日曜の部もとうとう終わりに差し掛かっていた。それは少しだけ西に傾いた太陽が証明

している。すでに体育館では先生と生徒対抗の歌合戦が始まっているはずだった。でも俺

はここにいる。



「あ、あの……付き合ってくれませんか?」



 唐突に廊下で声をかけられて屋上まで連れてこられた。その結果がこれだった。

 俺としてはもう後夜祭を楽しもうと思ってただけで他のイベントに積極的に参加する意

思がなかったから別に良かったが。



「ごめん。付き合えないよ」



 俺は今までのように柔らかく断る。

 だけど今までと違うのは相手の反応だった。



「……諦めない」

「は?」

「だって高瀬君。彼女いないんでしょ? なら、わたしにもまだチャンスはある」

「おいおい……ないよ、チャンス」



 流石にこの反応は予想してなかった。

 何とか諦めさせようと言葉を捜す。でも機先を制したのは彼女だった。



「あるもの! チャンス!! あなたには好きな人がいるって話だったけど! 本当の話

は分からないもの! だって実際にあなたには付き合ってる人はいないじゃない! だと

したら、あの噂がデマか、あなたが告白してないってことでしょう!?」



 彼女は半狂乱になって叫びながら俺の制服の襟を掴んできた。あまりに強い力に驚いて

動けない俺に、更に詰め寄ってくる。



「あなたにチャンスがないなんて言われたくないわ!! あたしがどんな思いで告白した

と思ってるの!? 好きな人がいるとか噂流れてる割にはまったく行動した様子がないじ

ゃない! さっさと好きな人とでも付き合えば、あたしのような惨めな思いする人がいな

くなるんじゃないの? この偽善者!」



 言いたいだけ言った後に振り上げられる彼女の手。そして俺の頬への衝撃。

 一瞬暗くなった視界が回復した時には、彼女はすでに背中を向けて屋上の扉をくぐって

いた。熱を持った頬には風が心地いい。

 俺はぼんやりとしながら屋上の端へと歩いていった。

 フェンスに寄りかかり、空を見る。

 半狂乱になった彼女の言葉は、はっきり言ってしまえば自分勝手だ。でも的を得ていた

部分もある。



(俺は……怖いだけなんだ)



 中村を好きだという気持ちは本物。

 でも、俺は今の関係を壊すことが怖い。断られればもう二度と友達には戻れないかもし

れない。いや、戻れてもそれは前と後では全く別のものとなるだろう。

 確かにその覚悟して告白してきた彼女へと言う資格はないかもしれない。

 彼女が去ってからしばらく何も考えることが出来なかった。

 動く気力もなくなり、徐々に暗くなっていく空と、徐々に騒がしくなっていく校庭が同

時に視界に入る。学校祭のラストを飾る後夜祭のキャンプファイヤーの準備をする学校祭

実行委員会の面々。

 彼らは彼らで自分の仕事に真剣に取り組んで、充実しているんだろう。

 俺は……どうなんだろうか?

 充実はしているはずだ。でも、肝心なことはどこかで避けている気がする。

 それは卑怯なことなんだろう。



(中村に告白することは……あいつに真剣に向き合うことになるのか?)



 今の関係を維持することと、想いを伝えて一つの決着を見出すこと。

 どちらが正しいのか俺には分からない。



「ずいぶん悩んでるな」



 その声はいつも唐突に現れる気がする。俺は振り向かず、言葉を出さずに声の主が近づ

いてくるのを待った。そしてもう一つの気配がついているのに気づく。



「……おい!?」

「何だ?」

「兄貴もお年頃だねぇ」



 予想通りの武田。そして予想外のみなほ。

 二人は俺を少しにやけた表情で見ていた。その事に腹を立てようとした矢先に武田が表

情を無にしてみなほへと言う。



「これから雄太と話すから」

「うん。シン君、兄貴をよろしく」



 みなほは素直に従って、屋上から出て行った。残るのは俺と武田――いや。



「信……」

「長らく名前で呼んでなかったな」



 俺達の中で決めた一つの約束。

 本当に真剣な話をするときだけ名前を呼び合う。

 一つのふざけも互いに許さない証だった。



「実は少し前に屋上から泣いて出て行った女を見てね。屋上を覗いたらお前がいたからし

ばらく後まで待って、屋上にいなかったら放っておくつもりだった」

「そうか」



 風が生暖かさを運ぶ。

 暑さにワイシャツの裏側を汗が伝う。本気で俺を案じてくれる信からくる圧力によって

俺の体も緊張しているんだろう。俺は素直に今の心情を語った。



「中村に気持ちを伝えないで逃げている俺は間違ってるのかな?」

「間違ってないと思うぞ」



 俺が結構な時間悩んだことに対して、信は瞬時に返答してきた。



「そんなもん。誰でも思うことだ。でもその怖さを乗り越えたからってどれだけ偉いんだ

よ? 誰かに認めてもらうために勇気出して告白するわけじゃないだろ? 俺から言わせ

ればその女の方が言う資格なんてないぞ」



 言い終えて、信は顔に笑みを戻していた。



「お前がどうしたいのかが結局大事なんだよ。それは誰にも妨げることは出来ないと思う

ぜ。中村さんが好きで、絶対手に入れる! と思うなら告白すればいいんじゃない? た

だふられるリスクもあるから、それを受け入れる覚悟も必要だけどな」



 こういう時の信は何か同年代とは思えないほどしっかりしているように見えた。

 直視するのが何となく恥ずかしくて、俺は視線を外しながら呟く。



「俺は……まだ覚悟がない」

「そうか。別にそれなら無理して言う必要はないだろ。その間に中村さんに好意をもたれ

るように頑張ればいいんだ」



 信は俺の隣に並んで校庭を見る。そこにはキャンプファイヤーの丸太が組み上がり、辺

りが暗くなれば点火されて赤く染まる。



「お前は……みなほに告白した時、どう思った?」

「三回」

「? ……三回?」

「そう。三回。三回断られたら諦めようと思った。そして、それまでに願いが叶ったって

わけさ」



 信の顔に浮かぶ凛々しさは何かと思っていたが、なんとなく分かった気がする。

 それは覚悟なんだろう。

 自分の想いを相手に伝える時に追わなければいけないリスク。

 それを負う強さを身に付けたことで得られるものなんだろう。



「……俺は弱いのかな?」

「まあ誰だって怖いさ。俺はなんでもないように言ってるけど、それはみなほちゃんがち

ゃんとオーケーしてくれたからだぞ」



 信はそこで普段の表情に戻っていた。



「告白までは心臓ばくばくよ! だからよ、高瀬ももう少し待ってもいいんじゃないか?

別に他の奴に何を言われようとお前が最後は決めろ」



 武田は俺から離れていく。もう話は終わりと言うことだった。俺にしても、もう十分武

田には話を聞いてもらったと思う。



「俺はこれからみなほちゃんとラブラブファイヤーだから、お前はここでいろいろ考えて

るとよい〜」

「恥ずかしいこと言うな!」



 前に進みながらも俺を見て言ってくる武田にみなほが飛び蹴りを放っていた。俺から見

た限りでは鳩尾へと決まり、苦悶と共に武田が沈む。沈み込んだ武田を引っ張りながらみ

なほは屋上から消える。

 一人残った俺は少し考えて、この場に残ることに決めた。

 武田のアドバイスを素直に聞いて、告白はしばらく待とうと思ったが、なんとなくみん

なと後夜祭という雰囲気でもない。

 しばらく時間潰したら帰るか……。



「あれ?」



 聞きなれた声は中村の声だった。

 突然、しかも偶然に現れたように思えた中村だったが、中村のほうは俺をどうやら探し

ていたらしい。表情でそれが見て取れた。



「やっと見つけた〜。やっぱり最後はここだったね」

「やっぱりとか言うならどうして先に来なかった?」

「ほとんどの人が後夜祭に向かってる学校の中って寂しくて、静かで、探検してるみたい

で楽しかったんだ」



 中村は心底楽しそうにはしゃいで俺の隣に来る。そのまま下に見える組みあがったキャ

ンプファイヤー丸太を見て息を吐く。



「これから点くんだ〜。早く暗くならないかな?」



 中村の言葉に上を向いてみるとようやく太陽が沈みかけているようで、さっきまでと比

べるとかなり暗くなっている。

 下を見ると結構な数の生徒が集まっていた。



「ありがとね」



 中村が呟いた言葉の真意を掴みかねて俺は動きを止めた。何がありがとうなんだろう?

 俺からの言葉がないことに不思議に思ったのか中村が顔を向けてくる。



「何が?」



 そのことでようやく言う言葉を口にすると中村は少し失敗した、というような顔をして

から言葉を続ける。



「裕美の事だよ。高瀬君が相談に乗ってくれたおかげで彼氏さんとまた安泰になったよう

だよ。さっきも二人でいたんだ。気づかれないように逃げてきたけど」

「そう、か……」



 俺に泣きついてきた時の青島の顔を思い出して、不思議な気持ちになる。

 恋をするってことはそんなに不安定になるんだろうか? 嫌われているかもしれないと

そんな素振りを特に相手が見せていないにも関わらずそう思ってしまう。

 なんとなく大人びた青島がそうなるのは違和感があって、でもやっぱり同い年の女の子

なんだと思う。

 でも確かに恋はそういうものなのかもしれない。

 自分が制御できなくなる事が恋ならば、俺も――中村に恋している俺も今、自分が制御

できなくなりそうだった。

 でも――



「中村、お前、青島と俺を無理して二人きりさせようとしたろ? お前に見られた最初の

日以来青島から全く相談受けなかったんだからな。もう解決してたんだよ」

「え? そうなの?」



 どうにか抑えることが出来たのは、やっぱりまだ覚悟がないからだ。

 でもそれでもいいかなと思えるのは武田のおかげだろう。



「そうだったんだ〜。ま、一件落着だね」

「全く……」



 不意におかしさがこみ上げてきて俺は笑った。中村も不思議そうに俺を見ていたが、や

がて笑みが零れた。

 お互いに笑いが止まると同時に校庭のキャンプファイヤーが点いた。と、同時に放送局

の部員がアナウンスする。



『さあ! 学校祭もこれでほんとのほんとでさいご!! 後夜祭を思い切り楽しもう!』



 アナウンスの絶叫に応える生徒達。炎が徐々に大きくなり、生徒達が回りでオクラホマ

ミキサーを踊り出す。高い位置からだと流石に顔の判別は無理だが、きっと青島も彼氏と

共にあの中にいるんだろう。



「中村はいいのか? あの中入らなくて」

「うん。こうやって上から見てると楽しくない?」



 俺は特に言葉を出さずに頷いた。

 後夜祭だからって特に新しいことをやるわけじゃない。ただ単に炎の周りを踊り続ける

だけ。まあ、あとはこの暗闇にどこかで愛の告白でもする輩が増えるんだろう。

 武田の言葉を借りれば。



(――そういや、支倉は?)



 疑問が頭をよぎったその時。



「こ、ここでなにをしてる〜!!」

「あー、なぎっちゃん」



 聞こえてきた声は予想にたがわず支倉と、そして佐藤だった。どうしてこの二人が一緒

なのか意味が分からない。



「この親切な男が中村さんの行方を教えてくれなかったらどうなったことか!!?」

「うーん。普通になぎっちゃんを探してたから行きそうな所を言っただけなんだけど」



 支倉が足早に俺と中村に近づいてくる。佐藤はその後ろをどこか申し訳なさそうにゆっ

くりと歩いてきた。俺の気持ちにどうやら気づいている佐藤だ。その顔に浮かぶ申し訳な

さは多分本当だろう。

 だが、今に限ってはそのおせっかいは都合よかった。



「二人もここで炎見ようよ〜。綺麗だよ〜」

「うん〜」



 佐藤が気まずさを振り払うように中村の傍に寄って行く。

 支倉のほうは俺に近づいてきた。



「高瀬、俺、まだ告白止めとくわ」

「え……」



 声を潜めて中村に聞こえないように言ってくる支倉。

 俺が驚いている間に支倉は中村へと声を上げながら近寄っていった。



(……支倉も俺と同じなのかもな)



 まだまだこの関係を崩したくない。それはどこか女々しいと言う人もいるだろうが、正

直な気持ちなんだから仕方がない。



(とりあえず、このままで)



 気持ちに一応の区切りをつけて、俺は皆と一緒に踊る生徒達を見た。

 遠くからでも楽しそうに見える彼らを見て、俺達もまだ楽しく過ごしていたい。

 そう、思った。





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