PREV | NEXT | INDEX

Dear My Friend

第九話 「まさか、引いちゃうとはね……ありえない」

 歩道に積もった新雪の中に足跡をつけて歩くと、あゆむは心地よさで満たされた。空は晴れているが、ちらほらと雪が降ってきており、足跡もやがて積もって消されていくのだろう。天気雨ならぬ天気雪。弱々しいが太陽は地上に光を送り、あゆむはダッフルコートに包まれた体にじわりと汗が滲む感覚を得て顔をしかめた。冬だけに重装備になるのは仕方がないが、どこかのタイミングで制汗スプレーを使わなければいけないかもしれない、と残念に思う。

(これからデートなのに汗くさいのは、嫌だもんね)

 そう思った後すぐに、相手が汗臭い時があることを思い出す。コートを着ているなら尚更だ。気落ちしながらも足を進めて、曲がり角を曲がると目的地が見えた。そして、入り口前に待ち人が立っている。あゆむの姿を見つけたようで、手を振って自分の存在をアピールしていた。さすがに声を出していないが、動きの激しさに微笑ましくなる。
 勇の姿を見て、心が浮つく自分を自覚せざるを得ない。

(私と会えて嬉しい、ってことかな)

 以前よりも会う機会が増えたことで、勇の行動も最近では自分のことのように分かるようになってきた。少し前に遊佐が朝比奈への感情を信頼と答えたように。あゆむもまた勇を信頼している。
 やがて無理なく声が届く位置までついたところで、あゆむのほうから手を挙げて声をかけた。

「勇ー。おはよ」
「あけましておめでとう、あゆ」

 一月一日。新年で早々に好きな人と会えることの嬉しい気持ちが、あゆむの体中に満たされていく。

(もしかして、大発見かも)

 あゆむは早足で勇の傍までたどり着くと、すぐに手を握った。あゆむの行動に慌てる勇を促して、目的地である神社の境内へと歩き出す。
 成城市にある神社はなだらかな坂を上っていった所にある。石段で更に高く登るということはなく、道路からすぐに境内へと続く砂利道が伸びているような、特に神秘的でもなんでもない場所だ。向かいには市役所があるのだからなおさら神秘などない。地元の大学生は新年が開けてからすぐの深夜零時付近で初詣を済ませるようだが、あゆむは親の車で一緒に来たくらい。二度目の、昼の青空の下の神社は夜とはまた違った風情がある。

「あゆ。なんかテンション高いな?」
「そう? やっぱり好きな人と一緒に初詣っていいじゃない」

 あゆむのテンションの高さについていけてないのか、勇は不思議そうにあゆむへと問いかける。だが、あゆむは勇との距離が近づいていると感じている今、デートの一つ一つが愛おしくなっていた。

「去年も行っただろ」
「去年は去年なの。一昨年は……そうか。告白したの卒業式の日だったから、その時は付き合ってないよね」
「まさか付き合うことになるとは思ってもみなかったよ。一度断ったのにな」
「私は諦めが悪い女なの」

 手を繋ぎ、境内へと歩いていく道すがら。過去に思いを馳せる。自分達の歩んできた道。更に先にある道。新年になり、新しい年度になってからの展望が見え始めているからこそ、なのかもしれない。

「来年は一緒に学校だね」
「その様子だと勉強は順調か」
「うん。先生に更に上の学校目指しても……札幌の高校目指してもいいって言われたくらいだから」
「昔は市内だけだったんだっけ」
「そうみたいだね」

 自分が目指す場所以上を求められているならば、今の自分の学力は問題ない。そう考えられるとリラックスできた。むろん、油断禁物だが、落ち着けたのも事実だ。不安定だった近い未来に形ができたこともまた、テンションを上げる理由になっている。

「今年一年間、一緒にいてね」
「そうだな。大学は北大予定だし、道外に行くこともないしな」
「わ。何学部なの」
「工学部」

 自分の受験が終われば、次は彼氏の受験が始まる。自分達に落ち着く時はないのかもしれない。それでも、できるだけ近くにいようとする気持ちは、大事にしたい。
 人の流れを抜けて賽銭箱のところまでたどり着いた二人は、一緒に五円玉を出して放り投げる。それから垂れ下がった綱を二人で揺らし、上部についていた大きな鈴が鳴った。

「あとはおみくじだね」
「去年は凶だったからな……今年こそ大吉引きたい」
「おみくじで凶って初めて見たよ」

 去年の記憶と重なる道を行く。建物もまた年を経るごとに磨耗していくはずなのに、その変化は一年二年じゃ分からない。しかし、確実に変わっている。あと十年もすれば配置も変わっているのかもしれない。
 変わると言えば自分も高校に入って何が変わるのかと思う。去年の八月頃と比べると、漠然とした物がはっきりとしてきた。来年の八月には、今、漠然としているものがはっきりとするのだろうか。連鎖する思考を一度切って、あゆむは百円でおみくじを買い、封を切る。
 だが、自分の結果を見るより先に隣で去年とは間逆の顔をして喜んでいる勇に驚いてしまった。

「もしかして、大吉?」

 あゆむの言葉に自分のおみくじに書かれている『大吉』という文字を見せつけてくる勇に嘆息して、改めて自分のおみくじを覗く。
 そして、去年の勇と同じ顔で落ち込んでいるであろう自分を想像した。

「まさか、引いちゃうとはね……ありえない」

 台詞まで去年の勇とほぼ同じことにあゆむは自嘲気味に笑った。隣では勇が涙を浮かべて笑っていた。勢いの良さにあゆむは勇をジト目で見つつ呟くように言う。

「人の不幸を笑わないでよ」
「あっはは。ごめん。でも……おかしくて……ははっ」
「あとのカラオケで目に物を見せてやるんだから」

 初詣に行った後はカラオケで二時間歌う。元旦くらいは好きなことをすると、二人で考えたことはそれくらいだ。ボーリングとカラオケの二択で、個室で落ち着けるところを同時に選んだ。

「じゃあ、そろそろおみくじ巻き付けてからいこうか」

 一刻も早くこの場から去るために笑いが収まらない勇の手を取り、あゆむは他の参拝客のおみくじが多数結びつけられているところに向かおうとした。
 その時、後ろから声がかかった。

「よお、宮越じゃん」

 踏み出した足が止まり、体がぎこちない動作で後ろ振り向く。手を引かれていた勇はすでに顔を向けて声の主を見ていた。勇の体ごしに、見知った顔が自分達を見ているのが見えた。
 二つの顔。一人いればもう一人がいるのは当たり前のことだったのに、あゆむは自分が考える以上にダメージを受けている。

「遊佐に……美緒……」

 遊佐に手を引かれて少し後ろにいた朝比奈が、気まずそうに声を出さずに「ごめんね」と言った。遊佐と共に朝比奈もまた勇へと自己紹介で頭を下げる。

「そっちも初詣だな。あ、どうも。俺、宮越と同じ部活だった遊佐です。で、こっちは朝比奈」
「どうも……」

 気まずそうに勇を見つつも、さりげなく全身や表情を朝比奈は観察していた。互いにデートの最中。そんな時に遭遇してしまうのは気まずいことこの上ない。
 あゆむは夏休み中の遊園地での尾行を思い出す。朝比奈と遊佐の初デートを尾行しつつ自分達もデートを楽しんだ。よくやったものだとあゆむは心の中で朝比奈へと謝った。

「あー、なるほど。二人が遊佐君と朝比奈さんね。あゆからよく話を聞いてるから初めてあった気がしないな」
「ちょ、ちょっと!? 勇!」

 聞き捨てならない言葉を発する勇を慌てて遮ろうとするあゆむ。以前、尾行したことは隠してあくまであゆむから言葉だけで聞いているとしてくれる気遣いはあるようだが、あまり身近な知り合いに彼氏のことを知られたくない感情が止めようとした。しかし、遊佐の興味は勇へと移ったのか、目を子供のように輝かせて食いつく。

「宮越から何て聞いてるのか気になります。この後、一緒に桃華堂でしゃべったりどうっすか?」

 遊佐は更に態度を軟化させて勇へと話しかける。後ろから止めようとする朝比奈だったが、いつもより消極的にあゆむには見えた。あゆむは特に隠していないが、名前しか周りには言っていない。容姿を説明するには平凡であり、似ている芸能人も特に思いつかない。二歳の差でどうやって付き合ったのかも説明が面倒で省略していた。それだけに、遭遇したことは他人にとって貴重なのかもしれない。

「ん。別にいいよ。これからカラオケで軽く食べつつ歌ったりするんだけど」
「カラオケっすか! いいっすね! いいだろ?」

 最後の言葉は後ろを振り向いて朝比奈へと尋ねたもの。朝比奈は遊佐越しにあゆむを見て伺いを立てていた。あゆむの方では勇から誘うほど乗り気であり、断れる雰囲気ではない。あゆむは小さくため息をついて呟くように言った。

「分かったわよ。一緒に行きましょ。考えていたら美緒の歌って聴いたことないしね」

 唐突に話題を振られて驚いた表情を見せる美緒にあゆむは一矢報いたと思って頬を緩ませた。意気投合したところでおみくじを結びつけると一緒に神社から離れていった。

 * * *

 神社から離れて国道を沿っていくと、カラオケボックスがぽつんとあった。全国展開しているような有名なところではなく、地域限定のようなところ。少なくともあゆむは札幌では見かけたことはない。駅前の方に行けばそういう店舗はあるが、歌ったり軽く食べ物を食べられたりすればそれでよかった。

「えっと……何、飲みます?」

 一番入り口に近い場所に座った遊佐が率先して全員の飲み物を聞く。三人が同時にホットウーロン茶を頼み、遊佐は笑いながら受話器ごしに「ホットウーロン四つ」と頼む。更に勇はピザとハニートーストを追加するように言って、その通りに遊佐は口にした。
 遊佐が注文している間に機械で曲を入力する準備を整える。タッチパネル式の子機で曲を選び、本体へと転送する仕組みで、勇は履歴から探していた。朝比奈はゆったりとした動作で画面を突き刺していき、目当てのアーティストを探している。

「ねえねえ。美緒ってどんなの歌うの?」

 友達になって初めてのカラオケだけに、あゆむも気になる。朝比奈は少し恥ずかしそうにしてから、持っている子機を反転させて画面を見せる。

「御堂聡子。結構好きなんだよね。声高いからあまり歌えるのはないんだけど」

 ずらりと並ぶ曲目はある程度あゆむも知っている。
 十代から二十代の中で人気の女性アーティスト・御堂聡子は十代でデビューしてから十年以上経つはずだが、いまだに第一線で活躍している。最近ではバンドや一人ボーカル、ボーカルグループが影を潜めていき、大人数での歌とパフォーマンスのグループが人気だが、その中で残っている数少ない実力者だ。
 朝比奈が選んだその歌手に、あゆむは拍子抜けする。

「へぇ。美緒ってもっとマニアックなの選ぶと思ってた。勝手に」
「なんで!?」
「玄人向けの曲、知ってそう」

 笑って朝比奈に歌うのを促しつつ、あゆむは勇の隣で自分が歌う曲を探す。それまで続いていたバックミュージックが切れて、画面に曲名と作詞作曲者の名前が出てくる。

「よっ! いいっすよー!」

 遊佐が勇へと手でラッパを作って声をかける。そして朝比奈に叩かれていた。音楽の大きさ。そして勇のボーカルで遮られたが、初対面の相手へ失礼だと怒っているのは見て分かった。

(すっかり、恋人同士って感じだなぁ)

 八月のある日を思い出す。
 初めてのデートをした朝比奈と遊佐の後をつけた日。端から見れば二人の間に変な緊張が走っているのが分かった。だが、今は二人寄り添って子機を使い、曲を探している。傍にいて、落ち着ける距離。柔らかな雰囲気。まるで、自分と勇のようだと比較する。

「――っ!」

 勇が最大の声量で最後のフレーズを叫び、曲が終わる。朝比奈と遊佐は驚いた顔で勇に拍手を向けていた。続けて流れるのは朝比奈が入れた曲。御堂聡子のアルバムにしかない曲で、ベスト磐に入るような類の隠れた名曲だ。歌に入ると、綺麗な声と歌い方にあゆむは胸の奥からこみ上げてくるものがあった。

「うわぁ」

 自然と声が漏れる。
 知り合ってからもう少しで三年。友達として、部活の仲間として接してきた少女が見せる新たな面。まだまだ自分は朝比奈のことを知らなかったと思い知らされる、一曲。バドミントン一筋と思われた朝比奈が、バドミントンから離れた時。新しい面が次々と現れていた。勉強でも、遊佐との付き合いでも、朝比奈はあゆむが見たことが内面を次々と見せてくる。

(朝比奈とキスした)

 遊佐からの言葉。光景を想像するだけで胸が苦しくなり、ムカムカとする気持ち。綺麗な歌声の中で、まるで自分だけが汚れているような錯覚を覚えて、あゆむは感情を見せないようにするのが大変だった。一曲終わるまでの間に何とか持ちこたえて、終わった後には拍手する。

(単純に上手いだけじゃない……これって……何度か歌ってる)

 あゆむがそう思った矢先に、遊佐が口に出していた。

「いやー、美緒。この前行った時より上手くなってるんじゃね?」
「そ、そうかな……ありがと、修平」

 二人は微笑みながらさらりと会話をする。だが、あゆむは遂に顔をひきつらせて、震えながら二人に指さしつつ言った。

「二人とも……名前……」

 美緒。そして、修平。
 お互いがお互いの名前を呼び合っているのを聞いて、あゆむは体が固まり、動悸が激しくなった。自分がどうしてそこまで動揺しているのか全く分からない。何かとてつもないことが起こったようなリアクションに、朝比奈と遊佐も首を傾げている。次にかかったのは遊佐が選んだ曲のため、遊佐は答えることなくマイクを取り、歌い出す。あゆむは朝比奈へと顔を近づけて改めて問いかけた。

「いつから名前で呼んでるの?」
「えーっと……テストのあと、からかな」

 恥ずかしそうに語る朝比奈を見て、あゆむは涙腺が緩む。自分の感情を制御できない。親友と思っている朝比奈が、バドミントン馬鹿だった朝比奈が遊佐とステップを踏んで彼氏彼女として成長しているのが嬉しいはずなのに、逆に苦しくなっていく。それは今までも何度か感じてきた感覚。だが、健在化しなかったのは朝比奈か遊佐のどちらかとだけ話してきたことが要因だったのだろう。恋人同士としての二人が目の前に現れて、二人が歩んできた結果を見たことで、あゆむは黒い感情と向き合うしかなくなった。

「……あゆ?」

 明らかに様子がおかしくなったあゆむを心配して朝比奈が呟くが、あゆむは手を振って「何でもない」と答えると乗り出していた体を元に戻した。
 遊佐は一昔前に流行った男臭いバンドの曲を荒々しく歌いあげている。パワーに溢れ、目の前の壁を簡単に壊していき、大事な人を引っ張っていくような映像があゆむの脳裏によぎる。遊佐の曲が終わるまで目を閉じ、気分を落ち着かせるためにゆっくりと呼吸していく。
 やがて歌が終わり、朝比奈と勇が拍手を送る。遅れてあゆむも手を叩いていると自分の入れた曲が流れた。ちょうどそこでピザとハニートースト。そしてホットウーロン茶を四つ持ってきた店員が扉を開ける。

「あ、ごめん。私、トイレ行ってくるわ。曲、切っておいてね」

 勇に言って店員と入れ替わるように個室から出る。そのままトイレに早足で向かう。
 最中にぼやけていく視界を指で拭きながら、あゆむは逃げるように歩を進めていった。

「美緒……遊佐が……美緒、だって……」

 遊佐が美緒を名前で呼ぶ声が何度も頭の中を反響する。
 自分の中にある感情が一つの形になっていく。
 いつもより消極的な美緒。友達になってから始めて聞いた歌。遊佐との仲を深めていく過程で、徐々に知らない、新しい朝比奈美緒が作られていくのだ。
 それを与えているのは遊佐修平なのだと。
 増していく不快感に、あゆむは自然と呟いていた。

「美緒の名前……呼ばないで……」

 トイレまでの距離は、まだ遠い。
PREV | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2014 sekiya akatsuki All rights reserved.