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Little Wing
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第三話「もやもやする胸の内」
凛は授業が終わった瞬間に眠りから覚醒して、体をびくりとすくませた。慌てて目立たないように周りを見回すと、自分に注目している人はいない。ただ、全員が立ち上がっていた。凛は音を立てないように立ち上がり、しれっと礼をして授業の終わりを迎えた。
「ふぅ……」
月曜日という週の始まり。大抵の生徒は日曜日の後遺症で気だるさに包まれている。凛もまたその一人。ただ、一般生徒とは違って、凛の場合は一日中バドミントンの練習に費やしたことによるものだった。
(最近、部活が軽いからお母さんも本気になっちゃってさぁ)
体験入部期間のため、凛を含めた上級生の練習時間は必然的に減っている。部長の三枝が気を利かせて、凛には後輩の指導ということを極力させないようにしているが、それでも後輩に取られる時間はある。今まで、自分達は上から言われるだけだった。それに加えて、今度は下からの目線や会話がある。そのことに、自分の中で調整できていない自分を自覚する。
(二年生ってめんどくさい)
新しいクラスとなった興奮も既に冷めている。周りの様子が様変わりする生徒達と違って、先生達は一年の時の延長のように変わらぬ様子で授業を始める。少しの劇的な変化は、多くの日常の不変的なものによって塗りつぶされていく。凛のクラスも一年の時に仲がよかったグループで固まり、あまり交流のなかったクラスメイト同士のやりとりもほぼ収まってきた。あとは五月にある体育大会など、クラス一丸になって挑むことになるイベントでどれだけ仲良しグループ同士が寄り添えるかだろう。
(そういえば、今日で体験入部終わりだっけ)
クラスも落ち着けば、部活も落ち着く。部活の体験入部期間も先週で終わり、今日からは通常通りの部活が始まる。先週金曜の終わりに顧問が正式な入部届けを一年に配って、月曜日に持ってくるように指示していた。一年前は自分がそれを受け取っていて、その場ですぐに書いていたのを思い出す。
「誰が残るかなぁ」
呟きながら一年の顔を思い出そうとしたが、まだ顔と名前も一致していない今では、思い出しようもなかった。
* * *
「女子部員は一回集合!」
三枝の大きな声が体育館中に響き渡るように届いた。
女子の誰もが一度動きを止めて、すぐに三枝のところへと集まっていく。男子が引き続き基礎的な練習をする中を邪魔にならないようにフロアを駆け抜け、三枝が立っている体育館のステージの上へと集まった。
女子全員が集まると自然と二年と三年が固まり、向かいに一年生が並ぶ。二年と三年が二列で横並びになってから、三枝が一歩前に進み出た。凛はあまり目立たないように列の端の方に立っていた。
「体験入部期間も終わって、女子はこれだけ残りました。歓迎します。ようこそ、七浜中バドミントン部へ」
三枝の言葉の終わり、二年と三年が相次いで拍手をする。拍手の雨に出迎えられた一年生は恥ずかしそうに身をすくめていた。拍手が終わるとすぐに自己紹介に入る。
入部を決めた女子は総勢七名。名前と小学校と小学生時代の成績を順番に告げていく。凛も名前を耳にしたことがあるような後輩ばかりであり、言葉に裏には強くなろうとする意志が見え隠れしていた。
(懐かしいなー。私もこんな感じだったのかな?)
自分が入部したての頃を思い出そうとする。しかし、次に耳に入ってきた声に思考は中断された。
「真島晴香です。七浜小出身で、経験はありません! よろしくお願いします!」
七人中の七人目。そしてそれまで自己紹介をしてきた一年の誰よりも元気に声を出した女子。真島を見て、凛は数日前の練習を思い出していた。
(あの子……ついていけていなかった子だ)
体験入部期間の全体練習。そこで行われたフットワーク練習で全くついていけていなかった女子。自分がペットボトルを渡して助けた女子だと凛は気がついた。満面の笑顔で七人の中にいる自分を嬉しく思っていることを周りに伝えている。それが逆に凛には不安要素として心の底に沈殿していく。
(未経験者一人だけ、か)
中学からバドミントンを始める女子や男子は多い。しかし、七浜中は昔から小学校時代から少しは名前が有名な選手が入ってくることが多かった。函館の中学では七浜中バドミントン部は全道に一番近いことで有名であり、高校、大学と活躍するOBやOGは多い。初心者を拒むわけではないが、その流れから弾かれることは多かった。無論、初心者から努力が実り、第一線で活躍するようになった者もいれば、最後まで試合には出られなかったような者もいる。
凛の目から見て、真島は明らかに後者だった。
(不安だなぁ)
せっかくバドミントンを選んだのだから続けてほしいと凛は思う。だが、好きと実際の実力が比例するわけではない。たとえ新入生の中で一番バドミントンに対して情熱があるのだとしても、実力に結びつかなければ離されてしまうだけ。
「ねえ、あの子。合同練習でついていけてなかった子だよね?」
凛と同じように考えていたのか、隣に立つ同輩が話しかけてくる。自己紹介も終わり、三枝がこれからの練習の流れを説明している声の間を縫って、静かに凛は答えた。
「不安だね」
静かな自分の言葉が思った以上に冷たく聞こえて、凛はあわてて隣を見る。聞いていた同輩の顔には凛が急に視線を向けてきたことによる困惑があるものの、言葉自体への違和感はもたれていないようだ。凛はほっとして「何でもない」と告げると三枝の解散という号令とともに練習に戻る。
(ああいう初心者の子が入って、続けてくれるのは嬉しいけど……難しいだろうな。たぶん、持ってインターミドルの地区予選まで、かな)
あと一ヶ月と少し後に迫った試合までに真島は辞めてしまう。そんな予想を立てて凛はフロアに立つ。
全体でのフットワーク練習。新入生の歓迎兼テスト。どれくらい上級生と差があるのかを視覚的に分からせるためのものだ。真島にとってはそれだけではなく、同級生との差もはっきりするはず。小学生から積み重ねてきたものがある女子とそうではない女子の間には歴然とした差がある。その差を覆す可能性が真島にあるのか。
(ないかな。やっぱり、打てるから、楽しいんだと思うし)
そこまで考えたところで、凛は頭を軽く振って雑念を頭から追い出した。
(集中集中。私も頑張らないと)
これまで合同で行われていた全体のフットワーク練習に凛達が参加する。男女一緒になり壁の端に寄って、笛の合図と共にコートでの動きを繰り返しながら反対側の壁まで向かっていく。凛は背中に一年生の視線を受けながら、前に出た。
次の瞬間から、男女一年の感嘆の声が漏れでるのが耳に届いた。
凛が駆け抜けていく速度は一年達の比ではなく、また同学年や上級生と比べても飛び抜けている。結果として、誰よりも早く駆け抜けた凛は、動きを止めたと同時に拍手の雨が降り注いだ。
「……あれ?」
「凛はフラストレーションたまってた?」
後ろから尋ねてきた三枝に「そうではないですが」と呟いたが、すぐに曖昧な頷きで返す。
「ストレスなのかは分かりませんけど、やっぱり一人でお母さんと練習するよりは皆といる場所で練習する方がいいですね」
「そ。なら、存分に後輩に見せてあげなさい。全国一のプレイを」
「そう言われると恥ずかしいです」
苦笑いしながら三枝の視線から離れ、凛は次々に自分のいる壁側へと駆けてくる同級生や一年生の姿を見る。その中で、凛の目には一人遅れていく人影に自然と目が行った。
(真島さん……だっけ)
初心者にいきなり同じことはさせないため、フットワークやラケットの振り方など必要最低限のことは体験入部時に教えてある。しかし、期間が終われば同時にフォローも終わり、後は自分で周りから吸収していくか、同じ一年同士でカバーするかとなる。
真島はフットワークの動きとしては悪くなかった。型をきちんと守ろうとするタイプなのか、ぎこちないながらも綺麗に足運びや状態の動きを保っている。しかし、慣れない動作は動きを遅くして、壁の反対側まで辿り着くのが遅れると、今度は次まで休む時間が少なくなる。遅れを取り戻すことができないまま更に遅れていき、最後にはほとんど休むことができないまま再開することになってしまう。そうした負の連鎖によって、真島は全体練習が終わる頃には立てなくなっていた。
「よし。じゃあ男女分かれての練習に入るわよ!」
三枝の声に男子も女子も同時に答える。一年も息は切れていたが体験入部期間を越えてきた経験からか笑顔を見せつつ女子の側へと合流していく。一年達の一番後ろを、真島は体をふらふらさせながら付いていった。
男女に分かれてからはコートを使ってのノック練習に入る。最初は届く範囲に遅い速度でシャトルを打ち、弾き返させるが、徐々に速度もコースも厳しくしていく。あえてアウトになるような軌道でもフットワークを駆使して追っていき、実戦で走り負けない脚力を身につけさせる。
下半身の強化を重視するのは七浜中の特徴の一つだ。他の中学でもここまで下半身強化を促しているところは少ないと誇れる自他共に認められている。その練習傾向が凛の力を飛躍的に伸ばした要因とも言える。母親との練習でも同様に鍛えていた脚力が更に上積みされた結果、全国屈指のプレイヤーにまで成長させた。
凛の番がくると、自分に視線が集中するのを感じ取ってむず痒くなる。
(なんか慣れないなぁ)
試合会場で注がれる視線とは違う、後輩からの憧れを含んだ眼差し。今まで経験したことのない感覚に戸惑うも、コートの中央に立って何度か呼吸を繰り返すと徐々に落ち着いていく。
(変わらない。私が、することは。変わらない)
ネットを挟んで向かいに立つ三枝が合図をしてシャトルを打つ。凛に対しては初めから容赦なく、ダブルスで使う左斜め前のライン上へとシャトルが落とされる。そこに向かって一気に駆けだして、シャトルをヘアピンで打ち返す。
シャトルがネットを越えたところで次のシャトルが右奥へと放たれる。今いる場所から正反対の場所。もっとも移動距離があるところに凛は飛ぶようにしてコート上を突っ切っていく。アウト気味のシャトルの真下に辿り着いた凛はストレートスマッシュでシングルスライン上にシャトルを叩きつけた。
そこから次々とシャトルが放たれていく。どれも凛をもっとも動かそうと遠くへ打たれて、その都度、追いついて打ち返す。やがてパターン化しないようにと同じ場所へ二度打ったり、凛が動いたことを確認して逆方向に打ったりと三枝も変化を付ける。
しかし、凛は全てに対応していた。ゼロからトップスピードまでのタイムラグがほとんどないフットワークはコートの全てをカバーし、追いつけないシャトルはない。打ち損じたのはノック用に使っていたぼろぼろのシャトルが明らかにアウトとなるところまで飛んだものだけ。凛のいるコートにはシャトルを打った際の羽の欠片しか残っていなかった。
凛のノックが終わったところでフットワークの時と同様に拍手が巻き起こる。慣れない音に後ろを振り向くと一年生が凛へと拍手を向けていた。特に真島は一際目を輝かせて凛を絶賛している。
「はい、じゃあ次!」
三枝の言葉にほっとしてコートから出る。終わった後に一年の傍に戻るのははばかられて、凛は水を飲みに体育館を出た。ちょうど後ろから付いてきた仲間に話しかけられる。
「凛。人気者だね」
「正直、困るよ……なんか集中乱されるっていうか……なんでだろ」
「なんでだろって。上手くて可愛いからでしょ」
「は? えっちゃん……何言ってるの?」
凛は口を開けて相手を見る。えっちゃんと呼ばれた女子は凛を見返すと、ため息混じりに頭を左右に振った。
「え、何。私、馬鹿にされてるの?」
「馬鹿にはしてないけど。凛はバドミントン以外天然だなぁって思って」
「それ、クラスの友達にも言われたよ」
クラスの友達とバドミントン仲間。三枝にも同じようなことを言われていた。
三つ集まれば十分。否定したくても根拠がなくなる。黙ってしまうことが嫌で、凛は思いついた話題を振ってみた。
「そうだ。真島さんのことなんだけど」
「真島って、一年の初心者の子?」
「うん。どうして、あそこまで頑張るのかなって」
自分でも何を聞いているのかと凛は思ったが、相手はまともに受け止めて凛の質問に回答する。その質問をされることは想定内だと言わんばかりに。
「バドミントンが好きだからじゃない。あと、凛のことも」
「……好き、か」
凛の言葉は呟き程度。誰かに向けての言葉ではなかった。凛の脳裏に思い出されるのはふらついた真島にペットボトルを渡した時の嬉しそうな顔。周りについていけていないと理解しても、必死になって追っていく姿。
「好き、か」
再び呟く。その言葉に凛は何故か胸の奥にモヤモヤとした感覚が広がっていくように思えた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。すぐ戻らないと」
水飲み場へと早足で急ぐ凛の胸の靄は消えない。
その感覚にちゃんとした答えをくれる者は、まだこの場にはいなかった。
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