最後の一週間は宿題を終えていたこともあってすんなりと終わった。武田が何度か宿題

について泣きついてきたこと以外は。

 それに適当に応じつつ、俺の心の中は一つのことで締められていた。



『支倉と中村はどうなったのか』



 結局、あの遊園地の帰り道は二人とも特に変わったところは見えなかった。支倉が告白

したのか、しないのか。したのなら、中村がどう答えたのか。それらの事が全く分からな

いまま二人に会う事もなく、俺は悶々とした一週間を過ごしていた。

 無論、夜もあまり眠れない。



「ぐあー!! 遅刻だ〜!!」



 そして俺は自転車をこいでいる。

 もう無我夢中に。

 ペダルをこきすぎて足が股関節から外れて飛んでいきそうだ。

 寝不足だとは思っていたが、まさか始業式の当日まで寝坊するとは!!

 夏は一気に過ぎ去って朝は涼しい風が流れていたけど、俺の体には熱い汗が流れている。

高校へと続く最後の坂へとついたときに時計を見ると、どうやら通常のペースでペダルを

こいでも大丈夫そうだ。



「……疲れた……」



 ペダルをこぐ足を緩めると重さが一気にのしかかる。立ちこぎをして何とか坂を登り、

ようやく高校へと着いた。結構久しぶりに見る高校は、特に何も変わってない。



「あー! 高瀬くーん!」



 自転車置き場に自転車を置いて玄関に入ろうとした時に大きな声が俺を呼び止めた。そ

の声の持ち主は知っている。よく知っている。でも姿が見えなかった。



「ここだよ〜。早く来ないと遅刻だよ!」



 教室のほうを見てみると、中村が窓から手を振っていた。一緒に青島と、支倉が顔を出

している。俺は複雑な気持ちになりつつも、それを隠して手を振る。そしてポーカーフェ

イスが崩れる前に玄関へと入った。

 支倉と中村をちゃんと直視できるだろうか?

 遊園地に行く前のようにちゃんと話せるだろうか。

 何か、今までの俺達の関係が一気に変わって行く気がする。これが、仲間内で同じ人を

好きになる代償なんだろうか。

 靴を履き替えて一階上に上ると、三年の教室の前で男二人が話していた。



「あの一年の中村渚いるじゃん」

「あー、あの可愛い子だろ?」

「一昨日さ、街で男と二人でいるの見かけたんだ」

「マジで。彼氏かな?」



 ……それ以上聞きたくなかった。



* * * * *
 教室に入ろうと引き戸に手をかけたが、その手が止まる。時刻は八時半にもうすぐにな り、荒木先生が来るだろう。  でも手が動かなかった。さっき聞いた言葉が俺を金縛りにする。 (中村や支倉と普通に話せるだろうか?)  遊園地のあと一週間、二人がどうなったのか分からない。街で中村と一緒にいた男が支 倉だという保証もない。でも、俺にはそれが支倉に間違いないと思えた。  あいつの告白は成功したんだろうか? (……ええい! ままよ!)  躊躇する腕を強引に動かして俺はドアを開けた。久しぶりのクラスのざわめきに心地よ さを感じつつ、簡単にクラスメイトに受け答えをして自分の席に向かった。そこには青島 と支倉と中村。  夏休みの前にはあんなに楽しかった席が、今は少しだけ遠い。  それでも歩けばそこに着くわけで。 「おはよ〜」 「おっす!」  中村と支倉がほぼ同時に声をかけてくる。  感情を何とか押さえて挨拶を交わし、席に座る。 「おはよ」 「……おはよう」  青島は俺の気持ちが分かるのか、少しだけ気遣ってくれるように言葉をかけてきた。そ れに答えるのも一苦労だったが、何とか言葉を向けた。 「お前ら〜宿題やったか。歯、磨いたか〜。すぐに学力テストがあるから確認しとけよ」  荒木先生は何を思ったのか丸坊主で俺達の前に姿を表した。休み前に頭の上に乗ってい たアフロは見事なまでに無くなっている。しかもグラサンをかけていて、夏休みの間にや った再放送のアニメで見た喫茶店の店長みたいだ。無論、元用兵。 「じゃあ今日はこれで解散〜」  今日は始業式だけで、いくつかの連絡事項を終えると荒木先生は終わるの言葉を紡ぐ。  同時に立ち上がる俺達。とりあえずすることは帰ること。そして、実力テストのために 今日一日は休むことだ。 「じゃあ今日は皆でカラオケにいこう〜」 「僕もお供します! 中村さん!」  実力テストに備える時間だというのにいきなり脱線する中村と支倉。でも俺も勉強する 気はなかったし、青島も同意したので、俺も行くことにした。  二人が本当はどうなっているのか、知るチャンスだった。  三時間のカラオケの間にも、支倉と中村に変わったところは見えなかった。  二人が気になってあまり歌うのは出来なかったけれど、その割には成果が上がらない。 解散した後も何か悶々として俺は家にも帰らずに近くの公園のブランコに腰掛けていた。  いつのまにか夕日が見える。  赤い光に包まれて、俺の影が後ろに伸びていた。 「……何落ち込んでるんだ、俺?」  よく考えるとここまで落ち込む必要なんてないじゃないか。  支倉は確かに中村が好きで、本来なら学祭の時に告白してたはずじゃないか。それが少 し後になっただけのこと。  ……違うのは、あの花火の日があったからか。  中村姉妹達と花火をやった日、中村は俺に「友達になってくれ」と言った。その言葉は 今まで以上に友達として仲良くして欲しい、という意味で俺はとらえたし、中村もそう思 っていたようだった。  もしここで俺が告白したらあいつはどう思うだろう。 「……あの時に告白すればよかったかな」  呟いて、立ち上がる。  ここにいてもしょうがないし、家に戻ろう。時計を見ると六時だった。時間が流れるの が早い。それだけぼーっとしてたんだろう。  家に着いてから夕食を食べて、俺は部屋に戻った。勉強しようと机に向かってもどうに も勉強する意欲が湧かない。とりあえず二時間ほど勉強しただけで、俺はシャープペンを 置いた。  何故か無性に亜季の声が聞きたくなって携帯をとる。 『ただいま電話に出られません。ピーっという音が――』  留守番電話サービスに切り替わった時点で俺は電話を切った。亜季がそうしている時は ほとんどない。傍にいなくても大抵は電話はサービスには繋がらない。  繋がる時は学校の授業中か、誰かといる時か。  そして時刻は夜九時。 「デートか」  亜季は新しい恋を見つけて、手に入れて新たな道を歩いている。俺は俺で、歩こうとは しているが、まだ後ろを見ている。この差は大きい。  自分が何か凄く劣っているように思える。  みなほも武田と少しずつ恋人同士になっているようだし。青島も彼氏とは上手くいって いるようだし、佐藤は……どうなんだろう。 (まあ人は人。俺は俺だけど……)  それは真実だが、やっぱり気になった。
* * * * *
 始業式から数日過ぎて、勉強が再開しても俺は何となく集中できなかった。まあ最初だ からまだ簡単だし、宿題として予習させられていた部分もあるからあまり苦にはならない。  苦になるのは別のことだ。 (支倉……)  支倉は俺の心の中の葛藤を知らずにあくびをしている。中村は普通に先生の話を聞いて いるようだが、目をとろんとさせていてもうじき眠るのが分かる。  案の定、寝た。 「中村〜。ねちゃあ、いかんぞ」  仏様のような柔和な笑みを浮かべて国語教師の石川先生は言った。中村は傍から見て分 かるくらいびくり! と体を震わせて先生のほうを見る。石川先生はそんな中村に笑顔を 崩さないまま言った。 「とりあえず、漢字書き取りプラス五十な」 「……はい……」  中村は心底落ち込んで下を向いた。授業が終わり、石川先生が出て行くと中村を気遣う ために青島と支倉が傍に寄る。  石川先生は仏の顔をした悪魔、と呼ばれている。生徒が授業中に寝ていたりしようもの なら漢字の書き取りの宿題を出されるのだ。  レベル的には小学六年生レベルのために簡単だが、数が半端じゃない。そしてシステム が巧妙だ。  まず最初は一つの漢字を一回。  次は二つの漢字を各四回。その次は三つの漢字を各九回書かされる。  つまりは同じ数の掛け算で書く回数が増えていく。最初で油断したらあっという間にペ ナルティが膨れ上がる。更に恐怖なのは、先生のその日の気分で書く回数が全ての漢字に プラスされることだった。  中村は今、初めてだから一つの漢字を一回ですむはずだった。でもそれプラス五十回書 かされることになる。 (あーあ)  俺は何となく覚めた目で見ていたが、支倉を見ると、視線の熱さが違っていた。 「中村さん! 書き取り手伝います!」 「ありがと〜。でも、いいの?」 「中村さんのためなら火の中水の中手がつろうとも書き続けます!」 「じゃあ、お願いします」  その会話を聞いていて、支倉は中村の字の上手さを模倣しないといけないことに気づい てないのかと思った。だけどもう一つ気になることがあった。 『面白いこと言うね』  いつもならあの会話の中でその言葉が出てくるはずだった。まあいつも言うとは限らな いが、何か気になった。  結局、俺は少しだけ手伝った後、二人から離れた。下駄箱に行くとちょうど部活を終え た青島が入ってくる。 「どうしたの? 暗い顔して」 「……そう見える?」  俺の言葉に「何を当たり前な」ということを前面に押し出して、青島は青島はため息を つきつつ言ってくる。 「血の付いた包丁持ってる人が『僕、何も刺してませんよ』と言うくらい説得力ないわ」 「なんかやけに血なまぐさい例えだな」 「高瀬君の情けなさに腹が立ってるのよ」  その言葉はさらっと口から紡がれたが、悪意は十分に伝わった。俺はふと、青島の顔が 見えていないことに気づく。いつの間にか俺は下を向いていたらしい。  ゆっくりと顔を上げるとそこにはいつもと変わらない青島の顔。  いや、あまりにも変わらなさすぎる顔。 「もうそろそろ、結果が出る頃ね」 「結果?」  俺の問いかけに青島は答えずに靴箱から自分の靴を取った。どうやら教室に行くらしい。 「ついてくる? 結果を受け入れる覚悟があるなら」 「……まさか」  俺は一つの可能性に思い至り、脱ごうとしていた上履きを再び履いた。青島は特に何も 言わずに歩き出し、俺もその後をついていく。  その背中にある緊張を、俺は感じ取っていた。何に対しての緊張なのか。  思い当たるのは一つだけ。 『中村の幸せ』だ。  青島の、中村に対する思いは俺が想像できないくらい強い。中村が幸せになるなら自分 はいくらでも泥を被ろう、という覚悟が見える。どうしてそこまで中村のことを心配する のか俺には分からない。  やっぱり、中村は青島以外には本心を見せてなくて、心では何かに飢えているんだろう か?  階段を上りきって、俺達は教室へと向かう。と、ちょうど教室から中村が出てきた。  静かにドアを閉めると小走りで走ってくる。俺達のところへ。 「あ……」  中村は少し戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻って俺達に言葉をかけてくる。 「裕美、今、終わり? 一緒に帰ろうよ」 「いいわよ。忘れ物とって来るから待ってて」 「うん。じゃあ下で〜」  中村は普段と変わらないテンションで青島と会話して、俺の横を「じゃあね」と言って 通り過ぎていった。  その時に感じたのは、かすかな悲しさ。 「……気づいた?」  青島の言葉は間違いなく俺に向けられていたんだろう。何に、とは聞かずとも分かる。  俺はただ頷いた。  教室の中に入るのを躊躇った。 「支倉君。入るわよ」  青島は中からの返答を待たずに開けた。青島の後ろにいた俺は、窓際を見ながらたそが れている支倉を確認する。  その姿が如実に何があったのか俺に分からせた。それだけに俺の足は止まってしまった が青島は進み続ける。そして支倉のすぐ横の椅子に座った。  おそらく、そこにさっきまで中村がいたんだろう。 「様子を見ると分かるから、何も言わなくていいわよ」 「……まあ聞いてくれや!」  支倉は明るい口調で言ったが、無理しているのがもう分かりすぎるほど分かる。  だから青島もあえて何も言わなかったし、俺も言わなかった。 「高瀬も分かっただろうが、あの遊園地に行った日から、二週間ほど中村さんに猶予もら ったんだよ。その間に俺と本当に付き合うか付き合わないか決めてもらおうと思ったんだ」  俺はゆっくりと支倉の傍に近づいて、椅子に座る。それと同時に青島が席を立った。手 にはバッグが収まっている。どうやら座っていた傍にバッグを置いていたらしい。 「じゃ、私は着替えて帰るわ。じゃね」  青島はそのまま教室を早足で去った。青島の足音が消えていく中で、俺と支倉二人が残 る。支倉はしばらく何かを言おうとしていたが、口が動くだけで言葉が出ない。  俺は思わず言っていた。 「ガラナは売り切れてたぞ」  何の脈絡も無い、根拠も無いことだった。それでも支倉は反応した。 「ハイール・ガラナ!!」  手を万歳するように上げて指の先までピッと伸ばす。  その体勢で固まったまま、支倉の視線がぎこちなく動いた。その先には俺がいる。  そして、その視界が揺らめいた。 「――ううう!!」  涙が、溢れた。 「うわああああ!!!」  机に突っ伏して、飾ることも無く正直な衝動を吐き出す支倉。  青島はおそらく支倉が無く姿を見たくなかったのだろう。そして、見られたくないだろ うと思ったんだ。だからすぐに姿を消した。俺を残して。  俺ならば、支倉も泣けるだろうと思って。  それは全部俺の推測だったが、的を得ている気がした。  子供のように泣き続ける支倉をじっと見ながら、思っていた。 (強いな、支倉)  泣いている支倉。  それを見ている俺。  傍から見れば逆だろうが、真実は違う。  俺が弱いんだ。自分の気持ちを隠して仲がいい友達で満足している俺が。 「……」  俺は無言で支倉の背中を撫でた。出来るのは、それだけだった。


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