Little Wing

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第六話「凛の距離感」

 合宿最終日。昼の十五時あたりを目処に終えて片づけるということから、イベントは21点ゲームの一セットで行われる。説明を受けた一年達は真島の発言の後に徐々に先輩の名前を挙げて全員が指名を終える。
 結局、団体戦のメンバーの中で指名されたのは凛だけで一年が選んだのはメンバー以外の二年生だった。三年は三枝含めて残念さを口々に漏らす。

「はい。じゃあ今日はこれで終わり。ご飯食べてゆっくり休みましょ」
「はい!」

 三枝の言葉に全員が答え、練習終了となる。片づけは一年達の仕事のため、凛は一足早く更衣室へと向かう。そこで背中から声がかかった。

「凛。今日の夜、ちょっといい?」
「夜ですか? いいですよ」

 言うと同時に振り向いた先には三枝がいた。凜の答えに満足して満面の笑みを浮かべた後、少しだけ表情を堅くしたことに凜は気づく。

(なんだろ……)

 表情の意味を問いかけようとしたが、三枝は顧問に呼ばれて去っていった。背中を見ていた凜だがすぐに更衣室へと向かう。おそらくは夜に呼んだ時に話してもらえるだろうと思って。
 着替えの後の食事、そして入浴は滞りなく進んでいく。基本的に一日を使った練習は凜以外の部員達の体力を奪っていて、食事をするのも一苦労といったところだ。食事と入浴という最低限のことしかやる気が起きない。最初は夕食後の自由時間に遊ぼうとトランプを持ってきた一年女子も箱から出さないままに一日が過ぎていた。二年目以降は辛さを知っているためせいぜい寝る前に読む漫画程度。
 それでも凜の目には皆の様子が少しだけ明るいように見えた。次の日で合宿は最後。一日目は二日目を乗り切るために疲れきった体を回復させることに手一杯だったが、二日目になると体も少し慣れてくる。そして、三日目は練習宇試合がメインとなるので一人一人が疲れる度合いは多少異なるが、格段に少ないだろう。

(よく分かるような、分からないような)

 凜は一番最後に食事を終えると、ゆっくりと立ち上がり食器を下げた。食堂を出て部屋まで戻る間にも温泉に行く後輩や先輩、そして同学年の仲間とすれ違う。それなりに挨拶を交わしながら逆走していき、最後に自分の部屋に着く。

「お、遅かったねー」
「ぼんやりご飯食べてた」

 部屋で一人漫画を読んでいた清水谷の邪魔にならないように移動して、凜はラケットバッグを開いてラケットを取り出した。音で何をしているのか気づいて、清水谷は顔を凜に向けないまま言う。

「シャトル打ちに行くの?」
「ううん。外で軽くフットワークしようかなって。なんか物足りなくて」
「凜ってほんと、走るの好きだね。足気をつけてね」
「うん。分かってる」

 清水谷に軽く手を振ってから部屋を出る。手にしているのはラケット一本と風呂用品を詰めた袋。食後の運動をしたあとでそのまま風呂へと直行しようという流れ。頭に思い描く考えのままに外に出ると、すでに星空が広がっていた。山奥であるため明かりは背中にした施設の明かりのみ。空には星が瞬いていて、暗いところで眺めたくなるほど。

「綺麗だなぁ」

 自然と口から出た呟きに微笑んで、凜は袋を地面に置くと動き出した。アスファルトの上を外靴で駆ける。ランニング用に衝撃を吸収する靴を履いているため、足に負担はそこまでかからない。すぐに土がむき出しになっている場所にたどり着き、凜は前に出てラケットを下から振り、後ろに見えないシャトルを追いかけていってラケットを振り切る。常に落ちそうになるシャトルを相手にして、自分のイメージを越えるように動く。最初はイメージの方が先行しているが、体が温まると共に差が縮まっていく。
 相手に勝つ前に、まずは自分に勝つ。
 疲れた、休みたいという弱い自分を乗り越えて行くことで初めて相手と戦うことができる。
 更に、昨日までの自分もまた対戦相手。昨日までの自分ができなかったことが今日できることで初めて成長できるのだから。
 母親に教えられたことを忠実に守り、凜は一日一日を過ごしてきた。より前に進むために。

(なんか……すっきりしてく……)

 ここ一か月くらい胸の奥に淀んでいたものが、この瞬間だけ消え去っているのを感じる。自分の世界には自分しかいない。部活の仲間達だけじゃなく母親までもいない。たった一人の世界で、振るラケットはこれまでよりも数倍軽く、動きも軽やかになっていくように思えた。

「はっ……ふっ……はっ……ふっ……」

 前後で呼吸の吐き方を意図的に変えて、リズムを作っていく。やがてイメージの中の自分のラケットを追い越して、同じくイメージのシャトルを打ち上げる。昨日の自分よりも四分の一くらい早い踏み込みに凜は満足して動きを止めた。

「ふーっ!」

 一度大きく息を吐いてから、荒くなっていた息を整えていく。春から夏になりかけていく夜風は、山奥であることもあり涼しさよりも冷たさを凜に感じさせた。火照った体にはちょうどよかったが、風邪を引いては元も子もない。自分のシャツの内側を流れる汗を感じつつ、凜は風呂に行こうときびすを返す。
 そこで、袋の傍に三枝が立っているのに気づいた。

「ぶ、部長?」
「怪我したらどうするの? まあ、凜のことだから心配してないけどさ。これからお風呂?」
「はい」

 三枝は足下にあった風呂用具の袋を持って凜に手渡す。だが、凜が袋を手に取ったところで手に力を込めて離さない。

「どうしたんですか?」
「ここでいいか。凜。お風呂入る前に部屋に呼んだ理由すませたいんだけど、いい?」

 部活後に呼ばれていたこと。本来ならば風呂に入ってからいくつもりだったが、基本的に風呂後は各自の部屋でのんびりと過ごす。部員同士の親睦を深めたり、練習の疲れを癒すのに布団に寝ていたり。あまり他の部屋には行かない。凜もまだ体力はあるとは言っても疲れていることには変わりなく、風呂で汗を流してさっぱりした後はできるだけ部屋から出ないで布団に寝転がっていたい。

「……今、話してもらえるなら、今の方がいいです」
「じゃ、決まりね」

 三枝は顔を明るくして返す。上機嫌な顔を見て、凜は自分が正しかったと思えた。

(部長も二日間、すごく頑張ってたし。後輩の指導に自分の試合とか、私には真似できないよね)

 どの部員から見ても三枝の部への貢献は尊敬に足るものだと凜は思っている。凜自身は強くなれたが、バドミントンに集中できたことからの結果であり、三枝のように様々なことに気を使いながらも、凜に次ぐナンバーツーの実力を持つというのはどうやって練習時間を確保しているのかと思う。凜の表情を読んだのか、三枝は本題に入る前に問いかけてきた。

「どうしたの? 何か先に話す?」
「い、いえ。部長から先に」

 凜の言葉に三枝はうなずき、両腕を組んでから口を開いた。

「凜は、真島のことをどう思う?」

 漠然とした質問。だが、三枝はあえてそのように問いかけているのだと凜は感じ取る。三枝の視線が凜を試すように鋭い光を放っているように見えた。
 凜は頭の中で真島についての知識を総動員する。といっても入部からそこまで関わっているわけではない。それでも、さっきの星空の下でのフットワーク練習で余計なものがそぎ落とされた頭は限られた情報の中で一つの結論を導き出す。

「あと一年くらいは頑張らないと使い物にならないと思います」
「うん。凜らしいわね」

 自分らしさ。三枝はよく口にするが、凜は何なのかあまり分かっていない。友達からも指摘される天然。バドミントン以外はどこか抜けている自分。それが自分らしさなのだとしたら、今の自分の回答は合っているということか。

「じゃあ、あと一年、頑張れると思う?」
「それは、真島さんがどれだけバドミントンをしたいか、ですから分かりません」
「助けてあげられる?」
「……助けてあげられるかは分かりません。彼女の問題ですから」

 自分が経験してきた十三年。今年で十四年。自分が見聞きして蓄積してきた知識から口にする結論。
 小さい時、母親にラケットを持つことを覚えさせてもらってから今まで、徐々にレベルアップしていく課題に悩み、時にはアドバイスをもらい、辛い思いをしながらもクリアしてきた。課題をクリアしていくのは楽しかった。できないことができるようになっていくのは、自分が成長していく証だと思えたから。
 アドバイスはできたとしても、手を差し出せるとしても。
 その手を取るか。取って、握り続けられるかは自分次第だと思っていた。
 三枝は瞼を閉じるとゆっくりとため息を吐いた。

「凜。私はね、凜に七浜中バドミントン部の一員になってほしいと思ってる」
「……どういうことですか?」

 三枝の言葉を素直に聞くと、まるで自分が部をないがしろにしているように思えてくる。そのつもりはないのだが、見えてしまうのかと不安になり、自分でも思った以上に弱々しい声で聞き返した。三枝は「ごめんね」と一言謝ってから続ける。

「私もちょっと説明しづらいんだけど。嫌みじゃないからね。凜はね、どこか幕が張られてるのよ」
「幕、ですか?」
「そ。自分は、自分なりにバドミントンをしているって幕。あくまで私の印象だけど、バドミントンをしていく中でたまたま七浜中にいるだけで、たまたま私達と一緒にいるって感じなの」
「たまたま……それは、そうなんじゃないかと」

 三枝の言い方に少し混乱する。偶然といえばそうだと思う。凜が七浜中にいるのは函館の、七浜中に通う場所に住んでいるからで、三枝や清水谷といった今の仲間と共にいるのは、生まれた年が近いから。それは自分達の意図するところではない。ならば、偶然。たまたまではないか。

「たまたまだね……んー、うまく説明できないな」
「先輩。多分、私にやってほしいことを直接言えばいいだけだと思いますけど」
「そうなんだけどね。これは、どうしてそれをしないといけないのかって理解した上でじゃないと意味ないかもね。練習でもそうじゃない」
「……それは、そうですね」

 アドバイスをもらってそれをこなしても、意図や目指す場所が分からなければ成長は遅くなる。身をもって知っている凛には反論はできない。

「やっぱり、ひとまず伝えるわ。凜が失敗したら私がフォローするから」
「はぁ」

 三枝は一人で納得したようで凜は首を傾げるだけ。だが、自分が失敗すればフォローするという言葉には思うところがある。

(これ以上部長に気を使わせるわけにもいかないし。頑張らないと)

 凜がそう決めたタイミングで、三枝は口をまた開いた。

「上の年目は、下の年目を指導できるようにならないといけないわ。でも、凜は先輩の自覚が足りないと思ってる。今日までの練習を見ててね。どうしてかは考えてね。だから、明日の真島さんとの試合で彼女が成長できるように、導いてみて」
「……アドバイス、ってことですか」
「そうね。ただ、何のために。誰のためにアドバイスするのか。ちゃんと考えてみてね」

 凜は三枝の言葉を一つ一つ頭にしっかりと飲み込む。
 アドバイスなら、同学年の仲間にもしたことがある。それを見てきたはずの三枝がどうして何のためにアドバイスをするのかとわざわざ問いかけてくるのか分からない。

(でも、きっと、そこに私の弱点があるのかも)

 他人は自分を見ている。自分より、自分の弱点を知っている。
 これは、三枝のアドバイスなのだ。凜に足りない物を手に入れる機会を与えてくれている。最初から答えを与えるのではなくて、考えさせた上で。
 黙り込んだ凜を見ていた三枝は、風呂用具が入った袋を凜に手渡して施設の中に入った。凜も少し遅れて入り、三枝が歩いていった方向とは逆に向かう。

(さっぱりしてから、考えよう)

 三枝の台詞が頭の中を回る。考えることには慣れていても、バドミントンの試合中に関することでない場合には一気に鈍る。
 結局、凜はのぼせる直前まで風呂に浸かってしまい、心配した清水谷が見に来たことで事なきを得たのだった。

 * * *

 コートの向かいに立つ真島は、自分よりも身長が高くても小さく見えた。周りからの視線や、何よりも凜からくる視線に萎縮している。凜は気づいていたが、真島の様子を観察する上では視線は外せない。
 合宿最終日。一年と先輩の試合は順調に終わり、一年はほとんどなす術なく倒された。辛うじて粘れる子もいたが、それでも得点が二桁行けばいい方だ。
 いくつもの試合が終わった後に、凜の試合はやってくる。

(本当に分かりやすいくらい緊張してるなぁ)

 真島のことを考えれば始めにやらせればよかったのではないかと凜は考えるが、三枝曰く「メインイベント」ということで一番最後から動かす気はなかったらしい。全員の注目が集まる中で、凜がどうするのかを見たいということも言っていた。

(どうするか……私にできること。私が逆の立場ならどうしたいだろ)

 考えをまとめようとしている時に、三枝が声をかけてくる。試合の開始。サーブは真島から。特にハンデはなし。

「ラブオールプレイ!」
「お、お願いします!」

 三枝の試合開始のコールに真島は緊張しながらも声を出す。周りの見様見真似でシャトルを持ってサーブ姿勢をとる。意外と堂に入っているその姿に感心しつつ、凜はサーブを待った。
 真島は一つ一つ丁寧に自分のフォームを確認すると、力をできるだけ抜いて下から上にラケットを振り抜いた。シャトルは凜のほうへと飛んでいく。しかし、あたりどころが悪かったのか飛距離が少なく、凜はほとんど動かない場所でスマッシュを打ち込んでいた。

「ポイント、ワンラブ(1対0)」

 あっと言う間に叩き込まれたスマッシュに、真島は恐れるよりも目を輝かせる。
 凜は真島の様子を見ながら心の中で決めた。

(全力で、倒そう)

 弱者だからこそ、全力で。辛い経験から得る物がある。
 自分の経験を生かそうと、凜は攻撃を開始した。
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