Little Wing

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第十一話「来訪者」

『本当に自分が必要と思っているのか』

 自分で自分に問う声が頭の中を反響していく。凜は週明けの授業ということもあってぼんやりとしていたが、更に自分の言葉によって完全に集中力が切れていた。複数の授業で何度も同じように注意されて、その度に謝罪する。
 各教師も日曜日には凜がバドミントンの試合だったことは把握していた。全国優勝経験を持つ凜はバドミントン部だけではなく、七浜中にとっても気にかける存在だ。無論、他の生徒と完全に扱いを分けるということはしない。部活は部活であり、勉強は勉強。文武両道とは学生の本分だと教師達は思っている。だからこそ、考慮はするものの、しっかりと叱った。
 全ての授業が終わり、帰りのホームルームが終わった直後に凜はこれまで注意され続けた疲労に机に突っ伏した。

「うぇえ……おわったよぉ……」
「ほら。凜。これから掃除するんだから机後ろに移動しないと」

 突っ伏した凜の肩を揺さぶるのは芳賀。更に美月も逆サイドから肩を揺さぶり、動く気配がない凜にため息をついてから同時に手を掴むと体を縦に起こした。

「うわわ!?」
「掃除の邪魔だから」
「さっさと部活に行ってきなさい」

 強制的に教室を追い出された凜は、深く息を吐いて体内に沈殿していた悪い空気を吐き出した。生温いような、胸焼けを起こすかのような熱い息を吐き出して、凜の体の細胞が徐々に浄化される。何度か深呼吸を繰り返した後で、凜は「よし」と小さく呟くと鞄を手にし、ラケットバッグを背負いなおして部活へと向かった。
 前日に三枝と話したことで、今日から凜が抱えている問題について何か対策をしてくれるということになった。なら、そこに身を任せれば解決するかもしれない。

(でも、それだけでいい、わけないよね)

 身を任せる。つまり受動的に三枝の提案を受け入れること。それでは自分の抱える問題は何も解決しないのではないかと凜には思えていた。周りがそうした方がいいから。あるいは、自分が寂しいからというマイナスな理由では、意味がない。

(私は、皆に応援されるような……三枝先輩みたいになりたい。そのために、どうしたらっていうのを探さないと)

 目指す方向へ続く言葉を見つけると少しだけほっとする。自分が何をしたいのか。もやもやと見つからない状態が一番緊張し、疲れる。先が決まれば、間の道は見えなくても手探りで進んでいける。
 少しだけ軽くなった凜の足は体育館にまっすぐに向かい、扉の前に立つ。だが、すぐに入ろうと扉に手をかけたところで、凜の動きは止まった。

(……なんだろ、この感じ)

 体育館の中から、今までとは少しだけ異なる雰囲気が伝わってくる。あくまで「気がする」という程度だが。いつもならば、バドミントンシューズが床を噛む音や、部員達の雑談する声が聞こえてくるはず。そこまで考えて、凜には違和感の正体が分かった。

(そっか。雑談してる声がなんか違うんだ)

 いつもよりも、雑談の声が少なく、更にテンションも低い。練習前ならばもう少し明るくしゃべる女子が多いが、ほとんど聞こえなかった。練習が早めに開始されたのかと、凜は静かに扉を開けた。
 その瞬間、凜に視線が集まる。ほんの少し開けて顔を覗かせた凜は集団の視線に困惑し、顔だけ出した状態で固まった。状況を把握しようと視線だけ動かし、見慣れない人物が顧問の教師と話しているのが見える。

(あれは……)

 見慣れない人物。正確には二人。女子部の中では珍しい男性一人と男子一人。男子が着ているジャージは七浜中のものではない。見慣れなくとも見覚えはある。凜はゆっくりと体育館の中に入り、扉を閉めた。その音を聞いたのか、凜のほうを向いた男子が声を上げる。

「お、君長! 来た!」

 大きな声にびくりと体が震える。少し離れているのに五月蠅さを感じるならば、傍に行けばどれだけ耳が痛いのかと凜は頭が痛くなる。それでも無視するわけにも行かずに、ラケットバッグを背負いなおして更衣室へと小走りで向かう間に軽く手を上げて、待ってるようにとジェスチャーで伝えた。
 更衣室に入ってからはすぐにロッカーを開けて手早く制服を脱ぎ、ジャージ姿に着替える。手慣れた動作の合間に、来客について思考を巡らせた。

(稲田。なんでこんなところにいるのよ……)

 稲田隼人は同い年の男子で、中学一年の一月くらいに台頭してきた男子のシングルスプレイヤーだ。今年の三月に行われた大会で函館地区にある中学からの選抜メンバーで構成されたチームの仲間として共に戦った。仲間といっても、普通の会話をした記憶はほとんどなく、常に稲田のほうから凜に試合を申し込み、打ち負かしてきたのだった。
 稲田は凜へのライバル意識をむき出しにして、チームを組んでいた間に何とかして勝とうとしているのがよく伝わってきた。結局、稲田の攻めはほとんど完封して凛は勝ち続けたのだった。

(また、試合しにきたのかな……)

 同じチームで戦った時は、チームメイトが強くなるためならと許容して試合をしていたが、実際のところほぼ休みなく挑んでくるために最後の方はうんざりしていた。チームの解散直後にも「練習試合を挑みにいく」と言われてしまい、しばらくはいつくるのかと気にして疲れたものだった。結局、忘れた頃に稲田はやってきた。

「試合……するならいいけどさ」

 文句を言っても仕方がない、と凜は自分の気持ちをロッカーに押し込めるように強く閉めた。ラケットバッグから一本ラケットを取り出し、バッグを背負って更衣室から出る。再び戻ってきた体育館では部員達も各々柔軟体操を始めていて、練習開始に向けて着々と動いていた。

「君長」

 声の届く範囲の凜が来たところで、顧問が声をかけてくる。導かれるままに傍に行くと、稲田が満面の笑みで凜を見ていた。稲田の瞳は爛々と輝いていて、何度も見てきた
「試合が出来る」ことへの喜びが溢れている様子が見て取れる。

「君長。こちら、稲田君だ。お前も面識はあるだろう」
「はい。三月に一緒に試合しましたし」
「今回、地区大会に向けてお前と練習試合をしたいと言ってきてな。こちらとしてもお前をシングルスで相手できる部員はいないから、頼みたいと思うんだがどうだ?」

 凜は一瞬だけ三枝のほうに視線を巡らせる。三枝はいつもならば凜の傍にいたが、今回は離れた場所で見ていた。

(これも三枝先輩の……? )

 凜は多少考えたあとで頷いた。
 稲田のことは少しうっとうしいが、顧問が言ったことも事実。地区大会で負けることはおそらくはないが、余裕が慢心に変われば敗退はあり得る。自分の中の気づかない甘さを排除するためにも、強い相手と当たっておいた方が良いと考えた。

「よし、じゃあ試合をやろう。得点は……女子に合わせて十一点でいいな、稲田」
「はい! 君長と出来るなら何点でもいいです!」

 稲田からくる熱烈なラブコールに凜は頭が痛くなる。悪い人ではないと頭で分かっていても生理的に受け付けないということはある。悪いと思いつつコートに入った凜だったが、すぐに頭の中の稲田への気持ちは消え去っていた。

「え……?」

 凜と稲田がコートに入ると、周囲を部員達が固めた。審判と線審も七浜中から出していたが、それ以外の部員達も一歩下がって邪魔にならないような位置からコートを取り囲んだ。

「そうだ。お前達二人の試合は勉強になると思うから、皆の練習を一度止めて全員で見学することにしたからな」
「観客は多い方が燃えるっすね!」

 稲田は何度も膝を曲げてジャンプをし、全身で喜び表現する。稲田がギャラリーがいるほうが力を発揮するのは、凜も目にしていた。応援をする度に吼えて一つ前より強いスマッシュ、鋭い動きを見せる姿は外部から力を吸収しているように見えたほど。
 稲田は三枝以上に周りの声援や視線を力に変えるのかもしれない。

(稲田に勝ったら、何か見えるのかな)

 凜はネット前に出て相手の手を握る。じゃんけんで勝ち、シャトルを取る。稲田はコートをそのままにし、互いの位置に着いた。

「一本!」

 シャトルを構えた凜に向かって三枝が声を出す。凜は静かに頷いて、稲田のほうを向いた。その瞬間に吹き付ける不可視の風。肌がひりひりとするような緊張感が凜の体を覆っていく。

(やっぱり……バドミントンになると違うね)

 レシーブ体勢をとって凜のサーブを待つ稲田の顔は、ついさっきまで笑みを浮かべていた人間と同一人物とは思えないほどに厳しく、鋭くなっていた。少しでも打ち損じれば、叩き落とすと無言で宣言しているかのように。凜は一つ息を吐いてから、静かに「一本」と呟いてロングサーブを打ち上げた。シャトルはコートの奥、シングルスラインぎりぎりに落ちる軌道を通る。サーブ一発目で理想的な軌道を取れたことで凜は余裕を持ってコート中央で腰を落とす。
 しかし、その余裕もスマッシュが打ち込まれた瞬間に崩された。

(速い!)

 男子のスマッシュは筋力の差もあり、基本的に女子より速い。だが、いくら速くても凜のレベルともなれば体勢が崩されない限り、取ることが出来る。それを分からない稲田ではないが、あえてスマッシュを打ち込んできていた。

(無理矢理こじ開けるってこと!?)

 シャトルはしっかりと奥へ返すことができた、稲田はまたスマッシュを打ち込んでくる。返される度に左右、そして凜の胸部へと軌道を変えて。凛はそれぞれ同じようにロブを打ち上げたが、速度に押されて徐々に取ることが辛くなる。

「あっ!?」

 やがて凜はシャトルを真正面に返せずに、サイドラインを割っていた。稲田は落ちたシャトルをすぐに自ら拾い、サーブ位置に着く。満面の笑みを浮かべた顔からは早く試合がしたくてたまらないという感情が溢れ出ていた。凜は体が急に重くなる。

(稲田の気迫に押されてる……弱気になったら負ける)

 凜は息を何度か吸って少しでも気分を落ち着かせる。強い闘志をぶつけてくる相手とは何度も対戦してきた。その度に心を冷静にして切り抜けてきたのだ。だが、今回はなかなか落ち着かない。どうしてかと思ったが、視界の端に部員が目に入って気づく。

(皆に見られてるから、集中できないんだ)

 いつもと全く異なる空間。コートの周囲を仲間達が囲んで自分と稲田をじっと見ている。もう少し言えば、凜だけを見ているのだろう。試合の時は客席とコートの間には距離がある。傍で見られるのも多くて数人だ。だがコートを取り囲むように立っている一年から三年は、どの位置からも凜の視界に飛び込んでくる。
 稲田とは別の方向から肩に重石を乗せられてる錯覚に陥り、構えたままで両肩を少し回した。

「一本!」
「ストップ!」

 稲田からの言葉に凜は吼える。いつもならば序盤は静かに立ち上がるが、今の状況はスロースタートだとまずいと凜の体中の細胞が告げている。ひりひりと感じる稲田の気迫は、たった一か月や二か月合わないだけで飛躍的に伸びていた。

「はっ!」

 気合いと共に稲田はサーブを打ち上げる。シャトルの真下にきた凜は、ストレートにシャトルをハイクリアで飛ばし、コート中央へと戻った。頭を振って周りにいる仲間達を意識の外へと追い出して、目の前の稲田にだけ集中する。昔は危なげなく勝てたが、稲田はすでに凜に肉薄する力を付けてきている。二ヶ月も経てば前にいるのは別人と思っても良いかもしれない。

(スマッシュでくるなら、前に完璧に返す!)

 腰を落として身構える。つま先を立てて前後左右どこにでも反射的に動けるように準備し、シャトルの行方を視界に収めようとする。そして、シャトルは凜の真正面に来ていた。

(――!)

 顔面に現れたシャトルをバックハンドで打ち返す。ネット前に落ちていくシャトルに稲田はすぐ反応して前に出た。ネットを越えて落ちていく前にラケットを届かせ、ヘアピンで凜の領域に進入させる。その軌道はすでに凜の感覚の中にあり、前に出てラケットを反射的に伸ばしていた。

「やっ!」

 シャトルがネットを越えて落ちようとした瞬間に、プッシュで稲田のコートへ叩き込む。ネットすれすれでもラケットが触れることもない。急加速の中での一瞬の切れ味。凜は自然と左拳を握っていた。

(よし。調子は、いい)

 稲田が叩き込まれたシャトルを拾い、羽を整えてから返してくる。凜は中空でラケットを使ってからめ取り、流れるように左手にシャトルを戻した。サーブ位置に戻り、気息を整える。

「一本です!」
「いっぽーん!」

 後輩達の声が届く。しかし、凛は体の周りに幕がかかっているような感覚によって、周囲の音が聞こえずらくなっていた。意識も声援には向かず、ネットを挟んだ稲田に向かうのは揺るがない。
 それがこれまでと何ら変わりがないことに気付くには、余裕がなさ過ぎた。

(大丈夫。皆の声援があっても、私はやれる)

 凜は力強く「一本!」と叫び、ロングサーブでシャトルを飛ばす。稲田が真下に入ってハイクリアをストレートに飛ばしても凜はすでに移動していた。シャトルに狙いを定めてクロスにスマッシュを打ち込む。左側を突かれて稲田はバックハンドのまま滑り込むようにしてシャトルをドライブ気味に打ち返す。

「はっ!」

 ストレートに放たれたシャトルは、飛び込んできた凜のラケットに勢いを完璧に殺されて稲田のコートへと返った。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ナイッショー!」

 一点を取り、沸き上がる歓声。それと同時に、稲田からのプレッシャーも増していく。

(ここから本番ね)

 凜は背中を走る悪寒を意識せずにはいられなかった。
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