『Love Song』 『第十話:さよならの音色』
 世界が暗闇に包まれていた。  しかしショウは自分の『心』の輪郭を認識できる。  これはいわゆる夢の一種なのだろう。 【良かった。君の生は幸福で満ち溢れていたね】  久しぶりに聞く声。その声は相変わらず無機質だったが、どこかショウは優しさを感じ ていた。しかし続けて言われる言葉はショウにとってはやはり衝撃的であった。 【でも、もう時間はない。期限が来たよ。君は今日の――時に消える】  その事は覚悟していたとはいえ、やはりショウには辛かった。何故なら今日は、一つの 約束があるからだ。 (それはもう変える事は出来ないの? 今日、僕には一つの約束があるんだ。それを…… 破りたくはない) 【どう生きるかは、君の自由だ】  暗闇が晴れて行く。  光が訪れる。  ショウは抗う事なく光へと踏み出した。  最後の時へと足を踏み出した。  起きると正人はすでにバイトに行く準備をしていた。  ショウはふと思う。 (一週間前も、こうして朝を過ごしていたのかな?)  一週間前の今日、ショウは正人に出会った。新たに人間としてこの世に生を受けたショ ウ。しかしどうしたらいいのか分からず、自分がなんなのかもわからず呆然とベンチに座 っていた。そこでふと、鼻歌を歌ってみたのだ。何かをしていれば、何かを思い出すかも しれないと思ったから。  そこでいきなり人の声が聞こえ、振り向くとそこに正人がいたのだ。 「正人。今日もバイト?」 「ん……ああ」  正人の返事はどこか歯切れが悪かった。ショウは何故かと訊ねようとしたが、先に正人 は立ち上がり、玄関へと踏み出した。 「今日も……夜……歌おう、な」  ショウは何も言えなかった。正人は少し迷ったようだったが、結局靴を履き、外へと出 て行った。ショウは、正人が極力いつもと同じように振舞おうとしていることが痛いほど 分かった。 (正人……気付いていたのかな?)  ショウが人間ではないこと。  今日、この世界からいなくなることを。  それでも正人はショウに余計な心配をかけまいと、悲しみを抑えていつも通り振舞おう としたのだろうか。全ては憶測だったが、ショウには真実に思えた。 「ありがとうね、正人」  ショウは心から感謝し、自分も約束を果たすために立ち上がった。時間は午後九時。待 ち合わせはさかまき公園に十時だ。 「陽子さん……」   待ち合わせの相手――陽子の名を、ショウは少し寂しげに呟いた。
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「ショウ君、明日、デートしない?」 「でーと?」  歌を歌い終わり、正人はどこかに行ってしまった。そして陽子とショウはベンチに腰掛 けて話している。 「そう。二人でいろいろな所に遊びに行くの。いいでしょ?」 「あ……」  ショウは肯定の返事を返せなかった。自分は明日には消えてしまうのだ。だからこそ自 分で作った詩を送った。これで最後のつもりだったのだ。 「明日ね、わたしの誕生日なんだ……だから誰かに……出来れば、ショウ君に祝って欲し いんだ」 「誕生日……」 「そ。自分が生まれた日」  自分が生まれた日。  その言葉はショウに驚きを与えた。人間は自分が生まれた日に祝ってもらえるのだ。  そしてそれはとても大事なことなのだ。今ならば、ショウにも分かる。  この世界に生まれたことは、何よりも変えがたい喜びなのだと。 「……うん。いいよ」  そう思った時にはもう、ショウは肯定の返事を出していた。自分の最後の時までも、彼 女の傍にいよう。自分が幸福であるように。そして、彼女が笑顔でいられるように。 「じゃあ、明日の十時にここに、ね」  陽子は笑顔で去って行った。ショウはふと、あの笑顔が明日のある時を境になくなるの ではという恐怖にかられる。自分は明日いなくなる。どういう形なのかは分からないが、 明日確実にいなくなるのだ。彼女の目の前で突然消えるかもしれない。その時、彼女はど んな顔をするのか。 (でも、もう戻れないんだ)  選択はなされた。  ショウは最後まで陽子といることを選んだのだから。
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 ショウは待ち合わせ場所に来ていた。何故かいつもよりも息苦しい感じがする。  暑さが体の中まで浸透し、体中から火が燃え上がっているようだ。 (限界が、近いのかな?)  夢の中の声が予告した時間を思い出そうとして、ショウはその部分が聞こえなかった事 を思い出す。いや、確かにあの時は聞こえたのだが、起きると共に忘れてしまった。 (暑い……)  待ち合わせ場所にあるベンチに座るとその暑さは少しだけ和らいだ。後ろにある大きな 木のおかげだろう。ショウはそこに止まっている一匹の蝉を見つけた。蝉は暑さに喜ぶ様 に鳴いていた。その声を聴いてショウは穏やかな気持ちになる。 「ねえ、君は、楽しい?」  返答が来るはずもない。しかしショウは語りかける。 「君は、この世界に生まれてきて楽しい?」  その言葉に反応したわけではなかっただろうが、蝉はその鳴き声の音量を更に上げた。 「そうか。楽しいんだ。良かったね」  ショウは徐々に意識が朦朧としてきていた。今は何時なのか、今は昼なのか、今自分は 生きているのか。その認識さえも出来なくなってきている。もう自分は死んでいて、この 世界に存在していないのではないのかと思える。  だが、ショウを現実に戻したのは蝉の声だった。  歌っている。  蝉が、木が、風が心地よい音色を奏でていた。  世界とショウとの繋がりが弱まったからなのか、ショウの耳には楽しく、幸福に満ち溢 れた世界の音楽が聞こえてきた。 「幸福だった。僕の生は幸福だった。ありがとう……」  涙が溢れる。  視界が滲む。  揺らめく視界にこちらに走ってくる人影が見えた。 (陽子さん……)  ショウは陽子の姿に崩れそうになる意識を総動員してしっかりと気を保とうとする。し かし意識の、『ショウ』という人間の崩壊はもう止められない所まで来ていた。 「お待たせ! ごめんね、遅くなって!」  息を切らせて陽子はベンチに座るショウに話しかける。 「いや……大丈夫、だよ」  ショウも何とか言葉を搾り出したが、その辛そうな様子に陽子も眉をひそめる。 「ショウ君、具合悪い? ……凄い汗! 何か飲み物買ってくるね!」 「あ……」  呼び止める間もなく陽子は少し離れた場所にある自動販売機へと走った。ショウはもう 自覚している。次に陽子が戻ってくるまでに自分は消えると。 (最後にまた言いたかったな)  ショウは陽子が飲み物を買う様子を眺めていた。体は焼けるように熱く、意識はまるで 沸騰したスープのようにかき乱され、蒸発していく。もう自分が誰で、どうしてここにい るのかも分からなくなる。  その中でも陽子の存在は残っていた。  そして、もう一つ。 『太陽が僕を照らす 二つの太陽が僕を照らす  一つは空から もう一つは隣から  二つの光は一つになる 先を照らす光になる』  自分が作った詩。  陽子へと捧げた詩。 (陽子さん……)  陽子が二本目の飲み物を買い、立ち上がる。ほぼ同時にショウの視界が白に染まる。 (あなたに――)  ショウの視界を白が覆い尽くした。意識も、何もかも。  最後に聴こえたのは、正人が作った旋律。  Love Songの音色。 (あえ――)  そして、ショウの存在はこの世界から消えた。 「――え?」  陽子は自動販売機の前から立ち上がった瞬間に、誰かの声を聞いた気がした。それは聞 き覚えのある声だったが、誰の物かは思い出せない。首を傾げつつ、ショウの待つベンチ へと向かった。 「あれ?」  ショウの姿はベンチには無かった。陽子はベンチについてから辺りを見回す。しかしど こにも見えない。 「トイレにでもいったかな……」  陽子はベンチに座り、自分の分の飲み物を飲み始める。ショウの分は隣において。  蝉は相変わらず少し五月蝿いくらいに鳴いていた。それでも今の陽子には心地よいくら いに聞こえる。しかし、突然蝉の声が聞こえなくなった。 「え?」  陽子は思わず後ろを振り向く。木の幹からさっきまでいたはずの蝉が消えていた。視線 を下に向けると、木の下に蝉が仰向けに倒れている。ピクリとも動かないその様子に陽子 は悲しくなった。 「寿命、だったんだね」  陽子は地面が剥き出しになっている場所に足を踏み入れ、汚れるのにもかまわず土を掘 り、その中に蝉の亡骸を入れた。今までそんなことをした事はなかった。しかし、今、彼 女は誰にも優しくしてあげたかった。それほど彼女は幸福な気持ちで満たされていたのだ から。 「今まで、精一杯歌っていたね。お疲れ様」  陽子は優しく語りかけながら蝉に土を被せた。手を払い、立ち上がってまた周囲を見回 す。しかし探し人の姿は見えない。 「どこ行ったんだろうなぁ、ショウ君」  陽子はベンチに再び座り待ち続けた。  一時間。二時間。三時間……。  しかしそれ以来、彼女の前にショウが現れることはなかった。
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 正人はスポーツバッグに荷物を詰め終えてから部屋を見回した。今まで三年もの間使っ た部屋は綺麗に片付いている。主な物はもうダンボールにつめて実家へと送った。両親が 全く自分のことを責めずに、逆に慰めてくれた時は思わず電話口で泣いてしまった。 「……これでよかったんだ」  正人は呟いて、時計を見た。時刻は十二時。地元へと帰る電車までは五時間以上もあっ たが、正人にはこれ以上この部屋でやる事もない。 「最後に、あそこにいくか」  正人はスポーツバッグとギターケースを持って部屋を出た。  もう二度と帰らぬだろう部屋に別れを告げて。  歩く間にもいろいろと考えた。家を出てから今までの事をゆっくりと。  最も思い出深い、ここ一週間の記憶へと辿り着いた時、目的地へと正人は着いていた。 「やっと見つけた」 「……いると思ったよ」  その場所にはすでに一人、先客がいた。しかしそのことに全く正人は動じずに、彼女が 座っているベンチの隣に腰掛けた。荷物は下に置いて。  隣にいる彼女――陽子ははやる気持ちを抑えることに必死だった。  一月前のあの日、ずっと待っていてもショウは現れなかった。焦って周囲を探しても見 つからず心配していたのだ。だから彼女は正人達をこの一月の間探していた。  ショウがどこかに消えてしまったのではという不安に駆られて。  陽子は自分を落ち着かせるように、正人を一瞥した後で口をゆっくりと開いた。 「一月前からあなた達はここから消えてしまった。皆、がっかりしてたものよ? 最初は 数日だけいないと思った、でもそのうち一週間も経っても姿がなくて、皆いなくなった。 あのMミュージックの人も」  正人は無言で頷く。全て分かっているのだと、彼はそう語っていた。陽子もその後の言 葉が続かずに口を閉じたが、ふと思い出したことがあり訊ねた。 「あなた、最初にMミュージックに誘われた時、どうして渋ってたの?」  正人はため息をついて空を見上げた。空はあいにくの曇り空。自分の新たな門出には相 応しいのかもしれない。ここから正人は青空を見つけに行くのだから。 「……選ばれたのはショウだけさ。俺は要らない。だから、俺は止めた」 「ショウは歌いたかったかもしれないでしょ?」 「……そうだな。でも二人で誘われて、俺だけすぐ切り捨てられるのが怖かったんだ」  正人は目を伏せ、頭を両手で抱えた。その落胆振りに陽子はいたたまれなくなる。 「ショウ君、はなんて言ってたの?」 「いなくなったよ」  正人の返答の意味を、最初陽子は理解できなかった。 「いなくなったって……」 「消えた。一月前の、陽子さんの誕生日の日に。俺がバイトから帰ってもいなかった。こ の公園にも、どこにも。ショウは消えてしまった」  その言葉に陽子は強い衝撃を受けた。  後ろに変わらずに立つ木の幹に止まっている蝉の鳴く声がやけに大きく聴こえていた。


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