一週間というものはすぐに過ぎていったが、一つだけ気がかりなことがあった。

 そしてそれは現実のものとして現れ始めていた。

 そんな、金曜日の午後。



「……雨、降りそうだね」



 中村は弁当を広げておかずをつまみながら外を見ていた。今日のおかずはミニハンバー

グと野菜の詰め合わせだ。隣の青島も寂しそうに外を見る中村を心配そうに見ている。

 俺は弁当から外へと視線を移した。

 雲に覆われた空は太陽光を俺達に見せず、風は強めだった。桜はまだ散ってはいないが、

予報によると今日の夜から明日は雨。花見を行う日曜日も雨が降るかもしれない。おそら

く明後日を逃したら、来週はもう桜が散っている可能性が高いだろう。



「花見したいなぁ……」



 何故、そこまで花見をしたいのか分からなかったが、中村は目を潤ませながら花見をし

たいと呟いている。その表情に赤間達が反応してなにやら叫んだ。



「中村さん! 大丈夫、花見が出来なくても俺達がいます!!」

「別にいらないから花見がしたい」



 中村はさりげなく――というかあからさまに暴言をはいて弁当箱を片付けるとその場か

ら去っていく。傍目に見えるほど機嫌が悪い。それが赤間達の行動からか、今日の天気へ

と怒りをぶつけているのか分からないが。

 その中村の行動を、赤間達は信じられないというように顔を見合わせ、俺に言った。



「今、幻聴が聞こえた気がしたけど?」

「うん。幻聴だよ。きっと」

「そうか……中村さん!!」



 消えた中村を追って騒がしい奴らがいなくなる。俺は弁当に残っていた残りを食べて箱

をしまう。そこで気が付いた。



「青島は中村と一緒に行かないのか?」

「今日は一人にさせてあげたいのよ」



 青島はいつもの笑顔に少しだけ影を含ませていた。あの中村の態度といい、何か花見に

特別な意味でもあるんだろうか?

 俺は気になって聞いてみた。



「中村、なんであんなに花見がしたいんだ?」

「……いろいろあるのよ」



 青島は歯に物が挟まったような言い方をして去っていった。まだ俺は教えられるような

立場じゃないってことか。少しだけ寂しかったが、それも仕方が無いことなんだろう。

 やっぱり、中村は何かを心の中に隠しているのかもしれないな……。



「せめて晴れてくれればなぁ……」



 そう言って外を見た瞬間に、窓ガラスに雨粒がつき始めた。どうやら予報は当たるらし

い。当たってほしくないときに当たるもんだ。

 俺は思わず大きく嘆息した。



* * * * *
 目が冷めると窓に当たる雨の音が聞こえてきた。俺はベッドから降りてカーテンを開く。  空は黒く、大粒の雨が窓ガラスを叩いている。  この様子だと明日も雨だと、俺は少し憂鬱な気持ちで外を見つめていた。 「兄貴。目、覚めたか〜」  言葉と共に勢い良く扉を開くみなほ。俺のパジャマ姿を見ても平然として用件を伝えて くる。高校生の部屋に無断で入るなよ……。 「早く朝ご飯食べちゃってって。お母さん、今日は近所の友達と温泉に行くから時間ない んだそうだ」 「……折角の休みの日に雨の中を温泉に行かなくても……」  まあそれでも早く朝飯を食べることに反対はしない。時計を見るともう九時。  腹も減っている。俺は着替えようと上のパジャマを脱いだ。 「――」  後ろで息を飲む気配がして、俺は振り向いた。  みなほが顔を赤くして俺を見ている。 「いやーんえっち」 「恥ずかしいこと言うな!」  みなほは入ってきた時と同じくらいの勢いでドアを閉めた。そんなに勢いをつけたらド アが壊れるぞ、本当。  手早く着替えてから階下に降りて、食卓について食事をする。みなほはソファでテレビ をつけながら新聞を読んでいる。  本当に器用なもんだ。あれで両方の内容が頭に入るらしい。  食べるのもそこそこに、俺はずっと窓の外を眺めていた。  花見が出来ないなら出来ないで別に構わないと思う。  でも、やっぱり花見をやってみたかいなとも思い始めていた。それは間違いなく中村の 態度によるものだろう。  あいつは、どうしてあんなに花見をしたがるんだろう?  友達を作りたいというなら、別に花見じゃなくても出来る。  何か、花見に特別な思いでもあるのだろうか?  ……別に俺が関与することじゃないかもしれないけど、何かそれでは納得できない理由 が俺の中にあった。 「……あー、むかむかする」  俺は食器を片付けると歯を磨いたり顔を洗ったりして外に出る準備を整えた。玄関で靴 を履いている俺を見てみなほが不思議そうに聞いてきた 「兄貴、どこいくの?」 「……学校」  俺はそれだけ言うと傘を持って外に出た。
* * * * *
 降りしきる雨は、風がなかったが強く降り続いている。差している傘にも強い音を立て て雨粒が当たる。  俺は雨のカーテンの中へと入った。耳障りな雨音を聞きながら俺は目的地へと歩く。  ただむかむかする。それだけだった。  だから何か行動するしかなかった。していたかった。  目的の場所についても何も出来ないことを知っていても。  だが、しばらく歩いて目的の場所についた時、そこには先客がいた。 「あれ? どうして高瀬君が?」  中村は不思議そうに俺に訪ねた。俺のほうも驚いて、質問を質問で返す。 「中村こそ、こんな所でなにやってるんだ?」 「私は部活だから来たんだよ」  中村はそう言いながら正面を向いて桜の木を見上げた。なるほど、確かに部活ならここ に――学校にいてもおかしくない。でも、部活ならこの場所にいるのはおかしいだろう。 部活は音楽室でやるのだから。 「実は午後からだったんだけど、早めに来たんだ」  中村は俺が訪ねるその前に回答を言った。前から思っていたが、妙に勘が鋭いところが ある。俺は中村の隣に立って共に桜の木を見た。  桜はまだ散ってはいなかった。  力強い雨に打たれていても、雨が枝を上下に揺らしていても桜は散ってはいない。  一つも散らずに枝に咲いたままだった。 「……強いね」  中村はしみじみと呟く。何か、とても強い何かを含んでいるような呟きだった。俺は隣 の中村の顔を見つめる。  彼女の瞳は涙で濡れているように見えた。それは見間違いだったが、俺はなんとなくだ が、彼女は泣いているんじゃないかと思えた。涙を流さずに。  降りしきる雨。  散らない桜。  ただ、見ているだけの俺達。  中村は一つため息をつくと、反転して歩き出した。 「どこにいくんだ?」 「寒いし、音楽室行ってピアノでも弾いてるよ」 「弾けるの?」 「発声練習に必要なやつだけ」  中村は笑って少しずつ俺から離れていく。俺は彼女の背中を見ながら叫んでいた。 「雨は止む!」  中村は立ち止まって俺を振り返った。  俺は続けて言う。言わなければ恥ずかしさに走り去ってしまいそうだった。  何の根拠も無くそう言う自分が恥ずかしかった。 「明日になったら止むさ。天気予報なんて大体外れるんだから! 今日の雨でも桜は散ら ない! なら、明日晴れたら花見は出来る!」 「高瀬君、面白いこと言うね」  中村は笑った。それは俺の言うことを虚言だとは思わず、本気で信じている顔だった。 その事に俺は少し動揺したけれど、なんとか表面には出さなかった。 「じゃ、部活頑張れよ」 「うん。高瀬君も風邪引かないようにね」  中村は今度こそ俺から離れて校舎へと入っていった。俺は彼女の姿が消えるのを見送り、 再び桜の木を見る。  お前は強いな。  彼女が呟いた言葉をこんどは木に投げかけてやる。俺はこんな台詞を言うだけで穴にで も入りたいような気持ちになるような弱い男なのに。  その時、俺はある変化に気づいた。あれだけ強かった雨音が消えかけていることに。  傘を取って空を見上げる。  空から降る雨脚はいつしか弱まっていた。  俺は傘をはずして空を見上げた。  確かに、まだ雨は降っている。しかし、その強さは間違いなく弱くなっていた。  遠くを見てみるとかすかだが、雲間が生まれ、青い空が見えている。 「……本当に、雨、止むのか?」  自分が言ったことは何の根拠も無いことだったが、現実に雨は止もうとしている。弱ま ってはいても雨は雨。  俺の体を徐々に濡らしてはいくのだが、俺は何か呆然としてしまって傘を差さなかった。  そこで、不意に雨が体に当たらなくなる。  上を見ると傘がかけられていた。無論、俺のではない。 「高瀬君、風邪引くよ?」 「中村……音楽室は?」  俺が気づかなかっただけだろうが、中村は俺の後ろから自分の傘を俺へと差していた。 彼女の傘は女の子が一人入るくらいの大きさだったから、必然的に彼女の雨に濡れる部分 が増える。  俺は彼女の傘から出ると自分の傘を広げた。 「音楽室の鍵を先生が持ってて、まだ来てなかったんだ」  中村は少し残念そうに言葉を紡ぎ、次にはいつもの笑顔で空を見上げる。何か明るくな ってきていると思ったら、さっきみた雲間が広がっていた。 「夕方には止むね、きっと」 「そうかもな」 「これなら明日は大丈夫かもね」 「そうだな」  中村の言葉に相槌を打つ俺。  彼女は心底嬉しそうに、雨が消えていくことを見つめていた。  なんとなく、今なら聞けるかなと中村に訪ねる。 「なんで、そこまでして花見やりたいんだ?」  中村は俺の問いかけに少し躊躇したが、すぐに言った。 「花見はね、子供の時から家族一緒に楽しんできて、花見してるとなんだか楽しくなっち ゃって……クラスの皆とも楽しくやりたいなと思ったの」 「……ふーん」  中村の言葉は素直に俺の中に入ってきた。  もっと何か特別な理由があるのかと思ったが、本当に皆と花見をしたいだけらしい。で もやっぱり何か彼女は俺に隠している気がした。まだそれを聞ける場所まで俺は到達して いない。 「じゃあ、練習終わったら買い物付き合ってくれよ」 「うん。三時に終わるから、後で電話してね」  そこまでだった。彼女の本心を聞きたいという思いに後ろ髪引かれつつ、俺は歩き出す。 「おう。じゃあ、俺は帰ってるから」 「うん。後でね〜」  中村に背を向けて俺は歩き出した。明日、本当に晴れたらいいと思いながら。  そして、中村の心を知りたいと、少しだけ思った。  結局、日曜は晴れたため、ほぼクラス全員と花見を楽しんだのだった。


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