Little Wing
第九話「迷いの中で、できること」
団体戦初日が終わり、凛達は簡単にミーティングを終えて解散した。土曜日に団体戦を行い、日曜日には個人戦。各中学から選ばれた人数だけが参加するため、日曜日中に終えるというスケジュールになっている。凛は第一シードとして、二年連続の地区大会進出をかけて試合に臨むことになる。
「各自、明日に備えてゆっくり休むように。今日はよく頑張った」
顧問の教師の言葉に全員が返事をして、解散する。寄り道も認められていないために基本的にはそのまま帰る。同級生同士で固まって会場から出る中で、凛も例に漏れずに同い年で並ぶ。
「凛。今日は調子悪かったね」
「そんな時もあるんだね」
かけてくる言葉に相づちを打つ。自分も理由が分かったような気がしているだけで、そこまでの確証があるわけではない。しかし、個人戦で同じようになっていてはいけないと思っていた。
(次の時にはこんなことないようにしないとなぁ……)
思考の海に沈んでいると、目の前で立ち止まっていた人影にぶつかってしまった。凛は小さく悲鳴を上げて数歩下がり、慌てて謝罪する。
「ご、ごめんなさ――あ」
「君長先輩……」
前で驚いた顔をしていたのは真島だった。心なしか元気がなく、凛に対して一歩引いているように見える。そのことに引っかかりを覚えたが、ひとまず横に置いておいて凜はばつの悪さを解消するために口を開いた。
「あ、えーと。ごめんね。ぼーっとしちゃって」
「いえ……先輩、試合で疲れてるでしょうから。仕方がないですよ」
「ありがとね、試合応援してもらって嬉しかったよ」
「あ……は、はい……」
明らかに口ごもった真島に、凜は不思議に思って首を傾げる。凜の視線に逃げ場をなくしていた真島を助けたのは、傍にやってきた清水谷だった。
「ほら。ここにいたら邪魔でしょー。かえろかえろ」
「は、はい! 先輩方、お疲れさまでした!」
真島と数名が声をそろえて凜達に告げて、一足早く駐輪場に向かって走っていく。その後ろ姿を見ながらゆっくりと清水谷は歩きだし、凜は隣を歩きながら問いかける。
「えーと……私、なんか変なことした?」
「どうしてそう思うの?」
清水谷は凜がそう言い出すこと自体が不思議だという表情で聞き返す。凜は今まで感じていたことを素直に口にする。
「んとね。団体戦の後から、なんか後輩達がよそよそしいなって思って」
試合から解放された凜が最初に得た違和感。それは後輩達の労いの言葉だった。自分や先輩に対して「お疲れさまです」と言うが、どこか違いが感じられた。どこがどうというのを具体的に示すことはできないが、自分に対しては少し引いているような。表現を変えれば恐れているように見えた。
「普段通りにしようって様子が見えちゃって。逆に違和感があったのよね……ねえ、私、何か後輩達を怒らせた?」
「凜が怒らせたっていうよりは、凜を怒らせたって思ってるんじゃないの?」
「私が、怒る? 何で?」
清水谷の言葉に腕を組みながら考える。試合中も応援してくれているし、練習中も気を使ってくれている。悪意はどこにも感じない。確かに声援によって体は固くなってしまったが、それは自分の中に原因があることで後輩達のせいではない。ならば、やはり後輩達の勘違いということになる。
「うん。やっぱり思い当たらないし。誤解を解けばいいかな」
「今は、時間置いたら?」
「なんで?」
清水谷はため息をついて凜を止める。ちょうど駐輪場に来たところでお互いの自転車を探すところ。一時お互いに自転車を集団から抜き出して、離れたところで跨ぐ。
「ねえ、アキちゃん。何か知ってるの?」
清水谷はサドルをまたいで自転車をこぎ出す。慌てて後ろについていき、彼女からの言葉を待つ。おそらくは凜の求めている答えを伝えてくれる。今は、そのためにタイミングを計っているだけ。しばらく自転車で風を感じながら進んでいき、赤信号で二人は横に並ぶ。清水谷の口が開いたのはそこだった。
「多分。一年は凜を怖がってるんだよ。試合中に、邪魔をしたって思って」
「邪魔?」
「うん。だって、凜。今日は明らかに調子悪かったでしょ?」
「そりゃ……そうだけど」
清水谷に言われるまでもなく、今日の自分の調子の悪さは過去ワーストスリーに入るくらいだった。女性特有の「あの日」と運悪く試合の日がぶつかって痛みに苦しめられながら試合をしたこともあったが、今回は別の要因で体がうまく動かなかった。
「ナインオールでさ、凜が凄く大きな声で「ストップ!」って言って静まりかえって。そこから逆転していくのを見て皆、思ったんだよ。自分達の応援が、凜の邪魔をしてるって」
「そんなこと……」
「ここには私しかいないから、素直に言ってみたら?」
自転車を再びこぎだしてから、凜は試合を振り返る。元々、調子は悪かった。だからスタートダッシュに失敗して、劣勢のところからスタートした。しかし、普段の自分ならばそこから尻上がりに調子を上げていき、問題なく抜ける算段はあった。
だが、後輩達の声援が凜の背中を押したとき、何かが、崩れた。
「三年生の先輩達は、三枝先輩達の応援に回ってたし。私達もほとんどがそうだった。だから、凜を応援していたのは一年ばかり。だから、自分達が応援している間には調子があがらなくて、気合いを入れ直した後に声をかけづらくなって無言だった間に、あっさりと第一ゲーム取っちゃうような凜を見た。勘違いしても仕方がないと思うな」
「勘違いだって、言わないと……」
「本当にそうなの? 応援で調子崩れたんじゃないの?」
清水谷がそう尋ねたところで、凜との分かれ道に来てしまった。凜は自然と自転車を止めて、同じように清水谷も自分の家の方向へと前輪を向けてスタンバイする。しばし考えた後で、か細い声が口から出る。
「うん。そうかもしれない。でもそれを、みんなのせいって思ってるわけじゃ、ないよ。それは本当」
「……そっか。とにかく今日は休みなよ。明日を乗り切れないよ?」
「明日……」
清水谷が離れていく。背中を黙って見ていた凜だったが、振り返って自分に何かを言ってくれるわけではない。ため息をついて、自分の家へと自転車を走らせる。速度はずっと上がらずに、後輩達のこと。試合のことを考えながら帰路についた。
* * *
自転車を家の車庫内に入れたところで、凜は自分が思ったよりも疲れていることに気づいた。去年からほぼ一年。市内大会レベルでは久しく味わっていない疲労感。しかし、試合をしたことによるものではないと凜は考えた。
(体力っていうよりも精神的な疲れかなぁ)
清水谷に言われた、後輩が自分を恐れているということ。考えれば考えるほど自分の不調の原因は後輩達の応援にあるという方向へと向かっていってしまう。それは自分のせいだと思っても、ふとしたことで「後輩の応援がなければすむ話」と考えてしまう。
自分の中では後輩は重荷ではないはずだった。少なくとも、合宿の時に真島と試合をして、話をすることによっていつまでもただの下級生ではなく、先輩として伝えていくことを決めたのだ。
後輩をめんどくさいと感じていた自分は、もういないはずだった。
(そのはずなんだけど……やっぱり簡単には変わらないのかな)
追いつめられてる自分に気合い入れた場面。自分にしては珍しく怒りを込めた声を出した。だが、それはあくまで自分自身への不甲斐なさからであり、特定の誰かに向けてのことではない。それでも、後輩達にはそう映ってしまったのかもしれない。
「はぁ……私って駄目だ」
玄関の扉を開けると同時に独り言が漏れる。そして、ちょうど居間から出てきた人影が凜の言葉を聞いて声をかけてきた。
「どうしたの? 帰ってきてすぐに」
「お母さん」
母親の美智子の名前を呼んで、自分の中にある考えを吐き出そうかと考えた凜だったが、少し逡巡した末に首を振って中に入る。疲労と共に空腹も重なり、早く夕飯を食べたいと考えたこともある。だが、居間に凜を通した美智子のほうが口を開く。
「今日の試合のことで、何か悩んでいるの?」
「……見てたんだ、やっぱり」
「凜の試合をチェックするのが母さんの楽しみだから」
「自分のとこの生徒をちゃんと見て上げないと駄目じゃない」
「ちゃんと見てるけど、南函館中に負けたからね」
別の中学で体育教師をしている美智子は、元バドミントン五輪候補としての経験からバドミントン部の顧問をしていた。
しかし、その中学は準決勝で南函館中に負けていた。凜達よりも一足早いミーティングを終えた後に、先に家に帰っていたのだろうと思っていた。
親子とはいえ他校であるため、凜は母親と全く接点がないようにしていたから、どこかで見ているかはあえて捜していない。 外ではお互いに不干渉。代わりに、家では互いの意見を言い合う。
「決勝、あそこまで苦戦した理由はなんだと思う?」
美智子はいつも、凜に対して試合のことを語らせる。自分の視点で気づいたことを何でもいいからと口にさせた。生来、ほとんど考えずに感覚で打ってしまう凜の性格を分かっていて、個性を押し殺さずに適度なところまで考えさせるようにしていた。
「多分、後輩からの応援だと思う」
凜の口から出た言葉が意外だったのか、美智子の目が丸くなる。凜は更に、応援のせいだと感じた理由を話す。
声援が届く度に足が重く、動かなくなっていったこと。背筋も痛んで、スマッシュやドロップを打っても返されるイメージしか浮かばずに、上手く打てなかったこと。しかし、後輩からの声が止まると一気に得点を重ねていき、その後はあっさりと勝ったこと。
自分の中の理由の不安定さを、起こったことを上げていって周りから固めていく。ひとしきり話し終えた凜にたいして美智子は微笑みながら語りかける。
「凜。それは多分、間違ってはいないけど、解決にはならないわよ」
「うん……」
解決にはならない。母親の言うとおりだと凜は思う。
解決策はあるといえばある。それは自分の試合の時は応援してもらわないこと、だ。しかしそれは、七浜中バドミントン部の部員としては駄目ではないか。先輩として、後輩や同年代、先輩の応援を否定するとは。
考え込む凜に対して、美智子は首を横に振る。
「違うわよ。多分、凜は少し考え方がずれているの」
「ずれてる……?」
「そう。お母さんは多分指摘できるけど、それは凜が解決することだから」
「……はい」
「そういうのは、友達や先輩。そして後輩と一緒に解決していくのよ」
美智子の言葉に凜は再度頷く。頭では受け入れていても、心では否定しているかもしれない仲間達。しかし、美智子は彼らと共に悩めという。
「凜。あなたなんでバドミントン部は楽しい?」
「え、う、うん……楽しいよ。先輩も、同期も優しいし。後輩も」
美智子の言葉に凜は目が点になる。あまりにも当たり前で、考えることもなかったこと。反射的に答えたのも、頭で言おうと決めたことではない。息を吸うことに意識する必要がないように、凜の中には自分を形成する一つとして確立している。
「じゃあ、バドミントンは好き?」
「……好きって考えたこと、実はなかった。でも、最近は好きなんだなって思うようになった。後輩の子のおかげなんだ」
幼い時から母親と共にシャトルを打ってきた。思い返せば、最初は思い通りに打てなくて辛かったが、徐々に打てるようになって楽しくなってきた。
辛い思いをしてまで楽しみを追い求めたのは、どうしてか。
バドミントンが好きであるという単純な気持ちは積み重なっていくうちに、自分がバドミントンをするというのが当然であり、好きかどうかという感情を抱くことがなかった。
正確には鈍感になっているのかもしれない。
「凜は、バドミントンに関しては、もっともっと考えなさい。あなたはバドミントンは強くなった。でも、バドミントンが強いだけでは、これからは先に進めない」
「先?」
「そう。私が教えられなくて、学校では学ぶことができるものがたくさんある。凜は、それを学ぶ時期に来ているのよ」
美智子はそこまで話して夕食を凜に進めた。凜もまた空腹だったため母親の言うとおりに食卓につく。食事をする間も頭を巡るのは自分に足りないもの。これから必要なこと。後輩や清水谷含めた同期。先輩達のこと。母親からのアドバイス。様々な言葉が混ざりあい、凜の頭の中を駆け巡る。
(ぐるぐるだなぁ)
機械的に食事へと箸を伸ばして口元へと運ぶ。味もどこかフィルタがかかっているように思えて、楽しめない。凜は途中で箸を止めると美智子へと言った。
「ごめん、お母さん。ちょっと走ってくる」
「そう? 気をつけてね。ご飯は残しておくから」
凜の思考を読んでおり、美智子は気にせず許可を出す。凜はありがとうと礼を言ってから部屋に戻ってジャージに即座に着替えた。階段を軽く駆け下りて、運動靴に足を通す。
一度走って頭をすっきりさせる。凜がよく使うリフレッシュ法。自分のフットワークの源は何かにつけて走るようにしていることも要因の一つかもしれない。
「しっ! 行ってきます!」
「いってらっしゃい」
母親に見送られて外に出る。すでに暗くなって街灯がついている中をステップを軽く走り始める。体を覆っていただるさは残っていたが、走ることですぐに毛穴から抜けていくような気がした。
(切り替え。リフレッシュ。がんばらないと)
自分の調子が悪くても、試合は確実にある。そこに少しでも邁進できるようにと、凜は思った。
Copyright (c) 2015 sekiya akatsuki All rights reserved.