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Dear My Friend

第十二話「それだけ、なのかなぁ」

 ネットが張られたコートに立ち、向かいにいる朝比奈を久しぶりに見たあゆむは、発せられるプレッシャーに身をすくませる。意図せず始まった試合を前にあゆむも朝比奈も、屈伸や伸脚など柔軟体操を続けている。おそらくは中学最後になるだろうバドミントンの試合がこういう展開になるとはあゆむも思ってもみなかった。
 入口の前で啖呵を切ったものの、熱くなった思いはすぐに冷えてしまった。

(勝てるわけないじゃない……)

 マイナス15対15というハンデ。まだルールがサービスポイント制だった頃にあゆむは似たような試合は見たことがあった。その時はマイナス15対14で、一点でも取れば相手が勝ち。その時もマイナス15点のほうは朝比奈であり、相手をぎりぎりまで追いつめたが、最後はサーブ権を奪われて、得点された。
 ラリーポイント制になるとラブゲームはまずない。攻防の中で、相手の出方を見るためにあえて甘いシャトルを打つこともある。サーブ権がこちらにある場合は、相手の得意なショットを打たせるためのミスを0点のままで終わらせられるが、ラリーポイントは一回ミスをすれば一点となるのだ。だからこそ今回、朝比奈はあゆむに15点を与えた。六回までのミスをリカバーできるように。

(十点は取ってたのに、今回は六点まででハンデは終わり、か)

 体育館に入る前、朝比奈はあゆむに侮るなと忠告した。昔と今の差を分析した上で、それくらいの差があると。自分が積み上げてきたものに絶対の自信があり、押し出している。
 あゆむは朝比奈の自信を疑わない。現役の時に十点取れたのならば、今なら五点か六点。まさに朝比奈が勝つか負けるかというぎりぎりのラインだ。

「勝てるわけ、ないじゃない」

 朝比奈にとって勝つか負けるか分からない点数だとしても、あゆむにとっては負け決定の試合。点数的には勝つかもしれないが、実質、負けている。どんなルールだろうと、表面上勝っていると見えても、勝つことはない。ならば、この勝負に何の意味があるのだろう。

(私が勝てなかったら、終わり、か)

 一通り柔軟運動を終えると背中にうっすらと汗が浮かび、軽く息が切れる。技術面もそうだが心配なのは体力面。十一月頃に同期の面々でバドミントンをした時も、一ゲームもこなせば疲れてしまった。ほんの三ヶ月くらい前までは平然とこなしていたのに。一度離れると取り戻すのは大変だと思い、その大変さが分かっているからこそ朝比奈や遊佐は離れられないのだと思う。
 離れていなかった分、伸びているのはどれくらいか。今、まさに肌で感じることになる。

「じゃあ、じゃんけんしようか」
「え、私からサーブじゃないの?」

 朝比奈からの言葉にあゆむは問い返す。何を言っているんだと呆れ顔で朝比奈は返答してきた。

「サーブはじゃんけんでしょ。ラリーポイント制でこのルールで試合する時にはあんまりサーブは関係ないでしょうけどね」
「じゃあ、私にくれたって」
「だーめ。ハンデは得点だけ」

 朝比奈が腕を出してじゃんけんをするために振る。あゆむは慌てて右手を出し、タイミングを合わせた。結果、朝比奈がサーブ権を獲得し、サーブ位置に立って構える。マイナス15点という奇数からということで、コートの左サイドに立つ。最初に始まる位置と逆で、変な感覚を得たあゆむだったが、すぐに構えたところで余裕がなくなった。
 ネットを越えてやってくる朝比奈の気迫に気圧されている自分を自覚する。

(美緒じゃない、みたい。これは、もしかして、試合の美緒)

 部活でたまに向き合っていた朝比奈と全く違う気配。しいて言えば公式戦の朝比奈だった。彼女はこの試合を、公式戦と同じレベルで対応しようとしている。
 朝比奈はあゆむにプレッシャーを叩きつけたままでロングサーブを上げた。一瞬遅れて後ろに飛ぶように移動したあゆむは、落下点まできたところでストレートにハイクリアを放つ。セオリー通り中央に戻ろうとして、相手コートに視線をやると、朝比奈はすでに落下点で打つ体勢を取っていた。

(速っ! いったい、どうやっていど――)
「はっ!」

 ジャンプしてからのスマッシュは、シャトルを一瞬にしてあゆむ側のコートに突き刺さっていた。あゆむから見て左斜め前。一瞬の出来事に両足を広げて腰を落とした状態から一歩も動けなかった。

「ポイント。マイナスフォーティーン、フィフティーン(−14対15)」

 あゆむは体勢を一度崩してシャトルへと歩み寄る。転がったシャトルをラケットで拾い上げてから羽を整えて、朝比奈へと渡す。軽く打ったそのシャトルを中空でラケットで絡め取った朝比奈は次のサーブ位置へと歩いていく。
 その背中を見ながら、あゆむは改めて戦力差を思い浮かべた。

(いつ、美緒が動いたかもわからなかったし、シャトルも打ち込まれる瞬間が分からなかった。消えるわけないシャトルが、消えた。目で追い切れてないんだ)

 ブランクによるものか、朝比奈のスマッシュ速度が記憶の中にあるものよりも速くなったのか。両方か。どちらにせよ、簡単にスマッシュを打たせれば取れないだろう。
 あゆむはいつものレシーブ位置からつま先部分程度だが、後ろに下がった。

(しっかりと奥に返さないと……)

 あゆむの準備が整ったと判断したのか、朝比奈は次のロングサーブを放つ。またシャトルを追っていき、真下にはいるとハイクリアでストレートにシャトルを飛ばす。またコート中央に戻る間に朝比奈の動きを追うと、鋭い動きでシャトルの真下に移動する朝比奈の姿があった。動きは鋭いということはなく、逆に緩慢にも見える。不思議な感覚だったが、あゆむには思い当たる点があった。無駄がなく、目標に向かって最小限の動きを取れば、滑らかな移動となる。結果、遅いように見えるのだ。

(奇麗――)

 視線の先にいる朝比奈に気を取られた隙に、シャトルはまたストレートに叩き込まれていた。

「ポイント。マイナスサーティーン、フィフティーン(ー13対15)。しっかりしてよね」
「……無茶言わないでよ」

 たった二回のラリーだったが、朝比奈と自分にどれだけの差があるのか分かった。正確にはどれくらいの差があるか分からないほどに開いているということが分かった、なのだが。朝比奈にシャトルを返すとまたサーブ位置を移動して、サーブ体勢を取る。あゆむもレシーブ位置に着くが、頭に浮かぶのは一点も取れないまま負ける自分の姿。
 21対15で負けて肩を落とす自分の姿だ。

(こんなの、勝てるわけない)

 あゆむの中で試合をする闘争心が減っていく。元々朝比奈への罪悪感があるあゆむにとって、試合をすること自体が辛い。だが、断れる立場でもない。

(こうやって、一方的に倒すのが、美緒の望みなの?)

 サーブで打たれたシャトルを返し、それをスマッシュで決められる。両サイドぎりぎりが悪いのかと中央に打てば、逆に選択肢を広げさせてどこに打たれるか分からない。片方のサイドからのスマッシュは軌道が読めていても取れず、コート中央からのスマッシュはそもそもどう打たれるのか分からない。どうしようもなくなると、今度は前に落としていく。ロングサーブでのシャトルをドロップで前に落とす。ヘアピンに備えて前に行くが、それを見越した朝比奈はより鋭いヘアピンを打つか、フェイントをかけてロブを上げる。どちらにも反応しきれず、打ったとしても甘いシャトルが上がってしまい、裂帛の気合いと共に叩き込まれる。
 打開策が見つからないままに時間は過ぎ、あっという間に得点差が縮まって、同点となっていた。

「ポイント。フィフティーンオール(15対15)」

 朝比奈のカウントを聞きながら、あゆむはシャトルを拾い上げる。朝比奈のスマッシュによって何度もコートに叩きつけられたことで羽がボロボロになっていた。朝比奈へとシャトルを代えることを告げて、返事を待たないまま自分のラケットバッグへと向かう。中に入れておいたシャトルケースから一個取り出すと、直接シャトルを打って朝比奈へと渡した。後を追うように駆け足でコートに戻る間に、あゆむはどうにかしようと考えていく。しかし、自分が試したすべての戦略は朝比奈に潰された。もう何も手段がない。

(どうしたらいいんだろ……どうしたら、美緒に勝てるの? ――え?)

 自分の考えに驚いて、あゆむは駆けていた脚を止める。あゆむは今度は歩きながらコートに向かい、その間に冷静になって今の自分を考えた。

(今、私は勝とうとした。最初は、勝つとか意味ないって思ってたのに。今の私は、あと六点取って美緒に勝とうとしてる)

 心境の変化とも言い難い。今でも目を向ければ、この試合に意味はないと感じている。その冷静な考えを押し退けて、あゆむは「この試合」で朝比奈を倒したいと思っているのだ。

「あゆー! 早くしようよ! 借りれる時間まで後もう少しだから!」

 朝比奈の言葉にはっとして時計を見ると、十一時まであと四十分となっている。十一時の十分前には片づけて、入れ替えないといけないため、実質、あと三十分。

(私は……美緒に、勝ちたいのかな)

 ラケットを握りなおしてコートへと向かう。ついてから軽く切れている息を整えてレシーブ体勢を取った。朝比奈はすでに構えはすんでおり、すぐにロングサーブが放たれる。
 あゆむはシャトルを追いながら、思考が先鋭化していくのを感じていた。それまであった余計な雑念が削ぎ落とされて、シャトルを打つことだけに特化していく。

(今まで、打ったことが、ない場所……)

 過去三十点。朝比奈に取られた点数。ラリーの中であゆむが試したことがないショットが一つだけあった。自分の中でも成功率が高いとはいえないし、何より朝比奈のフットワークの前では意味がないと思えたから使っていなかった。
 しかし、今、必要なのは朝比奈の思考の隙を突くこと。

「はっ!」

 自然と漏れた声。気合いを入れた声と共に放つ、クロスドロップ。
 初めてで、気合いの咆哮からスマッシュを打つだろうと思わせておいてからのドロップ。
 二重の要素でのショットにしかし、朝比奈は反応していた。あゆむはヘアピンに備えてシャトルの軌跡を追うようにして前に出る。

(美緒は……ヘアピンだ!)

 ラケットを前に出してドロップの終着点へと置く。あゆむはためらいなく前に飛び込み、朝比奈がヘアピンをするということに疑いなく。
 実際に朝比奈はシャトルにスピンをかけてあゆむ側のコートへと落とし、あゆむは右手を伸ばしてラケットを何とか届かせようとする。

(届いて!)

 足は止めず。腕を伸ばすために頭も下げて。しかし、次の瞬間に足が滑って体勢が崩れた。

(きゃっ!?)

 膝から落ちるのを回避して横倒しになったあゆむの視界にはちょうどシャトルが落ちたところが映った。

「ちょ。ちょっと。大丈夫?」
「……ナイス、ヘアピン」

 心配そうな顔をしてのぞき込んできた朝比奈に向けて、あゆむは今のヘアピンについて言う。きょとんとした後で意味に気づいたのかため息をつき、朝比奈は口を開く。

「ポイント。シックスティーンフィフティーン(16対15)」

 あゆむはゆっくりと立ち上がったが、左足に軽い痛みが走って顔をしかめる。その様子を見て、朝比奈は心配そうな顔をしてまた尋ねてきた。

「足、痛めたの? 無理しないで止めようか」
「……そうだね。悪化しそうだし」

 今は痛くなくても徐々に悪化しそうだと思うと、あゆむは深く息を吐いた。自分が朝比奈に勝ちたがっていると思った矢先だったのに、自らの体に水を差された。運動不足の体が止めてくれたのかもしれない。どちらにせよ、負けていたかもしれないが。
 そこまで思ったところで、朝比奈からシャトルが飛んできた。あゆむは慌てて受け取り、朝比奈を見る。

「今のヘアピンはアウトだよ。だから、あゆのポイント」
「……ほんと?」
「私はバドミントンに対しては、嘘は吐きたくないの」

 朝比奈はため息混じりに呟いてから、残念そうに言葉を続ける。

「本当にラブゲーム狙ってたんだけどな。あゆもやればできるんだよ」

 ネットの下をくぐって朝比奈はあゆむへと近づいてくる。表情は真剣そのもの。試合の最中よりも緊張しているようだった。

「バドミントンは私が強い。勉強はあゆが凄い。友達として好きな気持ちは、私はあゆに負けてないと思うけどな」
「美緒……」
「そもそもバドミントンだけで許すも許さないもないでしょ。そこまでバドミントン馬鹿って思われてたなら、怒っておくよ。最初から試合だけやろうとしたのよ。ああ言ったのは、そうでも言わないと乗ってこないかなって思ったから。だから、途中で終わったけど、これでいいの」

 朝比奈の言葉に今度は自分が呆気にとられているのを自覚する。ぽかんと、口をだらしなく開けていることに気づいて慌てて言葉を発する。

「じゃ、じゃあなんで」
「難しく考えすぎなんだよ。私も、あゆも。試合してたら、シンプルになったでしょ。いろいろ取ったら、シンプルなのよきっと。バドミントンは相手に勝ちたいし。一緒に友達としているのは、やっぱり相手が好きだからいるんだよ」

 朝比奈の右手が差し出される。その手と朝比奈の顔を何度も見比べてから、ゆっくりと右手を出して握る。途中までだったが、終わったことによる握手。
 そして。

「これで、仲直り」
「……そもそも喧嘩してたんだっけ?」
「してないね」

 苦笑してから、言葉を選ぶようにゆっくりと朝比奈は紡ぐ。自分の中にある思いを誤って伝えないようにと。

「あゆは、いろいろ私に思うところがあって、謝った。私は全部理解した上で、許した。そういうことだと思うよ。ほんとに、それだけ」
「それだけ、なのかなぁ」
「そ。許せるなら許すし。許せないなら友達絶交。悪いって思ってるなら、これから少しずつ意識改革お願いね」

 握手している右手から伝わってくる熱さ。今まで朝比奈と試合をしていたことによる体温。それまで、後ろから背中を見ていた相手と、この試合の間だけは並ぼうと、前を抜かそうと考えた熱さ。

「さ、無理せず片づけて、帰ろうか。ストレッチちゃんとやればきっと痛みも和らぐよ。マッサージもしてあげる」
「ほんと? 美緒ってマッサージもできるんだっけ」
「修平直伝のやつだよ。おかげさまで全国行けた御利益付き」
「それって軽くのろけてるよね」

 自然と会話をして、笑みがこぼれる。試合を始める前にあった心の中のしこりが、今、消えているのを自覚していた。

(そっか……難しく考えすぎ、なのか……)

 自分の視界が歪んでいることで初めて泣いていると自覚する。朝比奈が足が痛いかと問いかけてきても頭を横に振るだけ。吸う息と吐く息がぶつかりあって、言葉にならない。辛うじて言えたのは謝罪の言葉。

「ごめ……んなさ……い……ごめんな……さい」
「うん。許してあげるよ。だから、私もごめんね」

 何を朝比奈が謝ることがあるのかと視線を向けると、光が反射して見えない口元から続きが漏れる。

「あゆが苦しんでたこと。気付かなくてごめんね」

 声に涙が混じっていたことに、またあゆむは俯く。足のマッサージが終わるまで、顔は上向くことはなかった。
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