Little Wing

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第二話「七浜中バドミントン部」

 チャイムの音と同時に頭がガクリと下がって、凛は慌てて周囲を見回した。一番後ろの窓際の席からだと教室の全員の様子がよく分かる。昼休み直前の気だるい空気が一気に輝く様子が見て取れた。

「よーし。今日はここまで。来週、小テストをするから復習しておくように」

 関西弁のようでいて関西弁ではないイントネーションを持つ古典教師がクラス全員に言うと、テストに対する抵抗感にため息や小さな悲鳴が漏れる。その光景をうんうんと頷いて見ていた教師は視線を凛へ向けて更に言った。

「特に君長。居眠りしてたところはちゃんと友達に聞いて復習するように」

 クラス中の視線が自分に向けられたことが恥ずかしく、小さい体を更に小さくして、か細い声で「はい」とだけ呟く。昼休みに突入するということもあり、笑いに包まれたまま古典の授業は終了した。
 教師が教室から出ていくと共に一斉に全員が動き出す。
 給食の準備をする係になっている生徒が一斉に食器などを取りに行く。その間、少しだけ時間が空いたところで凛の傍に数人がやってきた。始業式が終わり、新しい学年が始まってから一週間。当初からいつも見られる光景。気心の知れた友達で固まって会話するのが日常になっていた。

「坂本センセに言われちゃったねー」
「凛。油断し過ぎ」
「なっちん。マナちゃん……春だから眠いんだよね」

 机に突っ伏したままで、凛は声をかけてきた二人に返す。なっちんと呼ばれた少女は長い髪をポニーテールにしている。凛もうらやましくてたまに触れてしまうほどのさらさらとした髪を持っていた。座ると床についてしまいそうになる髪は、小学校一年の時から伸ばし続けているらしい。ストレートにしていることもあれば三つ編みにしていることもあるなど、今日のポニーテールだけではなくいろいろな髪型をしている。
 マナちゃんと呼ばれたもう一人の少女は真逆で、凛のショートカット以上に髪の毛を短くしていた。ほとんどの生徒がセーラー服を着ている中で、朝から晩まで学校指定のジャージを着ている。男子は制服の堅苦しさから逃れるためにジャージ着用が多いが、女子では珍しい部類だ。

「凜は春じゃなくても眠そうだよね」

 マナ――美月マナはそう言って凜の頭をぽんぽんと軽く叩く。軽く馬鹿にされているということは分かるが、悪意は感じないため凜もされるがままに叩かれておく。何より、適度な刺激が頭に続いて心地よさのほうが勝っていた。

「んにゃあ。気持ちいい」
「凜は猫みたいだね」

 なっちん――芳賀奈津子は突っ伏した凜の顎のところに右手を滑らせる。頭を少し持ち上げてから指の腹で喉をさすり始めた。

「きもちいいー」

 頬を緩ませ、目をとろけさせながら呟く凛の顔を見て、芳賀と美月は唾を飲み込む。少し範囲を広げれば、給食を待つ男子達の何人かは凛のほうへと頬を染めながら視線を向けていた。

「凛ってほんと、バトミントン以外はネジがとれてるよね」
「この子がバトミントンの全国チャンピオンとは誰も思わないよね」

 凛の可愛らしさに感嘆の吐息を吐きながら呟く二人に、凛は一言発してから頬を膨らませる。

「バドミントン、だよ。それにバドミントン以外もしっかりしてるよぉ。むぅー」

 頬を膨らませて怒りを表現する凛に耐えきれなくなった二人は遂に凛の体を抱きしめていた。机から上半身を離されて抱きしめられたことに驚き、混乱する。

「わわわ!?」

 給食前の喧噪に教室内が盛り上がっていく。新しい学年となっての序盤。クラスの面々も、知らない顔が半分以上いる中で、凛は楽しい日常を過ごしていた。

 * * *

(もう。遅くなっちゃった……。初めての教室の掃除なんてやっぱり、めんどくさい)

 凛は学生鞄の他、ラケットバッグを背負って走っていた。制服からは既に着替えてジャージ姿になっている。
 授業が一通り終わり、残りは掃除だけとなって凛の当番は化学室。一年の時には担当ではなかった場所であり、掃除の仕方も今まで微妙に違う。やり方を踏襲しながらの掃除をした結果、四十分も時間をかけてしまった。最後の教師の点検も含めるとそれ以上。結果的に、凛は想定していた時間よりも大幅に遅れたために、急いでいた。

(久しぶりの部活なのに……)

 始業式から最初の一週間。七浜中のバドミントン部は体験入部ということで他部員の参加を制限していた。三年生や顧問。そして二年の一部が新入部員達と共に練習をしていく。凛が自分が呼ばれないことに何故かと顧問に質問すると、自分の練習に集中するように、と釘を刺されてしまった。だからと言って母親は自分の中学の部活の指導をしているため、凛自身は空いている部員達と市民体育館で練習するしかなかった。

(皆で部活やるの、好きなんだけど、ね)

 言われた通りに個人練習を一週間続けてきたが、やはり物足りない部分はあった。市民体育館での練習と学校の体育館での練習。それぞれで違った雰囲気があり、満たされる楽しさが異なるのだ。
 廊下を蹴って駆け抜けた先に見えた体育館の扉。それだけでワクワクする気持ちを抑えきれず、飛ぶように移動して扉へと到達した凛は、扉に手をかけてゆっくりと開けた。

「うわぁあ……」

 目の前の光景に驚いて、凛は呟く。それからしばし、口を閉じるのを忘れた。
 体育館の端に集まる生徒達。見覚えがないことからも一年だろうと結論づける。一年達は肩で息をしながらも反対側の壁までフットワークを続けながら足を動かしていく。
 バドミントンのフットワークは前に出した足がついていた部分に後ろ足を引きつけて、床についた瞬間に前の足を出す。一動作を繰り返し、できるだけ一直線に移動して等間隔に床に置かれたシャトルを取っていくシャトルランと呼ばれる練習法。基本中の基本のため、七浜中では全体練習で最初に基礎運動を行い、次からノック練習。最後に個別の強化や試合練習へと続けていく流れだった。
 凛は扉を閉めて二年の姿を探す。そうすると、ステージ横に見知った顔が見えたため、早足で向かった。

「三枝部長」
「お、凛。来たね。遅かったじゃない」
「掃除が長引いちゃって……ほんと最悪です」
「フットワーク軽くしないとね。試合みたいに」

 凛の様子に微笑みながら部長――三枝香苗は言う。肩まである髪をポニーテールにして腕を組みながら立つ姿は、凛の中に、他の中学の強い人達の面影を思い起こさせる。バドミントンの実力ならば凛が上だが、部員をまとめあげる力や全体を俯瞰する力といったものはとうてい敵わないと感じる。
 三枝は視線を向けてくる凛に首を傾げながらも先を進めた。

「そうそう。あと一週間したら、正式に入部届けを書いてもらうから。今年は何人残るかしらね」
「去年もこの段階で入らなかった人いますもんね。なんででしょう?」
「それは……大変だからじゃない?」
「はあ」

 三枝の言葉に曖昧にうなずく凛。三枝がどのように言っていいのか分からないという風に言っていることもあるが、凛も言われていることがよく分からない。バドミントンをやってみようと思って、止めてしまう人の気持ちは理解ができないからだ。

(人それぞれってことなんだろうけどなぁ)

 凛はたまに悲鳴も上げながらフットワークを続けていく一年生を眺める。辛い時に声上がってしまうのは仕方がないこととして、部長以下も承知している。
 その中で、凛はフラフラとしながら壁へとたどり着いて座り込んでしまった一年を見つけた。遠目から見ても顔は青白く、体力低下に水分補給が出来ていないと分かった。とっさに凛は自分の用意したペットボトルを持ってフットワークの邪魔にならないように壁際へと駆けていく。先ほどまでのゆったりとした動きとは全く別物。電光石火の速さで傍に駆け寄ると、小さく声をかけた。

「大丈夫? スポーツドリンク、飲んで?」
「は……い……すみません……」

 目を半分ほど開いて一年女子はペットボトルを受け取り、飲み始めた。喉が動き続け、ペットボトルの中身が少女の中へと消えると、ペットボトルの口から離れる。ほっとした息が吐かれて、顔に少し赤みが差したのを見た凛も胸をなで下ろした。

「ダメだよ。練習についていくのは大事だけどそこまで疲れているなら自分で判断して休まないと」
「すみません……あ……」

 少女は何かに気づいたように凛の顔を見た。凛は視線の意味をとらえかねて首を傾げたが、少女の言葉によってすぐに理由が分かった。

「き、君長先輩ですよね? 私、ファンなんです! これ、ありがとうございます!」

 ペットボトルの礼を言った後で立ち上がり、練習に参加しようとする少女に凛は慌てて休んでいるように指示すると、その場から離れる。少女に名前を呼ばれてから自分に注がれる視線が強くなったように感じられて、その場に留まることにむずがゆさを感じていた。
 三枝のところへと戻って、凛はため息を付く。

「驚いたでしょ?」

 一部始終を見ていた三枝は、いたずらっぽい笑みを凛に向ける。視線にもむずがゆさを感じて沈黙することが出来ずに凛は三枝の言葉に答えた。

「はい……なんかファンだなんて、信じられないです」
「凛はほんと、バドミントン以外には無頓着よね」
「友達にも言われたんですが……そうなんでしょうか?」

 友達にはすぐに否定しても先輩には躊躇いがちになる。また、接点がない人が同じことを言っている時点で、凛は少しだけ自信をなくしていた。

「バドミントン以外も、しっかりしてると思うんですけど」
「しっかりしてるかどうかは分からないけど、どちらかっていうと、バドミントンが突出してるわね」
「さりげなく酷いこと言われた気がするんですけど」

 三枝は凛のジト目も笑って受け流し、言葉を続ける。この会話が心底楽しいという表情で。

「中一で、強豪を倒して全国一位になった、可愛い女子なんて、ファンが付かない分けないでしょ。それにね凛。可愛い子選手権があったとしたら、北海道代表は確実よ?」

 どう答えたらいいか分からずに、凛はうなりながら新一年生達の練習光景を眺める。さっき、自分のファンだと言った子は、あれから立ち上がることが出来なかったのか、体育館の壁に体を寄りかからせて休んでいた。

「どう? 気になる子はいた?」

 タイミング的に自分の心の中を覗かれたかと思ったが凛だが、すぐに三枝の目を見て考え直す。普段は先輩とは思えないくらい自分や部員に対して友達のように接してくる三枝だが、バドミントンに関して語る時の瞳は冗談など差し挟む余地もなく、真剣な色に染まっている。だからすぐに凛も他の部員も分かるのだ。

(先輩こそ、バドミントンが突出してるって感じだと思うんだけど……)

 凛は口から漏れかけた言葉を、考え込む時のうなり声に変えて視線を巡らせる。視界一杯に広がる新入部員候補達の動きを眺めていくと、先ほどまで胸の内にあった言葉はなくなり、頭を占めるのはバドミントンにどう生きるのかという点。フットワークの動きを見て、脳内でコート上の動きに変換する。
 しばらくしてから凛は、三枝の方を見て静かに言った。

「五人くらいですね。最初から戦力になりそうなのは」
「そっか。凛のその眼力ってけっこう当てにしてるのよ?」

 三枝はそう言って凛に誰が候補になるのかを尋ねる。凛は出来るだけ他の部員達に気づかれないようにしながら三枝に教えていく。言い終えると三枝は「ふーん」と軽く息を吐きつつ、ステージに置いてあった紙の束を手に取る。パラパラとめくって、今、凛が言った名前の五人の情報を眺めた。

「四人は全道経験あり。一人は市内で負け、ね。うんうん。鍛えがいありそうね」

 三枝の意識は凛が告げた五人に向けられ、会話は終わる。
 凛もまた、一年達の練習が終わって自分が遂に練習できると思うと、胸の奥から楽しさがこみ上げてきたために意識が前に向く。既に頭の中には自分が見つけた有望そうな女子のことも、自分のファンだと目を輝かせた女子のことも消えていく。
 だが、次のノック練習のためにコートへと足を踏み出したところで、一瞬だけ体育館の壁に背中を預けていた女子の姿を思い出した。どうして思い出したのか分からないままに、凛は反射的に頭を回転させていた。

(あの子は、無理だろうな)

 冷静なバドミントンプレイヤーとしての君長凛は考える。
 バドミントンが突出している。という言葉はだいたい合っているため凛も反論はしない。
 更に自分の感覚を伝えれば他人は理解してくれないだろうとも思っていたために、あまり言葉を重ねることもなかった。

(バドミントンをしている時の自分は、やっぱりいつもと違うかも)

 冷静に動いて、相手の死角や嫌がる箇所を確実に打ち抜く。相手のフィニッシュショットを受けきり、戦意をなくさせてもまだ続ける。
 中学女子最強のシングルスプレイヤー君長凛。
 自分のことではないように捕らえているのは、こうした感覚が原因の一つかもしれない。

「よーし、それじゃあ、ノック練習をやるよ!」

 三枝が全員に届くように大きな声で告げる。七浜中の部活へと、凛は踊るように体を動かして飛び込んでいった。
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