Little Wing

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第十二話「見つけた物」

「はああっ!」

 稲田のスマッシュが左サイドラインを狙う。凛は追いつきはしたがバックハンドで返そうとした時、フレームにぶつけてしまってコートの枠内に返すことができなかった。

「ポイント。ナインエイト(9対8)」

 渾身の一撃を凛が取れなかったことに稲田は吼える。体の奥から沸き上がる力を抑えずに発散していく。逆に凛は今まで以上の体力消費に困惑していた。まだファーストゲームであり、いつもならば体力も十分残っているはずだ。

(稲田のシャトルに……削られてる感じね)

 凛なりに体力が減っていることへの答えは出ている。男子のスマッシュやドライブの速さは女子とは異なり、明らかに速い。いつも慣れたタイミングだと振り遅れるため、ワンテンポ早く打つ必要があった。
 そのために集中力を普段以上に高め、反応しなければならない。ただ一発のショットに対してはそこまで大変ではなかったが、連続して積み重なっていくとわずかな誤差でも大きくなっていき、最後には修正できなくなっていく。凛も負けずに反応はできていたが、稲田は試合中にも速度を上げて凜を突き放す。追いついては離される。捉えきることが出来ない精神的な負担もまた、凜を削り取っていた。

(このままじゃ、ファーストゲームは、取られる?)

 もしそうだとしても第二ゲームを取ればいい。と考えるには辛い相手。女子選手相手ではあまり経験しない苦戦だ。
 稲田はシャトルを持って静かに構える。先ほどの気合いの咆哮を見せた時とは全く違う。全ての力をラケットとシャトルに伝達させて凜へのぶつけようとするかのように。
 凜は押し寄せる静かなプレッシャーを受けて、傍から見ても分かるくらいに体を震わせた。

(負けるの……負けても、いいのかな)

 公式戦でもなく、相手は男子。この試合に負けても凜が傷つくことは何もない。誰もが男子の強い選手とここまで戦えることに文句は言わないだろう。凜はラケットを構えながら、ふと気になって横目でコートの外を見る。そこに並ぶ部活の仲間達の表情を見るために。
 そこには心配そうに見守る表情が並んでいた。特に後輩達は自分が倒れそうになるほど顔を青ざめさせて、両手を祈るようにして見ている。

(そういえば、途中から応援なくなったな……)

 二年は随時声をかけてきているが、一年は途中から黙って凜を見ていた。市内大会でのことが蘇り、凜の集中を乱さないようにしているのかもしれない。それでも、応援したいという気持ちが見えている部員もいる。

(真島さん。そんな顔しなくても……)

 一年の中で最も悲痛な表情を浮かべていたのは、真島だった。考えてもいなかった凜の敗北が目の前にあることに今にも泣き出しそうだった。まだファーストゲームであり、ここを取られたからといって負けるわけではないのに。

(それでも、私は負けないって思われてるんだな)

 そこまでの思考は、ほんの数秒だった。長く考えた気がしていたが、稲田からも審判からも再開を促されてはいない。稲田は鋭くラケットを振りあげて、サーブを放った。シャトルを追って凜はコートの奥まで走っていく。追いついた後でハイクリアを打ち抜き、コート中央に戻って稲田の動きを予想する。これまでの流れから、またスマッシュを連続で仕掛けてくるに違いない。そう考えて凜は一打目を切るべく、次の一打に意識を集中した。稲田がラケットでシャトルを打ち、それがスマッシュだと判断した瞬間からネット前に出る。ストレートに放たれたシャトルにラケットを掲げて飛び込み、ネット前で打ち落とした。

「サービスオーバー。エイトナイン(8対9)」
「君長ー! ナイスショット!」
「もう一歩だよ。君長!」

 二年生を中心に歓声が広がる。一年も静かにではあるが、ナイスショット、と声を上げていた。サーブ件が凜に移ったというだけで、笑みが蘇る。

(私は、どんな時でも負けちゃないってこと、なのかな)

 バドミントンで勝ち続ける間にいろいろなものがついてくる。
 全国で優勝してから試合の度にインタビューが増え、いくつかの高校からも既に進学の誘いが来ている。部活でも後輩が自分が想定している以上の尊敬の眼差しが届く。
 母親が小さい頃から自分へと注ぎ込んだバドミントン。好きという感情もほとんど感じず、バドミントンをするのが当たり前だった。もちろん、勝ち負けもあくまで自分のせいだった。負ければ自分が油断したから。勝てれば、自分が油断しなかったから。どんなに応援があっても、バドミントンはやはり個人競技。自分の力に自分で責任を持つだけだ。
 しかし、今の凜には外から多くのものがのしかかっている。身近なものなら後輩達。
 そして――

「君長! ここでお前を止めて、俺が勝つ!」

 挑発的な稲田の瞳は高い山を登りきろうとする穏やかな表情だった。彼もまた、自分の実力が凜よりも下だとわかっていて、越えることを目標にしてくる。そんな自分が簡単に諦めて負けるわけにはいかないことも分かっていた。

(皆、私が負けるなんて思ってない。そっか……それが……期待されてるってこと、なんだ)

 泣きはしなかったが、切なくなり、涙腺が緩む。自分が力を上げていく中で皆との距離は離れていく。一人、二人と凜にはついていけなくなる。
 壁となって立ちふさがり、あるいは皆を背に最前線に立つこと。
 いつか三枝に言われた力がある人の使命。凜がバドミントンに打ち込んできた日々は確かな成果を伴って彼女の中に大きな力を生み出した。
 凜はそこまで理解していたが、一緒に手に入れてしまったものにようやく気づく。
 力ある者は負けてはいけないということ。自分の気まぐれで、いつ、いかなる時でも試合を投げ出してはいけない。
 自分はもうそれだけの存在だ。
 仲間からは慕われ、全国のライバルからは狙われる立場になる。
 脳裏に思い浮かべたライバルと呼べる人達はまだ実力が近かったために凜は気づかなかったのだ。本当の意味は、部活や市内大会など実力の差がはっきりと現れる場に現出する。
 凛を取り巻く後輩や同期。先輩に、目の前のライバルも。全てが凛に期待をしている。
『君長凛』という強者を求めている。

「一本!」

 シャトルを打つ手がいつもより重い。凜はそれでも、シャトルを飛ばし、コート中央で腰を落とす。体に染み着いた感覚は絶好のシャトルを打ち、最高の位置取りで稲田のスマッシュを待つ。幼い頃から母親に鍛えられてきた成果が十二分に発揮されている。
 そして。

「凜ー! いっぽーん!」

 コートの外からはっきりと聞こえた三枝の声。更には清水谷や、真島も凜へと声を送る。稲田のスマッシュを取り、奥に返していく度に。声は徐々に増えていった。怯えていたはずの一年も、真島に続くように声援を送るようになる。
 凜はこれまでと違う感覚が体中に広がっていった。それは高みにいることでの孤独を、冷たさをわずかながら暖める。そのわずかがいつまでも残り、凜の体を動かしていく。

(何だろ。この感覚……体が……動く……)

 稲田が十回目のスマッシュを放った瞬間、凜はネット前に飛んでバックハンドでインターセプトする。
 シャトルは勢いを殺されてネット前に静かに落ちた。

「ポイント。ナインオール(9対9)。セティングしますか?」
「しません!」

 稲田は言い切って凜にシャトルを拾うように言って、自分はレシーブ位置に移動してすぐさま構える。凜の一挙一足を見逃さないように目を皿にして視線を向けてきたことで凜は闘志に炙られながらも、ほんの少し前とは異なっ気分は楽になっていた。前から来るプレッシャーを、後ろから支える暖かな何かが緩和している。

「一本です! 先輩!」
「いっちゃえ凛! このまま連続で!」
「凛ー! 一気に決めなさい!」

 後輩の。同期の。そして先輩の三種の声。全てが自分の背中に吸い込まれて、ほんの少しだけ羽が生えたかのように体が軽くなる。

(皆の応援で、私は楽になってる)

 一体、自分に何が起こったのか。これまでは皆のプレッシャーが重荷になり、緊張して体が固くなっていた。状況は変わっていないにも関わらず、凜は自分の動きがよくなっていくのを感じる。稲田のスマッシュにも慣れてきたのか精神力も体力もそこまで使わなくなり、厳しい場所へとレシーブを返せるようになると稲田も強打を放てなくなった。
 結果として、凜は連続して得点を重ねてそのままファーストゲームを奪っていた。

「ナイス逆転だよ、凜!」
「ひやっとしたよー。次も頑張れ!」
「頑張ってください、先輩!」

 凜の動きが止まらないことで、応援が足を引っ張っていないと思えたのか、後輩達も遠慮なく声をかけてきていた。凜は笑顔で「ありがとう」と答えてからコートへと戻る。すでに稲田は試合準備を整えていて、今か今かと開始の声を待っている。

(何で自分が変わったのか、分からない。でも、これが皆の応援を力にするってこと……三枝先輩が見せたものなんだ)

 セカンドゲーム開始の声が響く。凜は「一本!」と大きく叫んで、シャトルを打ち上げた。その軌跡は凜の目には輝いて見えた。

 * * *

「ポイント。イレブンエイト(11対8)。マッチウォンバイ、君長」

 審判が終わりを告げて、コートの周りを取り囲んだ部員達から拍手のシャワーがコート内へと降り注いだ。凜と稲田は互いに照れながらネット前に出る。

「やっぱ強いや、君長は」

 拍手の中でも稲田の声ははっきりと凜の耳に届く。ネットを越えて差し出された手を握ると力強さに少しだけ痛みが走った。凜の顔が痛みに歪んだことに気づいて稲田はあわてて手を離す。

「あ、悪い。痛かったか?」
「大丈夫、大丈夫。それより、ありがとう」
「何がだ?」
「勉強になった」

 強いシングルスプレイヤーと今の時期に練習試合できたこともそうだが、凜にとっては理由はまだ分からなくとも稲田との試合のおかげで部の仲間達からの声援が力に変わることを自覚できた。もし迷いを抱えたまま地区大会や全道大会、全国へと駒を進めていたならばどこかでつまずいていたかもしれない。

「こっちも勉強になったよ。やっぱり君長は倒すべき目標だな」

 間近で闘志をむき出しにされる。異性だがライバルと呼べる男子に負けまいと思うと、プレッシャーとなるが、今はそれが少し心地よかった。

「でも試合中に強くなるとか、詐欺だよな」

 稲田は最後にそう言って手を離した。自分も似たようなものだと全く気づいていないところが面白く、くすりと笑う。稲田には聞こえていなかったようで、そのまま顧問のところまで行って言葉を交わしていた。凜もゆっくりとコートから出る。部員達が全員集まって、待っていた。

「いや、さすがだね凜」
「あんな強い男子に勝つなんてスゴいです!」

 清水谷と真島が続けて言葉をかけてくる。その顔に広がる笑みに微笑み返すと周りから感嘆のため息が漏れた。凜は訳が分からずぐに顔にはてなマークを浮かべたが、聞く前に解散して部活に戻るようにと告げられてうやむやとなった。
 稲田が軽く挨拶をして体育館から出ていくと、熱気は残って影響を与えていたがおおむねいつも通りの部活に戻る。ただ、熱気は部員達の体を動かして、動きのキレがいつもよりもよかった。凜は試合をした直後ということでしばらく休むように指示され、体育館のステージに腰をかけて部員達の様子を見ている。そこに三枝がやってきて隣に腰をかけた。

「どうだった? 何か掴んだ?」
「……たぶん」

 凜は試合の間に感じたことを説明する。たどたどしく、つたない言葉遣いでもとにかく説明してみようと、全てを言葉にする。説明を終えたところで凜は三枝に問いかけた。

「先輩。なんで私は応援が大丈夫になったんでしょう」
「ようやく凜が自覚したからでしょ。自分が強くて、皆を引っ張って行かなきゃいけないってことに」

 三枝は一度言葉を切り、凜の聞く準備が整うのを待つ。自分の言葉を自分の中で反芻して、内容を把握したと思えたところで先を続けた。

「凜は今まで、簡単に言えばバドミントンをやってて結果的に一位になっただけってイメージだったでしょ。全国で優勝したってことがどれだけ凄いかってことも、よく分かってなかっただろうし、自分を目指してくる人がいるってことも、自分が憧れられるってこともピンときてなかったと思うの」
「自分を目指してくる人……そういう人達も、いましたけど……」
「うん。分かってはいただろうけど、理解はしていなかったってことなんだと思うよ。だから大舞台でも凜はあまり緊張しないんだろうし、力も発揮できた。でも、自分の中だけで完結してたら、いつか辛い時に投げだしちゃうかもしれなかった。さっき言った、稲田君との試合のように」

 関係ないことならば、引いてもいい。それは凜の意志でどちらでもいいとなるだろう。だが、凜には想像できていなかったのだ。自分が負けるということがどういうことになるのか。

「バドミントンで相手を倒すラリーを考えるのは得意なんでしょうけど。今後は、自分と自分の取り巻く環境にもっと目を向けていく必要があると思う。それで、きっと凜は理解したのよ」
「何をですか?」

 三枝は言葉を切り、いたずらっぽい笑みを浮かべると凜に向けて言った。

「自分がよく知らない人が向けてくる期待より、知ってる人の期待の方が楽だって」

 凜の中で一つの答えが出る。
 目の前の稲田のプレッシャー。そして、凜の上に常にあるであろう、見えない他人のプレッシャー。その中で背中を押してくれたのは、仲間達の期待だった。
 期待という点では同じだとしても、質が違うのだ。

「一緒に、合宿まで頑張ってきた仲だもの。私達は、凜がどれだけ頑張ってきてるか知ってる。そして、一緒に頑張ってきたからこそ、応援したいの。応援は、理屈じゃないからね」
「私も……ちゃんと、積み重ねてきてたんですね」
「そう。凜はほんとに天然なんだから」

 三枝が頭を掴みなでる。自然と視線を下げる形になり、前髪で凜の表情は隠れた。その下は目に涙を浮かべて口元は笑っている。人に見られたくないため、凜は助かったと思いながらしばらくこみ上げる衝動に身を委ねた。
 浮かぶ涙は心地よかった。
 応援によって背中に小さな羽が生えたようなイメージがある。その羽はいつか、自分をより高い空に送ってくれるに違いない。そう思えた。
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