中村を追いかけたかったが青島に胸の前で泣かれていては身動きが取れない。とりあえ

ず後で青島に説明させることにして、俺はしゃくりあげている青島の後頭部をゆっくりと

撫でた。



「青島……どうした? 何があった? 俺に相談乗れることだったら乗るから、まあゆっ

くり落ち着けよ」

「――うん」



 それからどれだけ時間が経ったんだろう。実際には二、三分だったんだろうが、俺には

一時間にも二時間にも感じた。青島の体温が俺と混ざり合う感覚。

 なんとなく妙な気分になって、両手が背中に回ろうとした。

 と、その時になって青島が俺から離れる。



「――ありがと。落ち着いた」

「そ、そうか」



 回そうとした両手を気づかれないように下ろして、俺は少し距離を取った。

 無意識に人の話を聞く距離を取る。

 近すぎず遠すぎず。

 ちょうど気負わずに話を聞ける距離だ。



「どうしたんだ?」



 青島は少しうつむいて俺に話そうか考えているようだった。また少しだけ時間が過ぎる。

 でも、今度の時間は短かった。



「実はね、彼氏に振られそうなのよ」

「――んあ?」



 青島の言った言葉が理解できなかったわけじゃない。でもどう言ったらいいか分からな

かった。例えるならば息を吸うことと吐くことが同時に起こり、動きが強制的に止まって

しまうような、そんな感じ。

 一瞬の静止の後で、俺は第一声を出した。



「お前! 彼氏いたの!?」

「そうよ。渚以外に言ってなかったけどね」

「だ、だだだだ誰!?」

「陸上部の三年生」



 俺の反応を面白がっているのか、青島は笑って近づいてきた。そのまま俺の横を通り過

ぎてフェンスに寄りかかる。どうやら完全に落ち着いたらしい。

 さっきまでの弱った雰囲気は微塵も感じられなかった。



「で、でも……どうして振られそうなんだ?」

「ん……あまり分からないの」

「は?」



 俺の問いに答えにくそうに青島は言って、更に続ける。



「分からないの。相手がそう言ってるわけじゃないし、特にそういうそぶりがあるわけじ

ゃない。でも……振られそうって思うのよ」



 ……これはつまり、こういうことか?



「青島、考えすぎなんじゃないのか?」

「そうね。そうなんだろうね。きっと」



 青島は笑っていた。どうやら的を得たらしい。

 というよりも、自分の中に答えが見えたと言うことか。



「ありがと。おわさがせしてごめん」

「別にいいよ」



 青島は背伸びをして俺に背を向けて空を見た。

 完全に立ち直っているんだろう気配は十分伝わってきて、俺も一安心した。そこでふと

疑問がよぎる。



「お前、どうして俺に?」



 どうして相談してきたと問い掛ける言葉。途中で言葉を切ったけれども、青島は俺の言

いたかったことを理解したんだろう。上を向いたまま思い切り息を吐いた。

 勢いよく振り返ると笑いながら言う。



「何、高瀬。惚れた?」

「きっぱりと違う」



 冗談で言っているのだと分かっているから、俺も冗談で即答した。少し落ち込んだ顔を

見せた青島だったが、すぐに言葉を続けてくる。



「うーん、高瀬ってどうも話しやすいんだよね、こういうこと。友達付きあいしてるとさ、

安心してこういう自分の弱いところを話せるというか……」

「俺は恋愛対象外だから?」

「そうだね。まあそれだけじゃないけど」



 歩き出した青島を視線で追う。ゆっくりとフェンスに沿って歩く彼女を見ながら、ふと

先ほどの青島の姿が脳裏をよぎる。



「高瀬は、何を言ってもわたしを嫌わない……友達を嫌わない気がするんだ。どうして思

ったのか知らないけど」

「合ってるよ。俺はよほどのことがない限り友達を嫌いにはならないさ。だから……」



 言っていいものかどうか迷ったことで言葉が詰まる。青島はその沈黙に眉をひそめて俺

を見てくる。俺は言うのが気恥ずかしい言葉を、覚悟を決めて発した。



「辛いことがあったら言えばいいさ。彼氏に言えないこととか、あるだろ」

「……そうだね。うん。そのときはまたよろしく。じゃ……帰るわ」

「ああ。その前に――」

「え?」



 俺は青島に近づいていく。青島は何故か体を硬くして俺を見る。気にせずに腕を胸の前

で掴んで強張らせている彼女の前に立った。



「青島」

「な、なに?」



 内容を言ってないにも関わらず、事の重要さに気づいたのか青島が緊張した面持ちを見

せた。そうかそうか。分かってくれたか。

 俺が肩に手を置くとかなりびくついた。そこまでびくつかなくてもいいのに……。



「中村に説明よろしくな」

「……え?」



 青島は一瞬呆けた顔をしたけれど、すぐに目の焦点を合わせて頷いた。

 俺は満足してそのまま屋上の入り口へと歩いていく。何か青島の刺すような視線を感じ

たが、気のせいだろう。

 良い事をしたという高揚感が俺を包んでいたのか、普段はあまりしない鼻歌を口ずさみ

ながら俺は家に帰った。



* * * * *
 嵐のような準備の日々が流れて、とうとう今日は仮装行列を終了した。  やる気を出した男子の力は凄まじく、台車の出来は相当なもので満足は出来た。  だが三時間ほど街中を十八組、総勢約七百人弱が歩き続けるというのは端から見れば爽 快なんだろうが、やってる側からすれば足が痛いだけだった。 「いって……」  足にシップを貼り、疲れた体をベッドに横たえながら天井を見ていた。  すでに風呂に入ってあとは明日に備えて寝るだけだったが、何か眠れない。  体が起きていた。 (なんだろな……)  と、耳に軽い音が聞こえてきた。  こつん、こつんと何かを叩く音がする。  鉛のように重い体を起こして音源を探ると、その音は窓から鳴っていることに気づいた。  見ているとまた音が鳴る。  窓に当たる小石によって。 「誰だ?」  呟きながら何とかベッドから立ち上がり、窓際まで歩く。窓越しの外を見ると、そこに は人がいた。 「亜季!?」  俺は即座に部屋から出た。急ぎたかったが足が痛いことと疲れからか動きがかなり緩慢 だ。よろよろしながら何とか玄関までたどり着き、外に出る。  家の塀のところに亜季はいた。 「よ。お久しぶりです」 「あ……亜季。なんでここに?」 「だって明日一般解放でしょ? 案内してって言ったじゃない」 「そ――そうか」  そうだったか? と聞くところだった。前日までの忙しさの中で亜季との約束を忘れて いたことは言わないことにしよう。  それにしても……。 「お前、結構変わった?」 「髪が伸びただけだよ」  最後に会ったときよりも髪の毛が少し伸びて、少しだけ化粧をしていた。それでも初め て見る人のように俺は感じて、胸が跳ね上がる。はっきり言って、亜季は綺麗になった。 「……もしかして、好きな人と上手く行ってる?」 「分かる? うん。先週から付き合いだしたんだ」  内心に浮かんだ言葉を振り払うように別の言葉を口に出す。  亜季からは生のオーラ、みたいな……とにかく明るい気配が十分伝わってきた。俺は三 月末に別れるときには期待と不安に少し沈んでいた亜季を見ていただけに、その変化は嬉 しい。  恋は女の子を変えるんだなぁ。 「で、明日の段取りを相談しようと思ったんだけど、電話よりも直接会いに行くほうが驚 かせられるかなと」 「……亜季らしいわ。上がってく?」 「遠慮しとくよ。家に上げるのは意中の人にしなさいな」  亜季の言葉に俺は肩を落とす。亜季はその様子に首をかしげていた。 「どした?」 「実はさ」  俺は事の次第を話し始めた。  青島との一件を知られてから中村の俺に対する視線が微妙に変化していた。  その顔は少し寂しそうでもあり、また俺に対してより柔らかな笑みを浮かべていて中村 の真意はわからなかったが、青島と二人にする時間を何とか増やそうと画策している様子 は見て取れた。  クラスのみんなの視線がまた痛いものに変化している。 「中村は青島が先輩と付き合ってることを知ってるから、俺に青島が彼氏との悩みを相談 する機会を多く作りたいとでも思ってるんだろうけどな」  亜季に人物説明してから更に語る。  中村の意図は分かったけど、屋上の一件以来青島が相談してくることはない。大した話 も聞けなかったし、大した言葉もかけられなかったけれども、青島の悩みは解決している ように見えた。 「女の子ってそういうものよ。意外とあっさりしてるもの」  亜季の言葉に何となく納得できない自分がいる。  うーん、と唸っていると亜季は笑って言った。 「雄太は女の子に幻想抱いてるかもね、少し。こんな話知ってる? 『男の道はまっすぐ で後ろを振り向くと過去に付き合った女がいる。でも女は角を曲がるから後ろを向いても もう男はいない』んだって」 「……とても寂しい言葉」  相当に落ち込み――もちろん形だけだけど――ため息をついてみる。亜季もそれが心底 落ち込んでいるってことではないと分かっているから、笑って背中を叩いてきた。 「恋愛に関しては何かきっかけがあるとすんなり立ち直るんだよ。雄太はそのきっかけを 与えてくれる、不思議な魅力があるのさ」 「そうか?」 「うん。それに思い切り救われた人間がいるじゃないの」  亜季の言葉にうつむいていた俺は顔を上げた。そこには笑顔のままで亜季がいる。  一年前の今ごろ、亜季はどんな表情をしていた?  思い出そうとしなくても、すんなり出てくる。  青ざめて、頬もこけた顔が笑顔に重なる。  そうだ。  この笑顔を見れたのはいつだっただろう……。  別に恋愛のことで救ったわけじゃないけれど、確かに俺は彼女が笑うきっかけを与えら れたのかもしれない。  それは……誇れることなのかもしれないな。 「自信もちな。中村さんに誤解されてるってわけじゃないんだし。大丈夫だよ。じゃあ、 明日ね〜」 「送ってこうか?」 「だいじょぶじょぶ〜」  亜季の後姿が見えなくなるまで、俺はその場にいた。そして急に考えが浮かんでくる。 (……亜季と一緒に学祭を回るほうがよっぽど誤解されるんじゃないか!?)  とりあえず対策を立てないとな……。  早速どうしようか考えながら、俺は家に入った。


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