「中村さん! 誕生日、もう終わったって本当ですか〜!!」

「うん。本当だよ」



 支倉の声が教室中に響く。昼休みの喧騒を吹き飛ばし、ついでに座っていた椅子も蹴倒

し、傍にあった机の上に乗せてあった弁当箱まで吹き飛ばした。中味はすでに食べ終えて

いたが。



「い、い、いつだったのですか!?」

「九月十二日」

「く……が……つ……十二!!」



 支倉は顔を青ざめさせて床に膝をついた。

 どうやら本気で悔しがっているらしい。



「まさか、この中村親衛隊隊長の俺というものが! まさか誕生日という一大イベントの

日を聞き忘れていたとは! もう腹をかっさばくしかない!」



 支倉は弁当を食べるのに使っていた箸を逆手で持って、腹に突きつける。それを赤間達

が必死で止めていた。そんな支倉はほっておいて、俺は他の皆に気づかれないように中村

に囁いた。



「俺のプレゼント、どう?」

「うん。朝はばっちり起きられるよ」



 中村は笑顔で答えてくる。その顔に、俺は血液が沸騰するような感覚を得た。もちろん

過大な感覚だけれど。

 視線を移すと青島がにやけて俺を見ていた。中村に話は聞いているだろうし、おそらく

中村と俺が付き合ってることを知っている唯一の人物だろう。

 俺は何とか違和感を出さないように中村から離れて、自分の机に戻った。落ち着くため

に窓の外を見る。

 十月に入り、もう少しで前期の期末テストが始まる。

 九月の半ば、体育大会の終わり。

 中村と俺は仮の恋人同士になった。

 そしてその場で中村の誕生日を聞いて、そこでお互いに驚いたんだ。



『中村、九月十二日なの? 誕生日』

『そうだけど……なんでそんなに驚いてるの?』

『俺もなんだよ、誕生日。九月十二日』



 それから最初の休みの日にデートしたり、お互いに目覚し時計を買ってプレゼントしあ

ったりした。

 定期テストが終わるまで、仮の恋人。

 終わった時の中村の答えによって……本当の関係になるか、友達に戻るか決まる。

 正直、告白してから数日は寝れなかったもんだ。



(俺ってこんなに繊細だったか?)



 窓から視線を教室内に戻す。いつのまにか支倉はいなくなっていて、中村は青島と話し

ている。聞こえてくる内容からして昨日のドラマの話らしいが、俺は見てない。

 中村は特に告白した時から変わってない。

 俺に告白されたことは、あまり驚きではなかったんだろうか。

 次の日から付き合い始めた、といっても本当いつもの会話としかしてなかったし。

 最初のデートの時に『きっと普段の会話なんてそんなに変わらないよ』と言われて少し

落ち着きはしたんだけれど、実際、今まで付き合ってるのか? という不安はやっぱり消

えていない。

 でも毎晩電話していたり、いつもの日々を過ごす中で、中村のさりげない優しさを感じ

たりもした。



 ……結局、俺は中村の目に叶っているのだろうか?



(何をしようと思っても分からないし……結局いつも通りにしか過ごせなかったし)



 来週の頭にはテストがある。そして、テストが終わった後で、中村は俺と本当に付き合

うか、友達に戻るかの判定をする。



「やっぱり憂鬱かも」



 俺のため息は支倉が教室に入ってくることでかき消された。やけに大きな音を立てて教

室のドアを開けて中村へと突撃していく。



「中村さん! せめて! せめてこれをお受け取りください!!」



 支倉の手に握られていたのはガラナだった。500ml缶。

 まるで王妃へと差し出すように、支倉は手を震わせながら中村にガラナを手渡す。

 中村は笑顔を向ける。支倉は分かりやすいほど顔を赤くして動揺した。



「お腹一杯だからごめんね」



 中村が言った瞬間、支倉が口を抑える。微かに洩れたのは明らかにゲップの音。

 あいつのことだから、おそらくガラナをやけ飲みしたんだろう。良く見れば親衛隊のほ

かの三人も炭酸を飲んでから大爆走の影響か、腹を押さえていた。

 そしてちょうど休み時間を終えるベルが鳴る。



「あ、次の授業始まっちゃう!」



 中村は急いで支度を始め、教室を出て行った。俺はそこで次の授業が何だったのかを思

い出し、回りを見る。支倉が入ってきたあたりからだろう。いつの間にかクラスに人が居

なくなっていた。



「おい、次の授業は?」

「体育」



 青ざめた顔を向けてくる支倉に、心の底から同情して、俺は教室から出た。



* * * * *
 前期期末も近いということで、部活は全部テスト休みに入っている。俺と中村は支倉や 信、翔治の目をかいくぐって二人で小さな図書館に来ていた。  成城市には大きな市立図書館がある。  大体、高校受験を控えた中学三年生や、大学受験へ向けた高校三年生。テスト前には学 年関係なく多くの学生がたむろする場所だ。  でも俺と中村がいるのはもう一つの小さい図書館だった。元々、新たに市立図書館が出 来るまで使われていた場所で、全てにおいて劣っていることから最近では使う人はあまり いない。  いるとしても前から使っていた大人がほとんどで、学生が来ることはほとんどない。  勉強しながら静かにデートするには、絶好の場所だった。 「お似合いね」  この女さえいなければ。 「どうしてお前がいるんだよ、ここに」 「あら。前からここを利用してるのよ。あなた方がここにやってきただけ」  三上は嫌悪感を隠そうともせず、しかも俺達二人の前に座っていた。確かに前から三上 はこの図書館を使っていたんだろうが、今日は俺達の後に来た。わざわざ俺達の前に座る のは明らかに悪意を持っている証拠だ。 「本当。お似合いね。これ、心の底から思ってるの。二人とも金魚の糞をつれてないけど ……完全に付き合ってるわけ?」 「金魚の糞って……」  思い浮かぶのはただ一人。 「支倉は分かるが、もう一人は――」 「あの青島とか言う娘よ」  その言葉に動いたのは中村だった。いや、実際に動いたわけじゃない。ただ、俺と三上 が同時に体を動かして、机に当たってしまったんだ。  少し大きめの音がして、周囲の視線が俺達を向く。  でも俺達二人は中村からほとばしる気配にすくんでいた。 「裕美が金魚の糞って……酷いこと言うね」  中村は起こってる。三上としては言葉のあやだったんだろうけど、中村は青島のことを 本当に大切にしているんだ。春の体育大会の時も青島がクラスメイトからの心無い言葉に 対して、怒りを露にした。 「き、金魚の糞じゃないのよ……いつもあなたに付き従って……」 「そんなに糞が好きなら、ごーちゃんの糞を食べさせるよ」  そう言って中村は横に置いてあった鞄から透明な袋を取り出した。  中には黒くて微妙に形が曲がったものが入っていた。  俺も三上も言葉が出ない。  中村が袋を机の上に置いた瞬間、三上は音を立てずに逃げていった。中村は視線で三上 を追いながら袋を開ける。 「お――」  俺が止める前に、中村は袋の中に手を突っ込んで、黒いものを取り出した。俺は一瞬、 息を止めようとしたが、想像した臭いはしない。そして、中村が俺に対してジト目を使っ ていることに気づく。 「高瀬君。まさか、私が本当にごーちゃんの糞を持ってきたと思ってない?」 「まさか! 思ってるわけないだろ」  声を潜めて必死に否定する。中村は「そう」と軽く呟いて手に持ったかりんとうを口に 入れた。ぽりぽりとかりんとうを食べる中村は可愛い。  でも、俺は言った。 「飲食禁止」 「……はーい」  しぶしぶと従うような声を出すけど、中村は笑顔のままにかりんとうを鞄に入れた。 「……でも、どうしてかりんとうが中に入ってたんだ?」 「女の子の鞄は不思議が一杯なんだよ」  何が不思議なんだか。でも突っ込む気はなかった。何度か感じた、あの今までと少しだ け違う雰囲気を感じたから。  その漠然とした予感を確かめたいから、俺は尋ねた。 「でも、三上に関してはやけに冷たいな、中村」 『私は人殺しだから』  三上と中村がそろうとどうしてもあの屋上の会話が甦る。  その言葉を聞くたびに、凄く悲しい気分になる。  でも中村に悟られないように気をつけながら、彼女の返答を待つ。  中村は案の定、顔をしかめて言った。 「あの人、凄く腹が立つの。理由は特にないはずなんだけど……裕美とかには内緒にして ね、高瀬君」  青島にも内緒。  今、俺は最も傍に居たはずの青島よりも中村に近い場所に居る。  そう確信出来た――気がする。やっぱりまだ強気で言えるほどではないか。 「ああ、分かった」    俺は半ば上の空で言った。そして、図書館が閉まる時に流れる音楽に押されて、俺達は その場から出た。


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