『Love Song』 『第八話:聖譚曲』
 八月十三日。  その日、ショウは夢を見なかった。  自分がなんであるのかを自覚した今では、あの夢が自分のことだったと理解できる。  夢の中のショウは、生き返った意味という物があるのかを自問自答していた。何のため に生き返ったのか分からずにいた。しかし今、ショウはその意味を見つけるという明確な 目的を得た。だからこそ、あの夢はもう見ないのだろう。そしてそれは嫌でも、自分の時 間が残り少ないことを思い出させる。 (でも、見つけなくちゃ……あと……)  タイムリミットまで、後五日。 「――……ふわあぁあ」  ショウの足の方向から欠伸が聞こえ、正人の体が起き上がってくる。ショウと正人は部 屋の狭さを補うために体を交互に入れ替えて寝ている。 「あ、起きてたのかよ。ショウ」 「うん。おはよう。でも今日はいつもよりも遅いんだね」  ショウの言葉に正人は体の各所を伸ばしながら答える。 「ああ。今日は久しぶりにバイトがないからな……」  時計を見るとしかしバイトに出る時間。いつもその一時間前には起きている正人だけに 体が時間に慣れてしまっているようだ。起きようとしなくても起きてしまうために眠気は まだある。 「あ〜……、朝飯作るのめんどくさいなぁ……食べに行くか」 「食べに? うん! 行きたい!」  ショウは元気に正人の提案に乗った。それを見ていた正人は複雑な気持ちになる。 (俺の朝飯、美味くなかったのか?)  ショウとしては、新しいことが始まる予感に心をときめかせて喜んだだけなのだが、今 回ばかりは少し裏目に出たらしい。 「……まあ、いいか。さっさと着替えて行くぞ〜」 「は〜い」  いつものように、晴れた朝だった。しかし少しだけ、違っていた。正人にとっては。 「……今、なんて言った?」  口の中に入っていた牛肉を噛み、飲み込んでから正人はショウに問い掛けた。二人がい るのは近所の牛丼屋であり、二人とも牛丼を食べている。時間が時間だけに通勤前の大人 が多く、店内では他人の言葉が多すぎて会話が届きにくいのだ。 「自分で詞を書いてみたいんだ。そして歌いたい」  ショウの言葉はしっかりとしたものだ。正人がショウと会って以来、初めて見せる意志 の強さ。正人には一瞬、彼の記憶が戻ったのかと思ったくらいだ。記憶が戻り、自分が何 者かを知ったからこそ見せることが出来る意志だと。  しかしショウは相変わらず記憶がないようで、牛丼の肉がなんなのかさえ分かっていな かった。だからこそ、ショウの言葉が信じられなくて問い返したのだ。 「……一体どういう風の吹き回しだ?」 「? 風なんて吹いてないけど」  正人はため息をつくと牛丼の残りを口にかきこんだ。ショウは正人の様子が楽しかった のか笑いながら動作を真似する。牛丼を食べ終わり、二人は店を出た。真夏の太陽は眩し く、いつものような蒸し暑い陽気の中、ゆっくりと道を歩く。 「何か、あったのか? 詞を書きたいなんて」 「書きたくなったんだ。自分の気持ちを歌にしたいんだ……」  ショウは昨日、陽子に抱いた思いを説明し始めた。その説明はたどたどしく、いまいち 要領を得なかったが、それでもショウは懸命に説明し、正人はじっくりと聞いた。 「なるほど、な」  正人は大体事情を理解すると急におかしさが込み上げてきた。 (ショウが陽子さんに恋をするとはねぇ……。初めて恋を知ったみたいな反応、か……い や、あいつは初めてなんだ。恋をするのは)  記憶がなく、全ての感情の名前を把握していないショウ。だからこそ、自分が今、陽子 に抱いている感情の名前を知らないのだ。そしてそれを教えるのは正人には簡単だが、あ えて正人は教えなかった。 (ショウは……自分で足を踏み出したんだ。俺から与えられた物じゃなくて、自分で新し い物を作り出そうとしている……なら、俺はあくまで手助けをしようか)  正人は少し考え、口を開いた。 「うん。詞の書き方、教えるよ」 「本当! ありがとう〜」  ショウは喜んで正人に抱きついた。ストレートな感情表現に周りにいた一般人の目線が 厳しくなる。しかし正人は引き剥がす気にはならなかった。抱き疲れていても不快感は感 じなかったために。  正人はショウの空気にいつの間にか安らぎを得ていたのだ。  家に着いて、正人は使っていない大学ノートを一つショウに渡した。ショウはそれを開 いたり閉じたりして見ている。 「詞を書くコツ、最初に言ったよな」 「う……うん」  ショウは肯定したが、その口調から覚えていないのは明白だった。正人は微笑むと丁寧 に説明を始める。 「詞っていうのはな、書く人の気持ちが素直に出る物なんだ。落ち込んでいる時は落ち込 んだ詞、楽しい時は楽しい詞、悲しい時は悲しい詞が書けるはずだ」  ショウは正人の言葉に頷いていく。正人は自分が作詞の講師にでもなった気分だった。 確かに、今の正人はショウのために作詞の仕方を教えている。そしてそれがとても嬉しか った。 (こいつの眠っている可能性が、また一つ開花するかもしれないしな……それを引きだせ るなんて、嬉しいことはないよな……)  底の見えないショウの可能性を少しでも引き出すこと。いつからか正人はそれを目的と して考えるようになっていた。最初はただ、一緒に歌えることが楽しかった。しかし、今 はショウという可能性の塊がどこまで伸びていくのかを見てみたい衝動に駆られている。 「結局さ、大事なことは自分の『想い』をどれだけ言葉の中に込められるかって事だよ」 「自分の『想い』……」  ショウは呟いて考え込む。その様子が、あまりに鬼気迫る感じだったために正人は慌て て言葉を続ける。 「そこまで真剣に考えるなよ! まずは簡単で短い詞から考えていこう」 「そんな暇はないんだ」  その時、明らかにショウの口調が変化した。  ショウが正人を見る目。それは何かに追い詰められているような、そんな瞳だった。正 人はその迫力に言葉を発せなくなってしまう。 「短くても、言葉に、思いを込めればいいんだね……」 「ああ……」  ショウは大学ノートを開いてペンを持った。ノートにペン先を当ててすう、と息を吸い 込む。眼を閉じて、ゆっくりと息を吐く。 「……ショウ、俺ちょっと出てくるわ」 「え〜」 「集中したいだろ?」  ショウは残念そうな顔をしたが、正人の言葉にこくん、と首を下に振る。正人は静かに 身支度を済ませて再び扉を開けた。 「ショウ」 「何?」  ショウの横から少しだけ見える大学ノートにはすでに数文字が書かれ、ペンで消されて いた。それが見えたからか、正人は最後のアドバイスをする。 「つまったら、空を見てみな」 「空?」  ショウが窓から見える空を見上げたのを見計らって正人は言う。 「つまったら、空を見て何も考えるな。そうしてしばらくして、浮かんできた言葉をただ 書くんだ。そうすれば、自分の素直な気持ちが言葉になる」 「……うん! 分かった!」  ショウがガッツポーズをして自分に気合を入れているのを確認し、正人は外に出ると後 ろ手にドアを閉めた。  久しぶりの休みに、特にやることもない。  正人は結局どこに行くでもなくぶらぶらし、最終的にはさかまき公園に辿り着いた。  いつも歌を歌っているベンチへと座り、空を見上げる。 (今頃、ショウは悪戦苦闘してるんだろうな……)  そう思っていると、急に視界が遮られる。もう見知った顔に。 「前はショウ君で、今回は正人君なのね」 「陽子さん……」  陽子は微笑むと回り込んで正人の隣に座った。前日と同じように、隣に並ぶ二人。  後ろに立つ木からは蝉の声が聞こえてくる。 「ねえ。この蝉の声、どう思う?」 「蝉の声……いや、元気だなぁって」  正人の答えに陽子は顔をほころばせた。思わず正人はその顔に胸が大きく鼓動する。 「ショウ君はね、蝉も歌っているんだって言ってた。自分の『何か』を伝えるために歌っ ているんだって」 「……あいつらしいな」  二人はお互い微笑みあい、空を見上げる。しばらくその場には、蝉の鳴く声だけが響い ていた。夏休みの穴なのか、いつも溢れている子供達の姿はない。子供達の喧騒が聞こえ ない分、その場の静けさが際立っているようだ。 「陽子さんは、どうしてショウのファンになった?」 「……綺麗だから」  正人のふいに思いついた問に対して、陽子は真剣な声色で答えた。正人は陽子の方を見 る。少しだけ、思いつめたような表情をして、陽子は空を見上げていた。 「わたしね、昔から少しだけ人よりも感じやすかった。人の善意とか悪意とか、そう言っ た感情を人よりもより直接的に受け取れたの。超能力みたいな物かな」  陽子は遠い目をして今度は前方を見た。そこにはいつ現れたのか、小さな子供とその母 親がいて、子供は無邪気に走り回っている。その様子を懐かしそうに陽子は見つめていた。 「小さい時はみんな、言った言葉と感情は同じだった。でも時が経つにつれて……人は嘘 をつくようになる。中学に上がった頃かしらね、わたしは思った。世界には嘘が溢れてる って。人はもう真実を語らないんだって」 「そんなことは――」 「ええ。もちろん全ての人がそうだなんて思うほど悲観していないわ。でもわたしの出会 った人たちの中でそんな人はいなかった。みんな本音を建前で包み隠していた」  前方にいた子供が、転んで泣き出す。母親が駆け寄り、胸に抱くと子供は泣くことを止 めた。 「分かっているわ。大人になるって、建前に慣れる事なんだってこと。でも、わたしはど こか冷めちゃったんだ。嘘ばかりの世界に。そんな時、ある歌に出会った」 「歌……」 「そう、歌」  陽子はベンチから立つと口を開いた。口からは聞き覚えのある歌詞が流れる。それは数 年前に流行った歌。数フレーズを歌った後で、陽子は正人を見る。 「この歌に出会って、わたしは歌の素晴らしさを知った。それまで、全然歌なんて聴かな かったの。何か、作っているだけで心がこもっていない感じがしたから」  陽子は嬉しそうに笑った。正人にもその笑みの意味が分かる。彼女は暗闇に一筋の光を 見つけたのだろう。歌に出会うことで。 「でもね、やっぱりわたしは人と触れ合いたかったんだね。わたしの感覚も、より人を求 めたから身についたのかもしれないし。わたしは探していた。見つからないと思っていて も、探さずにはいられなかったの。ショウ君みたいな人を……」  二人はその会話を最後に別れた。正人は家に戻る道を歩きながら考える。 (ショウが陽子さんに惹かれた理由、分かった気がする)  ショウと陽子。  二人はお互いに求めていた存在なのではないだろうか。  ショウにとっての陽子の存在がどの程度なのかは分からないが、少なくとも陽子には必 要だったはずだ。陽子の求めている純粋性を持った人間は正にショウなのだから。 「でも、いつかは陽子さんも向かい合わなくちゃいけない」  正人は思う。  陽子はやはり世界に背を向けている。自分が人を求めているにも関わらず、人と心から の触れ合いを恐れていることを世の中が汚いからだと言い訳している。 「結局、ショウも陽子さんも自分次第ってことか」  そしてその鍵を握っているのは、ショウが書き上げる詞。  ショウの想いがつまった詞を、陽子がどう受け止めるのか。それによって何かが変わる 気がした。 「なら俺も最高の曲を書こう。自分のために。そしてなによりも俺を助けてくれた二人の ために」  正人は自分にそう言い聞かせ、自分のアパートへと足を速めた。


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