さらりと、中村は言った。

 まるで「今日の天気は晴れだってさ」と気楽に言うように。それほどまでに中村の言葉

には何の感情も浮かびはしなかった。

 だからこそ、俺も、三上も一瞬言葉を聞き違えたように感じて、固まった。

 だが中村は言いなおす素振りもない。屋上に吹く風が三上と中村の間を抜けていく。

 たっぷり数分を要して、三上は言った。



「な……なんですって? 人殺し? あなたが? 突拍子もないことを言って話をそらす

つもりなの!?」

「別に。本当のことだよ」



 俺からは中村と三上の横顔が見えている。だから中村の表情は良く分からなかったが、

三上が動揺して一歩下がったことから、中村の表情に気おされていることが分かった。そ

して淡々と中村は言葉を続ける。



「別に信じなくてもいいよ。あなたに話すこともないし、理解できるわけないし」



 それはいつもの中村の口調からは考えられないほどの冷たい気配を持っていた。

 死人が言葉を発するとしたら、こんな空気を持っているんだろうと思えるくらいに。

 寒気がすると同時に腕に鳥肌が立つ。それは三上も同じようで注意を腕から戻した時に

は、さっきの位置から更に少し後退している。

 でも弱さを見せるのは許せなかったのか、何とか踏みとどまって三上は言い返した。



「そ、そんなこと信じられるわけないでしょう! ばっかじゃないの!! そんなことく

らいで私の話をごまかせると思ったら――」

「うるさいなぁ」



 中村の声は出来る限り低くしたようなものだった。三上の声を一刀両断し、彼女が何も

言えないことを確認すると、そのまま中村は歩き出す。

 ――屋上への入り口へと。



(やばい!?)



 俺はとっさに横にあった掃除用具入れに入り、中村をやり過ごす。

 用具入れについている小さな窓から、通り過ぎていく中村がかすかに見える。横顔から

は全く感情は見られなかった。その後少しして、三上も下へと降りていく。

 その顔は抑えられない悔しさがにじみ出ていた。

 二人が下に降りてしばらくしてから、俺は用具入れから出た。

 ゆっくりと階下に降りていく中で考えるのは中村の言葉。



『私は人殺しだから』



 どういう意味だろう?

 いや、どういう意味も何も言葉のままだとしたら……。



(人殺し)



 その言葉は、俺にはあまりにも乾いた言葉だった。

 日常でテレビから流れてくる事はあっても、身近な人から伝わるような言葉ではなかっ

たから。

 屋上からの階段を下りきって四階に来た時、俺を探しに来たのか、少し息を切らせて立

っていた。



「雄太。出番だぞ」

「……ああ」



 俺は両頬をぴしゃりと打った。

 中村のことは気になるけど、今は試合に集中しないと。

 出来るかどうか不安に思いながら、俺は信の後ろを付いていった。



* * * * *
「高瀬!」  支倉からのボールを受け取ると同時に迫ってくる相手。五人中三人が俺に来ていること からみて、もうなりふり構わずという感じだ。俺はすぐさま真横にボールを飛ばす。  誰もいないスペースに瞬時に現れたのは翔治だった。ちょうどスリーポイントラインの 外で、シュート体勢に入る。  残りの二人が慌ててブロックに入ったところで、翔治は更に横にパスを出す。  そこに控えていた青島にボールが渡り、すぐさまゴール下にいた信へとパスが出される と、外から見て凄まじく滑らかにボールはゴールへと吸い込まれた。 「ナイッショ〜!!」  中村が親衛隊と共に声をあげる。応援団はいつのまにかC組全員となり、テンションは 最高潮に達していた。  なにしろ残り一分で六点リード。これを乗り切れば優勝なんだ。  でも、相手も決勝まで残ってきたチームだけあって攻撃を止めることはほぼ不可能。  かろうじて翔治と俺がそれぞれ二回と一回ブロックしたことが、ここにきて相手に重く のしかかっている。 「うおお!」  相手は二年の実力派五人のようだった。  その動きははっきりいってバスケ部としか思えない。  わずか十秒で俺達のゴールにボールを叩きつけて、すぐさまディフェンスに入った。 「まずは一本よ!」  青島がゆっくりとボールを運ぶ。  そこに相手の一人がボールを奪おうと一気に接近してくる。  青島は勝負をかけたのか真っ向から相手に突っ込み、その横をスピードに乗せて過ぎ去 った。 「危ない!」  翔治の叫びと、瞬時に青島の傍に近づいていた相手チームの一人がボールを奪うのとは 同時だった。そのまま俺達が追いつく間もなく得点を入れる。  残り二十秒で、二点差。 「あと二点入れれば、なんとかなる。俺がボールを運ぶよ」  翔治の言葉に込められた力に、俺達は頷く。  青島はゴール下からそのままボールを渡し、前に出て行く。翔治はゆっくりとボールを 運んでいく。そこを青島にしたのと同じように相手が一人近づいてきた。 「走れ!」  その言葉に即されるように、俺達四人は一斉に走り出した。驚きに動きが止まる相手チ ームの選手。  その隙に翔治は近づいてきていた選手を抜きさり、そのまま敵陣内に攻め入る。  これが最後の攻撃だった。  四人のダッシュと、翔治のドリブル。  虚を疲れた相手チームもすぐに気を取り直して最も単純な戦法を取ってきた。  ――翔治への集中。  残り時間を考えて翔治のパスコースを潰し、ボールを奪えば自分達が勝つと思ったのだ ろう。だが、翔治はそんな相手の思考を読んだのか、更に早い段階で行動していた。  翔治への包囲網が完成する直前、その隙間にボールを通す。  綺麗に床にバウンドしたボールはそのまま俺の手の中に収まった。 「雄太!」  ゴール下に走っていた信が叫ぶ。俺はその声の意味を理解した。  ただ一人だけ翔治に行かなかった相手選手が俺の前に立ちふさがる。  腰を落として俺が抜くのも、シュートをするのにも対応できる絶妙な位置について。  俺は速攻を止められて、その場でボールをつきながら隙をうかがう。  残り時間は――残り十秒! 「高瀬!」  声に反応してボールを出す。先にいるのは支倉。そのまま支倉は青島へとパス。  青島は戻ってきた相手が差し出す手を回避して、ゴール下にいる信へとボールを出す。  まるで決められていたかのように信の手にボールが渡り、最後にゴールへと吸い込まれ た。さっきと同じように、綺麗なラストだった。 「試合終了!」  こうして、俺達のチームは優勝を決めた。五人で汗まみれのまま抱き合って、感触が気 持ち悪い事はあったが、それでも悪い気はしなかった。  互いにお疲れ、と言い合いながら、俺はふと中村の方に視線を移す。  中村は俺達を見ていた。  その瞬間、俺の背筋に今まで試合に集中する事で忘れていた寒気が甦る。  中村が俺達を見ていた視線に含まれていたのは、三上と屋上で対峙した時にしていた視 線と同じだろうと思えたから。 「? どうしたの、たかせっち?」  翔治は勘がいいから、俺の不自然な様子に気付いたんだろう。俺はとりあえず何でもな いと否定して、また中村を見た。  その時はすでにいつもの中村に戻り、俺達のところへとタオルを持って歩いてくる。  俺は自分が中村に不自然な視線を向けてないか心配になった。
* * * * *
  「お疲れ様」  隣を歩いている中村の言葉に、俺は素直に頷く。空は綺麗な星空。その中に浮かぶ丸い 月がまぶしい。  結局、クラスでは賞には入らなかったけど、皆でカラオケで騒いだ帰り。何故か中村は 俺と二人で帰る事を提案してきた。  最後まで支倉が渋っていたけれど、青島が取り押さえてくれたおかげで、今こうして二 人で帰り道を歩いている。 「そういえばさ」 「ん?」  中村がさらりと訪ねてくる。俺は特に気にもせず先を促した。  ……それがいけなかったのかもしれない。 「三上さんて人がさ、高瀬君が私を好きだって言ってたんだけど」 「……」  意識して忘れていた出来事。みんなで騒いだ事で、また少し忘れていたのだが、中村の 言葉は俺の脳裏にあの光景を鮮明に思い起こさせる。  あの、言葉も。 『私は人殺しだから』  どういう意味か、中村は答えてくれるんだろうか。  中村は俺の沈黙をどう捕らえたのか、再び尋ねてきた。 「そうなの?」  何がそうなの? とごまかす事は出来なかった。今、この場で言えることは二つ。  中村を好きだということと、友達の好きだという事。  答えずらい、というか答えられないだろ普通。自分を好きか? と好きと思ってるかも しれない相手に訊ける中村は……やっぱりどこかずれていて、いつも通りなのかもと思う 自分が居る。  ……俺の思いは決まっていた。二人だけで、夜で、三上のこともあって。  俺の口は、開いた。 「そうだよ」  口に出してしまえば四文字。  かなり簡単な言葉。でも、俺の中村が好きだという想いをありったけ込めようと紡いだ 言葉。  言葉を発してから、風がやけに冷たく感じた。  そして背筋に寒気が走る。  それで、自分がいつのまにか汗をかいていることに気づいた。  中村の足が止まったことで、俺は少し先に進んだところで足を止め、中村のほうへと振 り返る。  中村は普段と同じ顔をしていた。  いや、あまりに普段通りの顔が、この場では違和感をかもし出している。  こんな顔を……三上の時もしていたのか?  告白した事への反応の前に、あの屋上での会話の真相を聞きたかった。でも口を開いて 出た言葉は全然違う物。 「中村?」  中村は俺の言葉に対して何の反応も見せてない。それが気になって、思わず先を即すよ うな問いかけをしてしまう。  俺の問いかけに、中村は答えない。  時間にしてみれば少しだったのかもしれないけれど、中村からの言葉を待つ間は、俺に とっては一時間にも二時間にも感じられた。 「わたしね」  中村の言葉と同時に俺の体に電流が走ったかのように跳ねる。  体が中村の言葉を拒絶してるんだろうか。  やっぱりふられると思ってるから? 「付き合うとしたら、高瀬君だと思ってたんだ」 「……え?」  中村が言った言葉を理解するのに時間がかかった。  それは期待はしていた言葉。でも言われないだろうと思っていた言葉だったから。  自分の願望と、現実が一緒になる瞬間。  それはあまりに唐突で、俺は顔が熱くなった。 「クラスでも、友達でもやっぱり一番仲がいいしね」 「そう、か……」  何を言ったらいいか分からない。  思えば俺は中村に好きだと言ってる訳で。あとは中村の答えを聞くだけのはずだ。  でもこの微妙な空気の中で立ち止まって、口と体が動かない。  何か熱に浮かされているようで……何も考えられなくなる。 「少しだけ、時間くれないかな?」 「……どれだけ?」  時間。  それは支倉も経験した時間のことだろうか。つまり、まだ中村は俺と完全に付き合うと いうことじゃないんだろうか。  そう思うと、少しだけ俺の意識を侵す熱が下がった気がする。 「やっぱりまだ付き合う自信がないんだ。だから……テストが終わるまで。今なら……あ と二週間後かな? それまで――」 「試験までだけに、試験的に付き合うってことだろ?」  我ながら寒いギャグだ。  でもその寒さが効を奏したのか、俺は冷静さを取り戻していた。まだ心臓はいつもより も鼓動を早めているけれど、顔の熱さは普通に戻った。 『私は人殺しだから』  不意に甦ってきた中村の言葉を、俺は強引にかき消した。  告白が実った事への興奮と嬉しさによって。 「そうだね」  中村も笑う。俺は少しだけ中村に近づいて、手を差し出した。  俺の手をじっと見る中村。 「俺と、付き合ってくれないか?」 「……よろしくお願いします」  中村は笑って俺の手を握ってくれた。


BACK/HOME/NEXT