐ろしい存在に見える。

 でも、それまでの無表情が消えて、青島の顔に広がったのは悲しさだった。



「わたしは、渚に笑顔でいてほしいだけ。そして、高瀬君は渚の今まであった男子の中で、

一番渚に本当の笑顔をさせてくれるかもしれない人だった。だから、言うの」



 これ以上、何も言えなかった。青島がもう泣きそうな顔をしていたから。

 俺は黙って頷く。青島も一度息を吐いてから、言葉を続けた。



「先に謝っておくけれど、わたしは別に高瀬君と渚がずっと付き合っていって、結婚まで

いってほしいとまでは思ってない。ただ、渚が立ち直るきっかけになってくれれば、付き

合って一月後に分かれようがずっと続こうが、どっちでもいい」

「……ああ。そこから先は、俺の努力だろ」

「分かってるじゃない」



 青島はようやく笑って、緊張がほぐれたようだった。俺も青島がきつい言葉をかけてく

れたことで逆に落ち着いて、彼女の話を聞く体勢を作る。

 そして青島は、口を開いた。



「渚の好きな人がね、死んだのよ。彼女の目の前で」

『私は人殺しだから』



 青島の言葉で思い出される、中村の言葉。

 ……やっぱり本当に人が一人死んでいたのか?

 でも青島の口調からすると、別に中村が殺したってわけじゃなさそうだけれど……。



「前に渚の家で勉強会あったでしょ。その時、高瀬君は見ているはずだよ。渚と一緒に写

真に写ってた男の子」

「……そういえばいたような」



 あの時はあまり気にも止めなかったけれど、そういえば写真に中村と一緒に映る男がい

た気がする。もちろん、顔は覚えていない。



「渚とその男の子……三村昇って言ってね。渚の幼馴染で、あの写真を写した宿泊研修の

直後に付き合い出したの」



 中学の宿泊研修は中一の頃。

 今から三年前になる。その頃の中村の写真……少し今とは印象が違った写真の顔。

 今よりももう少しだけ、印象が薄かった中村の顔を思い出す。



「渚、とても楽しそうだったわ……二人が並んでるとさ、幸せ〜ってオーラが出ている感

じで。皆が羨ましがったの。本当よ」



 青島の口調が過去を懐かしんで、とても柔らかくなっている。

 普段の彼女の口調じゃない。俺はその理由が分かった気がした。

 青島は言葉を発するたびに顔をゆがめていた。

 悲しさとか、苦しさ。

 溢れてくる負の感情を霧散させるために、あえて明るく言ってるんだ。



「でも、そんな二人も二ヶ月して終わったの。彼が……死んだから」

「中村は自分が殺したって言っていた。どうしてか、分かる?」

「? 誰から聞いたの?」



 俺は少し躊躇したが、球技大会の時、屋上で交わされた三上と中村の会話を青島に教え

た。

 青島は「ふーん」と軽く言ってから考え込む。

 少しの時間が流れて、青島はまた口を開いた。



「ある意味、それは正解よ」

「正解って……」

「渚が原因で、三村君が死んだって事」



 ……必死になって情報を整理しようとする。

 中村は自分が人殺しだと言った。でも青島は中村は実際に手を染めたんじゃなくて、間

接的というニュアンスだった。

 考えてみれば当たり前だ。もし中村が人殺しだったら、今ごろ警察だろう……。



「渚と三村君、デートの約束をしてたのよ。渚の誕生日、九月十二日」



 九月十二日。中村の誕生日。

 誕生日にはあげられなかったから、ついこの間に中村へ目覚し時計をあげた。

 あの時、中村は笑ってた。嬉しそうに。

 でもこの話を聞いていたら、青島が言っていた意味が分かった気がした。そしてさっき

思った事も現実味を帯びてくる。

 中村は本当に表面だけしか俺に……俺達に見せてなかったのかもしれない。



「渚が呼んで、三村君が横断歩道を渡って……そこにトラックが突っ込んできたのよ」



 青島の身体が震えたのは、寒さだけじゃなかっただろう。その言葉を言うと同時に震え

たことからも、俺は何となく予想がついていた。



「わたしも偶然その近くを通ってね。人だかりの中に渚がいるのが見えたのよ。そして…

…倒れてる三村君も。人を押しのけて傍に寄ってさ、渚を思わず抱きしめたのよ。そした

ら、渚、なんて言ったと思う?」

「……なんて言ったんだ?」



 それを訊くことは意味がないことのように思える。

 でも青島にとっては十分意味があることなんだ。

 おそらく、誰かに即されないと話せないほど、青島はぎりぎりのところで話しているん

だろう。

 青島は一瞬身体の力を抜いてから、再び口を開く。



「あの倒れている人は誰? って言ったの。それからすぐに気絶。はっきり言って渚はも

う駄目なんじゃないかと思ったわよ。渚の位置から見て、三村君は目の前ではねられたは

ずだし……その後、救急車で運ばれてね。渚の両親がくるまで付き添ったわ」



 青島は一気に離し終えて息を吐く。

 俺は青島の言った言葉からその情景を思い浮かべてみた。

 横断歩道を挟んで待つ中村に駆けてくる三村。

 そして、中村に近づいたところで横にはね飛ばされる。

 突如視界から消える好きな人……。

『あの倒れている人は誰?』なんて言うほど錯乱していた中村。

 どんな思いだったんだろう。

 いや、何かを思える余裕なんてなかっただろう。



「渚、結局ほぼ一日寝てた。それからしばらく家に閉じこもって……一月経って、学校に

来たの」



 一月という歳月が、自分の目の前で人が死んだことから回復するのに長いのか短いのか、

俺には分からなかった。

 でも、青島は自分の語る過去に動揺を隠せていなかったから、その期間が短いんだと想

像できる。



「渚。立ち直ってた。わたし達から見ても、驚くくらい明るくて。三村君が死んだことを

認めて、それをふまえて話してるのよ。それを見たわたしの気持ちがわかる?」



 ……分かる、気がした。

 おそらく、さっき俺が青島に感じたことと同じだろう。



「わたしと同じたった十三歳の女の子が、自分の目の前で小学生の時から好きだった男の

子が死んで、それを一月で一人で克服したのよ。はっきり言って渚が怖かった……理解出

来なかった。友達みんなが三村君の死のショックから立ち直ってない中で一人、『仕方な

いよ』と言ってたのよ。それから、渚が同じ人間じゃないような気がして、みんな、一時

期あの娘から離れたの」



 青島の言葉に含まれる感情が徐々に俺に伝わってくる。

 言葉を聞いて、顔を見るだけで分かるほどの感情……。

 それは恐怖だった。

 顔を青ざめさせて、泣きそうになりながら言葉を続ける青島に、もういい、と言ってあ

げたかった。でも、俺の口は動かない。



「別にいじめとかじゃなくて、精神的に離れたというか。いつもは一緒にいるんだけど、

当り障りの無いことしか話さなくなった。休み時間なんてもう話しかけもしなかった。渚

はその事についても何も言わなかった。というか、気にしている様子もなかったの」



 最初に言葉の中に見えたのは純粋な恐怖だった。理解できないものに対する恐怖。

 でも、そこへ徐々にだけれど、別の感情も座って行く。

 激しい後悔の念だ。



「わたしはさ、渚から離れる事にも、耐えられなかった。わたしなら、きっと理解できる

って自分に言い聞かせて、渚の傍に戻ったのよ。渚は何も言わなかった……普通に接して

くれた。離れていたことなんてなかったかのように」

「…………」



 信じられなかったけれど、青島の様子ではもちろん嘘を言っていないことは明らかだ。

 俺には理解できないほどの衝撃を受けて、友達の誰にも相談しないで、そして何もなか

ったかのように振舞っていた過去の中村。

 たった十三歳の女の子が、たった一人で耐え抜いて、表に苦しみを出さないよう振舞え

るまでになったなんて、想像出来ない。

 まだ自分の両親も爺ちゃんも婆ちゃんも生きている。

 身近で死んだ人がいない。死は、俺にはまだ想像上のものでしかない。

 ただ、想像出来ないほど辛いことなんだとしか、考えられない。



「渚はね、中学一年までは今のような性格じゃなかったのよ。皆を楽しませるとかなんて

目立とうとしなくて、ただいるだけで何となく幸せになる雰囲気みたいなものを持ってる

だけだった。でも……三村君が死んでから、必要以上に明るくなって、皆を笑わせようと

してた。それは……多分、そうやって皆から本心が見えないようにしていたんだと思う。

そしてその本心を、一度離れてから戻ってきたからこそ、わたしには見えたんだと思う」



 気づけば、俺は青島を抱きしめていた。言葉を口から吐き出すたびに、青島の体中から

血が噴出しているように見えたから。

 青島も、中村に負けないほど本心を隠して、あいつや俺達に接してきたんだ。



「結局、離れたのも戻ったのも……わたしが弱かったから。最初からずっと傍に居れば今

までに何か変えられたかもしれない。だからこそ、わたしは渚を立ち直らせたいのよ。今

度こそ逃げないで、どんなことをしてでも、渚を心の底から笑わせたいの。その時が来る

のを、傍で見たかった!」



 青島は俺の胸に両手を当てて押し返す。

 見えた顔にはむりやり作られた笑顔。



「でも最近、昔の渚のように見える時が増えてきたの。高瀬君と級長の仕事をし始めて、

あの娘は少しずつ変わってきてる。三村君のことは忘れてないだろうけど、本当に思い出

に出来るかもしれないって思ったんだ。高瀬君なら、渚を変えてくれると思った」

「……俺は――」



 言葉を、一度飲み込んだ。

 言葉を止めて考えたのは、今までの中村のことだった。

 四月に出会ってから今までのこと。

 ゴールデンウィークに皆で遊んだ時の中村。

 青島がリレーに出れなくなった時に、心無い男子が言った言葉に怒っていた中村。

 学校祭で一緒に笑っていた中村。

 姉妹達との花火で……笑いかけてくれた中村。



『私と、友達になってくれますか?』



 そうだ。

 俺には――



「俺は、そこまで心配しなくてもいいと思う」

「え?」



 青島は俺の言葉に驚きを隠せない。彼女にとってはそれは確かに突拍子もないことに思

えるんだろう。

 今までの話を聞けば、青島が中村の様子に十分苦しんできたことも分かるだろうし。

 でも、俺が見たのは最近の中村だけだ。だからこそ、俺は言える。



「中村のあの笑顔が、全部嘘だとは俺には思えない。今まで俺達に接してきてくれたこと

全てが偽りだとは思えない。青島の言う通り、少しずつ立ち直ってきているんだろう。で

も、それに誰かが絶対に必要だとは思えない」



 俺は青島と一緒に立ち上がる。よく分からないといった表情で青島は俺を見ている。



「中村、最近のこと、お前に話してないのかもな」



 俺は三姉妹と花火をしたこと。三上とのことを話して聞かせた。

 その時の中村の雰囲気を出来るだけ伝えようとした。

 聞き終えてから、青島の顔に笑顔が戻っていく。自分が知らない中村の変化を知ったか

らかもしれない。



「そう……なんだ……」

「俺は中村がどれだけ苦しんだのか理解できない。でも、中村は救い出してくれることを

期待してないと……思う。俺達はいつも通り、中村に接していればいいんじゃないかな。

ずっと友達として、付き合っていけば……自然と彼女を変えられるかもしれない」



 俺は青島の肩に手を置いて、出来るだけ優しく言った。



「話してくれて、ありがとう。もう一人で悩まなくていいよ。俺も支倉も、信や翔治もみ

んな中村の友達だ」

「高瀬君……」



 青島は言葉を収めて、泣くのをこらえているようだった。俺は黙って肩を叩いて、歩き

出す。今は一人にしたほうがいい気がしたから。

 客席から出て自転車のところに向かうと、そこに人影が見えた。



「信」

「話は終わったようだな」



 信は笑って、俺に缶二つを投げてきた。受け取るとそれはほんのり熱い。

 熱いコーヒーを買って、話が終わるまで待っていたらしい。



「青島と話しているの見えたから、聞かないように待ってたんだぜ」

「さんきゅ」



 俺は一本の缶のプルタブを開けて一気に飲み干す。

 冷えた体が内側から少しだけ暖まった。



「どうだった?」



 何を、とは聞かない。俺も何を、とは言わない。

 ただこう言った。



「頑張るだけさ」



 俺は少し待ってから、もう一本のコーヒーを青島へ渡しに行った。



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