Little Wing
第五話「春合宿」
『君長先輩の試合を始めて見たのは……今年の三月の大会でした』
揺らめく視界の中で、真島の言葉にエコーがかかって聞こえてくる。凛は自分が今、夢を見ているということを理解すると、視界が一気に遠ざかり、自分と真島の二人を俯瞰する形になった。
真島の口から語られる過去。凛が知りたかった真島を動かす原動力。体力の限界まで頑張る真島の心の支えはいったい何なのかと聞いた凛は、自分の試合を持ち出されたことで動揺する。
特に『三月の大会』は自分の中では悔いが残る試合内容だったこともある。自分の試合の中でワースト1に近いものに、真島は惹かれたということか。
『それまで私、バドミントンってぜんぜん知らなくて。オリンピックの競技になってることも最近知ったんです。小学校の友達がバドミントンやってて、一緒についていったんです。そこで、君長先輩のプレイを見たんです』
『そうなんだ……どこまで?』
『全部です』
いつも通りの試合も、後悔の残る試合も全て見られた。気恥ずかしさを感じるが、それ以上に困惑する。凛は素直に質問する。
『全部見て、どうだった?』
『綺麗だなって思いました。コートを舞う羽みたいな。自由に駆ける鳥みたいな』
急にファンタジックな形容をする真島に驚くが、それはたまに聞く例えだった。自分のことを「羽が生えている」や「鳥のようだ」と取材に来たスポーツ記者が言っていたことがある。バドミントン専門の雑誌に簡単ではあるが文章が書かれた時にも確か記載されていて、それを読んだ友達にからかわれたことを凛は思い出す。真島もおそらく雑誌を読んだ上での形容だろう。
『私もあんな風に、楽しそうに早く動きたいなーって、思ったんです』
『楽しそう……だった?』
『はい。凄く!』
どう答えて良いか分からないうちに、真島の携帯電話に着信がある。慌てて取ると母親からだったのか言葉の端々に「早く帰る」旨の単語が混じる。凛も聞きたいことは聞けたということで、その場の話を終わらせて先に離れたのだった。
最後までその時の光景の再生が終わると、意識が一気に覚醒する。目を開けると知らない天井が見え、次に隣を向くと布団をはだけて寝ている女子が目に入った。
更に奥にも女子。六人入る畳の部屋に、布団を敷いて寝ている。
隣の子を起こさないようにゆっくりと体を起こし、目覚まし代わりの携帯電話を手に取る。時刻は朝六時。普段ならランニングをするために起きている時間。凛の姿はTシャツとハーフパンツだったが、ハーフパンツだけ脱いで部活用のものに穿きかえると、他の寝ている女子を踏まないようにして廊下に出た。
足音を立てないように玄関に向かう間に、太陽が浴びせてくる日光が脳細胞まで目覚めさせる。玄関につく頃には眠気もなくなり、靴を履いて外に出てから準備運動を始めた。
「んんー。んはぁ」
体を伸ばし、ひねり、曲げる。一連の運動の中で吐息が漏れる。寝ている間に固まった筋肉が柔らかくなっていく心地よさに終わり頃には凛の表情さえも緩んだ。
(……楽しそう、かぁ)
真島が言った言葉を思い出す。
試合中にバドミントンを楽しいと思って、笑って試合をした記憶は凛にはなかった。特に意識せず、小学校一年の時に母親から勧められたことで始めたバドミントン。自分の意志で選んだわけでもないが、自分の中ではもう空気のようにすぐ傍にある存在だった。息を吸うことが嬉しいなどと思うことはないのと同じ。
勝つ時は確かに嬉しい。辛い試合ならば終わればほっとするし、勝てたことに嬉しさがこみ上げてくる。だが、試合の間は勝つための思考を続けることで楽しむ余裕などないはずだ。試合の間は喜怒哀楽を試合に出さないというのも自然と身に付いたこと。
結論として、真島が楽しいと感じたことは何なのか自分のことなのに理解できなかった。
「真島さんには、何が見えてるのかな」
自分でも分からないものを見いだしているのならば、教えてほしい。そう思っていると、玄関の扉が開いた。
「あ、凛。おはよ」
「部長もランニングですか?」
凛と同じくTシャツとハーフパンツという出で立ちの三枝は両手を組んで頭上に伸ばしながら凛へと近づいていく。傍に来たところで更に背筋を伸ばし、勢い良く唸ってから手を離した。
「ふぅ。私が寝てた場所、日がちょうど射してきてね。自然と目が覚めちゃったのよ。だから、朝食前にひとっ走りしようかと思ってね」
「そうなんですか。私は、日課です」
「凛はほんと、息を吸うみたいに運動するわよね」
息を吸うように。自分にとって当たり前のこと。的確に言い表した言葉にとっさに返答ができなかった。真島が感じた楽しさから更に離れるような印象を三枝は持っている。どちらが正しいのか分からなくなって混乱したのかもしれない。そう自分に言い聞かせて咳払いをしてから言い直す。
「小学校から続けてるんで、確かに慣れてるのかもです。しないと逆に気持ち悪くて」
「あー、その細い体はランニングのたまものなのね。一石二鳥」
「……バドミントンをするために足腰を鍛えてるってことです」
からかわれているのは分かっているが、あえて反論する。三枝も凛の意図を分かった上で笑いながら謝るが、すぐに顔を真剣なものに変えたことで凛も息を飲む。
「ど、どうしたんですか?」
「うーん。凛はね。もう少しバドミントン以外にも気をつけてね」
三枝はそう言って凛の頭に手を乗せる。
ぼさぼさになった頭。はねた髪の毛を指で摘んでからもて遊ぶ。
「朝でも起きてる人はいるんだしね。確かにここって人里離れてるけど……民家はいくつかあるのよ? それにそこ」
「……気をつけます」
寝癖がそのままの髪の毛に全く気づかなかったことだけじゃなく、胸元を示してきた指の意味を悟って顔を真っ赤にし、部屋へと早足で戻って行った。
こうして、七浜中恒例の二泊三日のゴールデンウォーク春合宿。その二日目の朝が、幕を開けた。
* * *
函館市内からバスで一時間ほどかけて移動した先に、合宿所はあった。青年の家、として自然の中でレクレーションを楽しむ施設だが、体育館も広く施設も完備されているために部活動の合宿にもよく使われる。七浜中バドミントン部も例年、インターミドルの直前であるゴールデンウィークにこの場所で合宿をするのが通例になっていた。何かしら意図があるのか、男子とは完全に離れて女子だけ。しかも知り合いはいない。そういった事情もあるのか、身だしなみに関してはあまり気を使ってはいない。
「それでも、寝癖は直さないと。それにまさかブラ――」
「だから言わないでよ!」
全員そろっての朝食の後。少しの休み時間を経てから体育館で練習が始まる。そのために、すでに体育館にいて準備運動をしている凛は笑いをこらえきれない仲間に懇願する。
「アキちゃんだって、お腹出してポリポリ掻いてたよ。おやじじゃない」
「それは寝てるときだからいーの!」
顔を真っ赤にして反論する相手に凛はしてやったりと逆に笑う。清水谷(しみずだに)亜希は凛が羨ましいと思うほどに顔は整っていて、スタイルも良かった。街で雑誌のモデルにスカウトされたこともあるほど。そんな少女が寝ている間はおやじ化しているという事実を突き付けて一矢報いた気になる。
場の雰囲気が緩んだところで直後に顧問から声がかかった。
「君長! 清水谷! 一年が遅れてるからおまえ等も準備を手伝え!」
「はい!」
慌てて走り出し、体育館にある倉庫へとネットを張るためのポールを取りに行く。時刻は八時五十分。いつもならば一年達が集まってコートの準備を始めている時間だが、今は誰もいない。
「ご飯の後で寝ちゃってたかな?」
「あるかもね。私も去年、やっちゃったから分かるよ。仕方ないけどね……夜までシャトル打ってるんだもん」
清水谷とひそひそと会話しながら足を倉庫へとたどり着き、目当てのポールとネットを見つけてから戻る。一度にたくさんはもてないため、凛はネットを。清水谷はポールを二本持って倉庫を出る。そこで二人の視界に慌ててやってくる一年達の姿が見えた。後ろには三年生や二年生がぞろぞろとついてきている。
(朝九時から夜六時まで、か。実際疲れるけどなぁ)
凛にとっては疲れるが、辛くはないために清水谷の言っていることもピンとは来ていない。しかし、体力は人それぞれで、自分の体力は周りよりもあるのだと考えれば納得はいく。
「はい、アキちゃん」
ポールを立てている清水谷にネットを渡してから自分は反対サイドまでネットを開きながら伸ばしていく。恥までついたところでポールの頭にある溝にネットの白帯下を通る紐を通して引っかける。ネットが固定されていることを確認すると、清水谷が金具とともに紐を引っ張り、伸びきったところで固定した。
一つのコートが出来上がると共に、他のコートにも一年生が駆けていき、同じことをする。私語はないものの、共同で作業を続ける姿は以前よりも親密度を増していた。
「合宿って、やっぱり仲良くなる効果があるのかな?」
自分達の仕事はひとまず終えたと、凛は自分のラケットバッグを置いた壁際へと歩き出す。問われた清水谷は顎に右手を添えて「んー」と唸る。やがて考えをまとめたのか、凛に向けて答える。
「あるんじゃない? 同じ釜の飯を食べた仲、とか。こんな人里離れた場所に来て、ご飯や部活やお風呂に一緒してればね」
「一年の時はよく分からなかったけど、顧問の先生の言った通りなのかもなーって思って」
「凛が分からないのは……年目のせいだけじゃないような」
清水谷の言っている意味が分からずに、首を傾げつつ視線を向ける。視線を交わすように清水谷は前に出て、凛からの質問をシャットアウトした――ように凛には見えた。
(私ってやっぱりなんか変なのかな?)
バドミントン以外の感度が低いのか。あるいはバドミントンでさえもそうなのか。自分がプレイをしている時の気持ちまでが、真島によって不確かになっていく。
更に言えば、真島だけではなく後輩達との関わりの中で嬉しく思う気持ちも、鬱陶しいと思う気持ちも生まれてかき乱されている。それでも、自分の中の何かはこの感覚を切り捨ててはいけないと思っている。
「ふっ!」
凛は自分の両頬を挟み込むように叩いた。そうして周りに向いていた意識を前だけに、これから始まる部活だけに移そうとする。雨風の影響を受けない体育館と長時間の練習。体力の消費はいつもよりも激しくなり、怪我の可能性も出てくる。だからこそ、いつもより集中しなければいけないと凛は気合いを入れた。
「よし! じゃあ全員集合!」
体育館全体にコートが張られたことを確認すると、顧問は全員に聞こえるように号令をかける。駆け足で集まっていく仲間達の中で、凛は自然と雑念が抜けていった。
* * *
午前から午後の食事。そして午後の練習と、スケジュールに沿って時間が流れていく。凛達団体戦のメンバーはとにかく試合形式の練習で実戦勘を培っていく。
しかし、次点のメンバー達とは差があるため、相手側を三人にして試合をするなど変速的な試合も合間に挟む。特に凛のシングルスは顕著で、対戦相手が三人というのも合宿が進む度に見慣れたものとなった。
そこまでしても、凛に勝てるプレイヤーはいない。三人でようやく互角の試合となり、最後は競り負ける。今日、五回目を数える三対一の練習を終えて、凛は体育館の壁により掛かってタオルで汗を拭いた。時刻は午後五時半。あと三十分で今日の練習は終わり。中途半端になるために、事実上、凛の出番は終わりだ。
その状況で周りを見ると、ほとんどの女子が座り込んで息を切らせている。一日中ラケットを振った手も、コートを動き回った足もだるくて仕方がないということだろうと凛は思う。
自分に関してはどうだろうと軽く手足を振る。さすがに疲労感はあるものの、まだ動けなくなるというわけではない。
(去年より物足りないって思うのは、成長してるからなのかな)
入学したての頃はまだ辛くて、他の一年や二年と同様に座り込んでいた気がする。だが、一年前のことをもうほとんど覚えていない。記憶にあるのは、インターミドルのあたりから。
才能が一気に解放されたかのように、自分は負けることがなくなった。体力も付いて、終わった後に疲労で倒れることも。
(皆みたいにヘトヘトになるのって、いつからなくなったんだろう)
空いた間を埋めるために考えようとしたが、まるで見透かしたかのようなタイミングで顧問が集合をかける。重いからだを引きずって部員達が集まると、顧問は笑いながら言った。
「今日の練習はこれで終わりだ。話が終わったら片づけを始めてくれ。で、明日は最終日ということで、ちょっとしたイベントをやろうと思う」
顧問の言葉に一年は顔を見合わせて何のことかと口にする。二年と三年は去年もやったことか、と理解した上で頷いた。対象的な表情を浮かべる部員達の前で、顧問は言う。
「明日は、一年が先輩の誰かを指定してシングルス勝負をしてもらう」
顧問の言葉に一年達がざわつく。発せられるのは勝てるわけないという諦めの気配。顧問の替わりに三枝が振り向いて一年に言う。
「だらしないわね。ここで三年や二年を倒したら、団体戦に出られる可能性もあるのよ。これはあなた達へのチャンスでもあるの」
三枝の言葉に更に萎縮する一年達。逆効果かと頭を掻いて困った顔をした三枝だったが、ざわめきの中で鋭く声と上げた女子がいた。
「はい! 私、選ばせていただいていいですか!」
真島は体力が切れているのか青い顔をしていたが、それを感じさせない声と動きで宣言する。
「私、君長先輩と試合したいです!」
真島の発言は、周りを止めるには十分だった。
Copyright (c) 2015 sekiya akatsuki All rights reserved.