Little Wing

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第七話「普通の先輩」

 その決着は、あまりにもあっさりと訪れる。
 ラケットに弾かれる音の一瞬後に、コートにシャトルは着弾した。周りは静まり返っていて、試合が終わったことへの労いもなく、ただただ静か。凛の耳にシャトルが勢いで転がる音まで聞こえてくるようだった。試合開始の時から徐々に声援が減っていく現実が、自分が行っているのは試合というよりも公開処刑だったのだろうと悟らせる。それでも、手を抜くことなど考えもつかない。凛は機械的に相手のスマッシュを打ち返し、相手コートに生まれた隙へと打ち込んでいっただけ。

(……ダメだった……かな)

 凜はネットを挟んで立つ真島を見ながら思う。自分が致命的なミスを犯したことは周りの反応と真島の呆然とした表情を見れば分からない方がおかしい。
 審判が弱々しく、遠慮がちに言った。

「ポイント。トゥエンティワンラブ(21対0)。マッチウォンバイ、君長」
「ありがとうございました」

 凜は頭を下げてネット前に歩いていく。やがてネットに着いても、まだ真島は意識が消えているかのように微動だにせず立ったままだ。コートの外から顧問が声をかけたところでようやく正気に返り、ネット前に凜がいることを知ると慌てて駆け寄ってくる。

「ありがとうございました」

 改めて口にしてネットの上から手を差し出す。真島は一瞬躊躇した上で手を伸ばし、握手を交わした。

「ありがとう、ござい、ました」

 声が濡れて、今にも崩れそうな脆さを感じ取ったが、凜は何も言えなかった。真島をそうさせたのは自分であり、途中で気づいていても止めなかったのだから。
 握手を終えてコートから出ても、どう動いたらいいのか分からない部員達が遠巻きに凜と真島を見ている。凜自身も自分のせいで満たされてしまった奇妙な空気をどう霧散させるか考えることが出来ない。そこに、三枝が片づけの指示を出した。

「はいはい。じゃあ、片づけて!」

 両掌を何度か叩きつつ、三枝が全員に指示する。拍手によって鳴る音が空気を破裂させて、そのまま固まった空気も押し流した。部員達は各々片づけに歩き出す。これから先は帰るだけで、すでに部屋は片づけ完了しており、これから着替えて食事後にバスで戻るという流れ。本来ならば解放感に雰囲気は柔らかになっているだろうが、今はまだ重く解き放たれていない。
 傍に近づいてきた清水谷が小声で凜に意見した。

「凜。やりすぎ」
「そだね」

 凜はただ頷いて自分を肯定した。
 21対0というスコア。
 バドミントンを初めて一ヶ月くらいしか経っていない初心者相手に、本気を出した結果の空気は凛が思っていたよりも苦いものだった。

「私ってほんと、ダメだね」

 バドミントン以外は鈍いと言われてももう反論できないと心底思った。

「凜。お疲れ様」

 次に傍に寄ってきたのは三枝だった。清水谷が何かを察してその場から離れる。三枝は凜についてくるように言う。片づけをしている部員達から十分に離れてから顔を向ける。その顔は、怒っているようでもない。ただ、呆れている顔だった。

「……あの、ごめんなさい」
「何で謝るの?」
「え? え……と……真島さん、をラブゲームにしちゃって」
「間違っちゃいないと思うけど」

 三枝が自分を肯定するとは思っていなかったため、裏返った声を出してしまう。三枝はその声に笑いつつ、言葉を続ける。

「初心者が凜と対戦するのはこういうことよ。人によっては手加減するでしょうけど、凜はそれを卑怯だと思ったからやらなかったってことでしょ?」
「……はい」
「それが、凛の答えだったなら、まずは自信持ちなさいよ」

 前日に三枝にアドバイスをする側になるように言われて寝る寸前まで考え続けた結果、浮かんだのは全力で相手をすることだった。
 自分がバドミントンを始めた頃は母親に師事していたが、凜に合わせるよりも、凜が合わせさせた。今、求められているレベルまで昇ってこいとシャトルによって示された。
 ラリーの練習と同じで、厳しいコースに向かうシャトルを拾うためにフットワークを酷使することで普通の試合で通用する下半身が鍛えられる。だからこそ、手を抜いてはいけない。相手のレベルに合わせてはいけない。
 ならば、自分の全力をぶつけるべき。
 思考の流れを三枝は見透かしているかのように言う。

「凜はほんと、不器用ね。山は高い方がいいけど、高すぎると登る気なくすわよ?」
「真島さんが……辞めるってことですか?」
「それは今後次第ね。あなたの言った通り」

 三枝は一度言葉を切ってから凜に告げる。

「私がセッティングしてあげるから、凜は真島さんに自分の思いを伝えなさい」
「聞いてくれるでしょうか」
「コミュニケーションも立派な部活動ってこと。そろそろ、一皮剥けてもいいんじゃない? ま、最初からここまで自分でやってもらえるなら昨日アドバイスなんてしてないしね」

 追って時間は連絡すると言って三枝は凜から離れていく。その背中を見送りながら、凜は頭の中を整理していた。
 自分がどうして全力を出したか。真島にどうなってもらいたいか。
 先輩として何が出来るのか。

(……まとまらない)

 頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、凜は頭を振る。道は示されていてもどう歩いたらいいか分からない。
 初めての経験に戸惑いしかなかった。

 * * *

 帰りのバスの中でも真島は目に見えて元気がなく、それが凜との試合だと分かっていた周りも特に触れずに過ごしていった。凜も普通のテンションで話す気にもなれないため二つ並んでいる席の窓側に座り、窓の外をずっと眺めていた。
 隣には清水谷が座り、凜の姿を周りから排除するかのように寝ていた。

「凜……帰る時くらい洋服……きなさい……」

 寝言にも関わらず現在の服装に文句を付けられて凜は深くため息をつく。でこぴんをしようと左腕を伸ばしたがすぐに引っ込めて外を見ることに集中する。

(部長……セッティングするって言ってたけど……)

 ちょうど三枝のことを思い浮かべたところでジャージのポケットに入れていた携帯電話が震えた。隣の清水谷に触れないように左手を滑り込ませて携帯電話を取り出してからメールを見る。

『着いてから緊急ミーティングってことで港屋に来るように言っておいたから。ただし呼び出し主の私はいない。疲れたから帰るわ』
(部長……ハードル高過ぎですよ。投げっぱなしって)

 フォローをすると言っていたことで安心していたことでショックは大きい。日頃からバドミントンで難しいことを乗り越えるのは願ってもないが、この試練は高すぎる。
 文面には書いていないが、おそらく真島と二人きりで港屋で向かい合うに違いない。
 学校から駅に向かうところにある、中高生が立ち寄る喫茶店「港屋」は学校の教室で話すよりは気がほぐれるだろう。それでも、先輩という立場に戸惑っている凜にとっては後輩と二人だけというシチュエーションでお腹が一杯だ。
 どうしようかと悩む間もなくバスは駅に着く。寝ていた清水谷も起きて狭いスペースで器用に背筋を伸ばして固まった体をほぐしていた。

「ん? 何? どしたの?」
「別に。なんでもないよ」

 言いながら左手でのでこぴんをお見舞いして清水谷を悶絶させると、溜飲が下がる。抗議されても理由は答えないまま凜はバスを降り、全員でのミーティングを経て解散した。凛が目指す先は港屋。行かないという選択肢はあったが、三枝に何を言われるか分からないため素直に従う。
 仲間に別れを告げて凜はラケットバッグを揺らしながら港屋への道を軽く走り出す。バッグの中のラケットを不必要に揺らして強くフレーム同士がぶつからないように気をつけながら。
 入れてあるラケットは購入当初についてきたカバーはもちろん付けているが、それでも扱いに気を付けることにこしたことはない。気を使いつつ、歩いている人の隙間を縫うように走っていく。フットワークの練習の一貫で、極力速度を落とさないようにして人を躱していく練習。シャトルを打っていない時、練習の行き帰りにバドミントンについて何もしないのはもったいないと思って凜が考えついたものだ。もちろん、あまりに人が多い場合はできないが、今はちょうどよく凜が通れるようなスペースごとに歩いている。
 どこか気が抜けていた頭を切り替えて、人の流れに集中する。同じ方向に動く人だけではなく、逆方向からやってくる人も視界に入れて、どのように走っていくかを頭の中に思い浮かべる。一つの線が描かれ、その上を進んでいった先に、港屋が見えた。

(あれ、着いた)

 自分でもあっという間と思えるほどに凜はあっけなく港屋についた。人にぶつかることもなく、多少息が切れた程度。入る前に深呼吸を何度か行ってから、静かに扉を開けて中に入った。入り口から見やすい場所に自分で動いてから水を頼んでしばし待つ。五分ほど過ぎたところで扉が開き、真島が顔を出した。凜は手を軽く挙げて手を振って自分の存在をアピールし、気づいた真島は恐縮しながら傍までやってきた。

「あ、あの。さっき、凄かったです」
「……あ、見てたんだ」
「はい! 私だとすぐぶつかっちゃいます」

 真島も店員に水だけ頼んで離れてもらう。凜は改めて真島を見た。明らかに緊張している様子に何を言えばいいのか分からなくなる。何を言っても否定的に受け取られてしまったらどうしようか。そんな怖さが凜の言葉を濁らせる。
 その空気を溶かしたのは、真島のほうだった。

「あ、あの。今日の試合、ありがとうございました」

 ありがとう、という言葉に凜自身が動揺する。初心者相手に本気を出して何もさせることなくラブゲームで終わらせたのは自分のことながら酷いと思っているのに、やられた当人が感謝しているとはどういうことなのかと。
 分からないことを悩んでも仕方がないと、凜は素直に尋ねた。

「えーと。なんで?」
「なんでって言われましても……」
「初心者だって分かってて、それでも厳しくしちゃって、私のほうが正直、駄目だなって思ったんだ」

 素直になってしまえば、心の中にため込んでいた言葉もすんなりと口から出てくる。風に乗った鳥のように。

「私がね、小さい時にお母さんにバドミントン習った時に厳しくされたから、私も厳しくしないとなって思ったんだけど……あそこまで本気でやったのは試合だからテンションが上がったって言うか……試合ってなるとやっぱり楽しくて、興奮しちゃって……後輩のこと考えたらもっとやりようがあったっていうか、あんな十五分くらいで終わっちゃったらなにもならないっていうか」

 徐々に言葉が長く、何を言っているのか自分でも分からなくなっているとは理解していても、凜は口を止められない。取り繕うとして逆に慌ててしまい、混乱していく。

「部長もフォローするとか言っておきながらこうやってふたりっきりとか。無茶ぶりもいいところだよね……私、後輩って実は初めて出来たからさ。接し方、よく分からなくて……ごめんね。ほんとごめんね」
「ふ、ふふ」

 気づけば、真島は少しうつむいて笑っていた。何にと考えれば今の凜の様子にだろう。改めて自分が醜態を晒していると考えてしまい、頬が朱に染まる。

(もう……先輩なのに後輩に笑われてどうするのよ……)

 先輩は、たとえば三枝のように自分を導くような強さやしっかりさを持たなければならないと、少ない例から凜は考えていた。さっきまでの自分はその姿にほど遠い。笑われても当然だろう。

「……君長先輩って。普通の先輩なんですよね」
「普通の、先輩?」
「はい。あ、ごめんなさい。変な意味じゃなくてですね」

 真島は深く頭を下げてからしっかりと凜の目を見て言う。

「私。君長先輩のプレイを見て、バドミントンしたいって思ったんですけど……どこか芸能人とかプロ選手とか、そんな感じで先輩を見てたんです」

 真島の言葉に凜は心当たりがある。大会で勝っていく内に雑誌の取材やインタビューされる機会が増えた。マイクを向けられたり記事が載ったりすると、自分が一体誰なのか分からなくなる。バドミントンに縁がないクラスの友達が普通の同級生として接してくれていることに救われたことは数多い。

「でも、先輩も私より一つ上の中学生なんだなーって思って、実はほっとしました」
「そ、そうだよ。私なんて、バドミントンが強いだけの中学二年生だよ」
「そのバドミントンが強いってところが凄いんですけど」

 真島の笑みにつられて凜も自然と笑っていた。
 同時に気づいたことがある。自分に足りないもの。自分が忘れていたものが。

(私も、自分を特別って思ってたのかもしれないね)

 バドミントンが強くなることで、実力的に周囲と壁ができるのは仕方がない。だが、精神的な物までも壁を作るのとは違う。凜も、どこか周りと自分は違うのだろうと思っていたと、真島との話で自然と気づいていた。向こうから話しかけてくる時には会話をするが、自分から話しかけたことはない。例外は三枝や、清水谷含め同期数人くらいだ。

(部長は。部長だけは私をただの後輩だって扱ってくれてたんだ……)

 どれだけ凜が強くても、後輩は後輩。七浜中バドミントン部の部員として、三枝は凛を見てくれていたのだ。

「先輩。これからも、時間があったら、打ってもらっていいですか? 私、少しでも強くなりたいんです。いつか、先輩と互角に打ち合えるようになるまで」
「それは、いいけど……ほんとに今日、へこんでなかった?」

 凛が尋ねると真島は少し顔を曇らせて一口水を飲む。喉を湿らせてから言葉をゆっくりと選びながら答える。

「ショックでした。ぜんぜん触れないし。動けないから、全然疲れませんでした。でも、本当に凄い差があるんだなって思ったら……興奮しました」
「こ、興奮?」
「はい。私が好きになった君長先輩もバドミントンも、こんなに凄かったんだなって」

 満面の笑みに凛は体を引く。真島の心からの思いが顔を光らせているかのようだ。真島は少し声を大きくして続ける。

「相手にならないことはショックでした。先輩に負けることが、じゃなくて。全然動けなかったからです。先輩くらい動けたら、きっとバドミントンはとても楽しいって思うんです。その楽しさを私も味わいたい。部活をやってて、どんどんバドミントンを好きになっていく自分がいたんです」

 真島は顔を紅潮させて、拳を握って力説してくる。自分の中にある感情を真っ向からぶつけてくる様子に、凛は胸の奥が暖かくなっていく。

(ああ……この子、本当にバドミントン、好きなんだ)

 凛のプレイを見てバドミントンが好きになり、自分で頑張ることで辛さを知ってもなお好きになった。

(それは、きっと私もなんだ)

 真島の姿に重なる姿があった。それは、今よりもだいぶ小さな自分の姿。
 淡々と母親からアドバイスを受けたことを続けてきたつもりだった。問題をクリアすることも強くなることも好きだが、じゃあバドミントン自体が好きなのかということは考えたことがない。

(お母さんのバドミントンしてる姿に憧れて、好きになった。そうなんだ。お母さんに言われるまま、ただやってたわけじゃなかった)

 考えたことがないだけで答えは最初から決まっていたのだと、真島を見ていることで凛は心の中に形がまとまった。

「だから一歩一歩進もうって決めました。私は初心者ですけど……頑張って少しでも早く上手くなりたいです。先輩のプレイ、たくさん見せてください」
「……うん。よく見ててね。バドミントンは見るのも勉強だから」
「はい!」

 お互いに水をまた飲みながら笑い合う。
 凛は自分の周りに作っていた壁が音を立てて崩れて、その先にいる真島の姿がはっきり見えたような気がした。

(これから、いい先輩になりたいな)

 自分の中に、今までなかった物が生まれる。
 それはいつでも楽しく、熱く、凛を奮い立たせる。過去の自分を越える新しい自分が生まれた瞬間に、凛は真島に感謝を込めて言った。

「ありがとうね」
「は、はい!」

 恐縮する真島のことを愛おしいと思う。凛は自分に向けられている尊敬の眼差しに、いつも感じるような重さを感じなくなっていることを自覚しつつ、真島と会話していった。
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