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『Love Song』 『第六話:追想曲』
 守ってあげたかった。  精一杯、自分の力の限り。  だから俺は精一杯出来ることをした。  それがほとんど無意味なことなのだと分かっていながら。 『大好きだよ』  そう言われたくて、俺はあいつが好きな歌を歌った。あいつが、暁が喜んでくれるから。  永遠に失われた時間だった……。 (はぁ……疲れた……)  正人はギターケースを下げてさかまき公園へと来ていた。バイトが終わったのが午後四 時。そこから軽く食事をし、準備をして公園へと向かう。時間は午後七時となった。 (ショウは本当にずっと公園にいたのか?)  昼間の暑い中、公園に一人いるショウの姿を想像して正人は頬を緩めた。 (感じだけじゃなく、行動まであいつにそっくりだな)  ショウに出会ってまだ二日。しかし正人は自分の中で封印した記憶が少しずつ浮かび上 がってくることを否定しなくなってきていた。最初の頃は記憶が甦るたびに自分を傷つけ ては後悔し、友人を傷つけた。最初は根気よく慰めてくれた友人達も一向に立ち直らない 正人を遂には見放し、去って行った。立ち直るには一年を要した。  そこからだった。正人が歌手を本気で目指そうと考えたのは。 (暁……俺は精一杯やろうと思うよ。あいつと……ショウと)  正人は昨日のように神代陽子と共にいるショウを見つけて手を振った。二人は正人を見 つけると同じように手を振り、微笑んだ。その光景は微笑ましく、正人の目にはショウに 違う人物が重なって見える。 「暁……」  すでにこの世にいない最高の友の名を、二人に聞こえないように正人は呼んだ。  前日と同じようにギターを調律し、演奏の準備をする。正人は準備完了の合図をショウ に送った。するとショウは笑みを浮かべて立ち上がり、その声をおしみなく発散し始めた。 「♪『待ち行く人の波が流れていた ただ僕はそこに佇んでいた    明日への予感を感じさせずに 今いる場所を確信できずに』♪」  少し速めに流れる曲に合わせるヴォーカル。一晩読んだだけでショウは歌詞もメロディ も完璧に暗譜していた。その驚異的な記憶力と順応力は更に歌を変えていく。  正人が歌っていた時には得られなかった感動をショウは曲を自分なりにアレンジし、歌 い方を変える事で詞の魅力を十二分に引き出していった。  押さえる所と盛り上げる所をはっきりと分け、アップテンポ特有のごまかしを無しにシ ョウは強弱をつけていく。そして歌は正人の下を離れて人の心に届く。徐々に集まってく る人々。前日の歌によって広まったのか、集まってくる人数は前日以上になっていた。 「♪『僕の耳には聞こえない 明日への扉を叩く音が    今をがむしゃらに進む僕に 未来への音など聞こえない    暑さに身を焼き朽ち果てても 寒さに身を凍えさせても    僕には今しかありえない 今さえも見えていない』♪」  切ない歌詞を切なく歌い上げる事、当たり前の事をしているだけにも関わらず聴く人々 の目には涙が浮かぶ。その声が歌詞を歌うことで空気中に消えていくはずの言葉が質量を 持って人々の心へと入り込んでいく。そしてその中でしっかりと現れる。 「『僕の耳に聞こえてくる 明日から向かってくる言葉が  「明日はここにある 君の進む道の先にある」   暑さに身を焼き朽ち果てても 寒さに身を凍えさせても   たとえ見えなくてもある 今の先にきっとある』♪」  曲もクライマックスに近づいた時、陽子が周囲を見回すと昨日以上の人々が集まってい た。誰もが顔をうっとりとさせてショウを見て、歌を一字一句聞き逃さないようにと耳に 神経を集中させている。陽子も他の人々と同じくショウを見ようとして、正人の姿を視界 にとらえた時、陽子の視線は止まった。  ギターを弾いている正人の顔には、悲しみが出ていた。  それは本当に微かな物で、普通の人には分からないだろう。  同じような悲しさを持っていなければ見つけることはできないはずだ――陽子と同じく。 (正人君……)  陽子の耳にはもうショウの歌は入ってきてはいなかった。陽子の瞳を占めている、意識 を占めている物は正人の悲しそうな顔だけだった。  その歌の後、二時間程歌って今日のストリートライブは終了した。人々はまばらになり、 ショウは数人の人に囲まれておろおろとしている。それでもショウに危害を加えるような 人はいないので正人は安心してギターを片付けていた。そこに陽子が声をかけた。 「今日は八十点ね」  不思議そうな顔をして正人は陽子に言葉を返す。 「そうだったかな? 昨日よりもいいライブだったと思うけど」 「ショウ君はね。問題は君」 「……」  正人の動きが止まった。それは言われたことが不服であるとしての無言ではなく、肯定 の意味を表していた。正人はギターを片付けると身近にあったベンチに腰掛けた。陽子も その隣に座り、正人の言葉を待つ。  正人はため息を一つつくと、語り始めた。 「俺には弟がいた」 「……弟」  陽子の呟きに頷くと正人は先を続けた。 「暁と言って、兄馬鹿と言われるだろうが、とても可愛かったよ……」  正人は溜息とともに最後の言葉を空間へと放出した。 「弟が死んだのはあいつが十二歳の時だった」  それからの正人は陽子がいるということを忘れているかのように語り続けた。
* * * * *
 正人十五歳、暁十一歳。  二人は何の変哲もない家庭に生まれ、育ってきた。  父親は普通の会社員。母親は中学校の教師。二人の世話は同居している母方の祖母が受 け持ち、すくすくと二人は育った。スポーツ全般が得意でどんどん自分から前に出て行く 活発な兄とは違い、弟は大人しく部屋の中で本を読むのが好きなところがあり、小学生と しては特異な暁はよくいじめの対象となった。その度に正人は暁を助けてきたのだった。 『兄ちゃんが守ってやるよ!』 『うん。ありがとう、お兄ちゃん!』  素直に頷き、答えてきてくれる暁に正人はいつしか安らぎを感じていた。  最初は弟を守るという義務感で暁の前に立っていた正人は、いつの頃からか暁の笑顔を 見るために弟を守ろうとしている自分に気付いた。  どんなにいじめられても、その相手を憎まずに自分を責め、悩む弟。  お人よしの上に馬鹿がつくくらいの弟。  だがそんな弟を正人は誰よりも愛していた。笑顔が見たかった。  だからこそ正人は自分の想いを見つけた。 『精一杯、力の限り暁を守る』  その想いが生まれた矢先に事件は起きた……。 『暁はっ? 暁はどうなったんですっ?』  正人は力の限り叫んでいた。  冷たい空気が支配する病院にその声は響き渡る。当然、そのような声など出してはいけ ない場所ではあったが、誰も正人の行為を責める者はいない。正人の視線の先にいる医者 は正人の後ろに立つ両親へと暁の容態を告げた。 『暁君は……頭に強い衝撃を受けています。今夜が峠でしょう』  その言葉に夫へと倒れかける妻。正人も医者の言葉の重要さを理解した。  酔払い運転の車によってゴムまりのように弾かれた暁。全身血塗れとなって暁は病院に 運ばれたのだ。正人の中に生まれる思い。 (暁が死ぬ……そんなの……嫌だ!)  正人は祈った。生まれて初めて、神に祈った。大好きな弟の命を奪わないで欲しいと。  その願いは、ある意味叶えられた。  そしてそれが新たな苦悩の始まり……。 『暁! 良かった、暁!』   正人は病室のベットに横たわる暁の手を握り叫んだ。暁は目を開けてぼんやりと天上を 見ている。正人は自分の祈りが神に届いたのだと、本気で感謝した。しかし暁は反応を示 さずにぼんやりとしているだけ。流石に正人は不安になり何度も呼びかけた。そして何度 目かの呼びかけの後でようやく暁は正人へと顔を動かし、言葉を発した。 『……誰?』  心を抉る一言。一瞬、正人は暁が何を言っているのか理解できなかった。しかし暁が続 けて言葉を紡いだ事でようやく理解する。 『僕……だれ?』  記憶喪失。   ドラマや漫画、アニメの中で聞いた事のあった言葉。正人にはその単語は現実味のない 物として認識していた。しかし今、目の前に言葉の結果がある。最悪の形で、目の前に現 れていた。  急いで医者が呼ばれ、診断を受ける。暁は完全に記憶を失っていた。自分がどこの誰で、 正人が誰で、親が誰かも全く分からなくなっていた。 『自然に治ることを待つしかありません』  医者も完全にさじを投げ、暁は記憶を失ったまま病院生活を始めることになった。記憶 が完全になくなっていた暁は日常生活を送るのもままならない。何から何まで誰かが補助 しなくてはならない。  仕事に出ている両親や足の悪い祖母の代わりに、正人は毎日病院に通い、暁の世話をし た。正直、どうすればいいのか全く分からないまま。 『お兄ちゃん、ありがとうね』 『……どういたしまして』  トイレに連れて行ったり、食べ物を食べさせたりと世話をすることで言われる礼。記憶 を失うことでより幼くなった暁は正人のことを『お兄ちゃん』と呼んだ。しかしそれは、 正人自身が求めていた言葉ではない。あくまで赤の他人への言葉なのだ。自分の兄に対す る礼の言葉ではないのだ。正人にはそれが、記憶は戻らないのだという事を告げているよ うで辛い。  しかしその時、正人に一つ案が浮かんだ。暁を元に戻せるかもしれない方法、自分が出 来る唯一と言っていい方法が。  ある日、正人は看護婦に隠れてある物を暁の病室へと持ち込んだ。 『なんですか? それ』 『これはな……』  正人は傍にある電気ポットにお湯があることを確認すると持ち込んだ物の蓋を開けて中 身をカップの中へといれた。そしてお湯を注ぐ。香ばしい匂いが暁と正人の鼻腔を擽る。 『何の匂いですか?』 『これはコーヒーって言うんだ。暁が昔飲んでいたんだよ』  正人が持ってきたものは暁が飲んでいたコーヒーだった。小学生がてら、同じくコーヒ ー好きの両親の真似をして飲んでいたのだ。正人は嫌いで飲んではいないが。 『お前が大好きだった飲み物だ。これを飲めば何か記憶が戻るんじゃないかなと思って』  暁は正人に勧められて恐る恐るコーヒーに口をつけた。そして苦さに顔を歪ませ、次に 抗議するように正人に向けて頬を膨らませた。 『苦いです! 病院の薬より苦い……』 『昔は好きだったんだ。慣れれば飲めるようになるよ』 『そう……ですか……』  暁はしぶしぶカップ内にあるコーヒーを征服しにかかった。別に嫌ならば捨ててしまえ ばいいものの、最後まで飲もうとする素直さは記憶を失う前と同じ。 (徐々にでもいい。思い出して欲しい)  正人は必死に祈っていた。毎日寝る前に、そして朝起きた時に、祈った。  正人の願いも空しく暁の記憶は一向に戻らなかったが、やがて正人は幸せを感じ始めて いた。暁が少しずつだが自分に心を開いていくことを感じられたから。そして今までの人 生を思い出せなくても、暁が新しい人生を歩けるのなら良いと正人自身が思えるようにな ったから。  暁が記憶を失ってから一年が経とうとしていたある日、正人が病室に入ると、暁が歌を 口ずさんでいた。備え付けられているテレビを見ると、二人組のアーティストが歌ってい る。暁はそれを真似して歌っていたのだ。そこで正人も軽く口ずさんでみた。 「♪~♪」  そのアーティストはよく見た顔で、頻繁に歌番組も出ている。そんなに歌に興味がなか った正人でも歌える。そこで正人は試しに主線ではなく、コーラス部分を歌ってみた。 「わ!?」  暁が驚いた顔をして正人を見た。その顔があまりにも驚きに満ちていたので正人も言葉 が出ない。そんな正人を他所に暁は顔を上気させて叫んだ。 「もう一回歌って! 一緒に歌って!」  それが、始まりだった。  正人の忘れられない、最後の時間の。


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