体育大会も終わり、月も六月に変わった。

 珍しく朝早く学校に着くと、何人かが机にかじりつき問題集を片手に勉強している。

 俺はそれを眺めてから、壁に貼り付けてある行事予定表を見た。



(ああ、なるほどね)



 その理由はすぐに理解できた。六月は四月や五月と違って予定の書き込みは少ない。た

だ、少ない中の一つが最も厄介な問題だった。



『前期中間テスト』



 五月の後半は体育大会に力を入れていたが、授業はそんなことお構いなく進む。ちゃん

と聞いて勉強していた人はしていたのだろうが、特に体育大会を頑張った生徒は授業中寝

ていたりしたから、多分危ないんだろう。



(ま、いつものように何とかなるだろ)



 中学時代からこういうことは何とかしてきたし。成績も悪いほうじゃないだろうし。

 と思いつつ、席に座ってもやることがないので他の生徒と同じように問題集を開いた。



* * * * *
「で、これはなんの騒ぎ?」  青島が人の間から顔を出して訪ねてくる。ちょうどチャイムが鳴り、俺は人の群れから 開放されて一息ついた。青島は俺の隣に座ってくる。五月の終わりに席替えをして、何故 か知らないが俺の周りにいつものメンバーが集まっていた。  青島が隣で、中村が後ろ。支倉は俺の前だ。 「都合上朝早く学校来て勉強でもしてたら、質問されて。答えてたら私も私もと」 「高瀬、勉強できたんだね」 「なんだその勉強できないように思ってたような口は」 「Yes! Of course!」  どっかのイケメンみたいな発音するんじゃないこの。釈然としなかったが、中村が挨拶 してきたことでそちらに注意が行ってしまう。いつも朝に元気がいい中村が少し疲れてい るようだったのが気になったからだ。 「おはよう……ってどうしたの?」  訪ねるとまた眠そうにして中村が答える。 「うん……小説読んでたら午前三時」 「まあ俺もやったことあるけど、読むの慣れてないのか?」  と、そこまでの会話で何か気づいたのか、青島が口を挟んできた。 「まさか、渚……また原書読んでたの?」  原書?  原書ってなんだ? 小説のことを呼ぶには何か物々しい。  その答えは中村自身が言ってくれた。 「うん。英文読むの楽しくてさ〜。ついつい時間が経つのを忘れちゃったよ」  英文。そう言えば原書って……。 「お前、外国語の小説読めるの!?」 「? うん」  俺の反応が不思議そうに中村は返した。  俺の驚愕を他所に、中村は平然と「何を当たり前のことを……」と言うように答えてく る。全然当たり前じゃないだろうが。 「あ、そうか。高瀬君は知らないもんね。私、英語好きなんだ〜」 「いや……前に文章書くのは好きとか聞いてたけど……それは初耳」  いくら好きと言っても出来る奴は少ないだろう。席に座る中村を驚きと尊敬の視線で見 つめてしまっていた。中村は気づいて、少し気恥ずかしそうに顔を伏せる。そんな俺に青 島が話し掛けてきた。 「渚の家って英語一家だから。母親姉妹そろって英語好きなのよ。妹達も英検二級くらい のレベルはあるわよ」 「英検二級って……大学レベルじゃん」  高校生以下なのに俺よりも数段英語が出来るってことか? 英語は嫌いじゃないが、思 い切り得意と言うわけじゃないから大学レベルと言われてもあまりピンと来ない。ただ、 中学の間に先生が申し込みをしてくれるからと、四級までは取った。  三級は一次で落ちてから取ってない。 「ちなみに中村は今、何級なの?」 「一級の面接で落ちたよ」  中村は多少恥ずかしそうに言った。落ちたと言うのが恥ずかしいんだろうけど……面接 と言うことは一次試験は受かったと言うことだ。しかも二級と一級の間には準一級がある。 俺が悲鳴を上げそうなレベルの更に上。  大学レベル以上の英検をクリアするなんて……。 「てことは高校英語は楽勝だな」 「楽勝ってことはないけど……そうだね、得意だから勉強は楽だよ」  俺の中に一つのいい考えが浮かんでいた。一瞬視線を移すと支倉も目を光らせている。 どうやら考えていることは一つらしい。くそ。支倉と同レベルな考えとは……でもこれし か思いつかないもんな、中村に少しだけ踏み込む手って。 「一つ提案があるんだが」  俺の言葉に青島と中村が顔を近づける。後ろから仲間に入りたそうに支倉がちらちらと 覗き込んでいる。 「俺は数学と物理が得意。中村は英語と世界史が得意。青島は?」 「私は生物と倫理。でも一年のテストは国語、数学、物理、世界史、英語でしょ。あなた 達二人いれば十分じゃない」  青島も俺の考えを察したようで、そして俺をフォローしてくれているような発言をして きた。中村も要点が分かったようで、ああ、と手をぽん、と打って言う。 「一緒に勉強会ってことだね!」 「僕も入れてください!!」  すかさず支倉が口を挟んできたが、とりあえず無視してみる。 「意見が一致したところで一人、俺の友達も呼びたいんだが。B組の奴」 「いいよ〜。三人寄れば文殊の知恵だしね」 「なら、どこで勉強しようか」 「それなら渚の家がいいんじゃない? 私たちの中じゃ一番家近いだろうから、学校から すぐ寄れるよ」 「いいよ〜。ただ部屋片付けるから少し待たせるけど」  青島の提案に中村が笑顔で答える。俺としては中村の家――というか女の子の家に行く のは実は初めてだったりするので、楽しみなのだ。  うれしさが顔に出ないように苦労しつつ、俺は同意の相槌を打った。 「も、もちろん僕も行きます!」 「うん。支倉君も一緒にね」 「ひゃっほう!」  支倉は朝のホームルームが始まる直前にも関わらず大声を上げて飛び跳ねる。ちょうど そこに荒木先生が入ってきて支倉を視界に入れた。 「支倉。どうした? そんなにテストが好きなのか?」 「……いえ、テストは嫌いです」  小さくなって席に座る支倉。先生は教卓についていくつか連絡事項を伝え、最後にテス トについて言う。 「テストは来週の月曜からだから、ちゃんと勉強しておけよ。高校の初めから赤点なんて とるんじゃないぞ〜」  先生は何故か高らかに笑いながら去っていった。その笑いが何を意味しているのかさっ ぱりだ。しかし気にしている余裕は無い。何しろテストは来週だしな……。 「今日はここまで」  あ! っという間に一日が過ぎた。テスト前だからか先生達も範囲を何とか終わらせよ うとやけに早足で授業が進み、俺達も疲れが二倍増しだ。 「さ……て、帰るか」  今週は掃除当番じゃないから、帰ろうと思えば帰れる。でも今日から中村家で勉強会な のだ。しばらく他の面子を待つ必要がある。  とりあえず屋上にでも行こうと思ったとき、教室に入ってくる男が一人。  俺を見つけるとやけに顔をほころばせて近づいてきた。 「君、高瀬君だろ〜?」 「ああ……そうだけど」  誰だ? 少なくとも俺は面識が無い。だけど向こうは知っている。  前の体育大会のときもこんなことがあったっけ。 「ねねね! 合唱部入らない! 君、基礎体力十分なんだろ!! なぎっちゃんから聞い てるよ!!」  なぎっちゃん?  なぎっちゃん……渚?  まさか!! 「中村のこと?」 「そうそう! なぎっちゃんから高瀬君のこといろいろ聞いてるよ〜。是非、合唱部に!」 「あれ? 翔君じゃない」  その男の後ろから中村が声をかけてきた。男は中村に親しそうに笑顔を向けて挨拶した。 そして視線を俺に戻してくる。 「この人、佐藤翔治君。合唱部の人だよ〜」 「どうも! 佐藤翔治だよ。よろしく」  なんだ? このどこかハイテンションな男は?  声も俺より数段高い。ちょっとハスキーだし、歌ったら上手いんだろうな。さすが合唱 部だ……って。 「で、その佐藤君が何の用? 合唱部なら、俺は入らんよ」 「高瀬君はアウトローだから一匹狼なんだよ」  中村が合ってるのか間違ってるのか分からないフォローを入れる。でも佐藤は笑顔で更 に続けてきた。 「まあ、そうなんだろうけど、何度か言ってたらほだされるかなと」 「ほだされんほだされん」  なんだろう。何か疲れるぞ、この男。そう思っていたら、佐藤は後ろを向いて立ち去る 気配を見せた。なんとなくほっとする。でも、何故か勢いよく振り返って指を突きつけて きた。  人に指を突きつけるなよ……。 「そうそう。今度の中間テスト、楽しみにしてるよ!」  そう言って佐藤はクラスから去っていった。一連のやり取りを見ていた教室掃除の連中 もわけが分からないという視線で、やり場が無くなった視線を俺に向けてくる。俺は恥ず かしくなって中村に屋上に行くと伝えて教室を出た。  何だろうな? 最近、やけに絡まれるな……。 「高瀬君、入試何番だったの?」 「? そんなの分かるの?」  屋上で風に当たっていた俺に掃除を終えた中村が近寄ってきて第一声がこれだ。  どうやらさっきの佐藤に関係することなんだろうと直感する。予想通り、中村の言葉に は佐藤のことが入っていた。 「だって翔ちゃん、入試一位だよ。新入生代表挨拶してたじゃない」 「……覚えてない。って、なんで学年一位が俺に目をつけられるんだ?」 「入試で二位だったんじゃない?」  さらりと言った中村の言葉に俺の脳がフリーズする。少しの間空を見て言葉を反芻し、 再び中村に向き合う。脳裏に浮かんだ言葉を、俺はすんなり口にした。 「馬鹿」 「なんで馬鹿〜?」  中村が頭から煙でも出すかのように抗議してくる中村。その顔が可愛いから言ってみた が、やはり可愛い。 「ま、まあ確かめてみるのもいいかもな。先生にでも聞けるの?」 「……うん。わたしも聞いたし。聞きにいこ!」  せかす中村に手を引かれて、俺は屋上からの階段を下りていった。  手を伝って鼓動が伝わらないかと恐れながら。


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