「おう、おはようさん」

「兄貴、休みなのに珍しく早いね」



 俺は時計を見た。時刻は八時半。まあ、学校が休みの日に起きる標準時間だろう。五月

三日からの三連休の一日目。昨日は休みにつけこんで夜遅くまで小説を読んでいたから、

まだ眠気はある。でも目の前の状況は眠気からくるものじゃない。俺はとりあえず食卓に

座るとすでに用意されてから時間が経って冷めてしまった目玉焼きを自分の箸で啄ばむ。



「で、どうしてお前がここにいるんだ、武田?」



 俺の向かいには武田が座っていた。まあ、俺が向かいに座るようにしたのだが。すると

新聞を読んでいたみなほが口を挟んできた。



「なんかシン君の両親が朝来て、あたし達の両親連れて二泊三日の温泉旅行にいっちゃっ

んだ。だからシン君だけいるわけ」

「そうなんだ。全く、子供を置いて自分達だけ楽しみに行くとはとんでもない親だ」



 武田は本気で怒っているようで顔を赤くしていた。ちなみに武田の名前は信(まこと)

だが、みなほは漢字をそのまま読んでシンと呼んでいる。

 俺はため息をついて、一気に目玉焼きをかきこむと食器を下げて洗面所に入った。

 寝癖がついた頭をぬるま湯で適当に濡らし、タオルで拭いてからドライヤー。

 顔を洗い、歯を手早く磨き、外に行く顔にはなったと確認する。



「やけに気合入ってるが、どこか行くのか?」



 武田が不思議そうに洗面所から出てきた俺に問い掛けた。みなほも新聞をたたんで俺を

見ている。どう答えようかと少しの間考えたが、結局は正直に答えることにした。



「クラスの友達とピクニックだ」

「「ピクニック〜?」」



 武田とみなほが同時に声を上げる。その目は興味津々、と言った感じだ。



「まさか、学級委員の美人とか!」

「ああ。中村もいるが、他にも数人いるぞ」



 と言っても、後は青島と支倉だが。他の中村親衛隊三人はそれぞれ都合がつかなかった

――というか言わなかった。中村と青島と俺で話をしていたところに支倉だけ聞きつけて

行く事になったのだった。



「それはかなり興味あり!」

「俺達も行くぞ!」

「あ〜?」



 二人が思いつきの行動をすることで何度か疲れる思いをしていたから、俺は思わず嫌な

感情をあからさまに示していた。



「あー、でも一緒に行くと言ってもだな」

「いやみなまで言うな! 俺は行くと言ったら行く。お前の未来の彼女を見たいからな」

「あたしも未来の姉を見たい」

「何あほな事を……」



 本当にあほなことを言う二人だ。武田もみなほも行く気まんまんだが、一つどうしよう

もない問題がある。

 みなほは少し経って、ある可能性に気づいたようで「あっ」と呟く。武田はみなほを見

て首をかしげた。



「ん? どうしたんだ?」

「もしかして兄貴、ピクニックって言うことは――」

「ああ。自転車で公園まで行く」



 その時点で武田も致命的な問題に気づいたのか肩を落胆させる。



「お前、行くなら自転車とって来いよ」

「それもめんどくさいな……」



 武田の家は俺の家から車で三十分かかるような場所にある。同じ中学のときは通学区域

のほぼ正反対に俺達の家は位置していた。

 中学時代に武田は最初、たまに俺の家に遊びに来ていたが、みなほに惚れて通う回数が

増えた。高校に入ってみなほと付き合うようになってからは更に来る回数は増えた。本当、

よく続いているもんだ。部活もやりつつ家にも頻繁に来る武田の根気は恐れ入る。

 

 今から行こうとしている公園と言うのは、俺の家を中心に武田の家と正反対の場所にあ

った。普通に考えれば一時間半はかかるような場所だ。



「別に場所は『せいじょう公園』だから、自転車とってきてからゆっくり来ればいいんじ

ゃないか?」

「そうなんだけどな……流石に家に帰ってから倍の距離を自転車で走るとなると行く気が

なくなるかな」



 武田はさっきまで見せていたやる気を一気になくしていた。まあ、仕方がないことだが。

これでみなほも一緒にいると諦めてくれれば余計な気を使わなくてすむんだが……。



「じゃあ、あたしは行くから、シン君留守番よろしく」



 妹はこういう奴だった。

 武田はもうみなほがこう言うことを分かっているから、さほど気にせずに言い返す。



「俺に留守を任せたらみなほちゃんの部屋のタンスを全て開けるよ」

「恥ずかしいこと言うな!」



 みなほの右ストレートが上手く武田の頬に入り、ふっとぶ。そんな夫婦漫才を見ている

間に、もうそろそろ待ち合わせの場所に行く時間だ。



「じゃ、俺は行くから」

「あ! あたしも行く!」

「んー分かった! 俺も行くわ。あとで会おう!」



 武田はダメージもなく立ち上がり、俺達より先に家を出て行った。みなほも自分の部屋

に上着を取りに行く。



「どうするかなぁ……」



 嘆息交じりに呟いた。



* * * * *
 妹を後ろに従えて、俺は中村達との待ち合わせ場所に行った。武田とのごたごたによっ て少し出発が遅れたから、場所が見えたときには三人の姿があった。  俺は今日のピクニックを結構楽しみにしていた。中村の私服姿というものに興味があっ たと言うのもあるし、高校にもなっておおっぴらにピクニックに行くという行為が何か新 鮮なものに感じたからだ。  この休日が過ぎて少ししたら中間テストだから、今のうちにいい思いをしておくのもい いと思った。 「あ、高瀬君おはよ〜」  中村が一番先に俺に気づいて声をかけてきた。そして後ろについているみなほに視線を 向けて首をかしげる。自転車をみんなの所に止めてみなほを紹介しようとした瞬間、中村 が「ああっ!」と黄色い声を上げた。  そう。黄色い声だ。  その声がどうして出たのかいまいち分からない。その答えは中村自身が答えてくれた。 「高瀬君! かわいい弟だね〜」 『お、弟!?』  その場の空気が固まる。俺もかなり動揺したが、中村の後ろにいる青島と支倉も俺と同 じような顔をしている気がした。二人はどうやらすぐに気づいたらしい。  というか、気づくだろ普通……。  ぎこちなくみなほを見ると、中村を呆然と眺めていた。  確かに、今日のみなほの服装は膝丈のジーンズにプリントシャツ。その上にはジージャ ンを羽織っている。頭には好きな球団である巨人の帽子。  ……まあ、弟に見えても仕方がないかもしれないがと思ってしまった。 「あ、初めまして……高瀬みなほです」 「へぇ〜、みなほ君ってい、う、ん……だ?」  中村はそこで気づいたようだ。というか、いつもの「少しだけ毒舌ギャグ」ではなく、 本気で間違えていたらしい。確かに外見は見えるかもしれないが、声の高さはどうしよう もないだろう。  中村とみなほはしばらく向かい合っていた。お互いにこれ以上何を言えばいいのかと分 からずに。  でもこのままこの場にいてもしょうがないので、俺は口を開いた。 「とりあえず、自己紹介もすんだし、行こうか」 『うん』  それはあまりにもそろった返事だった。
* * * * *
 かなり微妙な空気の中、俺達は目的地の公園に着いた。 『せいじょう公園』は成城市の端にあり、面積はかなり広い。公園内にはアスレチックが いくつも存在し、今見ても家族連れが結構場所を取って少し早い昼食を楽しんでいた。  公園の隣には遊園地もあり、この辺りが成城市の観光の主力だ。 「早めに場所を取っておかないとな」  俺は自転車を止めると皆よりも先に公園内に入った。  気まずい空気は公園内で敷物を敷く場所を探す間に収まっていた。俺の後ろでは中村と みなほ、青島がやけに楽しそうに話している。 「さっきはごめんね〜。でもかっこいいね、みなほちゃん」 「それは誉め言葉ではない気がするんですけど……」 「渚は悪気がこれっぽっちもないから許してあげてよ。でも、あの兄とみなほちゃんって 全然似てないかも」 「そうですね。兄貴は弱いですから」  聞き捨てならないが、ここで反論したなら間違いなく中村達はみなほの味方をするだろ う。確かに、みなほは何故か腕っ節が強い。というか、喧嘩するときは躊躇なく殴ってく る。妹だからこっちは手を出せないと言うのに……。 「どう思うよ、支倉」  俺は隣を歩きながらきょろきょろとしている支倉に呟いた。支倉は「ん?」と首をかし げながら俺を振り向く。 「ああ、悪い悪い。後ろの会話が気になって何も聞いてなかったよ」 「そうかい」  俺はちょうどいい場所を見つけて素早く持っていた敷物を敷いた。中村達に声をかけて 風に敷物が飛ばされないように昼食が入ったバッグを四隅に置く。そして五人で腰を落ち 着けた。 「疲れた〜」  中村が逃した足が俺に軽く触れる。俺はさっきまで落ち着いて見れなかったから中村を 凝視しない程度に見てみた。  と、言っても期待したほど私服の可愛さがあるとは思えない。青島もだが、中村はジー ンズに上は春物のシャツを着ている。外で遊ぶために機動性を重視した、見事な服装だ。  ほとんど男と変わらない。  それも言いすぎか。  とにかく『女の子の私服』というような物じゃない。  みなほの服装よりも少しは女の子っぽいと言ったところだ。 「それにしても、中村さんの私服姿……僕は幸せです!」  支倉が俺の想いとは裏腹に本気で喜んで叫んでいた。その瞬間、フリスビーが支倉の顔 面にヒットして、後ろに倒れていた。 「全く。変態か、支倉!」 「支倉君、面白いこと言うね」  フリスビーを容赦なくぶつけた割には平然と青島は呆れたように呟き、中村は口元に手 を当てながら笑っている。みなほはさりげなく俺に近づいて耳打ちした。 「変わった人なんだね、中村さん」 「まだまだ序の口だ」  唖然とするみなほを尻目に俺は立ち上がって背伸びをしてから中村に言った。 「中村。主催者なんだし、仕切ってくれよ」 「あ! うんうん。じゃあ、ピクニックを始めるよ〜」  中村は元気に立ち上がると靴を履きなおした。  中村は遠くを指差して言う。 「まずはあそこの『冒険の山』に行って、アスレチックをクリアーします!」 「……あすれちっく?」  みなほが呆然となって呟く。妹のこんな顔を見たのは初めてかもしれない。青島は分か っていたのか軽く顔をほころばせただけ。支倉は中村の言うことには逆らわず、「僕が中 村さんの踏み台になります!」とか言っている。  かく言う俺は……まあなるようになれと諦めていた。 「あの山のアスレチック、楽しいんだ〜。子供の頃に何回も来たけど、中学生になると流 石に来れなくて。でもこの面子なら一緒にやってくれるかなぁとなんとなく」 「嫌だと言ったらどうしてたんだ?」 「もちろん、ここでのほほんのほほんと」  俺の疑問にも中村はさらりと答えていた。  本当、彼女と友達になってから一月経っているが、いまだにつかみ所が分からない。本 気で喜んでいるのか、はたまた冗談なのか。  それでもクラスの女子とはもうほとんど打ち解けてしまっている。  確か、四月中に同輩先輩合わせて十人に告白され、いずれも完膚なきまでにふっていた はずだが、つかみ所のいまいち分からない態度と共に嫌われる対象にはならないのかと不 思議に思う。 「じゃあ、反論は無いようなので、行ってみよう〜」  中村は俺達を置き去りにして山の入り口へと走り出した。俺達は慌てて後を追おうとし たが、青島が歩いているのを見ると、俺は止まる。  支倉は一直線に中村に向かっていったが。 「なあ、青島」 「何?」  俺と青島とみなほの三人は並んで山へと向かう。俺は疑問に思っていたことを口にして いた。 「中村って昔からあんな感じなのか?」 「……どうしてそう思うの?」  その疑問は、俺の中でふと浮かんだものだった。大して意味があるわけではない。ただ、 何となく、いつから中村はああしていつも楽しそうに笑い、皆を楽しませようと思ってい たのか。だから、青島が意外と真剣に問い返してきたことに少し驚く。 「あ、ああ……。いや、別にたいしたことじゃないんだ。ただ、人を楽しませることが好 きと言う割にはツボを分かってないからさ。意外と最近から笑いに目覚めたのかなぁと思 ってな。ははは……」  俺は一瞬流れた重苦しい空気を分散させようとわざと笑う。乾いた笑いだと一目で分か ったため、ちょっと苦しいな……。 「いろいろあるのよ」  曖昧な笑みを浮かべて青島は呟いた。


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