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Dear My Friend

第八話 「あんたも律儀ね」

 ジャージに着替えを終えて副顧問の多向美香(たむかいみか)に参加の許可を取りに行くとあっさりと許された。元々卒業生の部活参加にもそこまで消極的ではない部活。更に多向は積極的に今の空気を壊すような存在を求めている節があった。

「もっと朝比奈さんにも来ていいって言ってもいいわよ。毎日でも。もっともっと後輩を鍛えてあげてほしいわ」
「毎日だとさすがに勉強できないですよ?」
「毎日まじめに授業受けて、土日勉強すれば大丈夫よ、中学なら」

 一理あるのかないのかあゆむには分からなかったが、話題を止めて多向から去る。背中を向けたところで多向がため息混じりに呟くのが聞こえた。

「あの朝比奈さんが卒業ねぇ」

 言葉に含まれている感情が何なのか、あゆむには分かる気がした。多向はあゆむ達が一年の時から副顧問としてバドミントン部に参加している。自分の二つ上の先輩達の活躍と共に正顧問である庄司直樹が不在の時間が増え、その際の部の舵取り役が必要になり、副顧問として抜擢された。あゆむ達は多向が最初から最後まで関わって、初めて卒業する世代となる。

(一年の時は迷惑かけて、すみませんでした)

 心の中で謝りつつ早足で女子のところに混じった。後輩達があゆむの姿を見て次々に挨拶を交わしてくるのに一つ一つ返していく。
 一年と二年は、新年があけてから行われる学年別大会に向けて試合形式の練習をしていた。年内に行われた全道大会に繋がる市内大会では、今年は誰も全道に進めなかったことからも、実力はここ数年で最も低い。それでも腐らずに、仲間達と協力して少しでも強くなろうとしているところを見てあゆむは自分が一年の時を思い出した。
 あゆむ達が一年の時、ある事件があった。
 強かった三年生が引退し、二年と一年が中心になった時に、実力的にあまりぱっとしない二年と、すでに部内でも市内でも最も強くなっていた朝比奈を筆頭とした一年との間で少し溝が生じた。バドミントンの強さを求めた朝比奈が部活を休んで市民体育館で自分なりの練習を開始し、一年はそれに追従した。部活をずる休みして。
 結局、罪悪感に駆られた一年女子の告白によって多向に露呈し、全員退部届けを書かされる寸前まで行った。最終的には朝比奈も含めて和解したが、あゆむにとって考えさえられた事件になった。
 一年時の部活動のストライキは、結局はただ朝比奈の後ろをついていっただけだった、お粗末な反抗。自分達の簡単な謝罪で終わったが、逆にそのことがあゆむの中でたまに沸き上がる罪悪感の種となった。

(強くなるために皆で頑張ってるんだもんね)

 強くなるために自分勝手な行動を取ったことの反省を生かせたのかと、今の後輩を見てあゆむは思う。仲間と協力しあうことで、一人でいるよりも強くなれるはずだと。

(……あれ?)

 だが、あゆむの目に試合中の後輩の様子が飛び込んでくる。相手からのドロップを決められて取れなかったパートナーにドンマイと声をかけている図。そしてかけられたほうは半笑いで応じている。
 あまりやる気の感じられない顔に、あゆむはついさっき思ったことが少しだけ欠けた気がした。

(仲良く頑張ることも、問題はあるわよね……)

 今日の自分のやることを、頭の中だけで切り替えてあゆむは後輩の輪の中へと入っていった。


 * * *


 十六時過ぎから始まった部活は、あゆむが入ったあたりからちょうど試合形式の練習に入っていた。シングルスプレイヤーだったため、自然とあゆむはシングルスで後輩達の相手をしていく。隣では遊佐がシングルスダブルス問わず相手をしていくために、内心で呆れていた。

(あそこまでやっても、美緒には勝てないのかな)

 九月頃に遊佐から話を聞いた時は、六割くらいの勝率だと言っていた。女子のほうが成長が早いため、小学生の時は女子の方が実力が高いことが多い。しかし、体ができあがってきて筋力に性差がでてくると自然と女子のほうが弱くなるものだ。遊佐は体格だけなら同年代と比べて恵まれている。高い身長に、筋肉が付いた体。その重さに負けないスピード。あゆむから見て、どうして全国大会に行けないのかと思うほどだ。遊佐が行けないのならば誰が行けるのか。世の中の広さを身近で感じ取る。

(今はどうなんだろう――っとっ!)

 上がった甘いシャトルをスマッシュで叩きつける。
 ラケットを伸ばした先、シャトル一つ分だけ届かない後輩を見て「あと半歩早く出れば間に合うよ」と軽くアドバイスする。ちょうど十一点を取ったため、試合は終了。あゆむはコートから出て、ジャージを入れた袋の中にあるタオルを取り出した。思い切り顔を拭いて汗を拭い、ほっと息を吐く。
 壁際に背中を預けて再び遊佐もプレイを眺めていると、心なしか胸が熱くなった。自然と胸元へと手を持っていき、心臓の鼓動を確認する。

(こういうのも、見納めなのかもね)

 友達という関係で言えば小学校一年からだが、それにバドミントンという要素を加えると、遊佐とは小学校三年からの付き合いになる。同じ町内会のバドミントンサークルで小学校一年から始めている遊佐と、運動不足解消にと小学校三年生から始めたあゆむ。美緒よりも数年前から、成長する様を眺めてきた。傍というわけではなく、あくまで離れたところでだ。
 遊佐のプレイを見て浮かび上がる気持ちは当人にも友達にも、勇にも話してはいない。
 この気持ちは、けして恋ではない。それを理解するのはおそらく自分だけだ。恋ではないが、単純な友情でもなく、他人に説明する自信がなかった。

(今はただ汗を流したいのにね)

 あゆむは背中を壁から離すと、水飲み場へ行くために歩きだした。コートを迂回して邪魔にならないように反対側にある体育館の入り口へと向かう。その課程で男子の後輩達にも挨拶され、手を振りながら答えていく。男子はあゆむにとって幼く見えた。女子と同じく少し前のジュニア大会予選では全道に行くものはいなかった。しかし、顔には悲壮感はなく、前だけを向いて進んでいこうとする意志があるように見えた。

「頑張ってねー」

 扉のところで手を振ってから廊下へと出る。早足で水飲み場まで向かう間には、誰もいない。部活をしているものは体育館かグラウンド。テストが終わった今日は居残って勉強している三年生もいないのだろう。校舎全体に静けさが漂っている。

(落ち着くよね、本当に)

 自分の足音を聞きながらあゆむはこれからの事に思いを馳せる。おそらくは、部活に顔を出すのも最後になるだろう。このまま行けば高校受験にはおそらく問題はない。しかし、いつか朝比奈が言っていたように、現状を保つために斜め上を目指すということを続けなければ、落ちていくだけ。
 バドミントンで生きていくわけではないあゆむにとっては、高校から大学。そして社会人とだいたい決まっているレールを進んでいくしかないと分かっていた。そこに必要なのは学力。選択肢を増やしておくためにはないよりはあったほうがいい。

(私達はどこにいくんだろう、ってね)

 どこかで聞いたような歌のフレーズを思い浮かべたところで水飲み場にたどり着いた。蛇口をひねって水を飲み始めて少し経つと、水音に混じって足音が聞こえてきた。床を強く踏む音は、聞き覚えのある音。あゆむは蛇口の傍から口をはずして、足音のする方向に目を向ける。やがて視界の中に現れたのは、予想通りの人物だった。

「よぉー。宮越」
「遊佐。どしたの?」

 自分の予想が当たるとは分かっていたが、当たるとそれはそれで気恥ずかしい。気配や足音など誰もが持っている物から人を特定するなんて、まるで彼氏みたいなものだと思ってしまう。

(そりゃ彼氏より付き合いは長いけど……)

 余計なところに思考が回りそうになるのを頭を振って霧散させる。最近、こうして遊佐と二人で会う時の話題は朝比奈との進展具合の報告ということになっている。今回もそうだろうかと期待半分で次の言葉を待っていたあゆむは、次の瞬間、固まった。

「実は。朝比奈とキスした」

 単語は理解できる。内容も理解できる。そして、彼氏彼女という関係ならばいずれそうなるだろうとも分かっていた。自分も勇とはキスならばすでに済ませている。だからこそ、自分の胸に打ち込まれた見えない棘の大きさにあゆむ自身驚いている。

(なんで……なんでここまで、ショック受けてるの私?)

 遊佐は無反応のあゆむを見て不思議そうに首を傾げている。自分の心を落ち着かせるためにも、会話を続けなければいけないと考えて、動かない唇を動かした。

「いきなり冗談言わないでよ」
「じょ、冗談って!? マジだって!」
「あー、はいはい。ほんとよね。いきなり自慢された私の身にもなってよね」

 遊佐の反応に体の緊張も少しだけ解けて、速くなっていた心臓の鼓動も収まっていく。普段通りとはいかないまでも、あゆむは話を進めた。

「で、いつ?」
「実は先週」
「テスト始まる直前ってこと?」
「ああ。俺の家で……勉強してて……」
「へぇ。女の子を家に入れるまで成長したんだ」
「え? 集中するなら家のほうがいいと思っただけだけど」

 とうとう彼女を家にいれるようになったのかと素直に感心したあゆむだったが、すぐに遊佐はなにも考えていないと否定する。

(ただ、家で勉強するってだけだったんだろうけど)

 誘われて色々と困惑する朝比奈を想像してあゆむは少し笑った。二人で体育館で練習するのと家で勉強するとは全く条件が違うのだから。
 そして、部活に誘った時に動揺した朝比奈の様子に得た違和感も正体が分かった。先週とはいえキスをした相手と部活で会って平静でいられる自信がなかったに違いない。

「まあ、それでその……勉強終わったところで、だな」
「はいはい。生々しいからそこまで。で、なんでわざわざ報告してきたのよ」
「お前が前に言ったからだろ」

 遊佐の言葉にあゆむは記憶を掘り起こしてみる。過去に遡ってみると、十月あたりにキスをしろとたきつけたことがあったと思いだした。

「ああ。図書室にいた時」
「そうそう。だから報告したんだろうが」
「あんたも律儀ね」
「そりゃ。宮越のおかげなところもあるからな」

 遊佐の言葉の意味が分からず、あゆむは「へ?」と首を傾げた。自分のおかげ、という言葉に全く心当たりがない。文脈からすれば朝比奈と遊佐が付き合っているのはあゆむのおかげということになるが、そんなことは欠片も思ったことはない。むしろ、二人は恋人同士になるべくしてなったとまで思っていた。
 朝比奈の隣には遊佐。遊佐の隣には朝比奈。およそ、他の異性が立つ姿など想像できない。

「なんでさ。二人が付き合ったのは二人の問題でしょ?」
「違うさ。朝比奈が三年間部活にいたのは宮越のおかげだからな」
「私の?」
「朝比奈。最近は、昔のこと結構話すんだよな。中二とか、中一の時とか。あとは小学校の時まで。あいつなりにやっぱ卒業が寂しいのかって思ったんだ」

 遊佐の言葉に少なからずあゆむは驚く。朝比奈はもう少しドライに考えて先に進むのだと思っていた。過去は振り返らず、未来に向けて道を切り開いていくんだと。だから、遊佐の語る朝比奈はあゆむにとって初めて感じる彼女。おそらくは、遊佐の前で見せる「弱い」自分なんだろう。
 ちくりと胸を刺す痛みにしかめたあゆむの顔に遊佐は気付かなかったのか言葉を続けた。

「話の中でさ、大半は宮越との話なんだよ。部をまとめてくれたとか、ドロップ打つの上手かったとか。後輩と宮越みたく柔らかく話したいとか。後は、服のこととかな」

 夏の朝比奈の初デート時に服をコーディネイトしたことを思い出す。それからもごくたまに勉強の気分転換と称して朝比奈とウィンドウショッピングに出ることもあった。勉強と同じように、もう全く出かけていないが。

「あゆの探す服って私が分かるくらいセンスいいんだーってめっちゃ嬉しそうに言っててな。同性だけどさすがに嫉妬したぞ」
「嫉妬されてもね」

 返した言葉とは裏腹に悪い気はしない。自分の服のセンスを誉められたこと以上に、朝比奈に言われることに心地よさを感じる。

「美緒は私より可愛いんだから、着飾ったらすぐ男の子が寄ってくるわよ。だから遊佐が守ってあげないと。大丈夫なの?」
「大丈夫だと思うぞ」

 さらりと言ってのける遊佐にあゆむはまたしても心臓が高鳴った。気負いのなさが余裕に受け取れて、自信が自然と体から溢れている様子は、逆にあゆむを不安にさせていく。理由など分からない。いい気分の後に一気に奈落に落とされたようになる。

「朝比奈は俺だけ見てくれてるからな」

 言い切ってから自分の台詞に照れたのか、遊佐は顔を真っ赤にしてあゆむの前から離れる。蛇口から水を出して顔を何度か洗ってから、タオルがないことに気づいてユニフォームの裾で拭く。自分で言っておいて自分で照れていては仕方がないのに。そう思いながら、あゆむもまた自分のことのように照れてしまう。黙っていたら心臓が胸を突き破りそうなほどに、鼓動が高まっていく。

「随分自信があるんだね」

 言葉が棒読みのようになったが、遊佐は気づかなかったのか反応することなく言葉を続ける。まだ、自分の言葉自体に照れていることはあったが、そこには迷いはない。

「なんていうか、信頼、かな。朝比奈と付き合ってからまだ四ヶ月も経ってないけど、友達づきあいは二年はあるし。そしたら、相手はこう思ってるんだろうってのが何となく分かるんだ」
(信頼、ね)

 あゆむには遊佐の言いたいことの、更に奥まで見えた気がした。バドミントンは思考を読み会うスポーツ。相手がどう打ってくるか。自分はどう打ち返すか。そんな戦略を常に考えながら体を動かしている。あゆむも普段の生活の中では、自然と人の言葉の裏や行動の裏を読もうとしている。

(職業病ならぬ部活病、かな)

 互いの思考を読むというならば、朝比奈と遊佐は互いに一年の時から練習をしてきた。互いに同性といるよりも多いかと思うくらいに。ならば、二人の間に恋愛感情が芽生える前から互いのことは分かっていたのかもしれない。

(敵わない、なぁ……?)

 敵わない。
 遊佐に、なのか。朝比奈に、か。
 自分がいったい何に対して敵わないと思ったのか、この時のあゆむには分からなかった。
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