……いつの間にゴールデンウィークが終わったんだ?

 確かに中村達とピクニック行ったり一人で映画を三日連続見に行ったりといろいろして

いた気がするか、ここまで時間の流れは早いものなのか?

 と、思いながらも俺は自転車をこぐ。

 風をかきわけ、あたかも自分が風となったように。



 つまりは……俺は遅刻寸前なのだ。



「うおおお! 高瀬ぇえ!」



 後ろから聞こえてきた声に答えている余裕は俺にはない。足は疲労によって痛みを蓄積

し、踏み込むペダルが重くなる。何故か道路の真中に立っている時計をちらっと見ると、

時刻は八時十五分。

 今の場所から高校まで普通にペダルを踏んでいくと十五分。

 全力でこげば、何とか十分でいける!



「無視するなぁ!!!」

「この状況で無理言うな、武田!」



 俺の隣にきたところで、武田に言葉を投げつける。武田は俺よりも汗を撒き散らしなが

ら同スピードで進む。

 しばらく進んで腕時計を見ると、この時間ならなんとか間に合いそうだった。流石に疲

れてペースを落とすと武田も同じようにペースを落とした。



「お前、結局ピクニックこなかったな!」



 落ち着いてから俺は気になったことを聞いてみた。あのピクニックの日、結局武田はあ

の場に現れなかった。その後も連絡はつながらず、休み明けの今日になってようやく会っ

たことになる。



「あー。聞いてくれよ、高瀬。苦労して家に戻ってさ、自転車で公園に向かおうと思った

ら部の先輩に呼び出されたんだよ。急に部活するぞ! とか言われてよ」

「そうだったのか。んで、疲れて俺に連絡をする暇なく寝てたと」

「そう。うちのテニス部きつい。というか大型ルーキーは辛いねぇ」



 うちの高校は結構部活に力を入れている。

 特に陸上、テニス、野球は何度か全道大会にも行っている。武田はテニスで中学時代に

全国までいった男だけに、ここ何年か全道大会に行っても一回戦で負けているテニス部に

とっては待ち望んでいた逸材だろう。



 へたに才能あるとこういう時に困るな。



「まあ、好きだからいいけどね」



 武田は悪びれずに笑いながら言った。自転車を全力でこいでいるにも関わらず。



* * * * *
 俺達が学校に着いた時、玄関に張り紙が貼ってあるのが見えた。  そこには大きな文字で四つの漢字が。 『体育大会』 「もうすぐ体育大会だなぁ」 「あ?」  俺は思わず武田に聞いていた。  体育大会は五月の第三週に二日に渡って開かれるこの高校の一大イベントだ。  年に二回開かれるが、今回は陸上競技中心であり、十月に行われるのは球技大会だ。五 月に行われるということで、クラス全体が応援する形式からクラスの団結力が一気に高ま ると言う利点があるので、毎年やけに盛り上がっていて、教師側もその利点を認めて平日 開催に異論は挟まない。  俺は先生から配られた大会の詳細がかかれたプリントをぼんやりと眺めながら視線を中 村に移した。ピクニックのときから中村が好きかもしれないという思いが生まれて、なん となく彼女を意識していた。幸い、ピクニック以来会っていなかったからその微妙な雰囲 気を悟られてはいないだろう。  だが、視線を前に戻そうとしたときに青島と目が合ってしまった。青島は俺が中村を見 ていたことに気づいたのか意味ありげな笑みを浮かべた。  ……なんであいつに言ってしまったんだろう。  完全に失態だ。 「んー、じゃあ今週中に選手を決めてしまおう。ちなみに、優勝賞金はクラスみんなにガ ラナということだ」 「ガラナかよ!」 「あれ、薬臭いからいや〜」 「まじで! 絶対欲しい!!」  いろんな声があがる。ガラナについては……まあ、語るときに語るとして今はただ、飲 み物だと言っておこう。  荒木先生は話を終えて教室を出て行った。すぐに次の授業が始まるだろう。俺はその前 にどんな種目があるのか目を通した。  100m走  200m走  400mリレー  1500m走  3000m走  綱引き  走り幅跳び  走り高跳び  計八種目。一位から五位まで点数制。総合と学年で順位が決まる。  大体は理解できた。問題は、誰もがどれかに出なければいけないということだ。 (あんまり疲れたくないんだけどなぁ……)  俺は一時間目の授業のために、古典教師が入ってきたと同時にプリントを机の中にしま いながら思っていた。 「で、高瀬君は何に出るの?」  意識しようとしまいと中村は俺の前で昼食を食べる。俺はなんでもないふりをして―― 実際にそこまで気にするほどのことはない。好きかもと思っても、普通に振舞うことは出 来た。たまに顔を近づけてくるときに跳ね上がる心臓の鼓動がより多くなったこと以外は。 「出るとしたらやっぱり……」 「100m?」  口を挟んだのは青島だった。 「……なんで俺が100mに」  ごまかそうとして、何とか顔に動揺を出さずに青島に言った。でも、青島はすでに真実 を知っていたのか、「またまた〜」と言いながら言葉を続ける。 「中学の中体連で一位取ってたじゃない。大会記録まで0.01秒だったでしょ、確か。 結局、辞退して全道大会では二位だったうちの中学の選手が行ったけど。どうして辞退し たの?」 「あーっと……走り終わった後に足痛めたんだよ」  青島は陸上部だ。なら、中学でも陸上部だったというのは普通だろう。中学の中体連は 陸上部だけじゃなくて有志でも出れる。俺も体育5やるからという体育教師の言葉に騙さ れて――実際に5をくれたが――中三のときに出たのだ。  まさか一位になるとは思わなかったのと、ゴールしたときに油断して足をくじいたのが 長引いて100mを騒がせただけで俺の存在は消滅したが……まさか覚えているとは。 「なら高瀬君は決まりだね。100m頑張って!」  中村が満面の笑みを浮かべて口におかずを持っていく。左手でたれてくる髪を抑えなが らぱくぱくと音が聞こえるような食べ方で。 「高瀬が出るなら俺も出るぞ!!」  そう言ってきたのは支倉だった。制服が乱れているところを見ると、どうやら購買に行 ってきたらしい。右手には購買名物焼きそばパンを持ち、左手には赤い缶を持ている。 「ガラナを飲んでいるようじゃ俺には勝てない」 「何を! ガラナエキスは俺のエネルギーだぞ! 植物で言えば水! 車で言えばガソリ ン! 俺で言えばガラナ! ガラナ! ガラナ! ガラナ党をよろしくお願いします!!」  力説する支倉を無視して俺達は食事を終えた。次の授業は体育。  それこそ、今日は体育大会を意識してか陸上競技を一通りしようというらしい。  困ったもんだ。 「さっさと食べないと体育遅れるぞ……って、運動前に炭酸飲むなよ」 「むむ! なら一気に食べねば! ぱくぱくごくごく……」  食べている支倉に構わずに、俺は制服の上を脱ぎ、もってきた袋からジャージを取り出 した。もちろん周囲には何人か女子がいたから上だけ着替える。 「むむ。男の半裸を見て食事とは酷なことを」 「なら女子更衣室で食べればいいじゃないか」 「それは名案だ。そして明暗を分ける」  支倉はパンを食べ終えて袋を破裂させると自分もジャージに着替え始めた。
* * * * *
「はい。今日はここまで」  丸山先生の声が響く。俺達は疲れた体を引きずって先生の目の前に並んだ。動作が遅か ったからか、少し口調に怒りを含ませて言って来る。 「なんだ。合間に十分休んだだろう。もう疲れるなんて最近の若い者は……」  と言っている先生は最初から最後まで一箇所に座って皆に指示を与えていただけだ。陸 上のトラックの傍に置いてある、プールで監視員が座っているような椅子に腰をかけ、メ ガホンで指示を出し、体育委員を中心に大会で行う全ての競技を終えさせた。  俺達的にはいなくても同じだった……というか、いないほうがうるさく無くてよかった が、それを言おうものならその地獄耳に捕らえられて説教部屋行きだろう。  ……子供用のぴこぴこハンマーで叩いてくるのは何か嫌だ。 「ふーむ……高瀬、何かスポーツでもやっていたのか?」  いきなり話題をふられて俺は一瞬うろたえたけど、とりあえず表には出さずに答える。 「いえ。何もしてませんけど」 「だとしたら凄いポテンシャルだな。確か帰宅部だな。何かスポーツやったらどうだ」 「あー……考えておきます」  先生は更に続けてこようとしたけど、ちょうどチャイムが鳴る。先生は体育委員に後片 付けを命じて去っていった。俺たちもぱらぱらと帰り始める。 「……体育の後に古典は死ぬな」 「眠りの高田だしな」 「あの気の抜けた声で話されるのはきつい。ある種の生物兵器だぞ」  口々に次の授業への不満を言いながら、俺達は帰っていた。そこで後ろからいきなり声 をかけられる。 「おーい、高瀬君!」  振り向くと隣のD組の奴が話し掛けてきた。一緒に体育をしている割には特別話す友達 も、普通に話す人もいない。だから何で話し掛けてきたのか分からなかった。 「高瀬君は大会、何に出るんだい?」 「あー。綱引きかな」 「またまたー。結果からしてやっぱり100mとかリレーとか?」  本気で言ったのだが信じてくれない。その男は更に何かをまくし立てていたけどはっき り言って聞き取れない。  ただ、最後に言った言葉は聞き取れた。 「優勝するのはD組だよ!」  捨て台詞を残してその男は去っていった。一体何を言いに来たのか分からない。という か、名前さえ分からない。 「で、誰?」  訪ねられても俺には答えられなかった。  たかが体育大会に誰もが本気になっているらしい。 (そんなもんかねぇ……)  そんな風に思いながら、俺達は教室に戻った。
* * * * *
「……じゃあ、これから体育大会の選手を決めます」  ため息をごまかしつつ、俺は中村と一緒に黒板の前に立っていた。黒板には中村が種目 をその達筆さで書いている。チョークでも変わらないで綺麗とは恐れ入る。  それにしてもこのクラスのダレ具合は大したものだ。  花見のときでさえ、まだこれよりましだった。誰もが大会に出ることを体全体、雰囲気 全開で拒否してる。 (ま、仕方がないんだろうけど)  このクラスの性質が一月以上経ってようやく分かってきた。  おそらくこのクラスは自分達が本気でやりたいと思うものしか本気にならないんだ。そ して、その本気でやれるものというのは少なくとも俺には全く分からない。  一年間通せば、何とか分かるんだろうが。 「えーっと、じゃあ400mリレーは裕美にあっこちゃんに島谷さんに麻美ちゃんでいい ね」 「……え?」  中村の声に現実に引き戻された俺が見たのは、黒板に書かれた女子の名前だった。女子 の種目に出る人の名前が全て埋まっている。 次に見たのは時計だった。このホームルームが始まってから十五分。ぼーっと考えていた 時間はそれくらいだ。  その間に中村はさっさと女子の種目を決めてしまったらしい。  訂正だ。やる気がないのは男子だ。 「じゃあ後は男子だね〜」 「はい! 僕は100m行きます!」 「僕は200m!」 「俺は走り幅跳び〜!」 「綱引き!!」  先ほどの停滞感はどこかに消えて、男子は定員オーバーになるほど種目に名をあげてい く。中村は微笑みながらも名前を書いていき、全員の名前を書き終えると俺を見た。 「高瀬君はどれにするの?」  俺は言われて戸惑った。どの種目も十分名前が書かれていて、俺の出番はない。  少し考えてから、口を開いた。 「俺は綱引きだけで良いよ」 「そう」  中村は視線を皆に戻して、今度は種目ごとに選手を決めていく。俺は特にやることがな くなったので、中村に従って選別されていくクラスメイトの名前に丸をつけていった。  こいつらの原動力が何か分かった。うん。絶対そうだ。  こいつらは中村にいいところを見せるためなら何でもやるんだ。  なんてカリスマ性、というか単純な奴等なんだ……。  よく分からない怒りを抑えながら、俺は最後に選ばれたクラスメイトの名前を囲んだ。 「じゃあ、本番もみんなで頑張ろう〜」 『おう!』  やけに気合の入った声を聞きながら、俺は抑えていたため息を吐き出していた。


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