Little Wing

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第十話「声援の力」

 コートを包む異様な雰囲気に、凜はため息をつく。体の中にたまっている疲れの固まりを吐き出すようにして、少しでも体を覆う重さをなくすように。結果、少しだけ気分が晴れただけあったが目の前の試合への集中力が復活する。
 インターミドル市内予選のシングルス、決勝。相手は団体戦でも戦った汐見。第一ゲームはすでに取り、第二ゲームも9対6とリードを広げていた。このまま冷静に一本ずつ取れば、勝てる。勝つ道筋は自分の中でできていた。
 それでも、凜の心に残るわだかまり。

(やっぱり、応援がないな……)

 凜はシードのため二回戦から登場したが、決勝までは相手にラブゲームを続けて勝ってきた。よってそこに応援されるような不安は確かにない。対戦相手の方が戦意喪失して応援もされていないのに自分がされるのもおかしな話だった。
 だが、決勝はやはり多少は点数が動く。市内大会の三位までが地区大会に進むため、すでに凜も汐見も無理する必要はないが、汐見は凜を倒そうとがむしゃらに向かってくる。得点されて、凜は初めて自分がまだ本調子ではないと気づいた。

(昨日の今日だから分かってたけど、ね)

 それでも、調子が悪いなりにプレイを続けて得点を重ね、もう少しで勝利というところまできている。逆に負けそうになっている汐見側は大量の声援が飛んでいた。自分達の応援で背中を押すことで、汐見に力を与えようとしている。
 対して、自分の方はどうなのか。
 まだ凜は自分への声援を背中に受けたことはなかった。

(実際、調子は悪くない。昨日よりも。やっぱり、応援されると集中力が切れるってことなのかな)

 自分の中で結びついている、応援による集中の乱れ。変な硬直もなく、取られるかもしれないというイメージもない。迷いなくシャトルを打ち込めると、相手からのリターンも甘いものが増えて、数手先で押し込められる。自分の力が、何かに絡め取られているような錯覚もない。

「はっ!」

 ジャンピングスマッシュでシャトルをライン際に沈め、10点目。残り一点で優勝という場面になっても凜の背中にかかる声は、ない。

「ラスト一本!」

 自分を鼓舞するようにして声を上げる。汐見の鋭い眼光は更に強さを増して、凜に叩きつけられた。肌がざわつくものの、心地よさを感じて自然に顔が笑みの形に変わる。
 ロングサーブを打ちあげてからコート中央へと移動する。つま先立ちをして、シャトルが放たれた瞬間にどの方向にも踏み出せるように意識はシャトルの動きだけに向かう。
 汐見はクロススマッシュを放ち、前に出た。最も凜はシャトルを取りに移動していたため汐見の動きは見ておらず、自分が打つ時の彼女の立ち位置を確認するだけだが。
 瞬時にシャトルの傍へと移動した凜は前に出てくる汐見を見て、ストレートにロブを上げる。ラインに沿って高くあがったシャトルはインとアウトどちらにも取れそうな微妙な軌跡を描く。だが、今までの凜のショットの正確性から汐見は見送るという選択肢は取らない。凜はそう予想して次のショットに備える。コート中央に戻り、また腰を落とす。第一ゲームのはじめから今まで、ずっと続けている動作。試合経過と共に体力も消費していく中、変わらないことこそ、凜の強さの証。

「やっ!」

 汐見はまたスマッシュを放つ。今度もまたクロスで凜のバックハンド側を狙う。だが、凜は斜め前に出てネット際でシャトルを捕らえた。バックハンドでのプッシュは汐見のコートに着弾し、転がった。

「ポイント。イレブンシックス(11対6)。マッチウォンバイ、君長。七浜中」

 審判がそう言った瞬間、拍手が沸き起こる。自分の学校のスペースを見ると、一年生部員を中心に拍手が沸き起こっていた。試合中の静けさが嘘のように後輩達が拍手の雨を降らせてくる。
 凜は背中を押されるようにしてネット前に進み、汐見と握手を交わした。

「ありがとうございました」
「ありがとうございました。あなたには……勝てる気がしないわね」

 三年生である汐見は自嘲気味に笑いながら言って、手を離した。去っていく後ろ姿を見ていた凜だったが、審判から勝者サインを求められて記入してから、ラケットバッグにラケットをつめて背負う。目指すのは、もう一つ試合が行われているコートだ。

(三枝先輩は……)

 七浜中から出ているシングルスは三人。そのうち一人は早々に負けたが、もう一人の三枝は三位決定戦を戦っていた。準決勝で汐見と対戦して惜敗したが、まだ地区大会へ出場する可能性は残っている。試合が行われているコートに付くと、ちょうど三枝のスマッシュが決まって第二ゲームを取ったところだった。
 スコアは11対8。もう少しでセティングというところまで競っていたようだった。フロアを横断していたため、凜は試合が中断したところを見計らい、コートの横を通って壁際に移動し、ラケットバッグを下ろす。

(だいたい同じくらいの力の差なのかな)

 インターバルを挟んだ後でファイナルゲームが開始される。セカンドゲームまでのシャトルを取り替えて新品のシャトルを、三枝は臆することなく思い切り叩いた。シャトルは高い軌道を描いて相手コートへと向かっていき、相手はスマッシュを放つもシングルスラインを外してアウトになった。

「ラッキーでーす!」

 凜の頭上。応援席のところから三枝へとかかる声。三年や二年。そして一年が三枝に対して送る声援。自分の時にはなかったものに寂しくなる。

(仕方がないって。アキちゃんやお母さんの言うとおりなら、何とかしていかないといけないんだし)

 一年の誤解を解かなければ、と考えたところで凜は気づく。一年はどうあれ、二年と三年もほとんど凜に声をかけたことはなかった。特に嫌われてると感じたこともなく、清水谷の言動からも同学年や三年生は誤解はしないはず。

(なんか勘違い、してるんだろうなぁ……なんだろう。試合終わったら、相談してみようか)

 凜はラケットバッグを背負ってフロアから出る。原則として試合をする物以外でフロアにいて良いのは線審や主審をする選手だけ。ルールに取り決められていないが、それ以外でフロアにいる場合は静かにしていること。邪魔にならないことが暗黙の了解だった。身近で試合を見たいという声や、次の自分の試合に合わせてフロア内に待機しておくということもあるが、凛は留まることは諦めた。
 フロアを静かに出てから階段を駆け上り、応援席へと向かう。すでに七浜中のスペースには留守番役の生徒一人しかおらず、全員が三枝の試合を見に行っていた。凜も人だかりの後ろから試合を眺める。

「やー!」

 三枝のスマッシュがちょうど決まり、気合いの声を上げている。三年や二年、一年までが三枝に向けて「ナイスショット!」「このままいきましょう!」と声をかけ、それに呼応するように三枝はサーブを打ち上げ、コートを駆け回る。

(三枝先輩は……皆の力を吸い取ってるみたい)

 応援に呼応するように動きが良くなり、スマッシュの威力が増しているように見える。三枝の動きや表情。すべてに部員達の応援による力が漲っていると思えた。自分と三枝でいったいなにが違うのか。部長として部を引っ張ってきたという経験なのか。他の何かか。
 その後、試合は三枝の勝利に終わり、女子シングルスの代表として地区予選に望むことになった。閉会式時に一ヶ月後の地区予選に向けて切磋琢磨するように大会委員長が言葉を連ねていく。右から左に聞き流しながら、凜はあることを決めていたのだった。

 * * *

「で、話ってなに?」

 凜の目の前に座る三枝は試すような視線を凜に向けている。二人がいるのは中高生がよく集まる喫茶店の中。試合の後、解散して各々個別に帰っていく中、三枝を捕まえて話があると凜は告げた。試合の疲労があるはずの三枝は嫌な顔一つせずに承諾し、会場から離れたこの場所へとやってきた。日曜日の夜だが、高校生の男女や男同士、女同士も数組いて、話をするには適度に空間は緩んでいる。
 三枝の表情は凜の言いたいことは半ば確信していて、それでも凜に言わせようとしているように見える。凜は一度深く息を吸ってから、三枝に尋ねた。

「先輩は、どうして皆の声援を力にできるんでしょう?」
「言ってる意味がよく分からないけど」

 さらりと答えられてしまい、凜は少し考える。伝え方が悪いのか、自分の理解が及んでいないのか。両方だと考えるも、自分も三枝の試合に見えたものを完璧に理解しているわけではない。しょうがなく言葉を連ねてみる。自分が思ったことを全て。
 三枝の試合を見ていると、皆の応援の力を取り込んで、強くなっていっているように見えたこと。気持ちよく三枝を応援している部員達を見て、自分の試合では味わえないことに寂しさを得たこと。応援をされると体が重くなること。どうしたらいいのか分からないこと。
 凜は自分の中にため込んでいた思いをひとしきり三枝へと話す。長く、考えながら話すために途切れ途切れになっていたが、三枝は嫌な顔一つせずに聞き続けた。先に頼んでおいた紅茶から湯気がなくなるまで話は続き、終わったところで一口飲む。

「だいたい言いたいことは分かった。凜って本当にバドミントン以外はからきしなのね」
「何度言われたか分かりません」

 肩を落とし、ため息をついた凜は、注がれた当初のまま残っていたコップの水を一気に飲み干す。コップをテーブルに静かに置いて、また一つため息。

「でも、私達も悪いんでしょうね」
「え?」

 三枝の言葉に反応した凜だったが、当人は腕を組んで考え込んでいた。脳内でシミュレーションをしているのか、目を閉じて外部からの情報をシャットアウトして、呟いていた。

「うん。決めた。こうしよう」

 時間にしてはほんの数分。目を開けた三枝の表情は凜にはいたずらを思いついた幼子のように見えて、悪寒が背中をかけ上った。

「明日からの練習。ちょっと凜にはやってもらいたいことがあるの。先生には相談して、許可をもらえたらだけど」
「何をするんですか?」
「一年生の強化」
「へ?」

 予想していなかった言葉に凜は聞き返す。三枝は声のトーンを変えずに同じ言葉を発してから、続きの説明を始めた。

「言葉で凜に説明するとね、あなたは単に期待に弱いのよ」
「期待に、弱い?」
「そう。他人に期待されることに慣れていなくて、いざかかると緊張して体が硬直する。ただ、それだけのことなのよ」

 三枝に言われたは、凜を呆然とさせるには十分だった。考えてもみないこと、というよりも出来ている、と思っていたことだったからだ。

「でも……私、お母さんの期待や皆の期待に応えてるって思うんですけど。バドミントンで」

 自分は人の期待に応えているはず。頑張れと言われて、それに対して頷き、受け止め、力にしていると考えていた。実際に達成して、母親や先輩や同学年の仲間達が喜んでくれることも嬉しい。三枝の言葉はまるで凜が皆を重荷と捉えているように考えているかのようだ。三枝は頭を振って凜の言葉を否定する。

「凜はね。結果的に皆の期待を叶えているだけで、別に皆の期待に応えてるわけじゃないのよ。自分の力で、優勝して、その優勝した結果を皆はもちろん喜ぶんだけど、凜が単独で叶えてるだけなの。これまであなたが勝ってこれたのは、試合の間は皆のことを忘れていたんじゃない?」

 三枝の言葉は特に凜に対しての悪意はなかった。淡々と自分が考えていることを伝えようと、言葉と表情を選んでいるように見て取れる。その気遣いが、凜に悪意はないと示そうと考慮していることが分かった。三枝は凜のことを考えて、凜のためにアドバイスしようとしている。
 そのことを胸の奥に落とすために何度か深呼吸して、凜は言う。

「そうかもしれません……私は、どうしたらいいんでしょう……」
「別に焦らなくてもいいと思うけれど。むしろいい傾向よ? だって、凛は自分が一人じゃないってことに気付いたってことなんだから。明日からしてもらうことで何か掴めるかもしれない」

 三枝は紅茶を飲みきってから立ち上がる。話は終わったと態度で示し、凜にも席を立つように促す。凜は自分が不安げな表情をして、三枝を見ているだろうと分かっていた。しかし、分かっていても止められない。
 凜の不安な気持ちを察して、三枝は口に出す。

「凜のお母さんの言うことも分かるけどね。凜がそういうところ、弱いだろうって分かってたから私達や二年は、気を使ってあまり応援とかしなかったんだし。でも、私達もそれでいいとは思ってた。少なくとも去年一年は」

 言葉を一度切って、紅茶を口に運ぶ。飲み干して息をついた三枝の顔は、申し訳なさそうに弱々しく微笑んでいた。凜は自然と首を振り、先輩達のせいじゃないと呟く。

「今年からは二年だし、後輩も入るから、凜に七浜中のバドミントン部の二年として後輩を導いてほしいっていうのは本心。だから、解決策を考えてみるよ」
「お願いします」

 凜は素直に頭を下げる。しかし、三枝は喫茶店を出る前に凜に告げた。

「凜。よく考えてみてね。あなた、本当に必要だって思ってる? 寂しいから、お母さんに言われたから、私に言われたからって理由だけで何とかしないとって思ってない?」

 凜は三枝の問いかけに答えることはできなかった。
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