なんとか旅を続けて来た匡と平然と進む士郎。  最初訪れた愛媛では大雨に遭遇し何も出来ず、次の目的地へ向かう直前に北海道ではお なじみのガラナを発見。飲んでいる間にバスが行ってしまうという事態に。  辿り着いた宿で匡は物の怪の気配を感じつつも、何とか乗り切り、遂に最後の旅へと旅 立つのだった!
200X年9月3日 午前九時 鹿児島の駅前
「はい。えー、最後の朝を迎えました」 「いい加減帰ろうよ」  アナウンス口調になって言う士郎に憂鬱な表情で言う匡。一日休んだとはいえ、やはり 現実を直視する事は体力を消費した。何しろ、金は無限ではない。もうそろそろ帰る選択 をしなければ無一文になってしまうだろう。すると出来る事は親へ連絡する事だ。  匡はそのやりとりを想像した。 『あー、俺。今さどこどこにいるんだけど、無一文になって帰れなくなったから郵便局に 金入れといて』 『お金盗まれたの?』 『いや、使い果たした』 『あほな子だね。小遣いは半分にするわこれから』 「いやー!!」 「はっははは! 何が嫌か分からないが、兎に角振るぞ〜っとその前に」  頭を抱えてその場にうずくまる匡とその横でステップを踏みながら士郎はバッグからボ ードを取り出した。 「さーて、今度の目的地はっと」  士郎が掲げているボードを匡はうずくまった体勢のまま見た。そこには六つの目的地。  自分の運命が書かれている。 『一・もう帰ろう――北海道』 『二・中華料理だ――香港』 『三・熱いのお好き?――ザイール』 『四・修行にピッタリ――ギアナ高地』 『五・オーロラでも見に――アラスカ』 『六・白熊に会いに――南極』 「……四はなんだ?」 「見ての通りだ」  士郎はさらりと受け流して匡にボードを持たせるとサイコロ(キャラメル)を取り出し た。三回目ともなると手馴れた動作で手の中で弄んでいる。 「ほーれ、ここがいいのか? ここがええのんか?」  本当に弄んでいる。 「いや、そんな細かい芸はいいからさっさと振れよ」 「にゅふふ〜! 何が出るかな! 何が出るかな! それはサイコロ任せYO! チェゲ ラッチョ!」」  匡はため息を一つついて自分に諦めるよう言い聞かせてから士郎を即した。士郎は匡に 満足したように笑顔を向けてラップを交えつつ、サイコロ(キャラメル)を天高く放り投 げた。サイコロ(キャラメル)は天高く昇っていく。天高く。天高く……。  しばらく空を見上げる二人。しかししばらく経ってもサイコロ(キャラメル)は還って こない。 「どうしたんだ?」 「ん? ちと力を入れすぎたから成層圏まで行ったのだろう」 「そんな馬――」  匡が突っ込みを入れようとしたその時、士郎が叫ぶ。 「横にとべぇ!」  と言って士郎は前に匡を押し出し、自分は横に飛んだ。咄嗟の事で受身が取れず、顔面 から地面にぶつかる匡。目の前に火花が散って頭がくらくらする。 「な、何があった……?」  ふらつく頭を抑えて振り向くと、地面には少し形が崩れたサイコロが転がっていた。上 の目は二である。  つまり自分達は香港に行くのだなと、匡は旅が続く事に複雑な思いを持った。そして自 分を押し倒した士郎に文句を言おうと立ち上がる。 「お前、いきなり押すなよ。いいじゃんか。サイコロキャラメルが当たったくらいで死な ないよ」 「いや、中に石を詰めておいたからな。重力の力を借りればサイコロでも死ぬ」 「そんな馬鹿なことするな!」  匡は絶叫しながら自分がサイコロキャラメルが直撃して死んだ時を想像していた。 『あら、サイコロキャラメルが頭に当たって死んだ人がいるんですって』 『運が悪い人っているものよねぇ』 『ていうか〜ちょー馬鹿って感じ〜』 「いやー!!」 「はっははは! 何が嫌か分からないが、兎に角行くぞ! 香港へ!!」  頭を抱えて叫ぶ匡を士郎は引きずって行った。
200X年9月3日 午前十一時半 香港行きの船の上
「……海はいいなぁ。母なる海。全てを優しく包んでくれる」  匡は穏やかな海を眺めて呟いた。  太陽の光を自分の下へと返してくる海。少し遠くでは魚が水面近くを泳いでいる。  広大な海を見ていると自分がいかに小さい存在であるかと言う事が分かった。 「ああ。俺も変な意識は捨てよう。この旅は俺にきっと何かをもたらしてくれるはずだ。 なあ、そうだろう? 士郎」  匡はそう言って後ろにいるはずの士郎に声をかけた。しかし、いたと思った場所には士 郎はおらず、探すために視線を動かした。  士郎を見つけた場所は船尾だった。船の後ろ側にあるスペースで海を眺めていたのだか ら、そこにいる事自体は特に不思議ではない。問題は士郎が何をしているか、だ。 「あいつ、まさか……」  士郎は右腕を真横に水平に伸ばし、左手は自分の体を抱くように巻きつけていた。その 姿にある光景がダブる。  一組の外国人のカップル。  女が船の進行方向に両手を広げて立ち、その後ろから男が女を抱きしめる。  正しく、『あの映画』だった。 「あれが伝説の『一人○イ○ニック』か」  匡は額に滲む汗を拭いながら呟いた。 『一人○イ○ニック』  それは伝説の技。  話題作りのためにと一人で「○イ○ニック」を最終上映時間に観に行くと、前後左右に アベックが席を取り、肩と腰を互いに取りながら観ている中に取り残される。  その状況に最後まで耐えた時、まさに『ミスター生き地獄!』の称号を手に入れる事が 出来るという……。 「……て、今の状況とは全く関係ないじゃん」  匡は人づてから聞いた情報を反芻し、ため息をついた。士郎が行っているのはそんなも のではなく、ただ単に一人二役で○イ○ニックごっこをしているだけ。  中途半端に進行方向の逆側で。  それもそれで何か空しい物があった。 「まあ害はないからいいか」  視線の先に見えてきた大陸に意識を移しながら、匡は風景を見ることに集中していった。
200X年9月3日 午後二時時半 香港港
「さて、やるこっとやったし、帰るべ!!」  気合を五十パーセントほどアップさせて士郎は叫んだ。周りにいた観光客が何事かと二 人を見ている。見られていることには気付かずに、士郎は「気合だー!」と何度も何度も 叫んでいる。匡はそんな士郎をずっと見ていた。「気合だー!」を十回ほど繰り返した後 で士郎は息を切らせて匡を恨めしそうに見た。 「……突っ込んでくれないと終われないだろ……」 「いや、それが狙いだろうと思ってな」  初めて自分のペースになったことに匡は少しだけ満足して顔を緩ませた。息を整えた士 郎に対して匡は辺りを見回して言う。 「ここにきてすぐ帰るのもなんだから、飯でも食べてお土産買おうぜ」 「了解だ。俺も今まさに言おうと思っていた」 「帰るべ言ってたのに」  匡は言いつつも足を進めていた。その後ろを士郎がついていく。  港から出ると街はなかなか賑わっていた。観光客狙いだからか食べ物屋が何軒も並んで いる。船の中では食べ物を取らなかった事で二人同時に腹の虫が鳴った。 「そうだ、匡。一つゲームをしようじゃないか」 「ゲーム?」 「まあ単純にじゃんけんなんだが」  そう言って士郎は手を構える。匡はつられて拳を握りそうになってふと気付いた。 「で、罰ゲームがあるんだろ?」 「察しがいいな。負けた方は料理に対して『これはなんですか?』と訊くんだ」 「……それだけ?」 「ああ」  そう言って士郎はじゃんけんの掛け声を上げ、匡も慌てて手を振った。 「じゃんけん! ポン!!」  士郎はチョキ。匡はパーだった。匡は顔をしかめて、これから自分が行う罰ゲームに対 する不安を口にする。 「本当にそれだけか?」 「ああ。なんですかと訊くだけでいい」  士郎はそう言って手近な店に入った。その後ろを匡もついていく。二人を見つけた店員 は香港の言葉で来店を歓迎するが、二人が日本人だと知るとすぐに日本語が分かる店員を 連れてきた。 「こちら〜にいらっしゃれでごわす」  何か間違っている気がする日本語を駆使しつつ、店員は二人を案内する。席に着いた二 人は適当に腹が膨れる物を頼んだ。  少しして運ばれてきた食べ物は麻婆豆腐にエビチリ。フカヒレなどなどいくつかの料理。  匡はそこで、士郎が身振り手振りをしている事に気付いた。 『豆腐を指差してこれはなんですか? と訊け』  明らかに無駄な動きを交えていたために解読に時間はかかったが、匡は内容を読み取っ た。しかし実際に質問を口にするのは躊躇う。何しろ、豆腐なんて誰でも知っているから である。 (くそっ。これが狙いかよ)  匡はしかし、罰ゲームだと割り切って店員に訊いた。 「これはなんですか?」 「これーは、麻婆豆腐ですよ? 日本では食べませんか?」 『豆腐ってなんですか? と訊け!』  即座に次の指令が送られてくる。匡は恥ずかしさを我慢して店員に更に尋ねた。 「豆腐ってなんですか?」 「……説明しましょう」  そう言って店員は豆腐は大豆から作られる事という初歩的なことから豆腐になるまでの 過程。麻婆豆腐への調理法までを事細かに匡に伝えた。もういいと言おうにも店員は自分 の説明に浸っているからか口調もエスカレートしていった。  説明が終わった時には既に麻婆豆腐は冷めていた。 「――というわけです。お分かりですか?」 「……ありがとうございます」  匡の言葉に店員は満足して、背中を向けた。と、回れ右をして再び顔を匡へと向けてか ら念を押すように言う。 「料理は熱いうちにお食べください」 (あんたのせいで冷めたよ)  匡の中では何もかも冷めていた。 「あーははは。面白かったなあ。ちゃんとMDに録音しておいたから。あとフカヒレって 歯ごたえの無いはるさめの味がするな」  録音も出来るMDプレイヤーを取り出して、なかなか罰当たりな事を言いながら喜び歩 く士郎を目を細めて見ている匡だったが、同時に心が晴れやかになってくるのも自覚して いた。それは正に終わる事への想いのためだ。 (もうすぐ旅も終わる。もう少しだ)  それはマラソンを走りきって陸上競技場に入っていくマラソンランナーの気持ちに似て いた。自分は遂に完走した。あとは競技場のトラックを回ればゴールなのだ。  しかしトラックが距離以上に長く感じる事を、まだ匡は気付いていない。 「よし! 最後に土産を買うぞ!!」 「……おう!」  最後の元気を振り絞り、二人は土産物屋に入った。外観は平屋であるが奥行きは広く、 レジが入り口からかなり離れている。そして壁には所狭しと土産が飾ってあった。量は大 したものだろう。しかし、何故かほとんど日本で見た事がある物。  Tシャツは大体が胸に文字がプリントされていて、『GLOI』『LUNASEE』 『DORI CAME』等と明らかに違う物。いろんな日本のパクリ物を販売していた。 「これって、海賊版だっけか?」 「海賊版って言うよりも、パチもんだよな〜」  と、二人は言葉を交わすと店内を分かれて散策し始めた。  三十分ほどしてレジに集結した二人は、互いに手にTシャツを持っている。壁にもかか っていた『LUNASEE』と『GLOI』のTシャツだ。 『値段が手ごろだし』  同時に言った言葉は同じ言葉だった。その可笑しさに二人は笑い、レジの店員も何事か と二人を交互に見る。ひとしきり笑うと二人同時にレジにシャツを差し出し、日本円で三 千円と告げられた。 「じゃーんけーん」  急に言い出した士郎に匡もシャツ代をどちらかが出すじゃんけんだと即座に判断。対応 して手を振るう。 「ぽん!」  匡がグー。士郎がチョキだった。今度は匡の勝ち。 「別々でお願いします」 「えー!?」  こうして、二人の旅は終わりを告げた。
200X年9月3日 午後十時 匡の家
 匡は久しぶりに見る自分の部屋にため息をついた。ベッドに転がって身体から力を抜く。  なんだかんだ言って退屈な夏休みの中で、今回の旅は刺激的な出来事だったと思う。財 布の中にはもうほとんど金は残っていないが、それを浪費したとは思わなくなっていた。  旅の最中はもう帰りたいと何度となく思ってきた匡だったが。 「大切な物は、過ぎ去った後で気付くのかねぇ……」  匡は旅の中であったことを思い出していた。  愛媛では雨が大地を砕くかのように力強く降っていた。  移動前にはガラナを見つけて、飲んでいる間にバスが行ってしまった。  九州の旅館では温泉に浸かってゆっくりと休めた。  船では『一人○イ○ニック』が発動したが、船は沈まなかった。  麻婆豆腐のプロセスを理解した。  パチもんは所詮パチもんだったが、ゲットした。  精神的には完膚なきまで打ちのめされた気がしたが、総じて、良い思い出だった。 (ん?)  と、そこで匡は何かを忘れている事に気付いた。 「何だ? 何を忘れてる?」  急に動悸が激しくなる。喉が渇く。  気分的な問題かもしれないが、何か喉が締め付けられている気がする。部屋は電灯のた めに明るかったが、本能的な闇への恐怖が匡を飲み込む。 「ああ……」  ふと、電灯がちかちかと点滅すると同時にテレビが点く。そしてそこには見覚えの無い 映像が現れた。 (いや、知ってる……)  それは九州で止まった宿だった。宿の、自分達が寝た部屋。ちょうど窓を撮っている形 で映像が流れている。カーテンが風でなびき、月明かりに照らされて影がテレビの下まで 伸びている。  と、カーテンが開かれるとそこには人影があった。  影ではない。遮る物がなくなったのだからそれは影ではなく『それ』その物であるはず だった。しかし匡は『それ』を人影と呼ぶしかなかった。  全身が黒く、まるで影がそのまま歩いているかのように、テレビへと近づいてくる。  逃げ出そうにも体が動かない。  まるで体中に張り巡らされている神経が切断されてしまったかのように。  やがて人影はテレビに最大限に近づくと、平面が立体となった。  実体を持ち、頭から順にテレビから出てくる。その光景を匡は動けずに凝視したままで 冷静に思っていた。 (俺の人生、こんなんで、いいのかなぁ……)  人生の終わりは、すぐそこまで来ていた。 『終幕』


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