学校祭も終わり、すぐに終業式も終わった。

 夏休みになって何か劇的なことが起こるかと言えば特に何も起こらない。

 先生達は宿題の山が授けた上で本州よりも短めの休みを満喫しろという。

 結局、この宿題をしなければ満喫など出来るわけはなく。

 終わらせても部活のやつらは部活で満喫までは行かないだろう。

 俺のような帰宅部は……つまり暇なのだった。



「あっち……」



 北海道は久しぶりに夏らしい暑さが来たおかげで、俺は自分の部屋では勉強が出来なか

った。しょうがなく予備校の夏期講習へと行っているみなほの部屋で扇風機をつけながら

数学の宿題に向かっていた。

 武田は一年のくせして全国大会なんてものに行くから練習だし、中村と佐藤は夏休み明

けにある合唱コンクールに向けて追い込みをかけてるし、支倉と二人で何かしようとはど

うも思えないし……青島とも同じく。



 つまりは、暇だと言うことだ。



「ひま〜ひま〜ひ・ま!」



 俺はノルマにした分の範囲を終わらせて体を部屋の床に投げ出した。

 大の字になって上を見てみるとジャニーズの誰だかのポスターが貼ってある。みなほも

女の子なんだなぁ。何か可笑しい。

 とりあえず勉強道具を片付けて自分の部屋にとって返す。

 汗を吸ったハーフパンツとシャツを脱いで外行きの服に着替える。と言ってもシャツを

変えてジーンズを穿いただけだけど。



(外でもぶらぶらするか)



 暑さに思考が鈍ってくる昼間には何もしないに限る。

 母親が作って置いていったそうめんは食べずに外に出る。こんな暑さで食べる気が起き

ない。

 ドアを開けるととたんに降って来る太陽光線。

 まぶしさに目を細めながらも俺は外に足を踏み出した。

 自転車は使わずに歩きのまま目的地を決めずに歩き出す。暑さは苦手だったが汗をかく

こと自体は別に気にならなかった。暑いなら汗をかくのは当然だろうし。

 何が嫌かと言うと家の中で何もしてないのに汗をかくのが意味がないみたいで嫌だった

んだ。少し歩いて、ふと思いつく。



(学校でも行こうか)



 別に一日中合唱の練習しているわけでもないだろう。

 練習帰りの佐藤や中村を捕まえてカラオケでも行こう。あいつらがそんな暇なくなる頃

には武田が帰ってくるだろう。

 目的が決まると足取りは軽やかだった。

 歩いて学校に行くというのは意外と運動になる。

 生ぬるい風が吹く中、直射日光を浴びて俺の体には徐々に汗が流れていく。まあ、家の

中で動かない状態で汗が流れてくるよりもましだが。



(それにしても誰も歩いてないな)



 夏休みの昼だというのに俺の視線の先には誰もいない。

 後ろを見てみても誰もいない。

 確かに都会に比べれば人口も少ないし、田舎と言えば田舎だろうが、成城市も一応人口

九万都市だ。もう少し人が出歩いても良いんじゃないかと思ってしまう。

 車も何故か通らないので知らず知らずのうちに俺は道の真ん中を歩いていた。

 何かとても気分がいい。



(……ん?)



 と、そこで横道から犬を連れた女の子が出てきた。偶然にも向かい合う形になる。

 唾広の白い帽子を被り、白いロングスカートにピンクのTシャツを着たその姿はいかに

も真夏の少女という感じがする。

 と、急に連れていた犬が吼えたかと思うと俺の元へと走ってきた。



「うぉんうぉん!!」



 どこかで聞いたことがあるような鳴き声。ゴールデンレトリバーが巨体を軽やかに走ら

せて俺に突っ込んでくる。

 流石に逃げようとしたが、その前にタックルが腹へと決まった。



「ぐはぁ!?」

「うぉんうぉん!」



 道路に倒れた俺の顔を舐めてくる犬。あまりの熱い愛情表現に俺は応えた。



「やめろぉ!!! 必殺! アテナ・○クスクラメーション!!」



 と、三位一体技を出そうとしても、当然こちらは一人なので全力で押しのける。



「駄目だよ〜ごーちゃん!」



 飼い主が一言だけ言うと、そのごーちゃんは鳴きながら飼い主へと近寄っていった。残

るのは蹂躙された俺だけ……。



 って、ごーちゃん?



「どこかで聞いた名前だ。あたかもゴールデンレトリバーのような」

「そうですよ。ゴールデンレトリバーだからごーちゃんです」



 いつのまにか飼い主の少女が俺の傍に来ていた。心配そうにこっちを見つめる瞳をどこ

かで見たことがある。



「どこかで、会った?」

「……」



 少女はどう言ったらいいか分からない様子でまごついた。思い返してみてるとまるっき

りナンパをする時の台詞じゃないか!?



「いや、その――」

「そうですね。多分知ってますよ、高瀬さん」

「え?」



 見知らぬ少女が俺の名前を知っていたことに驚いていると、そのまま少女は言葉を続け

てきた。



「いつも渚姉さんがお世話になってます」



 その言葉が全てを表していた。

 女の子らしい丸みを帯びた眼鏡の中から俺を覗いてくる瞳。背中まで伸びた栗色の髪。

姿形は少し幼い感じがしたが、間違いなく俺の知っている人の身内だと分かる。俺は思わ

ず口に出していた。



「中村の……?」

「はい。中村一紗(かずさ)です。渚姉さんから高瀬さんのことは色々聞いてますよ」



 中村妹の言葉に心臓が高鳴る。俺のことを中村は家族にどう言っているのだろう?



 かっこいい人?

 優しい人?

 面白い人?



 どれなんだどれなんだ……?



「とっても変な人だって」



 ……そっかい。



「あの、どうしていきなり倒れてるんですか?」

「いや滑っただけ」



 俺は平静を装って立ち上がる。まあしょうがないかと思う反面どこかほっとする。そこ

でいきなり「好きな人」みたいなこと言われても困る。

 とりあえずごーちゃんが先に行こうとしたから中村妹と一緒に歩き出した。



「渚姉さんは今、合唱コンクールに向けて練習してるから、とても忙しいんですよ」

「聞いてるよ。定期演奏会があれだけ良かったんだ。練習すれば全国とか狙えるだろ、多

分」

「分かるんですか? 合唱」

「いや。ただ、素人から見ても凄さが分かるって言うか」



 成城東の合唱部のレベルが高いことは定期演奏会と学校祭の歌合戦ステージで思い知っ

た。いや、歌合戦は別の意味でも凄かったけど……。

 と、そこで少し会話に穴が空いてしまったことに気づいて、俺は中村妹に問い掛けた。



「中村妹は何か部活やってるの?」

「中村妹って……名前で呼んでください」



 いくら友達の妹とはいえ初対面の女の子の名前を呼ぶのはなかなか抵抗がある。でも中

村妹というのも何か変だった。俺は多少気恥ずかしさを感じつつ、口にした。



「あー、一紗ちゃん」

「はい、高瀬さん」



 何だろう……何か凄く気持ちいいかもしれない。

 きっと俺の顔は今、どこか緩んでるだろう。隣を歩いている有紗ちゃんが首をかしげて

いるのが分かる。



「うぉんうぉん!」



 ぼーっとしている俺の足を、ごーちゃんが優しく噛んだ。



* * * * *
「では、ここで」 「ああ。じゃあね」  一紗ちゃんと別れて俺は学校に向かった。散歩コースが被っていたのか、目と鼻の先に 学校がもう見える。  歩いている間にふと思いついたことがあって、俺は早足で学校へと入った。  学校の外では陸上部やサッカー部、野球部など外の部活の部員達が汗を流す声が聞こえ る。中は体育館で今はバスケ部が練習しているようだ。  俺は上履きに履き替えて校舎内を歩き始めた。目指す場所が大体どこなのかは検討が付 いている。まあ四階まであるとはいえほとんどが教室で、特別教室なんていくつもない。 その中の一つを拠点としているのは佐藤から聞いていた。 (確か……書道教室だったか)  一年生は美術と音楽、そして書道から一つ選択する。俺は音楽だから、他の婦達がどう いう風に授業しているかはよく分からないが、書道教室に得体の知れない箱が置いてある のは廊下からでも見えていた。  おそらくあれが、彼らの持ち物なんだろう。  と、ちょうど目指す場所が見えた。四階の一年A組と特別教室棟の境目。そのすぐ傍に 書道教室はあった。  扉には平日には見られなかった札がかかっている。 『番組研究会』  目指す場所の名前が見えて思わず嘆息する。  活動しているかは半分賭けだったが、見事に勝ったらしい。  普段はかかっていないから、今は活動中のはずだ。  俺は静かに扉にある小窓から中を覗き見た……瞬間。 「不法侵入者確認!」 「確保確保!」 「ガン・ホー!ガン・ホー!」  得体の知れない掛け声と共に俺は体を拘束されて部屋の中へと連れて行かれた。 「待て待て!?」 「ふははは! ザクとは違うのだよザクとは!」 「ニュータイプの力を見せてやる!」 「ガン・ホー!ガン・ホー!」  俺の話を聞かずに三人は俺を椅子に座らせると周りを取り囲んだ。俺の後ろには黒板。 隙のない布陣に逃げ場がない。 「……で、何なんだよ」 「質問には答えよう。我々は番組研究会だ」 「……そりゃ、看板かかってたしな」 「ふっ。さすが俺が見込んだ男だ! 凄まじい洞察力!!」  何か言おうと思ったが、更に混乱しそうなのであえて言葉を止めた。  変わりに俺を囲む三人を観察する。  右側にいるのは長い前髪で片目を覆った男。左側にいるのは明らかに太っていて赤い帽 子を被っている。そして真中の男は角刈りをして普通の人よりも大きな目をじっと俺に注 いでいた。 「……反応がないが?」 「やはりニュータイプには程遠いのでは……」 「ガン・ホー! ガン・ホー!」 「お前らうるせえ!!」  やっぱり耐え切れずに叫んでいた。


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