俺が成城東高校に入学して二週間が経過した。

 結局、俺は三日ほどで全員の名前は覚えたが顔と名前は一致せず、他のクラスメイトも

真面目に覚える気は無く、知らない人々は知らず、知ってる人だけ知っているという当た

り前の状態に落ち着いた。

 荒木先生はかなり悔しがっていた。どうやら生徒がどれだけ早く全員の名前を把握でき

るか先生間で賭けていたらしい。全くけしからん。

 俺は俺で、何とか顔と名前を一致させた奴等とは話せるようにはなった。だけど昼休み

に弁当を自分から一緒に食べようと思う人はまだいない。俺はいつものように机の上に弁

当を取り出した。学食があるにはあるが、始業式の次の日に行って、凄まじい込みように

もう使用しないと決めた。



「高瀬君〜」



 弁当の蓋に手をかけたところで何度も聞いた声がする。その方向に顔を向けると中村が

もう一人女子を連れて近寄ってきていた。



「一緒に食べよ〜」

「ああ」



 いつものように、俺の前の椅子に中村は座り、一緒に来た女子はその隣に座った。この

二週間、何故か中村ともう一人は昼食時間になると弁当箱を持って俺の下に来た。

 そして、中村に惹かれて何人か男子も。



「高瀬君、またお弁当って手作りでしょ? その卵焼きいただき!」



 俺の同意も得ずに卵焼きを強奪したのは中村と中学時代からの友人らしい青島裕美だっ

た。短距離ランナーらしく髪の毛は耳よりも更に上。小学生男子の髪型みたいだ。



「今、失礼なこと考えたでしょ」

「いやいや。そんな事は無い」



 俺は平然とごまかして自分の弁当を食べ始める。中村も青島も昨日見たテレビ番組の話

やバラエティー番組の話で盛り上がってる。それに答えるのはもっぱら集まった男子達だ。

 中村に加えて青島も可愛いと言えば可愛い。

 中村がお嬢様風の色香なら、青島は健康的な色香を漂わせている。二人がそろうところ

男子の列あり、だ。実際に二人はこの二週間で何人かに告白されてるようだし。



「――それでね、昨日陸上部の先輩に告白されたんだけどさぁ、断ったら逆ギレして最悪

だったよ!!」

「それはダブルチョップだね」



 相変わらず中村はどう突っ込んだらいいか分からん言葉を発し、周りは普通に通すか軽

く笑うかいろいろ反応を見せる。二週間も経って、俺はこの雰囲気が好きになっていた。

 こうやって昼食を食べられるようになったのは高校成り立てとしては上出来ではないだ

ろうか。そんな中で、男子の一人が一つの提案をした。



「なあ! 花見やらねぇか!」



 花見の提案をしてきたのは……確か赤間正治だったか? 中村の取り巻きである『中村

親衛隊』(俺が勝手に名づけただけだが)のリーダー格で、常にアプローチをしているが、

中村は一度もそれには乗らない。今回もその一端だろうか。

 赤間は顔を少し高潮させながら窓の外を指差して言ってくる。



「校庭の桜が散らないうちにやっちまおうぜ。それで皆の親睦を深めるのさ!」



 赤間の周りで男達がうんうんうなずいている。俺は弁当をつまみながら外を見た。

 北海道は確かに桜が散るのは早い。すでに四月中盤だが、五月にもなればすぐ桜が散っ

てしまう可能性は高い。赤間達の動機は中村と仲良くなることだっただろうが、その申し

出自体は魅力的ではあった。



「楽しそうだね〜。みんなでお菓子持ち寄って、お花見したいかも」

「そうでしょ! 中村さん!! これは決まりで良いんじゃないか! 級長!」

「ん〜。じゃあ、早速帰りのホームルームで提案してみるか」



 俺の言葉に歓喜の声を上げる赤間達。何事かと彼らを見るほかのクラスメイト。俺は喜

ぶ彼らを尻目に静かに弁当の残りを平らげていた。そこで中村と青島が俺をじっと見てい

ることに気づく。

 最初は黙って見返したが、それでも相手から何かを言ってくる気配は無いので俺から話

を振った。



「……どしたの?」

「高瀬君、お花見嫌だった?」



 中村がおずおずと言う。その仕草がやけに可愛く見えたことに、俺は咳払いで照れをご

まかすと誤解を取り払うべく言った。



「いや、嫌なわけじゃないよ。ただ赤間達が騒いでいるから逆に冷めただけさ」

「そうか……楽しみ〜」



 中村は笑みを浮かべて席を立った。青島も一緒になって行くのかと思ったが、何故か俺

を見たまま。俺は視線の意味が分からなくて何なのか問いかけようとしたけど、ちょうど

その時に青島は立って行ってしまった。



 一体なんだったのか?



* * * * *
 午後も授業が終わり、帰りのホームルームが始まる。中学までたまに五時間授業だった というのに全ての曜日が六時間授業と言うのは疲れる。  でも昼休みに花見を提案してみるかと言ってしまった以上しなければいけないだろう。 「あー、じゃあ。先生から連絡は特に無いが、何かあるか?」 「はい。ちょっとあります」  俺はけだるさを抑えて立ち上がり、教壇まで歩いてから皆を見た。  赤間達は他のクラスメイトの反応がどうなのかをそわそわしながら見ている。 「あー、来週の日曜日にでもクラスで花見をしようと思うんですけど」  俺の言葉が教室に行き渡って……何か寒い空気が教室を包んでいた。  俺の提案にクラスの一部以外はかなりしらけている様子だった。  確かにまだ同じクラスになって二週間だ。クラス全体が親しくなるのはまだ先のことだ ろうし、休みを返上してまで花見をする気も起きないという気持ちも分かる。  多分、俺もみんなと同じ立場なら気乗りはしないだろう。  無言の重圧に俺は提案を取りやめて椅子に座ろうと思ったが、意外なところから救いの 手が伸びてきた。 「いいんじゃないか? 花見」  荒木先生は実に良い意見だ、とでも言わんばかりに手を叩きながら言ってきた。俺だけ でなくクラス全員が信じられんという感じで先生を見つめる。 「ほら、皆ももう二週間くらい一緒にいるんだ。もうそろそろ仲良い奴だけじゃなくてク ラス全員と交流する機会を持ったほうが良いぞ」  先生の主張はまあ正しいと言えば正しい。実際にそこから赤間達数名は花見の重要さを 他のクラスメイトに主張している。前に立つ俺に構わず独自に言葉が交わされる教室。  少し事態を傍観してから、俺は思い切り息を吸った。 「じゃあ!!」  俺の声は端から端まで届いた。クラスの皆は、先生も含めてあまりの大音量に唖然とし て俺を注目する。  一気に静けさを取り戻した教室で、俺は咳を一つしてから考えを口にした。 「とりあえず参加したい人だけ参加することにしようか。花見したい人、手上げて」  俺の言葉に少し躊躇する気配があったものの大体クラスの四分の三ほどが手を上げた。 「じゃあ、来週の日曜で良い人」  これも同じだけの数の生徒が手を上げた。まあ、これでいいか。 「じゃあ、先生もお金を出そうと言うか参加するから。一人五百円くらい徴収して、足り ない分は俺が出そう」 「ありがとうございます、先生」 「俺が進めたんだから当たり前のこと」  荒木先生は何故か勝ち誇ったように笑っていた。そのままホームルームは終了した。
* * * * *
 空はとても綺麗で、俺は屋上に寝転んで何も考えずに空を見ていた。  今週の日曜日に花見をやることになり、明日から金を回収。赤間グループ四人と俺、中 村で前日には飲み物食べ物を買いに行くことになった。  全くめんどくさい事をしたものだと今更ながら後悔。  先生の言葉も正論だし、俺もけして花見が嫌いなわけじゃない。でも、やっぱり俺はイ ベントを主導で行うんじゃなくて、参加して騒ぎたかった。  人の上に立って率先して何かをするなんてもうこりごりだと思ったのに……。 「どーしたの? こんな所で」 「……スカート穿いてここまで近づくのはなかなか危険だぞ?」 「大丈夫。スパッツ穿いてるし」  わざわざスカートの中身を見せてはこなかったが、中村の言葉は本当だろう。  どうしてこの場所にいるのかは、俺が聞きたかった。  今の時間なら中村は部活をしているはずだ。 「中村、部活はどうした?」 「今日は音楽室使えないから、体力トレーニングデイなの。好きな場所で腹筋背筋側筋2 00回」 「……そんなに出来るのか? 合唱部?」 「知らないの、高瀬君? 合唱部は文科系体育部なんだよ」  よく分からない部名を挙げて中村は俺の隣に寝転んだ。すぐ横に中村の整った顔があっ て心臓が跳ね上がる。 「高瀬君、私の頭をはさんで立ってくれる?」  俺は言われた通りに中村の頭をはさむように立った。すると中村は俺の両足首を手でつ かみ、足をそろえて上に跳ね上げた。必然的にスカートがまくれて穿いていたスパッツが 露になる。  何かかなり心臓の鼓動が激しいんだけど……。 「私の足を軽く前に押し出してくれる?」  俺は言われた通りに、なるべく緊張していることを悟られないようにしながら中村の足 を前に押す。予想よりも細い足。顔のほか、体も均整が取れているようだ。  中村は押し出されて屋上の床すれすれまで下がった足を、ゆっくりと上げていく。俺の 傍まで上がってきた足をまた前に押し出す。それをしばらく繰り返した。 「凄いな。もう百回やったぞ」 「うん。疲れたから休憩〜」  額に浮かぶ汗を軽くぬぐいながら中村は楽な態勢を作った。俺は隣にあぐらをかいて座 り、話し掛ける。 「合唱部だからって侮ってたよ。そんなに出来るんだ」 「体が楽器だから。鍛えればもっともっと上手く歌えるんだ」 「……中村、歌上手いの?」  中村は少し恥ずかしそうに言葉を返した。 「小学生のときに町内会で優勝したよ」 「……そいつは……」  何か言葉を返そうと思ったが、中村はすでに背筋の準備を始め、俺に足首を持つように 言う。突っ込みは無しにして俺は筋トレを手伝う。 「高瀬君――は――歌――上手い?」  上体をそらすごとに俺に尋ねてくる中村。その口調は少しも辛さを見せることなく、彼 女の体はどうやら思ったよりも鍛えられていると分かる。  俺は過去に人前に歌を披露したことを思い出して、答えた。 「上手いほうとは思うけど」 「へぇ〜。――15へぇ――だね」 「満点は20か?」 「うん。一人――持ちへぇ――は――20――まで。今度、カラオケ一緒に――行こう?」  中村の申し出はなかなか魅力的だった。言葉のまま想像したら二人で行こうと誘ってい るようにも思える。デートか……甘美な響き。  俺が想像を膨らませようとしていたら、中村は動きを止めて話の続きを言った。 「裕美も歌上手いんだよ〜。ELTの歌を歌わせたら20へぇだね」 「へぇ……20へぇ」  まあ、分かってたけどね。  そりゃそうだ。友達になって一月も経たないうちにデートなど無理に決まってる。  ま、カラオケは嫌いじゃないし友達多数で行ってもいいけどね。 「じゃあ、体育大会の打ち上げででもクラスで行く奴等と行くか。五月の半ばだろ?」 「そうだね〜。それも楽しみだけど、やっぱりお花見楽しみ」  中村は立ち上がって屋上のフェンスまで行くと、校庭に咲く桜を見た。俺も隣に立って その桜を見る。  桜は風にあおられて少し散っていた。日曜まで持つのかと不安になる……。 「大丈夫だよ」  まるで心の声を聞いたかのように中村は俺に言ってきた。  そんなに顔に出ていたのだろうか? 「楽しみだね、お花見。クラスの皆と沢山仲良くなろう!」 「んー、別にいいけどな」 「クラス級長がそんなこと言ったら駄目だよ〜」  それからまた中村は残りの筋トレを済ませ、俺は彼女と別れて家路についた。  学校から出る直前に、もう一度俺は桜を見た。  夕焼けに照らされた桜はやけに綺麗に思えた。


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