「やっぱり二番だったね!」

「あー、信じられないけどなぁ」



 中村と一緒に俺は高校から続いている坂を下りていた。俺達の成城東高校は坂の上にあ

る。帰りは自転車だと快適だが、行きは登るのがちと辛い。

 中村が歩きで来ているために、俺は自転車を押し、後ろに続く奴らも同じように押して

いた。

 屋上から降りて荒木先生に聞きに行くと、普通に順位を教えてくれた。あの佐藤の口振

りからまさか公表されているのかと心配していたが、本人にだけ教えているということだ

った。あいつはどうやらあてずっぽうで言ったらしい。



「まっさか、高瀬がそこまで頭良いとは!」

「人は見かけに寄らないのね」



 支倉と青島が失礼なことを言っているのは無視して、俺は中村と反対側を歩いている武

田に話し掛けた。



「おい武田。詳しい自己紹介でもしたらどうだ?」



 校門の前で待ち合わせをして、俺達は武田と合流した。簡単な自己紹介としてみなほの

彼氏ということと俺の友達ということを教えると皆はすんなりと納得していた。それ以外

特に言うことなく、こうして坂を下っている。



「別に。中村さんの家に行って説明すりゃいいだろう。というかそれよりも俺にはお前の

数学と中村さんの英語が必要なんだ!」



 そう言って武田は中村へと首を伸ばした。



「英語は積み重ねだよ〜」



 それでは身も蓋もないと言おうとすると、武田が機先を制して言っていた。



「そりゃないっすよ」



 場の雰囲気が何となく和む。これが武田の良いところだろうな。初対面でもとりあえず

敵視はされない。こんな雰囲気を俺は好きなんだろう。

 それにしても、どうしてあの佐藤は俺と張ろうというのか?



「なあ、あの佐藤ってどういう奴なんだ?」



 中村は少しうなって考え込んでから口を開いた。



「翔君はね、楽しい人だね。男だけど女の子みたいに高い声出すし、なんかいつも飛び跳

ねている印象あるし。それでいて頭良いし。運動神経も良いし、万能って感じだね」



 それはまた漫画みたいな奴だ。これで料理も出来たら本当完璧だ。



「そうそう。前にケーキ作ってきてくれた。イチゴケーキ、おいしかったよ」



 完璧だ……。



「それにしても、高瀬君頭いいねぇ」



 中村が目をきらきらさせて俺を見てくる。その目に見えるのは尊敬の念……のように見

える。俺はそれがむず痒くて背中をかきたくなる。



「あー、暗記は俺の得意技だから」

『暗記?』



 中村の声と支倉、青島の声がハモる。武田は知っているから得に突っ込むことはなく、

にやついて俺を眺めていた。皆が驚く様が楽しいらしい。



「俺、集中して見たものは三週間は忘れないんだ。一度見たものを忘れないっていう『瞬

間記憶能力』っていう能力があるんだけど、それの出来そこないみたいな物があるみたい」

「本当なの……?」

「なんつーべんりな」



 青島と支倉は訝しげに俺を見てくるが、どうやら信じているようだ。本当だと分からせ

るのもめんどくさいので助かるけど。



「へぇ〜。満へぇだね」



 中村は両掌を前で組んで目を煌かせていた。そこまで見つめられると凄まじく恥ずかし

い。というか、心臓がうるさくなってくる。



「僕にもありますよ! 特技ぃいい!!」



 いきなり俺と中村の間に支倉が割り込んでくる。俺達の間に広がる微妙な雰囲気を察し

たんだろう。妙に危機感を持って叫ぶように言う。



「僕は靴下を立ったままはけます!」



 割り込んだといっても言うことが思いつかなかったんだろう。とりあえず支倉を無視し

て俺達は歩いていった。



* * * * *
「ここだよ〜到着!」  中村が笑顔で俺達に示してきた家を見て、青島以外は呆然としていた。中村の家は綺麗 な白い壁で見た目三階建てで、一目見ただけでお金持ちだと思えるほどの造りになってい る。玄関まで行くまでに小さい階段を上ると、登った先からゴールデンレトリバーが中村 へと走ってきた。 「ごーちゃん、ただいま」 「うぉんうぉん!」  どうやら飼い犬らしいそのごーちゃんは嬉しそうに中村にすがりつき、腹を見せて服従 した。中村は腹をなでてやってから向こうへと犬を送ってやる。 「相変わらずごーちゃんは渚っ子ね」 「早く嫁をもらってほしいよ」  なんだかなぁ……でかい家に大きな犬って何かに似てるんだよなぁ……思い出せないけ ど。そんな疑問は抜きにして、俺達は中村家へと入った。  中村の家の中は外観にふさわしく大きかった。彼女が着替えるまで待たされてるこの居 間だけで、俺の家の居間と食卓のある部屋二つあわせたくらいありそうだ。 「へぇ〜。どでかい家だな」  武田が感嘆のため息を漏らして周囲を見回す。そこまであからさまではないが、支倉も 俺もきょろきょろと見ている。  ふと青島が視界に入った。青島は無表情のまま一点を見つめていた。  その顔を見た瞬間、俺は背筋に悪寒が走ることを意識した。何が彼女をそんな顔にさせ ているんだろう?  俺は青島の視線の先を見ようと視線を移そうとした。その時、階段から下りてくる小気 味良い音が聞こえてくる。 「お待たせ〜」  私服に着替えた中村が俺達の前に姿を表す。  瞬間、俺は顔に血が上った。慌てて隠そうとして顔をそむけると、武田も顔を赤くして 中村を見ている。 「中村さん! なんて素敵なんだ!?」  支倉が暴走してくれてるおかげで俺達二人は中村の視界から隠れる形になる。支倉に心 の中で感謝しつつ、俺はさりげなく中村を見た。  中村の私服は花柄の長いスカートに上はスカートに合わせた花柄のTシャツだった。麦 藁帽子でもかぶせたら、一面麦畑にいそうな女の子だ。  初めて私服を見たからか、かなり可愛く見える。 「支倉君、面白いことを言うね」  中村はさほど気にした様子もなく俺達を誘い、青島が硬直している俺と武田の背中を押 していく。結局、青島のあの気配も消え去って、俺は彼女が見ていたものも見れなかった が、一瞬だけ視線がその方向を向く。 (――?)  一瞬だけ、ほんの一瞬だけ何かが見えた気がした。  中村の部屋に入るとやはり俺の部屋よりも二倍はありそうだ。中村が用意しておいたの か、折畳式のテーブルが二つ用意してある。五人が勉強するには最適だろう。 「おお! これは中学時代の中村さんですか!!」  これから勉強を始めようとした矢先にいきなり支倉が脱線する。奴が手に取ってるのは 写真立てだった。中には浅葉中の学生服を着た中村と何人かの仲間が映っている。写真の 感じからして、修学旅行か何かか? 「それは中一のときだよ。みんなで宿泊研修行ったんだ。ねえ裕美」 「え……ええ」  青島が言い澱んだことが気になったが、俺は写真に注目していた。そこには中一の時の 中村と青島。あと知らない女子と男子三人の六人が映っていた。  おそらく班なんだろう。  修学旅行の写真には笑顔で六人が映っていた。  青島は全然変わっていないけど、中村は…… 「いやー! 今と変わらず可愛いですね〜」 「あはは。支倉君、面白いこと言うね」 「なあ、とりあえず勉強しねぇ?」  中村と支倉のやりとりをさえぎるように武田が言葉を挟んでいた。その言葉にその場一 同納得し、各自勉強道具を取り出して机に向かう。俺は皆に気づかれないように写真を盗 み見た。  写真に写る中一の中村は確かに幼さは残るものの今とあまり変わらず可愛い。ただ、俺 の印象だとなんとなく今よりも影が薄い感じがした。どうしてそう思ってしまったのか分 からないけど。 (……なんでだろ?)  俺は疑問に思った理由を考えようとしたが、周囲の視線が俺を向いていることに気づき、 少し後ずさる。 「ど、どうした?」 「高瀬君。ここ教えて」 「あたしはここ」 「僕はここ」 「俺はいいや」  武田以外の三人が俺に対して数学の教科書を向けてくる。一通り眺めると、どうやらみ んな同じ個所で詰まっているらしい。まあ、高校一年のテストで致命的に分からない分野 なんてないだろうけど。 「分かった。皆、同じところ分からないみたいだから、まとめて説明するから」 『よろしく! 先生!』  三人そろって声がハモる。支倉の笑顔なこと……こういう時しか中村と合わないと分か っているからかもな。  結局俺は終始中村達に教えていたために自分で勉強できなかった。  写真を見て感じた中村への感覚もいつのまにかそんなに気にならなくなっていた。
* * * * *
「結局出来ないんだもんな……」  皆で集まった時に出来なかったところを復習する。どうやらさほど難しくないらしく、 二時間も集中すれば出来た。と、そこで携帯が鳴る。  反射的に時刻を見ると夜十時。かけてきた相手は……亜季だった。 「もしもし」 『やふ〜。元気?』 「テストが近いです」  それは亜季も同じだったろうけど、俺はわざと少し落ち込んだ口調で返した。亜季はく すくす笑って当たり前のように会話を続ける。 『がんばってね。まあ雄太なら大丈夫っしょ? ところでさ……』 「声のトーン急に変えたところ見ると、男か?」 『何で分かるの!?』 「そら、亜季だしな」  発言してみて今の自分の言葉が誤解を生みそうだと気づいて、俺は顔が熱くなる。でも 亜季はさほど気にならないようでそのまま先を続けてきた。 『うん。好きになれそうな人がいるんだ。久しぶりにさ……雄太のときみたい』 「良かったな。でも今度こそちゃんと自分の気持ち確認してから付き合えよな。失敗は俺 だけにしろ」 『うん。ありがと』  こういう時の亜季はやけに素直だ。でも、俺もすんなりと亜季の恋愛を後押しできたこ とに胸をなでおろす。親友に戻ったと言っても、やっぱり心のどこかではふられたことを 気にしてるんじゃないのかと自分で思っていたから。 『雄太はどう? 好きな人できた?』 「……できたよ」 『本当〜? で、で、どんな人?』  亜季は自分のことのように興奮して訪ねてくる。俺をふったことを気にしてくれてたん だろうか? それはそれで嬉しい。少し気分が良くなってきた俺は、亜季に中村のことを 話した。  友達百人とか言ってること。  人を楽しませることに意欲があること。  どこか一本ねじが緩んでるんじゃないかと言うこと。  まだ二月ほどだが、彼女と過ごした日々を亜季に聞かせた。ふと時計を見ると時刻は夜 十一時。確認と同時に階下から声が聞こえる。 「雄太〜。お風呂入っちゃって!!」 「はーい!」  一度携帯電話を離してから声をかけてきた母親に答える。確かに時間も時間だし、今日 はここまでかな。 「じゃあ、もうそろそろ切るよ。お互い頑張ろうな」 『……雄太』 「ん?」  俺は亜季の声音が少し奇妙なことに気づいた。何か言いにくいことを隠しているという か、声を聞いているとどこか落ち着かなくなる。実際、亜季は言おうかいわまいかと電話 口で迷っているようだった。 「どうした? 何か言いたいのか?」  俺が即すと、亜季は小さく同意して、言葉を紡いだ。 『雄太。その中村さんって娘。何か気になる』 「何かって……何?」 『何か。何か分からないけど……気になるの。雄太。中村さんを本当に好きなら、どんな ことを知っても好きでいるって覚悟がいるかも』 「覚悟……大げさだな」  口では大げさだなと言ったけど、俺もそれはどこかで感じていた。亜季は俺の話す内容 からそう思えたんだ。それは俺自身が、なんか中村に対して違和感を認めていることに相 違ない。 『うん。大げさだね。ごめんね、変なこと言って! おやすみ!』 「ああ。お休み」  電話が切られる。その後も俺はしばらく考えていた。亜季の言葉を。


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