戦乙女に祝福を05

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「じゃあ、なんでエルは生きてるんだよ! 死んでるはずねぇだろ! エルは誰だってことになるだろが!」
 アレンはランスローの首元を両手で掴み、力を込める。特に抵抗しようとせずにランスローはまっすぐアレンだけを見ていた。
 もう敵はエイクしか見てはいない。ランスローは一瞬だけ視線を彼等に向け、また視線をアレンに戻す。その瞳には躊躇の色があった。
 このままエイクの相手をする前に事情を話してしまうか。それとも教えずして戦うか。
 エルは怒りをあらわにするアレンと、逆に感情をなくしたランスローを見て少しだけ納得する。
 自分の存在に。
「私は確かにここにいるけど、死んでるんだと思う」
 力の入れすぎで震えていたアレンの両手の上に、エルは自分の右手を乗せた。軽く、優しく。さして力が込められたわけでもないが、アレンは手を離す。そのままエルの右手を包み込むように握った。普段のならば跳ね除けてしまうエルも、今は何もしない。伝わってくるアレンの暖かさが心地よく、気分が高揚していく。
「なんで、だよ」
 アレンの声に涙が混じる。俯いた顔から零れ落ちていく雫は、地面を色濃く浮き立たせる。自分ひとりだけが状況を理解しきれていないからなのか、アレンはなおも叫ぶ。
「お前の手はこんなに温かいじゃないかよ! なんでこれで死んでるとか言うんだ!」
「これが多分、エイクの力なんだ」
 向けられた視線に応えるように真っ直ぐ見据えて、エルは語る。
 エイクの魔力の強さ。それが起こす奇跡。枯れかけた花を蘇らせた魔術。
 人間が魔術を開拓して以来誰もなし得なかった蘇生術のことを。
「でも、それはあくまで仮初なんだよ、きっと」
 エルはアレンの手を解いて、自分の右拳を左手で包む。かすかに震える身体を抑えるように。アレンもそこで初めて、エルが恐怖しているのだと気づいた。
 自らの死。生きているはずなのに、死んでいる。
 しかも、最愛の義弟に殺されているのだから。
「怖いけど、私は私のやるべきことをする」
 目をエイクに戻せば、最後の一人の首に手をかけている姿が見えた。相手は許しを請うように手を動かしている。しかし、エイクの瞳には敵の姿など映ってはいなかった。ただ立ち塞がる物を壊すだけ。人間も他のものも同じようだった。
「私が今まで強さを求めたのはこの時のため」
 一歩踏み出すその足取りにはもう弱々しさはない。
「私は――」
 アレンが止めようとするが、その手をすり抜けて前へと進んでいく。身のこなしから、いつの間にか体調が完全に回復していることをアレンとランスローは知る。
「私は、エイクを――」
 立ち止まり、両足を肩幅に広げてから右拳を左掌へ打ちつける。熱と血に支配された世界が乾いた音と共に切り裂かれたように、エルは感じる。
「私は、エイクを止めるために存在する。だから意味があるんだ。私には」
 エイクの注意が初めてエル達に向いた。手にしていた亡骸を投げ捨ててゆっくりと歩いてくる。
「エイク。私はあなたを、止める。それが私の役割だから」
 エルの声が届いているのか、エイクの歩みが止まった。真正面からにらみ合う二人。後ろでランスローとアレンが身構えるが、突如起こった風によって後ろに吹き飛ばされていた。
「アレン! ランスロー!」
 後ろを見て声をあげたエルだったが、すぐに前方から吹きつけてくる殺気に反応し、身体を低くした。すぐ上を駆け抜ける熱波に髪の毛を焦がしながら、エルは前へと飛び出す。アレン達を気にしていれば自分が殺されることは明白。実際、エイクの紅の瞳はエルの姿を映してはいなかった。あるのは敵だけ。個体の識別などせずにエイクはただ破壊の波動を放ち続ける。
「『白』の咆哮!」
 掲げられた両手から噴出した炎。上下左右に手が振り切られることで発生する真空の刃。
 エルは避けきれず血を流しながらも接近していく。横に飛び後ろに下がりながらも、一歩ずつ前へ。
 腕や足から血が流れ、大地に吸い込まれていく。
 それでも。
「エイク」
 ただ、呟く。最愛の義弟の名を。
「もうあなたを傷つける人は、いないんだよ」
 頬が切れて鮮血が飛び散る。エイクの身体から押し寄せる風自体が避けようの無い牙となり、エルの身体を切り刻んでいく。衝撃に弾かれても身体を回転させていなすなどして、エルは遂にエイクの目の前へと立った。後二歩踏み出せば、エイクに手が届く。
「エイク」
 エルの声に感じるものがあるのか、エイクは頭を抑え、苦痛にあえぎだす。
「ぅうぐぅ」
 後ずさるエイクを追いかけるように前に進むエル。その顔には期待と不安が入り混じっている。目の前に立った彼女の姿に動揺したかのように下がったエイクの姿に、正気に戻りつつあるのかと。正気に戻ることはエルにとって喜ばしいことだが、同時に今まで殺した男達への罪悪感も蘇るだろう。
「大丈夫だよ。私が、いるから」
 両手を広げてエイクへとまた一歩踏み出すエル。顔には笑顔が広がっていた。多少恐怖に震えていても、顔に出さないまでの余裕が出来ている。エイクは更に一歩下がり、両手で頭を抱えて叫ぶ。
「う、ぐああああ!」
 エイクは強引に髪の毛を引きちぎり、頭部から血が吹き出していた。あまりに痛々しい自傷行為。エルは咄嗟にエイクへの距離をつめてその手の中に抱きしめていた。
「ぐぅ」
「大丈夫。もう、あなたを襲う人は、いない」
 エイクの動きが止まり、大気も熱をうごめかせることを止めていた。白髪は血で染まり、身体も煤が付着してぼろぼろの姿だったが、命に別状はない。エルはエイクの体温を感じながら、呟いていく。
「エイク。あなたのおかげで私はここまで来れた。罪は償っていかなければいけないけれど、ね」
 周囲を包み込んでいた殺気がエイクの元へと収束していく。倒れていたアレンとランスローも立ち上がり、ゆっくりと二人へと近づいていく。出来るだけ刺激しないように。しかし。
「エ、エル!」
「うぅがぁぁあああああああああ!」
 ランスローが異変に気づいて叫んだ時には、エルは空中へと吹き飛ばされていた。


 ◆ ◇ ◆


 エルが吹き飛ばされる様子を見て、アレンは歯を噛みしめていた。一瞬で意識を飛ばされたのか、悲鳴も上げないまま空をぼろ布のように舞って行く。その間で、口から吐き出された血が男二人の顔に当たった。爆音と共に衝撃波がエイクを中心に広がったが、アレンとランスローは今度は吹き飛ばされない。
 先ほどとは逆の展開。しかし違うのは、エイクの凶暴性が止められないと二人が理解したこと。
「殺すしかない、な」
 右拳を左掌に打ちつけて、ランスローは息を深く吸い込んだ。そこに、アレンは近づいて囁く。
「あいつを殺せる技、あるんだろう?」
「どうしてそう思う?」
「そういうのがないと、今のエイクには勝てないからな」
 アレンの言葉に納得したのか、ランスローはだまって腰を下ろす。
 それが、答え。無駄な会話などせずに力を溜める。この一瞬で二人の役割が決まっていた。
「いくぜ、エイク! 俺はよ、リヴォルケイン予備軍なんだよ! お前を、止めてやる!」
 決意を叫びながら前に突進するアレンを迎え撃つエイクの顔は再び歪んだ笑みを形作っていた。見開かれた目は全てが赤く染まり、口は顎が外れんばかりに下へと落ちている。
 異形の存在と化したエイクを、エルに殺させない。
 それがアレンが取った行動。自分が愛する者を奪う行為によって背負う罪を認める。
 一人だけではなく、ランスローという男と共に。
 エイクの腕が振られるたびに起こる衝撃波が、アレンの身体を切り裂く。血しぶきを上げながらも速度は緩めず、ただ一点を目指して走り続ける。アレンが狙うのはエイクの小さな身体の、更に小さな一点。
 痛打することで行動を止める、人体の急所。
 鳩尾に最短で最速の一撃を叩き込む。それがアレンの選択だった。
 リヴォルケインに入隊する者として教育された、悪を止めるための術の一つだった。
 悪。エイクは今、本当に悪と化している。
 愛しい女性の弟ではない。
 愛しい女性を奪った、男。
「エイクぅうう!」
 眼前に迫った衝撃波を左腕で弾き飛ばす。肉が引きちぎれるような激痛が意識を消し去ろうとしても、アレンは一歩踏み込み、狙った位置へと右の拳を叩きつける。
「うおぉおおっ!」
 拳が当たる瞬間に、力を集中させる。攻撃にのみ特化して、自らを矛として相手の中心に投擲する。
「がっ!?」
 暴走したエイクもこれには耐えられなかったのか、直撃を受けて地面に平行に吹き飛んだ。
 ここにきて、最大の隙。おそらくはエイクの息の根を止める最後の機会。
「ランスロー!!」
 身体の力を使い切って倒れるアレンの上を飛び越えていく影。
 その力強い二つの影は、同じ速度でエイクを追って行く。
(……エルっ!)
 もう視界はなく、気配のみの確認だったが。ランスローと共に向かったのはエルに違いなかった。
(せめて、別れを言いたかったけど、な)
 訪れる結末を思いながら、アレンの意識は闇へと消えた。


 ◆ ◇ ◆


(これが、最後の一撃だ)
 右手首を左手で掴む。いつしか右拳は黄金の光に包まれていた。彼を引き取ったリヴォルケイン騎士に伝授された奥義。秩序を守るため、人外の者に挑むために次代へと継がれる強大な技。ランスローは年齢、地位としてはアレンと変わらない。しかしその才によってすでにリヴォルケインでも上から数えられるほどの実力は持っていた。
 その象徴の、殺しの技。人ではない何かを滅ぼすための力。それを開放する。
 後ろからエルがついてきているのは分かっていた。全身は傷だらけで、動くことがやっとのはずの彼女はランスローと同じ速度で走る。その先に倒れるエイクを、倒すために。
(エル、お前に)
 例え全ての元凶がエイクなのだとしても。
 彼女の絶望を救っていたのもまたエイクなのだから。
 仮初の命の上に立つ幸福。その幸福が命を苦しめるという矛盾を持っている。それでも。
(エイクを殺させはしない!)
 一歩速い。
 アレンに吹き飛ばされていたエイクはようやく地面へと落ちる。腹を押さえ、口から吐き出された大量の血液にむせている。
 ランスローは間髪入れず、躊躇も、後悔もせずに。
「らあああああああ!」
 渾身の一撃をエイクの顔面へと叩き込んだ。
 瞬間、巻き起こる爆発に自分の身体さえも飛ぶ。少しでも威力を殺すために後ろに飛ぶと、走ってきていたエルにぶつかったようだった。それに構う余裕もなく爆風に転がされるランスローは、止まった時点で周囲の気配を探った。
(……生きている)
 かすかに感じるエイクの鼓動。拳があたる直前に、微かにエイクの声をランスローは聞いた。自分の右手が焦げた匂いを嗅ぎながら、起こった出来事を想像する。
(自分の前で魔術を発動させて俺の拳を弾き飛ばしたか……無事じゃないだろうが、死んでもいない)
 最大最強の技でも死ななかった。ならばどうやって消滅させれば良いのか。出来るだけ冷静に次の手を考えようとする。
 それを制したのは、鈴の鳴るような声。
「もう、良いのよ。ランスロー」
 ランスローの肩に手を置き、エルは前に踏み出した。
「エル……」
 後を追って彼女を止めなければ。そう思っても身体が動かない。疲労は確かにしている。威力の反動も大きかった。だが、けして動けないわけではない。
 それでもランスロー自身が動くことを止めた。アレンも、ランスローも出来るだけのことをした。自らの使命を遂行した。
 だからこそ、幕引きはエルの手で。
 自分は彼女を庇っているだけだと、ランスローは理解してしまった。
 エイクの終わりはエルの終わり。エイクを終わらせなければ、エルは終われない。命は正しい道を進めない。
 だからこそ、エルが終わらせなければいけない。もう、ランスローは体中の力を抜いてエルの背中を見ていた。
「エイク」
 晴れていく粉塵の先に、エイクは立っていた。既に服は見る影もない。さらされた裸体はこれまでの打撃で青黒く染まり、血の赤とまだら模様を描いている。整っていた顔も埃や血にまみれ、元の顔が想像できないほど。
「姉さん」
 それでも、声は同じだった。爆発の衝撃からか、正気を取り戻したエイクの前に一歩ずつ踏み出すエル。何もせず、ただその姿を見ているエイク。
 終わりへの道。そこを伝わる足音。
 全ての終わり。これからの始まりに続く音が。
 終点に、集う。
「エイク」
「姉さん」
 たった二人の姉弟が一つに重なる。姉の胸に包み込まれた弟はただ涙を流す。
「私はあなたのお姉ちゃんだもの。道を間違えたなら、元に戻す。それが、家族でしょ」
「姉さん……僕は……僕は、失いたくなかっただけ、なんだ」
 消えていく独白。破壊の限りを尽くした後では、誰の胸にも響かないだろう言葉。
 それでもエルはエイクの頭をなでながら「分かってる」と繰り返す。その度に、彼女の身体はその輪郭をなくしていく。魔力の喪失。エルを形作っていた生への力が消えて、反動がその肉体までも持っていく。
「僕の手で殺してしまった……大好きだった人を。でも、失いたくなかった!」
「エイク」
 取り乱すエイクの頬を、エルは両手で優しく包み込む。すでに感覚はなく、おぼろげな幻想と化しても。その手はエイクの顔を撫でていた。
「あなたのおかげで、私は今まで生きてこれた。だから恨むことなんてない。このまま死んでも、恨むことはない」
「ねえ、さ」
「だから、あなたは前に進みなさい。自分の未熟さで奪った命から逃げないで。もう、十分でしょう?」
 胸の鼓動はもう聴こえなかった。
 肌のぬくもりも消えていた。
 声質さえもなかった。どんな声なのか認識できない。
 それでも、言葉は届く。エイクの胸に。
「ごめんなさい」
 それは終わりの言葉。
「私は、許してあげる」
 それは始まりの言葉。
「さようなら」
「元気でね。これから、頑張りなさい」
 それは、別離の言葉。
 エルの唇がエイクへと触れる。瞬間、彼女を形作っていた魔力はエイクの身体から伸びるように、光の粒子となって空へと昇っていった。



 こうして、強大な、しかし最も小さな世界の危機は幕を閉じた。
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