最後の文字を書き終えたとき、思わずため息が出た。
熱い吐息が掌に当たり、何かくすぐったい気持ちになる。時間を見るとあと十分ほどテ
ストが終わるには時間があった。俺はカンニングと見られないように中村へと視線を移し
た。
亜季との電話の後、中村のことが頭から離れずに勉強に手をつけるのが困難だった。何
とか集中できたことでテストはほぼ完璧だろう。つくづく便利な能力を持ってるもんだ。
中村は必死になって問題を解いているようだ。何しろ最終日に一番苦手な数学をやって
いる。英語は立場が逆だった。
(覚悟、か……)
亜季の言葉が離れない。
自分の中に漠然とあった何かを亜季が少しだけ明確にしたからだろう。
一体、俺は中村に何を感じていたのか? 実際に彼女は何を隠しているのだろうか?
それは確かに存在するんだろう。でも、俺が踏み込んで良いのか? そんな立場にいる
んだろうか?
しばらく考えてから、俺はその考えを封印しようと決めた。今考えても仕方がない。
誰だって秘密はあるものだし。
(こんだけ気になるのはやっぱり、好きだからだろうなぁ……)
好きな相手のことを知りたい。俺が過去に亜季に感じた感情を思い出して、それに近い
ことを確かめる。
そうだな。確かに同じ……かもしれない。
きーんこーんかーんこーん
思考を終えると同時にチャイムが鳴る。同時にクラス同時にため息が漏れた。
それはテストが終わったこと、テスト期間が終わったことに対する二つの安堵が合わさ
ったものだろう。
「ああー、お疲れ様。今日はあとホームルームやって終わりだから」
荒木先生が集め終えたテストの答案を一まとめにしながら言う。クラスは放課後に何を
しようかという気分が広がっていて話は聞いていないようだ。仕方がないが。
「ん……まあ特になし。じゃ、気をつけて帰れよ」
『はい!』
立ち上がり、一斉に机を下げて掃除体制に入る掃除当番。血走った目はすでに掃除を簡
単に終わらせる策略をめぐらせるために揺らめいている。
俺は掃除もないのでとっとと帰って寝よう。
「高瀬君〜」
帰ろうとした矢先に中村が話し掛けてくる。何となく生まれた気まずさを隠して応じた。
「どうした?」
「うん。テスト終わったからカラオケでも行こう〜。約束したでしょ?」
そう言えばいつか行こうと約束はしたか。確かに良いかもしれない。
中村の意見に異論はなかった。
「じゃあ、メンバーどうしようか?」
「うん。だいたい誘ってあるよ」
中村の言葉と共に後ろから現れる二つの影――って。
「渚ー。早く行こうよ〜」
「なぎっちゃん〜」
後ろにいたのは青島と……佐藤だった。青島はいいけど、佐藤とはあまり関わりがない。
というか、テストで敵対宣言された気がするが。
まあ気にしないけどな。
「高瀬っちはテストどうだった!?」
何が高瀬っちだ。しかもどうしてそんな切羽詰った言い方するんだよ。するならするで
切羽詰った顔しろ。あくびしながらだと説得力ゼロだぞ。
きっと心のそこから言っただけなんだろうけど。
「うーんそうだなぁ。十八へぇってところか」
「あはは。高瀬君おもしろいね」
中村が笑いかけてくる。俺は赤面した顔をそらしつつ、その先には佐藤がいる。すると
佐藤は一瞬破顔し、すぐに顔を戻した。
まさか……こいつ気づいたのか? 俺が中村を好きだって事。
思い違いと思いたかったが、佐藤が崩した顔だけじゃなく、その目は何もかもを見透か
しているようで、否定できない。
(学年一位か……頭だけじゃないかもな)
声が低めの女子よりも高い声でカラオケ楽しみ〜と言っている佐藤を、不思議な気持ち
で見ていた。
* * * * *
カラオケボックスは人で溢れていた。そう言えば他の学校でも同じ時期にテストだった
はず。みんな考えることは同じらしい。
「ちょうど空いたってさ〜」
四人とも自分の会員カードを持っていたが、中村に任せて俺は目の前に張り尽くされて
いるプリクラの群を見ていた。ここにきた奴らが何の記念か分からないが貼っていくのだ
ろう。そして、俺はあるプリクラに目線を縫い付けられている。
……佐藤と中村が映っていた。後ろのほうで何人かがポーズを取っていたところを見る
と、合唱部の面子で来たんだろうか? 何か複雑な気分。
「行くよ〜、高瀬君」
「高瀬っち〜。早く行こうよ!」
俺の内心の葛藤を知らずに中村と佐藤が並んで言ってくる。そのツーショットが気に入
らんと言うのに。
「大丈夫よ」
「?」
俺の葛藤に気づいたのか分からないが、青島が近づいて耳打ちしてくる。
「何が大丈夫なんだよ」
「佐藤君は大丈夫だから、心配しなくて良いよ」
「……別に心配もしてない」
足を速めて青島から少し離れる。青島が笑っていることは気配でわかった。それが恥ず
かしかった。
とりあえず四人で三時間と言うことで入ったカラオケルームは少し小さめだった。荷物
をまとめて一箇所に置き、後は適当に座る。
適当とは思ったが、青島が佐藤の隣に行って自然と俺と中村が隣同士になる。青島が軽
くウインクしたことで、これがあいつの考えだと知った俺は思った。
(……余計なことを)
中村が近くにいると逆に緊張して歌えないだろうが。むしろ佐藤と一緒になったほうが
まだ歌える。でもこうなったら仕方がない。せいぜい今の位置を楽しむことにしよう。
「高瀬君何歌うの〜」
中村が入力を済ませたようでマイクを持って立ち上がった。俺はぱらぱらとめくりなが
ら何を歌うか悩む。その間に聞こえてきたバック音楽に俺は反応した。
「これ、『御堂聡子』の『カーニバル』か?」
「そうそう! この歌大好きなんだ〜!」
御堂聡子というのは去年デビューして新人賞を受賞した女性歌手だ。そう言えば出会っ
て初めの頃に御堂聡子の歌の話題が出たっけ。激しいイントロの後で中村が歌いだす。
一体どんな歌を――
「♪街の明かりを見ながら、あなたと二人で歩いていた。あなたとの距離を確かめながら
〜♪」
リズムに体を揺らしながら歌う。
透き通った声。伸びやかに、放物線を描くように遠くへと飛んでいく声。
高くなってもきつくならず柔らかさを失わない声は聞いていて心地よかった。
自然と曲を探しながら体でリズムを取る。
(うっま……)
中村は間違いなくうまかった。確かに町内のカラオケ大会で優勝するだけはある。冗談
抜きで、聴くだけの価値はあった。
曲が終わったとき、思わず俺はため息をついていた。
「相変わらず上手いわね〜」
「あ! 得点出るね」
前に入っていた人達が消すのを忘れていたのか歌った歌に得点をつける機能が中村の歌
に得点をつける。そして……97点が出た。
「97!?」
「わー。今までで最高得点」
あまりに驚いて俺は声も出ない。やばいぞ。次に入れたの俺だぞ……。
内心の動揺を他所に俺が入れた曲が始まる。
「うっわ〜かっこいい歌だね」
佐藤がイントロを聞いて言ってくる。中村と青島は誰の曲かを知らなかったのか首をか
しげて俺に尋ねてきた。
「ん? ああ。ボン○ョビの『LIV’IN ON A PLAYER』」
ちょうど俺がタイトルを言い終えたところで曲が始まり、俺は思い切り声を張り上げた。
* * * * *
「――LIV’IN ON A PLAYER!」
音楽の終わりと共に叫ぶ俺。この歌やっぱりキーが高すぎ。でもカラオケの最初にはテ
ンション高い歌で喉ならしをするのが好きだしなぁ。
額に浮かぶ汗をぬぐってマイクを置いた時点で口をあけて俺を見ている三人に気づいた。
「……ん?」
わけも分からず俺は誰に尋ねるわけでもなく首をひねる。一人反応したのは中村だった。
「す――っっごおおおおい!!」
中村がやけに大げさに驚いて俺の手を取った。いきなり取るなよ……ドキドキするだろ
が。点数を見ると97点。中村と同じだ。
しかし中村は手を掴んだまま上下に激しく振っているために、その点数と俺の動揺に気
づかない。というか動揺と言うならばよっぽど中村や青島達がしていた。
「高瀬君歌上手すぎ! いつもの高瀬君とは一味違う!」
「……確かに」
青島も多くは語らずにマイクを取った。次は青島の番らしい。その隣で佐藤が必死にな
って選曲している。佐藤はどうやらここでも点数を競うらしい。なんでそこまで俺と競争
するのか。
最近はこなくなったが支倉みたいだ。
というか、いつもの俺ってお前知らないだろが!
「♪であったころのよ〜うに〜♪」
青島はELTの曲を歌ってる。俺は更に次の曲を探した。中村が隣で俺が何を選ぶのか
興味深げに見ている。何となく探しずらい。
「ねね! あのつんくと浜崎のデュエット曲ハモれる?」
「あーっと……多分大丈夫」
それを聞いて早速中村は目当ての曲を差し出してきた。俺はしたがって入力する。ちょ
うど青島の曲が終わり、マイクが佐藤に渡る。
「よーっし! 俺も十八番だ!」
「……別にさっきの十八番じゃないんだけど……」
佐藤はそのままスピッツの『ロビンソン』を歌いだした。なるほど。確かに上手い。と
いうか草野正宗ほぼそのままだ。透明感がある高い声。俺も高い声は出るけど、透き通っ
た高音が好きだ。だから中村や佐藤のような声が好きだった。
歌い終わると97点。おいおい。誰が歌っても97点かよ……。
「じゃあ、第二ラウンドだな!」
佐藤はやる気になって更に選び出す。俺はため息をつきつつも久しぶりのカラオケを楽
しむことにした。
「よっし! 歌いますか」
「おーう!」
中村と一緒にマイクを持って立ち上がる。そしてデュエット曲が始まった。
二時間後、外に出ると空気が涼しかった。四人で二時間ボックスの中にこもっていると
流石に空気がよどむ。外の空気は新鮮で、俺は深呼吸した。
「――はぁ! 歌った歌った」
「高瀬君の歌は凄いね〜。これからどんどん一緒に行っていい?」
「ああ、いいよ。中村も歌上手いよな。中村の声と歌い方好きだよ」
「高瀬君面白いこと言うね」
中村の声と歌い方は確かに好きだから、さらりと言えた。中村の顔がかすかに染まって
いるのを見て急に胸が高鳴る。
そこに青島と佐藤が割り込んできた。
「今度また誘ってよ、渚」
「じゃあ、俺は帰るよ」
佐藤はそう言って俺達が変える方向とは逆方向に自転車を漕ぎ出す。しかしすぐに止ま
って俺に近づいてきた。
「本当、また誘ってよ。高瀬っちのこと気に入ったからさ〜」
「? あ、ああ……」
差し出されたその手を握ると佐藤は嬉しそうに上下に振ってから離し、そのまま去って
いった。俺はわけが分からず佐藤の後姿を見ていると、後ろから中村が言ってきた。
「翔君。ああ見えて寂しがりやだから、高瀬君みたいに実力が近い人と友達になりたかっ
たんじゃないかな?」
「実力って……学力とか?」
「うん。だって翔君、出身は御坂中だからさ、高校入ったの翔君だけなんだよ」
「御坂中!? あそこから入ったのか……」
御坂中は成城市の隣にある市の中学校だ。学力は……高いとは言えない。成城東は進学
校で、近隣の中学から頭がいいほうの奴らが集まってくる。でも御坂中は隣の市な上に学
力も高校入学の最低ラインのレベルには程遠い。
そこから成城東に、しかも主席で入るということがどれだけ佐藤が自分で努力してきた
かと言うことを如実に現していた。
「翔君、天才肌だから人には好かれたみたいだけど、あまり心を許せる友達っていなかっ
たみたい。中学時代は勉強しかしてなかった見たいだし。だから高校で友達を沢山作りた
いみたいだよ」
「……ふーん」
テストなんかで絡んできたのも友達を作りたいからか……。不器用そうだもんな。中学
時代を勉強だけで過ごして、あいつは何を得たんだろうな。
そう思うと急に佐藤に対して好意が生まれた。
「そうだな。あいつ、いい奴かもな」
「うん。いい人だよ〜」
中村が笑顔で答えたことにちょっとひっかかったが、俺は決めていた。
(佐藤翔治か……覚えておくよ)
そして俺達は別れて帰っていった。