PREV | INDEX

Dear My Friend

第十三話「すぐに慣れていくよ」

 体育館の入り口からぞろぞろと入っていく同級生達の中であゆむは静かにその時を待っていた。すでに泣き出しそうな友達を何人か慰めている間に、自分は悲しい気持ちをなくしていた。寂しいけれど、泣くまではいかない。もしかしたらもう会うこともないかもしれないが、一ヶ月後にはまだ大半の友達は市内にいるのだ。同じ学校に行っても、別の学校に行ったとしても、今は簡単に連絡が取れる。本当に大事ならば、取り合う仲になれたなら。

(今は雰囲気に泣いてるって感じなんでしょうけどね)

 胸元につけられた淡いピンク色の造花を見て、あゆむも雰囲気に少し流されて鼻の奥がツン、とする。友達と別れることになる以前に、一緒の時を過ごした中学校を卒業するということに対して寂しさを感じているのだろう。
 順調に体育館へと入っていき、ついにあゆむが足を踏み入れる。何度もバドミントンをするために入り、何かしらのイベントのために入ったりとしていたため、あゆむには今回もその一環でしかないはずだった。それでも、踏み入れた瞬間に空気が変わったように思えた。

(こうして体育館に入るのも、最後なんだなぁ)

 ゆっくりと自分の座る椅子へと座り、ステージから周囲を見回す。式のために飾り付けられた幕。親たちが座るスペース。在校生が座る場所はない。小学校の時は在校生達と言葉を交わしあったことを思い出す。中学ともなれば単純に自分達と、教師達。そして保護者達のものなのだろう。

(これから、終わるんだね)

 徐々に人が詰まっていく場所。ざわめきの中で、別の入り口から保護者達が入ってくるのが見えた。準備が整っていくと共にあたりは妙な緊張の糸が張り巡らされていき、口数も減っていく。
 やがて、自然と言葉がなくなった時、壇上に校長があがり、司会役の教師がマイクに向けて開会を告げた。

「これより、第八十三回。浅葉中学校卒業式を始めます」

 三月一日。まだ、雪が残り桜は咲かない北海道のこの土地で、宮越歩は浅葉中を卒業する。
 式は滞りなく進み、一人一人名前を呼ばれて卒業証書をもらっていく。すでにあゆむも校長先生からもらって座った膝の上に丸めた状態で乗せている。

(涙……でなかったなぁ)

 体育館に入って感じた、どこか寂しい雰囲気に乗せられて卒業証書をもらった時に涙ぐむくらいはするかとどこかで思っていたが、実際には感情にさざ波が立つこともなく、冷静に受け取って、そのまま降りていた。
 席に着いてからもらっていく生徒を見ていると、やはりもらう前から泣いている女子や、もらった後に涙を流しながら壇上から降りていく男子生徒も何人かいる。自分だけということではないが、やはり感極まって泣いている生徒たちは多い。
 やがて、全ての生徒が証書を受け取ると、生徒会長だった男子生徒が壇上にあがり、三年間の感謝を告げる。その演説にまた周りですすり泣く声が増え、あゆむは居心地の悪さを覚えた。周りを包む空気の中で泣けない自分は異分子ではないかと。しかし、その気分も一度息を吸って吐いただけで収まる。

(そう。他人は他人。自分は自分。ほら、あっちもそうだし)

 あゆむは嗚咽が広がる中で一カ所に目を止める。そこにはしっかりと前を向いて、演説をする生徒会長の姿を見る朝比奈がいた。それを聞く校長や壁際に立つ教師達を自分の目に焼き付けておこうというくらいの気迫が見える。
 もう一人、遊佐も同じように目線を向けていた。

(相変わらず二人は同じ感じなのね)

 席が離れても同じように行動している二人は本当に似ていると思い、胸が熱くなる。二人はこれから離れた学校に通うが、共にまっすぐに進んでいくのだろう。
 自分とは違う強さを持った二人。特に朝比奈には、自分が支えているふりをして、本当は支えられていたことを部活を引退した後の半年間で思い知った。受験後に試合をして自分の心の中を晒して、許してもらえたのは本当にそれだけで、あゆむの中にある優越感のような感情や、彼らへの嫉妬が消えたわけではない。それでも、それらを合わせたあゆむを許すと言ってもらえたことで気持ちは楽になり、感情は少しずつ薄れていくように思えた。

(徐々に変えていけばいい、か)

 変わることを恐れていた自分に変わっていけばいいと言う朝比奈。常に目標を決めて、歩き続ける朝比奈にふさわしい言葉。恐れずに新しいものを受け入れる勇気を自分は持てるだろうか。
 そんなことを考えているうちに元生徒会長の演説が終わり、校長の言葉によって卒業式は終わる。全員で立ち上がっての礼。そして解散。
 押されて倒れないように体育館を出ていく時に、後ろ髪が引かれるような気がして後ろを振り向く。同じクラスの女子がきょとんとした目であゆむを見てきたが、それには反応しないで宙空を見る。そこに何かがいたのか、ただ何もなかったのか分からないままにあゆむは微笑みつつ前を見る。

(さよなら。ありがとう)

 おそらく、家の自分の部屋と同じくらい立った場所への別れ。三年間で大切な仲間や親友と会わせてくれた場所への別れ。あゆむは心の中で感謝しつつ教室へと戻っていった。

 * * *

「おーい、宮越。早く行こうぜ」
「待ってー」

 各クラスでの最後の挨拶も終わり、あゆむは証書を筒に入れ、鞄を持った状態で歩いていた。まだセーラー服だけだと寒いためにコートを着ているが、それはそれで暑く汗がじわりと出てくるように思える。校舎内にいれば汗をかいてしまうために早足で玄関へと向かう。
 あゆむが歩く少し先には合流した遊佐がいた。追いかける中で見る背中はやはり大きい。

(小学生の時からでかかったわよね、あんたの背中)

 長い付き合いの中で何度も見た背中。それはもう今日以降はほとんど見ることはないだろう。自分もバドミントンは続けるつもりだが、二人に大会で会えるとしたら全道大会から。先輩達の応援として行けるかもしれないが自分が行くという未来は見えない。だからこそ、ここで別れるのだ。

「……美緒を宜しくね、遊佐」
「ん? なんか言ったか?」

 早足で前を行く状態でも、後ろにいるあゆむの言葉を耳に入れる遊佐に苦笑して「何でもない」と言い直す。遊佐は疑う様子もなく引き下がり、前を進む。
 朝比奈と試合をした後で、あゆむは遊佐に直接謝罪をした。桃華堂でのことを。自分がどう思っていていたのかを再度冷静な状態で告げて。
 遊佐は頭を縦に振って「誰だってそういうのはあるさ」と一言だけであゆむを許した。あまりにもあっさりと自分の考えていたことを流されて、思わず手が出たほどだった。
 それからは特に諍いもなく、卒業式まで自然に接することができた。

「あ、おーい。美緒!」

 前を行く遊佐が手を振りながら前方へと呼びかける。遊佐の体の横から覗くと、微笑んで手を振っている朝比奈が玄関口で待っていた。二人を待ってから一緒に出るつもりだったらしい。遊佐はさらに速度を上げて玄関に行き、上履きを靴袋に入れて外靴を履く。もう、明日からは使うことがない上履きを。

「はぁ……遊佐と美緒はいいわね……もう、決まってるんだし」

 少し遅れて到着したあゆむは息を切らせながら遊佐と同じように外靴を履いて上履きを入れた袋を手に下げる。発言の意図が分からず首を傾げる遊佐に補足したのは朝比奈だった。

「私達はもう高校入学が決まってるから浅葉中にくることは……ないけど。一般入試組は合格発表が来週なのよ。だから、一回は中学に行くはずよ」
「お、そうだったか……」
「そ。私はたぶん、大丈夫だけどね」

 あゆむはウィンクしつつ遊佐の隣を通り過ぎる。後ろから「自信ありまくりだな」と声が聞こえてきて頬がゆるんだ。前にいる美緒に並ぶとそのまま一緒に歩き出す。あゆむと美緒が先頭。一歩後ろを遊佐が並ぶという形になる。

(こうやって歩くのって凄く久しぶりかもね)

 元々一緒に歩くということ自体少ないが、三人で歩くのは、それこそ部活で市内予選に向かう時以来だけに、十ヶ月ぶりになる。言葉にすると遠いが、感覚ではそんなに前だったかと思える。
 隣を歩く朝比奈に伝えようとしたが、一瞬だけ間を置いて、全く別のことを聞く。

「皆ってもう集まってるの」
「そうみたい。中学も終わりだーって、歌うんだってさ」
「カラオケかぁ。お正月ぶり」
「あゆの歌、結局ちゃんと聞いた記憶ないし。今度は楽しみにしてるね」

 正月は歌どころではなかったことを、他人事のように思い出す。自分の中の罪悪感も一つ超えてしまえば過去になる。朝比奈にも遊佐にも許されたことで、あゆむの中の重い気持ちはひとまず落ち着いて、心の中に沈殿した。あとは徐々に消していくだけ。

「うん。ありがとね」

 だからこそ、会話の流れにそぐわないとしても、あゆむは感謝の言葉を告げる。違和感にきょとんとしてあゆむの顔を見た朝比奈だったが、意図が分かったのか表情を元に戻して口を開く。

「私もね。凄く気にしてたことがあったの。でも、今を大事にしてたらそんなの、いくらでも挽回できるって気づけたんだよね」
「ん?」

 何のことを言っているかあゆむにはピンとこないが、朝比奈は言葉を続けていく。全てを伝えれば少しは何かを伝えられるかもしれないというように。

「昔は携帯電話もないしネットもあんまないしとかだったけど、今は離れても話す手段なんてたくさんあるし、その時その時でいろいろ考えて、変わっていくこともあるだろうし。でもさ、たぶん一番大事なことが変わらないなら、それでいいんだよきっと」
「一番大事なことって?」
「私と、あゆは、親友ってこと。あと、修平が好きだってこと。私は二人と離れても、大事にしたい。私といない間に変わっていく二人を楽しみたい」

 自信たっぷりに言う朝比奈に、あゆむも考える。
 嫉妬することも、羨ましいと思うことも、独占したいと思うことも。全部が一つの思いから派生しているのだ。負の感情を徐々に消して、朝比奈の言うように変わっていく朝比奈を楽しんでいくこと。そうすれば、変わることを恐れなくなるはずだ。

「これからも、よろしくね」

 朝比奈からの言葉にあゆむは頷く。言葉を返そうと思っても、鼻の奥がツンとして沸き上がってくる感情を押し殺すことに精一杯になっていた。泣き出してしまえばしばらく動けなくなる。別れの涙ではなく、またねと言い合うこと。失うかと思っていた関係が保たれたことに対する嬉しい涙。
 朝比奈はしばらく無言のままあゆむの隣を歩く。後ろを歩く遊佐もまた、無言でついてきていた。あゆむが次の言葉を発するために落ち着こうとしているのを分かっていて、待っている。当然のことというように。

「ごめん。落ち着いた」

 何も言わなくても待っていてくれていると分かって、あゆむは礼を言う。落ち着いたタイミングを狙っていたのか、美緒は歩くあゆむに体を寄せて顔を近づける。後ろにいる遊佐に聞こえないように、耳元で静かにしゃべる。

「そうだ。あゆ、なんか勘違いしてると思うんだけど」
「何?」
「私、別に修平と離れるの、気にしないわけじゃないよ」

 朝比奈の言葉に今度はあゆむが呆気に取られる。あゆむの表情を見て、自分の伝えたいことが伝わっていないことに気づいた朝比奈は、にこりとして続ける。

「会えないとやっぱり寂しいよ。半分は、それを誤魔化すために試合会場で会えるって言ってるだけだから。勘違いさせて申し訳ないんだけど」
「そ、っか」
「そうだよ」

 朝比奈の言葉に再度「そうか」と繰り返して、あゆむは考える。自分が凄いと思っていた朝比奈も、やはり寂しかった。当然のように、彼氏と離れることは寂しい。強いわけではなくて、強くあろうとしていただけ。勇と一緒にいたいと思うあゆむと気持ちは変わらない。

(でも、やっぱり美緒は強いんだよ。だから、追いかけたい)

 同じだと思っていても、バドミントンを選んで別の学校とした朝比奈はやはりあゆむには強く眩しく、近づきたかった。次に会った時は並んで、一番の親友となりたい。
 側にいなくても、思いは届くのだ。

「分かった。私も、がんばる」
「うん」

 朝比奈はあゆむの側から体を離して、少し先に歩を進める。三人は縦長に並びながら、雪が残っている歩道を進んでいった。

 * * *

 そして、時は流れ――

「あゆむー! もうすぐ学校に行く時間よ!」
「分かってるー!」

 あゆむは鏡の前でセットした髪の毛に満足して、洗面台の前から離れた。すでに高校の真新しい制服を着て、あとは家を出るだけ。入学式はすでに一日前に済んでいる。初日は午前十時から式が始まり、十二時には自分の教室に入って簡単なレクレーションを終わらせるとすぐに解散となった。本当に授業が始まるのは、今日からとなる。

「中学よりも遠いんだから、早く出ないと駄目よ!」
「分かってるってー!」

 母親に言葉を返しつつ、内心では焦りながら早足であゆむは玄関から外に出た。自転車に乗ってペダルを一気に最大までこぎ出す。高校までの距離は母親の言うとおり中学よりも遠い。まだ中学に通っていた感覚が残っていることに苦笑しつつ、ペダルの速度は弱めない。
 方向は途中まで同じであるため、見慣れた通学路を進んでいく。前には自分と同じく真新しい制服に身を包んだ女子が自転車をこいでいる。あゆむと違うのは、それが浅葉中の制服であるということ。やがて十字路にさしかかったところで、女子中学生はまっすぐ進み、あゆむは三年間通ってきた道とは別の道へと入った。ここからは新しい道。休日に通ったことは何回かあったが、通学路としては初めて。何かくすぐったいものを感じつつ通路を抜けていくと、高校の直前へと長く伸びている坂にさしかかる。
 そこに、見覚えのある後ろ姿が見えた。

「ごめーん! 待たせて!」

 息を切らせつつも大きく声を上げる。周りには同じように高校に通う生徒達がいて、何事かとあゆむのほうを見ていた。声に振り返った生徒はその視線を気にして見回していたが、あゆむが傍によると視線をあゆむだけに固定する。
 自転車から降りたあゆむは坂を勇と共に登り始める。

「全く。いきなり遅刻しそうになるのか」
「最初だけだよ。中学卒業して、春休みから直接高校入学だもん。そりゃ、錯覚するよ」
「中学と同じようにか」
「うん。きっと、すぐに慣れていくよ」

 自転車を押しながら後ろを向く。坂の途中。自分の後ろにも高校に通う生徒達。今まで誰もが見たことのある人達だったのに、誰も知らない。自分がたどってきた道もまた、あまり見覚えがない道だ。
 しかし、それも数日、数ヶ月もすれば違和感は消えていく。

「小学校から中学に上がった時もそうだったもの。だから、高校もそう。すぐに新しい生活に慣れていくよ」

 あゆむは勇の顔を見る。ずっと求めていた顔。一緒に、隣あって登校する目標を、ついに達成した。またすぐに離れることが分かっても、それまでの一年を大事に使いたい。そう思いつつ、一歩一歩進めていく。あゆむの視線に気づいて照れたのか、勇は前に目を向けて足を早める。その速さに付いていく。
 あゆむにとっては大きな背中を見ながら、あゆむはこれからの生活を思い描く。
 新しい学校。新しいクラスメイト。新しい部活。
 過去をなくすわけではない。上書きでもない。
 新たに積み上げられていくだけだ。

(私も頑張るよ、美緒。あなたも頑張ってね)

 大切な親友に届くように、静かに、強く心の中でエールを送った。
 あゆむの新しい季節が、始まる。
PREV | 後書き | INDEX
Copyright (c) 2014 sekiya akatsuki All rights reserved.