『Love Song』 『第四話:小夜曲』
 正人がバイトを終え、コンビニで買った弁当を持って公園へと辿り着いた時、ショウの 姿はすぐに発見できた。最初に出会ったベンチに座っていたからだ。言ったわけではなか ったがショウがそこに座っているだろう事は正人には予想できていた。  だが、その隣に座る人影は予想してはいなかった。  正人は不思議に思い、とりあえず傍まで行ったところで手に下げていたギターケースを 下に置いて楽な体勢を作る。 「正人!」  ショウは子供のように正人が来たことに対して喜んでいる。しかしその隣に座っていた 人影――どうやら女性のようだが――は顔に不信感を隠しもせずに正人を見据えていた。 「あー、あなたは?」 「私は……そうね。ショウ君のファンってところかしら」  その女性は冗談めかして言った後にクスクスと笑い出した。それまで体の周りを覆って いた警戒のオーラが消えていくのを正人は感じた。 「どうやら悪い人じゃなさそうね。ショウ君が記憶喪失だっていうの知っているんでしょ」 「ああ。……その様子だと、ショウに何かあったのか?」  女性はそれからショウが街中で不良に絡まれたこと、自分がそれを偶然見かけて助けた 事。そしてショウの歌を聴いて感動した事を話した。正人はため息をつき、女性に対して 頭を下げる。 「ありがとう。街のほうに行くなって言えばよかった。また同じ事を繰り返すところだっ たよ。本当に、ありがとう」 (また?)  女性は正人の言葉の中に不思議な感じを覚えたが、すぐに正人が言葉を続けてきたので その感覚は霧散してしまう。 「今日はこれからここで歌おうと思ってるんです。良かったら聴いていってください」 「そうさせてもらうわ」  女性は二人から少し離れた場所に立ち、ギターケースからギターを取り出す正人と、傍 で不思議そうにギターを眺めているショウを見ていた。そして声をかける。 「私は神代陽子。よろしくね」 「……俺は新城正人。よろしく」  正人は言いながら、ギターの音合わせをはじめた。  一弦一弦ずつ音を出しながら上部についているつまみを回して弦の張りを調節し、正し い音を見つけていく。爪弾くたびに音を発するギターをショウは興味ありげに眺める。 「これは何? 何? どうして音出るの?」 「ん? これはなぁ、この糸を張る強さで音の高さが変わるんだよ。やってみ」  正人はショウの手を弦に持ってきて軽く指で弾かせる。ショウは音が出た事に驚き、喜 んだ。 「凄い凄い!」  面白がって何度も何度も弦を弾くショウ。その様子を見て正人も楽しそうに顔を緩めた。 「もう、いいだろ。早く音を合わせたいんだ」  正人はショウの手を優しくどけると残りの弦の音を合わせた。終わって全部の弦を軽く 弾く。そこから簡単な曲を数小節弾いた。 「……こんなもんかな」 「正人。三つ目の弦の音が低いよ」  ショウのその言葉に正人も陽子も驚いた。二人の耳には確かな音に聴こえたのだ。  二人とも音感にはかなり自信があるほうである。 「これで音を調節するんだね?」  しかしショウはギターの弦を少しだけつまみを回してきつくする。そして軽く弾いて音 を出した。 「うん。これでいいと思うよ」 「あ、ああ……」  正直、正人には音がどれだけ変わったのか全く分からなかった。それほどの微小な違い をショウは聴き逃していなかったことになる。兎に角、正人は演奏を始める事にした。  ギターケースにギターと共に入れておいた紙をショウに向けて渡す。 「昨日歌った歌の全歌詞だ。俺がメロディを弾いて軽く歌うから、合わせて歌ってみてく れないか」 「うん!」  ショウは元気よく頷いて歌詞を見る。正人は内から生まれる喜びを噛み締めながら音を 奏で始めた。 「♪『君は今 この空を 見上げているかな?    空を覆う 星々を 見上げているかな?』♪」  正人が歌い始めると公園内に少しだけ色がついた。夜の帳が下りる頃、その合間を縫っ て旋律が流れる。道行く人はその音の出所を確かめるべく周囲を見回す。  公園の中の一つのベンチ。  そこに座り、ギターを弾きながら歌っている一人の男。  道行く人は数多くいるストリートミュージシャンの一人なのだと分かり、別に珍しくも ない人種を確認した時点で興味を失い去って行く。  濫立するストリートミュージシャンの中で、正人は特に目立つ存在ではなかった。  その中で人の関心を引く人など一握りに過ぎない。  そう、今までは…… 「♪『君は今 深い眠りにあるだろうか    僕は今 暗闇の中佇んでいる』♪」  その歌声が響いた瞬間、公園の中を通る人々の足が全て止まった。 「♪『夜に眼が覚め眠れぬ時 外に出て空を見上げている    空はこんなに穏やかなのに 心はこんなに苦しい』♪」  柔らかく広がり、公園中を覆う美声。公園としてはかなりの規模を誇るこの『さかまき 公園』全体を包むほどの声量。  しかも叫ぶようなハイテンポの歌ではなく、柔らかく歌い上げるバラード。  紡がれる言の葉に人々は打ち震える。 「何だ? これ……」  通行人の一人の頬に伝う一筋の涙。  自分の感情を自分で制御できない。  感情の波が激流となって自分を飲み込んでいく。 「♪『繋がる証が欲しいから 僕はいつも願ったんだ   「君の描く夢の中にも、星が満ちているといいな」』♪」 「あそこから……聴こえてくる」  一人の男が声の出所を見つけた。  ベンチに座る男がギターを弾き、それに合わせて立っている男が歌っている。  その男の周りに、光の輝きを見たような気がして、男は引きつけられるように歩いて行 く。同じような通行人が何人もそのベンチへと寄って行く。 「♪『その願いの愛しさを 心に伝えるように 今 僕の声は音を奏でる』♪」  いつしか、ベンチの周りには人が溢れていた。  ショウの声が人々を導き、ここへと誘(いざな)ってきたのだ。  静かにその場へと集結した人々は座り、ある者は立ったままでショウの歌声を聴く。  正人も歌声に負けないように必死にギターを演奏していた。  声量などが問題なのではない。  声量以上の何か。  音楽を形作る際に必要な『力』  それがこの場に広がっていて正人の存在をかき消そうとしている。 (想像以上だ……なんて音圧……なんて綺麗さだ……)  ショウの力に触れて、正人は全身の力を振り絞る。しかしそれを辛いとは全く思わない。  至高の音楽にこんな真近で触れることができて幸せを感じていた。 「♪『今は確かに寂しいけれど この夜を越えたらまた逢えるよ    僕等の心の中に 大事な物がある限り 恐れるものなんて何も無い』♪」  言葉が実体を持って触れてくるような感覚。  陽子はそんな感覚を得ていた。  歌い手が持つ心。  伝えたい気持ちを伝えることができるアーティストなどその業界でも本当に一握りだ。  しかしショウはそんな彼等よりも更に感情を伝えてくる。 【歌いたい】 【感じたい】 【生きたい】  陽子はふと、そんな言葉を聞いたような気がした。  心の中に響いてきた言葉。正人の詞に乗せて運ばれるショウの感情。  そのストレートな感情は陽子の心を激しく揺さぶる。 (なんて……綺麗なの)  ショウと始めて出会った時に感じた心地よさ。  今の人々が誰も持っていない純粋性。  それが隠されもせずに伝わってくるから、陽子は思わず顔を背けた。  自分が何か汚らわしい存在のような気がして。 「♪『今 満たされる星の下で僕は歌うよ   「I love you」』♪」  歌詞の終わり。  ギターが数小節旋律を奏で、ゆっくりと曲を終えた。  静まり返る周囲。  不安そうに周りを見、正人を見るショウ。  だが正人は笑っていた。今まで生きてきた中で、最高の演奏をしたのだから。  パチパチ……  一人の男が手を叩く。それにつられて隣にいた女性も拍手をする。それは徐々に周りに 伝わり、やがて大きな拍手の音でその場は埋め尽くされた。  昨夜正人のアパートで住民がそうしたように、今、正人達の前にいる人々もまた感動を 露わにしていた。 「凄い……」 「どうしてこんなに……」  自分達が感じている感動をどう表現していいか分からない人々は口々にどうにかして言 い表そうと言葉を捜していた。 「想像以上ね……ショウ君は」  陽子が二人に近づいて言葉をかける。そして正人を見て驚きに体を硬直させた。 「新城君……」 「正人?」  二人が正人を見てどうしていいか分からずに呆然としている。  正人は泣いていた。  頬を伝う涙が、顔から離れて地面に落ちる。 「凄い……凄いよ……これが、俺の求めていた歌……」  正人が歌詞に込めた思い。  それをショウは十二分に引き出し、歌い上げた。正人には出来なかった事をショウは見 事に体現して見せた。正人にはそれが嬉しく、また悲しくもあった。 「どうして、俺には出来ないんだろう……俺には、出来ないんだろう」  感動の余韻が場を包む中、正人は結局この一曲しか演奏できなかった。  誰もその場にいなくなり、ショウと陽子だけが正人の隣に座っていた。  正人は涙を止め、地面を静かに見つめている。ショウは何か声をかけようかと悩んでい たが陽子に目で止められていた。 「……ありがとう」  正人はそう言って顔を上げた。その顔には悲しみはなく、何の迷いもなかった。 「これではっきりした。俺の歌をこいつなら、最高の歌声で最高の感動を与えてくれる」  ショウはいきなり抱きついてきた正人に、何か分からずおろおろするばかり。陽子は静 かに二人を見つめているだけ。 「ショウ……これからも、よろしくな」 「……うん! 僕はこれからも歌うよ!」  ショウはやはり、何を正人が嬉しがっているのか分からなかったが、正人の嬉しそうな 顔を見て自分も嬉しくなっていく。 「じゃあ、私も帰るわね」  陽子はそう言って立ち上がり、そのまま二人に背を向けた。 「あ、神代さん」 「陽子でいいわよ」  陽子は正人達へと振り向いてそう言う。顔には笑顔。その笑顔に、ショウも正人も目を 奪われる。 「明日もここに来たらストリートやってるかしら?」 「ああ、多分……」 「じゃあ明日も来るわね。いいでしょ」  陽子の言葉に正人は口ごもった。先ほどの笑顔の余韻がまだ残っていたからだ。そして 正人よりも先にショウが口を開く。 「うん! また来てね!」  ショウの喜びように二人とも呆気に取られたが、陽子のほうはそのまま笑顔を返して帰 っていった。嬉しそうに陽子の後姿を見ているショウを見て正人は何かしらの違和感を感 じていたが、気にしないことにした。 (ま、いいか……) 「よーし、帰るぞ〜」 「はーい!」  正人がギターを仕舞い、歩き出す。その後を追ってショウが歩く。  雲一つない空から二人を照らす満月は、二人の始まりを祝福するかのようだった。


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