期末テストは中間よりも教科が多い。基本の国数英理社は同じだけれど、一年では音楽、

美術、習字から一つを選ぶ。

 音楽や美術はテストはあるが、習字はないってことで、受ける教科によって早く帰れる

奴がいる。



「んじゃ〜」



 そう言って、支倉は鞄を持って教室から出ようとしていた。テスト最終日に早く帰れる

とは……羨ましい奴だ。



「でもよく考えると、お前が音楽取らないなんてな」



 俺の言葉に支倉の顔が歪む。中村は合唱部に入っただけに音楽の授業を取った。俺も歌

が好きだし、他の二つよりも楽しそうだから音楽を選んだ。

 でも支倉は中村を好きなはずなのに習字を選んでいた。



「そりゃあ、入学前に中村さんを知っていれば俺も音楽を選んださ!」



 血の涙を流しそうな勢いで絶叫する支倉。専門科目は高校に入ることが決まって、必要

な書類を提出する際に選べるようになってる。形としては希望、ということで確実にその

教科になるとは言えないのだけれど、大体は均等に分かれるらしい。



「俺のアンテナが中村さんを捕らえられなかったとは……人生最大の失敗であります! 

でも漢支倉! 必ずや中村さんのアンテナに引っかかってみせます!」

「先生入ってきたよ」



 全く支倉の言葉には返さず、入ってきた先生を指差して言う中村。支倉は名残惜しそう

に俺達を見ていたが、先生の視線に負けて出て行った。



「さって……今日は最後だね」

「? そうだな」



 俺の傍で声を潜めて言ってくる中村。その気配は今までと少し違って……何か不安だ。



「今日から部活あるんだけどさ、終わった後、ちょっと時間くれない?」

「あ? ……いいけど」

「良かった。なら、六時半くらいに陸上競技場に居てくれる?」

「了解」



 陸上競技場――たまに夜、訪れていた場所だった。学校祭の時も亜季と一緒にそこで星

を見ながら話した。

 ……確か、中村とのことについてだったと思う。

 音楽の解答用紙が配られ、次に問題用紙も配られていく。

 でも、俺の頭の中は中村の言葉と、いつもと少しだけ違っていた気配に支配されていた。



(何だろう……あ……)



 そこで思い当たるのは、一つだけだった。



 ――今日は、『解答』の日だったのだ。

 中村と、付き合うか友達に戻るかどうかの。



* * * * *
 テストが終わり、俺は一人、家に帰ってきていた。  みなほはいない。両親も仕事でいない。  一人、部屋でベッドに横になっていると、中村と過ごした二週間が浮かんできた。初め ての休みの日にデートしたことや、テスト準備期間の中での勉強。  それはたった二週間で、たいして恋人らしいことは出来なかったけれど、とても充実し た時間だったと、自分では思う。  願わくば、これからも出来るだけ長い期間続けていきたい。  中村と、恋人同士になりたい。  こんなに強く何かを願ったことって、実は初めてなのかもしれない。  亜季と付き合った時、それはそれで嬉しかった。別れるまでの期間は本当に楽しかった し、世界が変わって見えた。  でも、別れを告げられた時に俺は何も言えなかった。ただ、「あ、そう」としか。  次の日から彼氏彼女じゃないという事実も、意外とすんなり受け入れられていた。  でも今になって思う。  どうしてあの時は簡単に諦めてしまったのか。  理由を特に聞くことも出来ず、ただ別れを突きつけられて、普通の友達――まあ、より 親密な友達とはなったけれど、しばらくは疑問を抱いたまま日々を過ごした。  結局、亜季はそれから酷いことになって、俺も振られたことをいつまでも引きずってい られる状況ではなかったから、いつしか忘れたけれども。  もし別れた理由を聞いていて、まだ挽回の可能性があったとしたらどうなっていたんだ ろうか……。 「昔は昔。今は中村だ」  俺は過去の思い出から今に目を向けた。  そうだ。その時に出来なかったことを、今すればいい。  振られたとして、出来るなら理由を聞いて、挽回できるならば実行したい。  支倉が言った言葉を思い出す。 『中村さんの隣が埋まるまで――』  そう。もし振られても、中村の隣が埋まるまでチャレンジし続ければいい。  何が中村に必要なのかを―― 『私は人殺しだから』  不意に蘇った言葉に、体が震える。  中村と付き合うことに必要なもの。  それがおぼろげながら、俺には見えていた。  あの言葉の真意を、俺は知らないといけないだろう。 (話して、くれるのかな……)  話してくれるとすれば今日だろう。  俺は、彼女が抱えている物を支えることが出来るんだろうか……。 「……時間だ」  俺は外行きの準備を済ませると、玄関に出る。そこでみなほが帰ってきた。 「兄貴、どこかいくの?」 「ああ。行ってきます」  みなほの視線を感じつつ俺は出た  自転車をこぐことで受ける風は、流石に涼しかった。十月上旬にも関わらず、今日の気 温は下旬並みの気温になると、そういえば天気予報で言っていたような気がする。  シャツと上着だけの格好に吹き付けてくる風が冷たい。  俺の体は何度かぶるっと震えていた。それは寒さによるものもあったけれど、やっぱり 不安によるものもあっただろう。  寒い中を走っているうちに、中村からの返事を聞けるということで変に上がっていたテ ンションも冷えてきていた。その先からあるのはただ不安だった。  家から出る前はまだ希望を見ていたはずなのに。 「……この天気のせいかな」  運転を誤らない程度に空を見る。  空には雲が多くて、あまり星は見えない。  月もちょうど雲に隠れていて夜が更に暗かった。  この暗さが俺の気持ちを更に落ち込ませているかもしれない。 (……中村に会う前から負けててどうする! 振られたとしても、俺は簡単には諦めない って誓ったじゃないか)  それは確かに自分勝手な誓いだったが、俺を支えるのには十分だったはずだ。  支倉の姿も見ていたし、信にも励まされていたし、少なくとも怖気づく理由にはなら ないはずだ。 (といっても、やっぱり不安になるんだよな)  それは結構あっさりと受け入れられた。  どうしてかと言えば、おそらく待ち合わせの場所についてしまったからだろう。  それまでどうにも落ち着かなかった気持ちが、一気に落ち着いていく。  テストの前と同じだ。  それまでは勉強してもどこか自信なくて不安だけど、いざテストが始まってしまうとあ まり気にならなくなる。  そう、俺はテスト結果を発表される生徒なんだ。  中村が教師で、俺は生徒。 『高瀬君。君の点数は八へぇだから、不合格』 『ま、まってくれ! 理由は――』 『拙者、小さい時に冷蔵庫を半開きにしたまま黙ってましたから。切腹!!』 『ぎゃーー!』  って、何を考えてるんだ!? 緊張しすぎでおかしくなったか? 「ったく……」  自転車を適当な所に止めて、中に入る。すでに誰もいないトラックを見てから、俺は客 席へと登った。  コンクリートで作られた席は、夜気によって冷めているために尻が冷たい。  俺は前かがみになって、ふと思いついて、ゆっくりと息を吐く。  体内の熱を含んだ息は予想通り空へと白く染まり、登っていった。 「まじで、もうすぐ冬だなぁ」 「そうだね」  俺の独り言に答えたのは、中村だった。  瞬間、心臓が跳ねた。  いつの間に来ていたのかという驚きもあったけれど、『ついに来た』という気持ちもあ った。  中村の息も少し白い。ゆっくりと空に登っていくそれを見ていると、自分が意外と長い 間、中村の言葉に返答していないことに気づく。 「……もう少ししたら雪降るかもな」 「うん。さっきさ、雪虫が飛んでたんだよ。制服についちゃって嫌だったなぁ」  中村はそう言って制服を払う動作をする。よく見ると、少し中村は震えていた。制服の 下に長袖を着ているようだが、ここまで寒くなることを想定してなかったんだろう。俺は かわいそうになって声をかけた。 「なあ、やっぱり一度帰らないか? ここじゃ寒い――」 「ここで言うよ」  その声は普段の中村の声だ。  でも、普段の中村じゃない。俺は直感的にそう感じていた。  俺が何も言えずにいると、中村は俺の傍まで近寄ってくる。心臓の高鳴りが胸を痛いほ ど叩いて、血管を血が伝う音が、耳に轟々と響いる。  何も考えられない。ただ、彼女が傍に来るまで俺は座り込んでいるだけだった。 「高瀬君」  俺にすぐ触れられる距離で、中村は俺の名前を呼ぶ。俺は何とか、彼女の言葉を返した。 「中村――」 「ごめんなさい」  拒絶の言葉。  シンプルで、分かりやすい言葉。  その言葉でこの場で得られる回答の全てを表していた。 「なん、で……?」  そう尋ねることが出来たのは奇跡に近かった。体中から力が抜けて、何も聞けないまま うなだれてしまうところだったのを、遮ることが出来たのは心の中に残る言葉だ。 『私は人殺しだから』  断るのなら、この言葉が意味するものが原因だろうと思っていた。  だから、断られるならせめて理由を聞きたかった。そうすれば、諦めないことも諦める ことも、どちらかを決めることが出来るだろうから。  中村は柔らかな笑顔を向けて、言った。 「高瀬君、わたし言ったよね? 付き合うとしたら高瀬君とだって」 「……ああ」  そこで、初めて中村の笑顔にかげりが見えた。少しだけ寂しそうに、言ってくる中村。  それは俺への哀れみなのか、それとも別の物なのか。 「少し前にね、支倉君と同じように期間限定で付き合ったんだ。その時も……駄目だった」  中村は、ため息を一つついて、言った。 「やっぱり、わたしには無理だった。人を好きになることが」 「それって……どういうことだよ?」 「どうって、そのままだよ」  中村の言葉が理解できない。いや、言っている意味分かるけど……それを言っている中 村が信じられない。  だって、あれだけ青島とも仲良くしているし、支倉にもたまにきついことを言うのはそ れだけ気を許しているからだと思ってた。  俺に対しても―― 「そのままって……じゃあ、中村、お前――」  今まで、俺達と接してきたのは、友達としてじゃなかったのか?  友達として好きだから、今まで一緒に笑ったりしてくれたんじゃないのか?  それは恋愛感情をもてないという意味かもしれない。  でも、中村の言葉と雰囲気は、そんなことに限られていないように思えた。  人を好きになれないとは、本当に言葉通りの意味に思えた。 「でも、本当のことだもん。わたし、やっぱり今はまだ、人を愛することは出来ないと思 う」 「……今は、か」 「うん。今」  中村はそこまで言って、俺から離れる。  それを追いかけるように立ち上がったけれど、中村の視線に縫い止められるようにその 場に固まってしまった。 「ごめん。今は、高瀬君と一緒にいたくないんだ」  悲しそうな顔。  中村は辛そうな顔をして俺を見ていた。その顔を見ると、俺は何も言えない。  どうした! 俺は俺を振る理由を訊くんじゃなかったのか?  諦めずに、その理由を何とかしようとするんじゃなかったのか!?  でも、意思はあっても体が動かない。口が開かない。  結局中村がいなくなるまで、俺は動かないままただ立っていた。  ――中村がいなくなってから、俺はまた座り込んでいた。  どれだけ時間が経ったんだろう。  携帯電話がブルブルと振るえて、止まる。さっきから何度か鳴っていたようだけれど、 俺は取る元気はなかった。ようやく腕が動いて、電話を取る。  着信ありの文字。メールも届いているみたいだ。 (……)  見てみると、みなほから二件。信から一件。  とりあえず信に向けてメールを返信しようとしたら、客席の入り口のほうから音がする。  入ってきた人影を見て、思わず声を上げてしまった。 「青島……」 「武田君が、多分ここだって。妹さんも心配してたみたいだよ」  青島は軽い口調で言ってから、俺の隣に座る。  なんとなく彼女の顔が見れなくて、俺はうつむいたままだった。 「渚に……ふられたの?」 「……ああ」  声を出すのが辛い。  夜の気温が下がってきて、体はいつの間にか冷えていた。 「教えてあげるわ。渚の過去」 「え?」  それは突然の申し出だった。


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