Little Wing

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第八話「思わぬ苦戦」

 会場に一歩足を踏み入れた時に、凛は久しぶりに味わう高揚感に体を振るわせた。背負っていたラケットバッグの中にあるラケットがかすかに音を立てる。入り口にいたため後ろからきた部員達に背中を押されるように前に出た。
 ゴールデンウィークが開けてからの最初の休日。遂にインターミドルの予選が幕を開けた。最初に市内予選を行ってから凛達が住む函館市を含めた全体の地区予選を行い、そこから全道、全国へと歩を進める。ほぼ一月ごとに行われる予選を抜けて、八月にようやく本番という長丁場。
 その入り口に当たるこの大会もすでに団体戦は決勝戦。市内に六つある中学との戦いは、いつもライバルとして出てくる南函館中だけになった。
 凛は去年の自分を振り返って、雪辱に燃える。

「君長先輩は、去年はどうだったんですか? やっぱり全国行ったんですよね?」
「えーっとね――きゃっ!?」

 タイミングが良いのか悪いのか、後輩の一人が凛へと話しかけてきた。だが、凛が口を開こうとしたところで、清水谷が凛に抱きついて口を挟む。

「凛はね、個人では全道大会ベスト4で、二位までに入れなかったから全国は行ってないの。団体は、市内で終わったのよ」
「そうなんですか?」

 後輩は惚けた顔をして凛を見る。清水谷の言葉が本当だと示そうとうなずいて、言おうとした言葉を改めて口にする。

「去年の南函館中は全国大会に行ったダブルスが一組と、全道三位に入ったダブルスが一組いたの。だから、シングルス以外は負けちゃってね。私も去年の今頃はまだ弱くて、全道で負けちゃったんだ」
「……凄く、意外です。君長先輩は去年も全国行ってたと思ってました」
「そんなことないよ。私だって、中学は入りたてだったんだから」

 一年前を振り返る。小学校六年の時点で全道大会には出ていて注目選手として名前は知られていたが、その時の凛はまだ多少強いプレイヤーだった。その頃から身軽さを武器にフットワークを使っていくスタイルを確立しつつあったものの、未発達の体だったために体力も筋力もついていけなかった。中途半端な状態では、全道以降に存在する本当の強者には勝てない。
 結果として、凛のインターミドルは全道大会で終わっていた。

「私が伸びたのは、インターミドル後だよ。その後のジュニア予選で全道大会を突破して、全国でなんとか一位になれたんだよね」

 自分が歩んだ軌跡を振り返る。しかし、振り返るのはここまでだ。目の前に立ちふさがる相手を倒すだけ。

「はい、じゃあ集合ー」

 話が落ち着いたところで、三枝が号令をかける。団体戦に出るメンバーとそうではない部員達はここで別れ、凛はコートの傍に。清水谷や後輩は応援席へと向かう。

「凛。来年は私も出るからね!」
「うん」

 清水谷の決意を受け止めて、凛はコートへと歩き出す。だが、二人から視線を外して前を向いた表情はかげりがあった。体の中にわだかまる重みのようなものを試合をするたびに感じて、徐々に大きくなっていった。

(別に体調悪い日でもないのに……なんなんだろ)

 三枝にも、誰にも告げていない自分の不調。だが、試合ができないほどではなく、実際にシングルスでは圧倒的な力の差を見せて勝っていたために問題は起こらない。むしろ、自分でも原因不明な体調不良を訴えたたところでチーム内に混乱を招き入れることになるだろう。凛はそう考えて黙っていた。
 団体戦に出る五人。凛以外は全員三年生ということで、自然と凛は後ろに下がる。しかし、三枝は三年四人に向けて言葉をつのる。

「いい? 凛の一勝は確実よ。だからここで全地区大会にいけないのは、私達のせい。絶対に勝って、全国までいくわよ!」
「まずは全道でしょー?」
「三枝っち、凛にプレッシャーかけすぎ」
「でも言ってることは正しいし、私達が頑張らないと。ストレートでいこう!」

 五人は円陣を組んで話している。しかし、凛は自分だけとても遠くから三年のやりとりを聞いているような錯覚に陥っていた。

(あれ……なんで……?)

 三年の中に自分だけ二年生ということで萎縮しているのかと自問するが、去年も同じ状態だったために今更のこと。更には、勝ち進むことで対戦相手となったのは常に年上の選手達。同学年で全道や全国で戦った相手などいなかった。むろん出場はしているだろうが、凛と対戦した中にはいなかった。だから先輩相手に萎縮するということはない。ならば、凛の得ている感覚はどこからやってくるのか。

「あれ、凛。どうしたの?」
「え?」

 三枝の声に我に返るが、何に対して話しかけられたのか分からない。聞き返すと三枝は頬をかいて言いづらそうにしつつも口を開く。

「腕、震えてるよ? 寒い? それとも、緊張してる?」

 自分の右手を挙げてみると、かすかに震えていた。大きくはなく、遠目からは分からない。それこそ、円陣を組むくらいの距離だから分かるもの。応援席にいる清水谷や後輩には見えない。

「いえ。特に緊張もしてないです。寒くもないです。きっと、武者震いですよ」
「そっか。去年の雪辱だしね」

 凛の言葉に三枝は引き下がり、改めて全員に気合いを入れる。凛のシングルスと第一ダブルスで決めると高らかに宣言し、第二ダブルスは寝てろとまで言う。きっと、コートの逆側にいる対戦相手にも聞こえていたが、あえて聞こえさせたとでも言うように三枝は揺るがない。
 審判がやってきて、並ぶように指示する。三枝を先頭に七浜中女子バドミントン部は団体戦決勝へと走り出した。

 * * *

 爽やかな握手と共に始まった団体戦。シングルスと第一ダブルスの試合は、最初と変わって女子らしからぬ咆哮が響いていた。
 第一ダブルスは三枝ともう一人の三年、二海香奈。本来、シングルスプレイヤーである三枝は団体戦では凛にシングルスを譲り、ダブルスに徹している。団体戦限りの組み合わせではあったが、今の七浜中のエースダブルスとどの中学にも認識されていた。
 そのエースダブルスを、強引な展開で押し流そうとしているのが相手ペアだった。一年生と二年生のペア。まだ入部して一月しか経っていない一年と組んできた南函館中の二年生は、凛も試合会場で何回も見ている。全道にも駒を進めていた実力者だ。ローテーションなどないも同然でとにかく動き周り、カバーしあっている。非常に体力を消費しているのが端から見ても分かったが、型にはまらない攻めは三枝と二海の調子を崩したのか、劣勢を強いられている。

(でも、それは私もか)

 凛は息を吐いて天井を見上げる。先輩達の試合を眺めているような余裕はない。審判が換えの新しいシャトルを取りに行っている間の少ない休み時間のうちに、打開策を思いつかなければ負けるかもしれない。
 視線をスコアボードに移すと9対9の同点。追いつかれた凛はセティングとシャトルの換えを要求していた。同点になるまでの長いラリーによるもので、シャトルをすでに数本消費しており、遂に足りなくなったのだ。

(なんだろ。確かに相手は強いし、油断をしたつもりはないんだけれど)

 対戦相手の三年、汐見春賀(しおみはるか)はこれまで試合をしてきた団体戦のシングルスプレイヤーとは一線を画していた。前まではシングルスは捨てて、ダブルスで何とか二勝をとろうという作戦を相手がとってきたために、自然とシングルスは消化試合になっていた。だからこそ、凛の微細な体調の悪さも健在化しなかったわけだが、今回の相手は本気で凛を倒そうとしているため、得点に調子の悪さが出ていた。
 思い返してみても、一ゲームとはいえここまで追いつめられているのは全国クラスの相手と試合をした時――三月のバドミントン選手権大会団体戦の時くらいだ。
 南函館中には、凛と第一ダブルスを倒して二勝で全地区大会に進もうとしている気合いが見られた。
 凛は自分の中にいる全国クラスのプレイヤーの姿を思い浮かべてみる。そして、できる限り状況を客観的に見ようとする。

(冷静に考えてみて……汐見さんには私をここまで苦戦させる力は、ない。なら、苦戦しているのは私のせい。それが何なのか分からないけど……最悪このゲームは捨てて、原因をつかもう)

 今後の展開を決めたところで審判が戻ってくる。シャトルを汐見へと渡して自分の位置に着いてから、ナインオールと声をかける。汐見はサーブ体勢をとり、凛はラケットを掲げて身構えた。

「ストップです! 君長さーん!」
「落ち着けば止められますよ! 先輩!」

 後ろから聞こえてくるのは後輩達の声。汐見からのロングサーブを追っていった凛の背中に更に大きな声援がかかる。凛はスマッシュを打とうと振り被ったが、腕のしなりがいまいちよくないと感じてハイクリアへと切り替える。

(そうだ。こういうこと、何回もあった)

 この試合の中で、何度も攻めようとしたところで攻められなかったというのがあった。スマッシュを打とうとしても打つ気がしない。打っても、決まる気がしない。その原因が、声援にあることもようやく分かってきた。
 仲間からの応援が体を堅くしている。試合前に三枝に言われた通り、緊張しているのかもしれない。

(今まで、そんなことなかったのに、どうして……)
 
 初めての感覚にシャトルを打ちながらも思考を巡らせていく。ただ、こうした苦戦というのはいままで経験したことがなかった。いつも市内大会や地区大会は圧倒的な差で勝ち進んでいて、苦戦するとしても決勝くらい。その後の全道に行く頃には、後輩達は応援にこられる距離ではない。
 今回、こうして苦戦すること自体が想定外であり、後輩達もここまで応援することになろうとは思っていなかっただろう。むしろ、ダブルスの応援に回って凛は特に見るつもりもなかったかもしれない。

(それでも、負けるわけには行かない!)

 ハイクリアで互いをコートの至る所に動かしていき、やがて汐見が限界を迎えて打ち損じる。ふらふらと放たれたシャトルに対して前に出て、プッシュを叩き込む。

「はっ!」

 本来の自分の動きとはまだほど遠いながらも、強いプッシュをコートに叩き込んで、サーブ権を奪い返す。そして汐見から返ってきたシャトルを軽く跳ね上げながら、凛は自分の体の異変を分析する。
 スマッシュを打とうとしてラケットを振り被ると硬直するような錯覚。取られてカウンターを打たれてしまうような気配を感じてしまう。更に後輩達の声がどこか耳障りに聞こえてしまい、試合への集中力も欠如していた。

(私が不甲斐ない試合してるから、かき乱されちゃうんだ。そうだ)

 凛はシャトルを手にとってサーブ体勢を整えると、ゆっくりと息を吸って、吐き出すと共に咆哮した。

「一本!」

 体の中にある自分の弱さを吹き飛ばそうとするような叫びに、コートにいる誰もが沈黙した。凛はロングサーブで思い切りシャトルを遠くに飛ばして、コート中央に腰を落とした。汐見がハイクリアを打ったことで後を追っていき、下に入る。ラケットを構えてシャトルに狙いを付けると、先ほどから感じていた「カウンターを受けそうなイメージ」が浮かんでこないことに気づく。そのまま、ラケットを力の限り振り切った。

「やあっ!」

 シャトルがコートに叩き込まれ、凛は追い打ちをかけるようにラケットを掲げて吼えた。それまでの試合の鬱憤を晴らすかのような、声。対戦相手の汐見も、他のコートで試合をしているダブルス達も、外から応援している人達も、凛の豹変に意識を向けざるを得ない。

「あ、あの……君長さん。気合いが入るのは結構ですが、もう少し押さえるように」
「あ……はい」

 審判を務めている大会役員の女性が凛に向けて注意すると、自分が注目を集めていることに気づいて凛は恥ずかしそうに体を縮ませながら答えた。シャトルを受け取り、サーブ位置を移動してから凛は構えつつ考える。

(怒られたけど、調子は戻ってきた……今のこの感じなら、いける)

 凛の中にそれまでの不快感や不安感はなくなっていた。シャトルを思い切り飛ばし、相手からきたシャトルを叩き込む。ようやく自分のプレイができるようになって心に余裕ができたのか、シャトル回しにも気を使えるようになり、結局ストレートで第一ゲームを取っていた。
 次の第二ゲームも序盤から攻めていき、今度はあっさりとラブゲームで汐見を下してしまった。試合時間はファーストゲームの半分にも満たない。本来の力以上のものが出ているかのように凛は動き、汐見に自分のバドミントンを全くさせないまま敗退させたのだった。

(勝った……)

 泣きながら握手をして、そのまま去っていく汐見の背中を見ながら凛はゆっくりとコートを出る。ラケットバッグを背負って隣のコートを見ると、三枝と二海もまた二人で声を出していた。得点を見ると、十五対十二。
 第一ゲームを取ったのは三枝達で、セカンドゲームもちょうど取ったところだった。
 勝利の確定にほっとして三枝達を、第二ダブルスの先輩達と顧問と共に迎える。

「先輩。お疲れさまでした!」
「うん。そっちも、お疲れさま」

 三枝の言葉にある疲労感に、凛は彼女にかかっていた重圧が分かった気がした。自分達の勝利が団体戦の優勝に繋がるという重さに耐えながら、三枝達は勝ったのだ。

「ほんと、凄いです。先輩」

 三枝は答えずに曖昧な笑みを返す。凛には、その意味は分からなかった。
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